第1509話

「へぇ……ここがロッシか。予想していたよりも栄えてるな」


 レーブルリナ国の首都、ロッシの中に入ったレイは、周囲を見回しながら感心したように呟く。

 実際、ロッシはレイが思っていたよりは栄えていた。

 勿論今のギルムどころか、増築工事前のギルムと比べると人の数は少ない。

 だが、それでも寂れているという程ではないし、首都と呼べるだけの活気はある。


「レイ、まずはどうするの? 宿を探す? それとも、ギルドに向かう?」


 そう尋ねてくるのは、マリーナだ。

 当然のようにレイ達一行はかなり目立っており、周囲にいる者達から様々な視線を向けられている。

 今レイに話し掛けてきたマリーナを始めとして、三人もの美女……それも、一生に一度見られるかどうかといった美女がいるのだ。

 普通であれば、そんな美女を引き連れているレイに絡んでくる者がいてもおかしくはない。

 ……ビューネも、表情を変えない為にどこか人形じみた印象を受けるが、将来が楽しみなくらいに顔立ちが整っているのは間違いない。

 だが、そんな一行に誰も絡んでこないのは、やはりレイの側にいるセトのおかげだろう。

 背中にイエロを乗せたセトは、円らな瞳で周囲を見回していた。

 ある程度セトと親しくなった者であれば、何か美味しい料理はないかな、と考えているんだろうなと予想出来るが、当然ながらこのロッシではセトと親しい者はいない。

 実際、ロッシの中に入る手続きの際にも、そのままでは他の者達が怖がるからと、レイ達だけが少し離れた場所で手続きを行ったのだ。

 従魔の首飾りに関しても、自分が掛ける訳でもないのに警備兵は渡す時にかなりセトを怖がっていた。

 そんな警備兵を見て、セトは少しだけ残念そうにしていたのだが……ビューネに撫でられ、機嫌もすぐに直っていた。


「あー、どうだろうな。一応警備兵から大きな厩舎のある宿は教えて貰ったし、まずはそこに行って部屋を取った方がいいか? 今のギルムと違い、宿がすぐに一杯になってしまうということがないのは分かってるんだけど」


 仕事を求めてやってくる者達が多い今のギルムでは、既存の宿だけでは足りず、結局工事現場の近くに宿……と呼ぶには粗末極まりない簡単な建物が幾つも作られている。

 そのようなギルムからやってきただけに、どうしても先に宿を確保した方がいいのでは? という思いに駆られてしまうのは、当然なのだろう。


「ふむ、警備兵に教えて貰った宿は、何と言ったか」

「銀の果実亭だな。……ロッシに来る大きな商隊とかが泊まる宿らしいけど」


 大きな商隊ということは、当然のように複数の馬車で移動することが多い。

 その分、多くの馬を使っており、その馬を休ませる為に大きな厩舎を必要とする。

 大きな商隊が泊まるような宿である以上、当然その辺の宿よりも宿泊費用は高くなっているのだが、ことレイにいたっては多少宿泊料金が高いくらいなのは全く問題ない。

 ダスカーからも経費ということである程度の金額を貰っているし、旅の途中で遭遇した盗賊団から得たお宝の類もある。

 元々レイが持っている資産を抜きにしても、全く問題ないくらいに懐の余裕はあった。


「大通りを進んで行けば、すぐに分かるって話だったし、行きましょうか。このままここにいては、居心地が悪いし」


 マリーナの言葉に頷き、レイ達は大通りを進み始める。

 そうすれば、当然のようにレイ達を前に集まっていた者達も道を空けざるを得ない。

 一瞬レイがモーゼの十戒という言葉を思い出したが、すぐに大袈裟だと判断し、それを忘れる。

 周囲の者達から見られながら歩き続けるレイ達だったが、銀の果実亭という宿屋がどこにあるのか、しっかりとしたことは分からない。

 警備兵からは大通りを進めば分かるとだけ言われているので、こうして大通りを歩いているのだが……


「グルゥ?」

「あー、待て待て」


 鉄板の上で豪快に肉と野菜を炒め、それをパンに挟んで売るという料理をやっている屋台を見て、そこから漂ってくる匂いに寄っていこう? とセトが円らな瞳でレイを見る。

 炒めている肉と野菜の味付けに投入されたソースの匂いが……一瞬にして周囲に広がるその匂いは、いっそ暴力的と言ってもよかった。

 レイもその店に寄っていきたいというセトの考えには賛成だったが、セトに慣れていないロッシの住人だけに、そのまま行かせる訳にもいかない。


「じゃあ、ちょっと買ってくる。お前達はどうする?」


 そう尋ねるレイに真っ先に頷いたのはビューネだ。

 食べることに関していえば、レイと同等……もしくはそれ以上に強い欲求を抱くだけに、それも当然なのだろう。

 また、エレーナ達も異国の料理に興味はあるのか、三人ともそれぞれ頷く。

 尚、エレーナ達も、レイやビューネ程ではないが、食事はかなり多目に食べる。

 それでいて太ったりしないのは、その分運動をしているからだろう。……その運動が、模擬戦という名の決闘に近いような代物なのだが。

 ともあれ、全員が食べるということでレイはその屋台に近づいていく。

 周囲では、レイ一行に視線を向けている者も多いのだが、レイが向かっている屋台の店主は、現在料理をするのに忙しいらしく、全く気にした様子はない。

 そんな屋台の店主の態度も、レイから見れば自分の仕事に集中しているという点で好ましいものに思えた。


「ちょっといいか?」

「あいよ、何人前だい?」


 レイが声を掛けると、二十代程のまだ若い店主は元気に声を掛けてくる。


「取りあえず……十人前頼む」

「は? 十人前? ……ああ、他の連中の分もか。けど、十人分も持てるのか?」

 

 レイだけを見ている為か、少し離れた場所にいるセトを始めとした他の面々の姿には気が付かないらしい。

 店主はレイの言葉に疑問を抱きつつ、持てなければ他の者達を呼んでくるだろうと判断してパンを取り出す。

 ……ただ、そのパンはかなり大きな、それこそ横幅が十五cm程もあるパンだ。

 レイがそのパンを見て感じた印象は、フランスパン? というものだった。

 勿論正確には色々と違うのだろうが、表の生地がしっかりと焼かれているところを見れば、そんな印象を抱いてもおかしくない外見なのは間違いない。

 だが、そのパンの中身はほとんどがくり抜かれており、殆ど外側の部分だけとなっている。

 店主の男は、鉄板の上で焼いていた肉や野菜に白い四角い何かを入れて、再び炒める。

 一瞬白いのが何かは分からなかったレイだったが、すぐにそれがパンだと……くり抜かれたパンの中身を、サイコロ状に切ったものだと理解した。

 白いパンはソースや肉汁、野菜から出た水分を吸いながら、それでも水っぽい食感にならないように鉄板で炒められていく。

 そうして炒められた具が、パンのくり抜かれた部分に入れられる。


「はい、出来上がりだ。それで、十人分だったな。持てる……おわぁっ!」


 屋台の店主が最後まで言い切れなかったのは、顔を上げた瞬間、そこにセトの……グリフォンの姿があったからだろう。

 レイには待ってるように言われたセトだったが、実際には屋台から漂ってくる香りに我慢出来なかったらしい。


(まぁ、その気持ちは分からないでもないけど)


 夏祭りの屋台で売っている、お好み焼きや焼きそば、イカ焼き。

 そのどれもが、ソースや醤油の焦げた匂いが周囲に漂い、暴力的なまでの破壊力を生み出す。

 ……もっとも、お好み焼きは具の殆どがキャベツで実際にはそこまで美味くないお好み焼きが多かったりするのだが。

 だが、それでもソースや醤油の焦げる匂いというのは、人を惹きつける魅力があるのは間違いない。

 今、セトが……そしてエレーナ達もがこうして屋台の側までやって来たのは、それと同じ理由だろう。


「ああ、驚かせてしまったようね。ごめんなさい」


 マリーナが笑みを浮かべて店主にそう告げると、それを見た瞬間、店主の顔は驚く程に赤くなる。

 それは、真夏に鉄板を使って肉や野菜を炒めているから……という訳ではないのは、傍から見ても確実だった。


「あ、あはは。えっと、その……うちの料理は美味いから、是非味わってくれ。レーブルリナ国名物のパーニャンだ」


 その言葉に、レイは渡された料理を見る。

 どうやら、この料理の名前はパーニャンと呼ぶらしい。

 他の面々にもそれぞれ渡し、残った代物はミスティリングに収納する。

 それを見て屋台の店主は驚くが、レイはそれに構わず、料金を支払いながら口を開く。


「それで、ちょっと聞きたいんだけど、銀の果実亭って宿屋はどこにあるのか教えて貰えないか?」

「え? ああ、銀の果実亭か。それなら、この通りを真っ直ぐに進んでいけば右側に大きな宿屋があるから、そこだよ。言葉通り銀色の果実が描かれた看板があるから、迷うことはないと思う」

「そうか、悪いな」

「いや……また来てくれよ」


 そう言ったのは、レイが大量に買ってくれたからか、それともマリーナのような美人をまた身近で見たかったからか。

 その理由はともあれ、レイは頷いてパーニャンに齧りつく。

 まず最初に口の中に広がるのは、肉の旨みと歯応えのいい野菜。

 野菜は熱を通しすぎれば、その食感を損なう。

 だからといってあまりに炒める時間が少なければ、野菜は半生となってしまう。

 その辺りの絶妙な炒め加減をしっかりと理解している辺り、腕のいい料理人でもあるのだろう。

 そして肉と野菜以外にも、一口程の大きさに切られたパンの中身が、肉汁やソース、野菜の水分を吸って口の中に調和をもたらす。

 また、器としているパンも、外側は歯応えのいい食感に焼かれており、少なくてもレイは十分に美味いと感じた。


「うん、美味いな。こんなに美味い料理なら、俺も大歓迎だ。また寄らせて貰うよ」

「あ、ああ! 待ってるぜ!」


 そう言っている屋台の店主をその場に残し、レイ達は銀色の果実が描かれている看板を探しながら大通りを進む。

 やがて十分程歩き続け……


「む? あれではないか?」


 ふと、エレーナが少し先を見ながら呟く。

 その声にレイ達が視線を向けると、そこにはエレーナが口にした通り看板があり、その看板には宿屋という文字と銀色の果実……リンゴのような形の絵が描かれていた。


「間違いないな。……じゃあ、行くか」

「グルゥ!」

「キュ?」


 レイの言葉にセトが同意し、セトの背の上で眠っていたイエロは何があったのかと顔を上げる。

 そんなイエロの様子に、近くでレイ達の様子を窺っていた通行人の何人かが、どこか和んだ表情を浮かべていた。


(一応イエロもまだ子供だけど、竜、ドラゴンなのは間違いないんだけどな。……可愛ければいいのか?)


 周囲の様子にレイはそんな疑問を抱くが、可愛いは正義! と言わんばかりの周囲の様子を見れば、それ以上何を言っても仕方がないだろうと諦める。


「じゃあ、取りあえず俺と……マリーナ、来てくれるか?」

「あら、私をご指名?」


 笑みを浮かべてそう告げるマリーナに、エレーナとヴィヘラは少しだけ羨ましそうな表情を浮かべる。

 だが、レイにとってもこの場合連れていける人物というのは限られていた。

 エレーナは、レイ以上に異名が知られている人物だし、ヴィヘラはその格好から男に絡まれる可能性が高い。ましてや、ビューネは連れていったところで特に意味がないだろう。

 そんな理由から、レイはマリーナを選んだのだ。

 もっとも、マリーナもダークエルフというそれなりに珍しい種族であるので、絡まれる可能性は十分に高いのだが。

 特にアジャスが奴隷の首輪を持っていた以上、このレーブルリナ国にあるだろうアジャスが所属していた組織にもその手のマジックアイテムがあるのは確実だった。


「ああ、じゃあ行くか」


 レイはマリーナの言葉に短く答えると、そのまま銀の果実亭の中に入っていく。

 宿の中は、大きな商隊のような大勢の客層なだけに、かなり広い。

 そんな中、カウンターで何かの作業をしていた三十代程の細身の女が、レイを――より正確にはマリーナを――見て、大きく驚く。


「い、いらっしゃいませ。……その、お泊まりですか?」


 もしマリーナが銀の果実亭に泊まっている客であれば、改めてそのようなことを聞きはしないだろう。

 だが、当然のようにマリーナのような特徴的な人物が泊まっているのであれば、それは女も覚えている筈だった。

 このような人物を忘れるのであれば、それこそ宿の女将などといった仕事は出来ないだろう。


「ああ。取りあえず……そうだな、十日くらい頼む。部屋は俺とエレーナ、マリーナ……ヴィヘラとビューネは一緒の部屋でいいだろうから、合計四部屋。それと、従魔を連れているから、そっちの世話も頼む」


 マリーナの代わりに、レイがそう告げるのだった。

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