第1486話

 スラム街にある建物の一室、現在そこではレベジェフが目の前の男と向かい合っていた。

 スラム街に相応しくないような豪華なソファに腰を下ろしているのは、五十代程の男だ。

 年齢による能力の低下といったものは一切感じさせない、一つの組織を仕切るのに納得出来る迫力を持っていた。

 特に顔に斬り傷のようなものがある訳ではないのだが、それでも発する雰囲気が違う。

 レベジェフもそれなりに修羅場を潜ってきてはいるのだが、それでも目の前の男が発する雰囲気には圧倒されそうになることもある。

 当然組織のボスと直接話しているのだから、部屋の中には護衛の姿もあるし、レベジェフもこの部屋に入る前に武器を取り上げられていた。


「おめえ、舐めてんのか?」


 レベジェフの要求を口にしてから、数分。

 やがて沈黙を破って、ボスはそう口にする。

 その言葉には不機嫌そうな色が混ざっており、それを察した護衛の者達は、いつでも自分の武器を抜いてレベジェフに攻撃出来るようにしている。

 交渉が決裂した場合、レベジェフが妙な行動を取った時、すぐに反応出来るようにする為だ。

 レベジェフも、長年冒険者として、そして悪党として活動してきただけに、自分の腕に自信はある。

 それでも、護衛の男達に攻撃されれば生き延びるのは難しいだろう。

 そう思えるだけの実力が、護衛達にはあった。


(特に、あの猫? 豹? の獣人の男が厄介だな。間違いなく俺よりも腕は上だ)


 一瞬だけ視線を護衛達の中で最も腕が立つだろう男に向けるも、すぐに意識をボスの方に戻す。


「勿論そんなことはありません。ジェスタルさんにはお世話になっているんですから」


 レベジェフの言葉に、ボス……ジェスタルは一瞬眉を顰める。

 それがあからさまなおべっかに苛立ちを覚えたのか、それともそれ以外の何かに思いを向けたのか。

 それは、不機嫌そうな視線を向けられているレベジェフにも分からなかった。


「ああ、だろうな。だからこそ、俺もお前達の無茶な要望に従って、女を強引に集めた。それも、急に期限を短縮されてもな。だが……今度は何だ? 今日で終わるだと? 俺に仕事を頼んでおきながら、その態度は、どういうつもりだ?」


 ワインを口に運ぶも、温いそのワインで更に機嫌が悪くなる。


「勿論ジェスタルさんが不機嫌になる気持ちは分かります。ですが、こちらにも色々と事情があるんですよ」

「それは当然だな。そしてお前達に事情があるように、こっちにも事情はある。特に女を集めるという行為をする必要がある以上、どうしてもこっちの事情を優先しなきゃならねえ」

「当然そちらの件はこちらも理解しています。なので、今現在集まっている分の女だけで構いません。料金の方も、当初の予定通り支払わせて貰います。……どうでしょう? それで納得して貰えませんか?」


 その条件に、ジェスタルは若干不機嫌そうな表情を収める。

 普通に考えれば、レベジェフからの提案は組織としては旨みしか存在しない。

 これ以上の労力を使わずとも、前もって契約しておいた報酬は貰えるのだから。

 だが……それを理解していながらも、ジェスタルはその場で頷くことはない。

 このように美味い話を持ってくるということは、それだけ何か事情があるということなのだ。


「……お前等、何をやらかした?」


 ワインの入っているコップをテーブルの上に置き、ジェスタルはレベジェフをじっと見つめる。


「何かやらかしたからこそ、お前達は俺達に頼んだ仕事を途中で切り上げるように言ったんだ。そうである以上、お前達は急がなきゃいけねえ理由があるんだろ?」

「それは……」


 レベジェフは一瞬ここで誤魔化すかどうかを迷ったが、もし誤魔化しているのを知られれば色々と不味いことになるのは事実だ。

 であれば、全てを隠さずに大事なところ、向こうがこちらから手を引きたくなるような情報を隠して話すことにする。

 今夜中にギルムを出るのだから、自分達が出た後であれば多少騒動が起こっても大丈夫だろう、と。そう考えて。


「ジェスタルさん達のような裏組織と取引をしていたり、その取引の内容が女を集めることだったりすれば分かるように、こちらも後ろ暗いことがある身です。それこそ、今まで様々な犯罪に手を出してきました」


 レベジェフの言葉を聞いていた者達は、誰もが何を当然のことを、といった表情を浮かべる。

 そもそも後ろ暗いことがない者であれば、自分達と接触する筈がないのだから、と。


「で、その中には当然人を殺すということも含まれています。……で、殺された方は当然のように殺した方を恨みますよね?」

「だろうな」


 ジェスタルはそれもまた当然といった様子で頷きを返す。

 ジェスタルも、これまで色々と苦い経験をしてきた。

 知り合いや部下を他の組織の者に殺されたのも、一度や二度ではない。

 そんな時は、当然のように相手に復讐してきたのだから、復讐心という気持ちはジェスタルにも十分に分かった。

 もっとも、ジェスタルの場合は知り合いを殺されたという憎しみ以外にも、裏社会で生きていく為には侮られる訳にはいかないという一面もあったのだが。

 ともあれ、ジェスタルは復讐について何度も経験してきただけに理解もしていた。

 そして、レベジェフの言葉から、何故ただでさえ期日を短くした取引を、今日行いたいと言って来たのかを理解した。


(こいつもそこそこ腕は立つ。……だとすると、復讐する為に姿を現したのは、余程の腕利きだったのか? まぁ、腕利きがギルムにいるのは、特に珍しい話じゃねえが)


 元々ギルムには、多くの腕利きの冒険者が集まっている。

 そう考えれば、レベジェフやその仲間を殺す為にやってきた相手が腕利きであろうと、納得することは出来ても不思議に思うことはない。


「なるほどな。別にお前が俺を舐めてる訳じゃねえってのには納得してやろう」


 この時、ジェスタルが失敗したのは、レベジェフ達に仇討ちをしに現れたのが誰なのか聞かなかったことだろう。

 勿論レイの名前を出せばどうなるか分かっているレベジェフは、ジェスタルに聞かれてもレイの名前を出さずイルゼの名前だけを出しただろう。

 だが、もしそこまで話を持っていけば、ジェスタルもレベジェフの言葉に疑問を感じた可能性は十分にあった。

 そして疑問を感じれば、その辺りの事情を調べ……レイに辿り着くという可能性も、僅かではあったがあったのだ。

 しかし、ジェスタルはそれを怠った。

 いや、レベジェフの話し方が、レベジェフを、もしくはその仲間を仇としていたのは、最近ギルムに来たばかりの者であると、つまり以前からギルムにいる者ではないと思わせたのだろう。

 これは、ジェスタルが迂闊だったこともあるが、それ以上にレベジェフの話の持って行き方が上手かった。

 結果として、ジェスタルはそれ以上レベジェフ達を追っている者について詮索するのを止めた。

 元々レベジェフに対していい感情を抱いていないというのも大きかったのだろう。

 これ以上レベジェフ達の事情に振り回されたくはないと考え、口を開く。


「分かった。お前達の事情に合わせて取引してやろう。だが、人数はそれ程集まってないぞ。それは分かっているな?」

「はい。それは仕方ないと思います。では、取引は今夜……そうですね。日付が変わる頃で。それと、以前言っていたように、馬車と一緒に私達をギルムの外に逃がす方法は……」

「あ? 無理に決まってんだろ」


 取引が無事行われることに安堵しながらも、レベジェフは次の話に移る。

 元々今夜ギルムを逃げ出すつもりなのだ。そうである以上、まさか正門から逃げ出す訳にはいかないだろう。

 また、ジェスタルとは元々警備兵達に見つからずギルムの外に逃げ出す算段があると言われており、レベジェフ達もそれを頼みにしていた。

 ……何十人もの女を、それも奴隷の首輪を付けた女を正門から堂々と連れ出す訳にもいかないのだから、当然だろう。

 だが、ジェスタルはレベジェフの言葉に、考える様子すらなくあっさりと無理だと断言した。


「何故です? 元々ギルムから出るのも、そちらとの契約に入っていた筈ですが」

「そうだな。契約に入ってはいたな。……元々の、最初の契約には。その契約では、こんなに短時間で終わるってことにはなってなかったが。元々、そっちの無茶で強引に取引の日時を変えさせられたんだ。何でもかんでも、そっちの都合に合わせられる訳がねえだろ」


 ジェスタルの言葉に周囲の護衛達は無言で頷き、レベジェフに対する視線を強くする。

 ジェスタルの言葉を受け入れるようにプレッシャーを掛けるという意味もあったし、同時にレベジェフが血迷ってジェスタルに襲いかかるのを警戒するという意味もあった。


「ですが、元々は……」

「あのなぁ、元々はそうだったかもしれねえ。だが、無理矢理予定を変えたのはそっちだろうが。手はずの方を整えるのだって、すぐに出来るって訳じゃねえんだ」


 そう言われれば、レベジェフもジェスタルの言葉に一定の理解を示さざるを得ない。

 元々ジェスタルとの取引は、頼んだ人数が揃うまで気長に行う予定だった。

 それを自分達の都合で出来るだけ早くするように要求し、今日は今夜取引を行いたいと言ったのだ。

 当然ジェスタルもその提案は予想外だった訳で、脱出の手引きを今すぐ整えて欲しいと言われても難しいだろうと。

 だが、現状を考えれば、その無茶は絶対に何とかして貰わなければならないのも事実。

 そもそも、もし女達だけを引き渡されてもギルムから脱出出来なければ、非常に目立つ。

 それこそ、スラム街に潜んでいても何十人もの女を連れたレベジェフ達が隠れるというのは無理があった。


「そこを何とか出来ませんか?」

「……出来るか出来ないかで言えば、当然出来る。だが、そうなれば当初予定していたよりもかなり金が掛かることになるぞ?」

「分かりました。その分の報酬を上乗せしても構いません」


 そう告げるレベジェフの表情は厳しいものだったが、内心では安堵していた。

 元々今回の一件で支払う金額が増えることは予想していたのだ。

 それを考えれば、この展開は予想通りでもあった。

 レベジェフがあっさりと支払う金額が増えることに同意したのを見て、ジェスタルは少し考える様子を見せるものの、やがて口を開く。


「元々の報酬に追加で、白金貨五枚」

「なっ!?」


 追加で支払わなければならないことは、レベジェフも理解していた。

 だが、それでも白金貨五枚というのは、予想外だった。


「幾ら何でも、高すぎるのでは!?」


 今まで冷静に話を進めてきたレベジェフがこうして叫ぶのが、ジェスタルの口にした金額の非常識さを表していたと言ってもいい。

 そんなレベジェフの様子を眺めながら、ジェスタルは再び温くなったワインを口に運ぶ。

 それは、あたかもレベジェフに落ち着けと、そう態度で示しているかのようだった。


「そうは言ってもな。元々ある程度時間が必要だったのを、こうまで急がせるんだ。こっちだって準備をするのに相応の金額は必要となる。言っておくが、白金貨五枚の中に俺達の儲けは殆ど入ってねえぞ。殆ど全てが必要経費だ」


 その言葉が真実かどうか、レベジェフに見抜く方法はない。

 本当に白金貨五枚の殆どが必要経費なのか、それとも今なら自分達から更に金を巻き上げることが出来ると判断しての話なのか。

 だが、それでも取引までの期日を大幅に短くさせ、更にその取引を今夜行いたいと、そう要望を告げたのはレベジェフ達である以上、既に選択肢は存在しない。

 いや、取引も何もかも、全てを放り投げてアジャスやハストン達と行方を眩ませるという手段は残っている。

 しかし……アジャスが冒険者としての地位を剥奪され、イルゼの家族との一件が明るみに出て賞金首として指名手配される可能性もある。

 そしてギルドの方で調べれば、レベジェフやハストンがアジャスと裏で繋がっていたという可能性は十分に探れるだろう。

 ましてや、今回の一件……女を何十人も強引に連れ去り、更には奴隷の首輪を嵌めるといった真似をしているのが知られれば、間違いなくレベジェフやハストンも賞金首になる。

 ここで取引そのものを投げ捨てるような真似をすれば、ギルドからの賞金稼ぎという名の刺客以外にも、現在レベジェフ達が所属している組織からの刺客、更には目の前のジェスタルからも刺客を送られる可能性は十分にある。

 そうなるのを防ぐ為には、最低限取引を成立させる必要がある訳で……結局レベジェフに出来るのは、向こうの要求した金額に頷くだけだった。

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