第1465話

「え? レイさんが直接接触するんですか?」


 アジャスにレイが接触してみてはどうかとエレーナに提案され、レイが頷いた翌日。

 新しい壁を作るのに必要な建築資材をミスティリングで運んでいたレイは、その途中でイルゼと遭遇して早速昨日エレーナからされた提案を説明していた。


「そうなる。一応お前が言っていた相手は見つけたが、調べたところによるとギルムでは何も問題を起こしていないらしい。それこそ、品行方正な冒険者といった具合だ」

「なっ!?」


 レイの口から出た言葉が信じられなかったのだろう。

 イルゼは一瞬絶句するも、やがてその顔が赤くなっていく。

 その赤が羞恥や照れの類ではなく、怒りや憤りといったものから生まれた赤なのは、側で見ていたレイにもすぐに分かった。


「落ち着け」


 今すぐにでもこの場を飛び出していきそうなイルゼに、レイはそう声を掛ける。

 そんなレイの言葉で少しだけでも落ちついたイルゼだったが、それでもアジャスを許すことは出来ないのか、拳を握りしめていた。

 イルゼにもう少し力があれば、もしくは爪が尖っていれば、掌の皮膚を破って血が地面に零れ落ちていたかもしれない。


「……分かってます。けど……」


 レイの言葉に、何とかそれだけを返す。

 自分の家族を殺した相手が、品行方正な冒険者として周囲に受け入れられている。

 それは、とてもではないがイルゼにとって許容出来ることではない。

 美貌と呼んでも相応しい顔立ちを、屈辱と怒り、悲しみといった感情で複雑に歪める。

 もっとも、それでもレイの目に醜くは見えなかったが。


(美人は得ってことなんだろうな)


 そんな風に思いながら、レイはこの際ということでイルゼに声を掛ける。


「その品行方正って件でちょっと疑問に思ったんだけど……あのアジャスって奴が本当にお前の仇なんだよな? もしかして、似たような刺青で間違えてるって可能性は……」

「ないです!」


 イルゼの口から出たのは、周囲に聞こえるような大声。

 緑の髪を振り乱し、半ば敵意に近い視線をレイに向ける。

 自分の仇を……家族を殺した仇を庇うのか、と。

 そんなイルゼの言葉は、当然ながら周囲にいた者達にも聞こえていた。

 特に話している片方がレイだというのを理解すれば、何があったのかと物見高い者達が視線を向けてきても不思議はない。

 レイもそれを理解したのだろう。ここで他の者達に注意を向けられるのはまずいと、イルゼを引っ張って建物の陰に……通行人達からは見えない場所に移動する。


「ちっ、またレイが美人を自分の女にするのかよ。面白くねえ」

「ま、そう言うなよ。強い男に女が惹かれるのは当然だろ。悔しかったら、お前も強くなればいいのさ」

「あんな化け物に、なれる筈がねえだろ!」

「ちょっと、今、セトちゃんのことを馬鹿にしなかった?」

「そうよ。私にも聞こえたわ。今、セトちゃんを化け物って言ったわよね?」

「んなこと言ってねぇっ! どこをどう聞き間違えればそうなるんだよ!」


 レイを化け物と言った男が、周囲にいたセトをいつも愛でている者達に詰め寄られたりもしていたのだが、レイはそのやり取りを聞きながらも、特に何かをするでもなくイルゼと共に近くの建物の陰に行く。

 そうして自分達の姿が周囲から見えない位置に到着したのを確認すると、レイは改めて口を開く。


「あの、アジャスって奴の件だが……」

「はい」


 イルゼも、場所を移動したことにより少し落ち着きを取り戻したのだろう。レイの言葉に先程までの興奮を抑えながら言葉を返す。

 アジャスという名前を聞いても、特に驚いた様子はなかった。

 ここ数日全く何もしていなかった訳ではないのだから。

 整っている自分の外見を活かし、酒場で冒険者達から色々と情報を集めていた。

 その中で、自分の仇の名前がアジャスと呼ばれる男であることは既に突き止めている。

 色々と酔っ払いに絡まれることはあったが、それは持ち前の機転でやりすごした。

 エッグ率いる諜報部の男と多少ではあるが、張り合えたのはイルゼの能力の高さがあってこそだろう。

 ……もっとも、諜報部からアジャスについて調査に回されたのは一人だけだったのだが。

 幾分か落ち着いた様子のイルゼを見ながら、レイは慎重に口を開く。


「お前がアジャスをアジャスだと……仇だと判断したのは、あの蛇の刺青があったからだよな? だとすれば、もしかしたら……本当にもしかしたらだが、偶然同じ刺青をしている奴だったって可能性はないか?」

「ありません」


 自分は絶対に間違っていないと、そう信じているからこそ、イルゼは即座に断言した。

 顔だけであれば、見間違いという可能性もあるだろう。

 家族が殺された日から、もう何年も経っているのだ。

 幾ら憎悪でその身を満たそうが、それでも記憶というのは時間と共に風化していく。

 だが……その左手。

 まるで木に登るかのように左手に存在する蛇の刺青を、イルゼが見間違える筈がなかった。

 それはレイも理解しているのだろう。イルゼの断言を聞いても、特に驚いた様子もなく頷いてから口を開く。


「だとすれば、アジャスが何を考えて今のように身を潜めている……いや、この表現は的確じゃないな。ともあれ、目立たないようにしているのかが問題になってくるが……」

「恐らく、ですが。何か企んでいるのではないかと思うのですが」

「だろうな。こっちでも昨日そんな風に予想した。イルゼの話が正しいのなら、とてもではないが普通に依頼を受けて真面目に仕事をするような奴には思えないし」

「間違いなくそうでしょうね。少なくても私はあの男……アジャスが過去の行いを悔いて改心したとは、とてもではないが信じられません」


 イルゼはその身を襲う激情を堪えるかのように、呟く。


(正確には、信じられませんじゃなくて、信じたくありませんなんだろうな)


 レイの目から見て、イルゼは仇を討つということに対して頑なになっている。

 勿論小さい頃……それこそ、まだイルゼが本格的に独り立ちする前に家族を殺され、その現場を見ていたのだから、イルゼに強い復讐心があるのは当然だろう。

 それはレイも理解出来る。

 だが……小さい頃からその復讐心と共に生きてきたおかげで、既にイルゼの中ではその復讐心がイルゼの一部と化してしまっているのだ。

 レイの目から見れば、柄でもなくそんなイルゼが心配になる。


(そう言えば、何で俺はここまでイルゼを心配してるんだろうな?)


 ふと、レイはそんな自分の心に疑問を持つ。

 普段であれば、レイはそこまで相手の事情に踏み込んだりしはしない。

 復讐と聞かされても、多少何かを感じるかもしれないがそれだけだ。

 少なくても、今回のように本格的に協力しようとは、とてもではないが思わないだろう。


「レイさん? どうしました?」

「ん? ああ、いや。何でもない。アジャスに接触するにしてもどうやって接触しようかと思ってな。向こうもいきなり俺が接触してきたら、驚くだろ」

「……それは、まぁ」


 ギルムでは色々な意味で有名人なレイだ。

 そんな人物がいきなり接触してくれば、普通ならとてもではないがそれを素直に受け止めたりといった真似は出来ないだろう。


「だからこそ、俺が接触するにしてもどうやって接触するのかが問題になるんだよな」


 レイの言葉に、イルゼは頭を悩ませる。

 だが、すぐに良案が浮かぶ筈もない。

 そうして二人で頭を悩ませていたレイだったが……ふと、気が付く。

 アジャスも依頼を受けにギルムに来ているのであれば、当然のようにギルドで依頼を受けるのだ。

 その上、ギルムでは品行方正な冒険者として活動している以上、当然のようにギルドからの評価も高い。

 ならば……と。


「レノラとケニーを頼ってみるか?」

「誰ですか? 女の名前のようですが」

「ギルドの受付嬢だよ。俺の担当と、その友人。二人には色々と世話になってるんだよ」

「……へぇ」


 何故か、イルゼの声が一段だが低くなる。

 その眼に若干ではあるが女の敵を見るような色が浮かんでいるのは、レイの気のせいという訳ではないだろう。


「どうかしたのか?」

「いえ、何でもないです。ただ、随分と美人な知り合いが多いんだと思ったんですよ」


 ここ数日アジャスのことを調べていたイルゼだったが、当然のように自分の復讐に協力を頼んだレイについてもある程度調べていた。

 もっとも、ギルムでは有名なレイだ。

 アジャスと比べれば、余程に調べるのは簡単だった。

 そしてレイについて調べれば当然のようにレイが率いる紅蓮の翼についても調べることになり、そのパーティメンバーについても色々と情報が集まる。

 そうなれば、マリーナやヴィヘラといったような絶世の美女を侍らせているという話を聞くのは当然だろう。

 ましてや片方は元ギルドマスターなのだから、話題性という意味ではかなり高い。

 イルゼにとって、そんな美人を侍らせているレイが、更にギルドの受付嬢と親しいという話を聞き、視線に軽蔑の色が混ざるのは当然だろう。

 実際、受付嬢というのはギルドの顔である以上、顔立ちの整った者が選ばれる。

 勿論美形であればそれでいいのではなく、それに加えてきちんと仕事もこなせるだけの能力があることが大前提なのだが。

 一種のエリートと言ってもいい受付嬢は、当然のように冒険者達から高い人気を持つ。

 特にギルムは、辺境という特殊性もあってかレノラやケニーのような美人が多い。

 ましてや、レイについての情報を少しでも集めていれば、ケニーがレイに対してどのような想いを抱いているのかというのを知ることは容易だろう。

 その辺りの事情を知れば、イルゼがレイに軽蔑の視線を向けるのもおかしくはなかった。


「……まぁ、それは否定しないな」


 美人に知り合いが多いというのは、レイにとっても否定は出来ない。

 実際、それは間違いのない真実であり、ましてやエレーナ、マリーナ、ヴィヘラと、それぞれタイプは違えど絶世の美女と呼ぶに相応しい三人から想われているのだから、それを否定したとその三人が聞けば、後で色々な意味で酷い目に遭うだろう。

 そんなレイの態度に、やがてもう何も言わない方がいいと判断したのか、イルゼは改めて口を開く。


「それで、ギルドの方に話を通せば何とかなるんですか?」

「確実とは言えないけど、多分な」


 安請け合いをするレイだったが、実際レイが今までギルドに対してどれだけ貢献してきたのかを考えれば、それは決して大袈裟でも何でもないだろう。

 特に現在行われているギルムの増築作業という一点においても、レイが……そしてレイの率いる紅蓮の翼の面々が果たしている役割は非常に大きい。

 レイはミスティリングを使って資材の運搬、トレントの森で伐採された木材の運搬、倒したモンスターの運搬……といった具合に。

 マリーナはその精霊魔法を使って、普通に働く者の数十倍……あるいはそれ以上の作業効率をもたらす。

 戦闘技能の高いヴィヘラは、警備兵の手助けとしてギルムの見回りを行い、何人もの怪しい者、騒動を起こしている者を捕らえている。

 ビューネはそこまで大きな戦力となっている訳ではないが、それでも盗賊である以上色々な面で役に立つ。……意思疎通出来る者が限られるが。

 セトは空の見回りという大事な仕事を任され、またはギルムにいる者達の心を癒やすマスコットとしても活躍している。

 これらのことを考えれば、紅蓮の翼がどれだけ活躍しているのかは明らかだろう。

 それだけの活躍をしているレイ達だけに、ギルドの方でも多少の無茶は聞いてくれる筈だった。

 実際には、多少どころか大概の無茶は聞いてくれるのだが。


「……分かりました」


 レイの説明を聞き、やがて若干不満を抱きながらもイルゼはそう言葉を返す。

 イルゼにとっては、アジャスは間違いなく仇だという確信がある。

 だが、現在のアジャスの擬態を思えば、ここで下手に動けばイルゼに最悪の――アジャスには逃げられ、イルゼは賞金首となる――未来に向かう可能性もあった。

 イルゼも、それは分かっているのだろう。

 だからこそ、レイの言葉に不承不承ながら頷いたのだ。

 イルゼが納得したのを確認すると、レイは安堵の息を吐く。

 もしこれで駄目だと言われれば、色々と面倒なことになっていた可能性があるからだ。

 それこそ、下手をすればレイの言葉に反発したイルゼがアジャスに向かって突っ込んでいく……という可能性すらあった。


「よし、じゃあ話も決まったことだし、そろそろ行くか」

「え? あれ? レイさんの仕事の方はいいんですか?」

「こっちは大分融通が利くからな。それに今はどこもそこまで困っていない筈だし」


 そう告げるレイの言葉に、イルゼは高ランク冒険者の凄さを感じるのだった。

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