第1435話
セトに乗って空を飛んでいたレイは、視線の先……かなり遠くにではあるが、見覚えのある街の姿を見つける。
それは、レイにとってこのエルジィンという世界で故郷とも言える場所……ギルム。
レルダクト伯爵領でドストリテに手紙を渡してから十日程、レイはようやくギルムが見える場所まで戻ってきたのだ。
尚、結局ドストリテの店で食器を買いはしたものの、それは大幅な値引きをされての購入となった。
色々と苦しいだろうから、きちんと金を払うとレイは言ったのだが、ジャズから手紙を持ってきてくれたこと、姪のシラーを助けてくれたこと……そして何より、レルダクト伯爵を倒す手伝いをしてくれたことによる感謝の気持ちだと押し切られた形だ。
レルダクトが反乱軍に捕らえられ、その結果レルダクト伯爵領がこれからどうなるのか。
それはレイにも分からなかったが、それでも今より悪くなることはないと、ドストリテはそう判断したのだろう。
レルダクト伯爵家という貴族はともかく、貴族派という枠組みの中で見れば、民衆に不満を抱かせるというのは不味いと思うのは間違いない。
(まぁ、その不味いってのが、民衆を宥める方向に向かうのか、それとも貴族に無礼を働いたとして、より強固な弾圧に向かうのか……その辺は俺にも分からないけど)
遠くに見えるギルムの姿を眺めながら、それでもレイは弾圧に向かう可能性はそれ程ないだろうと判断していた。
何故なら、貴族派にはエレーナがいる。
もし無意味に民衆を弾圧などしようものなら、姫将軍の異名を持つエレーナがどのような行動に出るのか……それが分からない者が、貴族派にいないとは思えなかったからだ。
それでも色々と騒動が起きるのは事実だろうというのはレイにも予想は出来たが。
「セト、じゃあ降りるか」
「グルルルゥ!」
レイの言葉にセトは鳴き、ギルムの正門に向かって降りていく。
以前は正門前に直接降りないようにして欲しいと言われていたレイだったが、既に最近ではその辺りのことは有耶無耶になりつつある。
もっとも、以前とは違って既にギルムでレイとセトのことを知らない者はおらず、グリフォンを従魔にしている異名持ちの冒険者がいるという情報も広まっていた。
ギルムに来る者の中には、一目レイとセトを見ようと考えている者すらいる。
……勿論、そのような人物以外にも、何とかレイとお近づきになりたいと考える商人もいるのだが。
今はギルムの増築工事が行われるということで、ギルムにやってくる人数も日に日に増えている。
事実、セトが空を飛んでいることによってギルムが近づけば、ギルムの正門前には多くの者達が並んでいるのがレイの目にも見えた。
「相変わらずだな。……まぁ、俺達がギルムを離れていたのはそんなに長い時間じゃないし、当然かもしれないけど」
レイがレルダクト伯爵領に向かって出発したのは、それ程前のことではない。
……その辺りの移動速度は、やはりセトが大きく関係しているのだが。
ともあれ、出発する時と変わらない行列を見ながら、レイは地面に着地する。
「うおっ!」
近くにいた警備兵やギルムに入る手続きをしていた者が驚きの声を上げるが、警備兵の方はすぐにセトの姿を見てレイだということに気が付き、安堵の息を吐く。
「レイか、あまり脅かさないでくれよな」
「ああ、悪いな。……こっちも色々とあってな。中に入るぞ」
そう告げ、ギルムに入っていくレイだったが、警備兵は特に何も言わない。
「ちょっ、何であの男は手続きしないでギルムに入れるんだよ!」
手続きをする為に並んでいた男がレイを見て非難の声を上げるが、警備兵はそんな男に対して落ち着いて口を開く。
「レイは増築作業が続いている間、手続きなしで自由にギルムの中に入れるようになってるんだよ。まぁ、それだけ重要な役割を任されているってことだな」
男は警備兵の言葉を聞き、完全に不満を解消出来た訳ではなかったが黙り込む。
何故なら、それだけ優遇されるには相応の力が必要だと、そう理解していたからだ。
この場合の力というのは、別に戦闘力という意味の力だけではない。財力、人脈、その他諸々……直接的な力だけではなく、様々な力のことを意味している。
つまり、レイはそれだけの力を持っているということを、男も理解したのだろう。
……レイがセトに乗っている時点で、それを理解してもおかしくはなかったのだが。
いや、正確にはそれは理解していたのだ。だが、自分が何時間も並んでようやく街に入る手続きをしているのに、素通りするというレイを見て、どうしても口に出してしまったというのが正しい。
「ほら、あんたも手続きは終わったから中に入ってもいいぞ。今、ギルムの中はいつもより大勢が集まっている。妙な揉めごとに巻き込まれないようにな」
そう言われ、男は微妙に納得出来ない表情ながらも頷き、ギルムの中に入っていくのだった。
「お、レイじゃないか。最近見なかったけど、どうしたんだ?」
領主の館の前にいる門番が、レイの姿を見てそう声を掛ける。
周囲には以前と同じく、ダスカーとの面会を求める商人達の姿があった。
そんな商人達がレイに向け、様々な感情が混ざった視線を向ける。
嫉妬以外にも、金になる相手だというのを認識しての、欲望に満ちた視線を送る者も多い。
だが、レイはそのような商人に関わるのは面倒臭い結果になると知っているので、特に気にした様子もなく門番に向かって声を掛ける。
「ダスカー様に依頼完了の報告をしたいんだが」
「……ダスカー様に?」
門番は今回の依頼について聞かされていなかったのだろう。レイの口から出た言葉に少し首を傾げるが、もう一人の門番が口を開く。
「分かった。取りあえず伝えてくるから、館の中で待っててくれ」
本来なら用事がある者だけを館の中に入れるように言われているのだろうが、レイは色々な意味で別格だった。
ダスカーに重用されており、今までギルムにもたらしてきた恩恵や実績は現在領主の館の前にいる商人達とは比べものにならない。
また、レイが商人を……より正確にはぐいぐいと迫ってくる商人を苦手としているというのも、理解はしているのだろう。
商人達からの視線を気にしないようにしながら、レイは館の中に入っていく。
そうしていつものようにセトは厩舎に向かい、レイは門番に事情を説明されたメイドから応接室の一つに案内された。
事情を知っているメイドも気を遣ったのだろう。レイが案内された応接室には、他に誰の姿もない。
「すぐにダスカー様にお知らせしてきますので、少々お待ちください」
紅茶と焼き菓子を置くと、そのままメイドは部屋を出ていく。
そんなメイドを見送り、レイは部屋の中を見回す。
応接室だけあり、部屋の中はここを訪れた客人がゆっくり出来るようにと工夫されている。
それは、壁に掛けられている絵画や棚に置かれている壺といった物も同様だろう。
いつもであれば、そのような……いわゆる芸術品の類はレイにとってそこまで興味深いものではない。
だが、レルダクトが持っていたマジックアイテムは、その全てが芸術品の類だった。
それを見た為、レイも多少なりともそちら方面に興味を持ったのだろう。
(本当なら武器とかのマジックアイテムが欲しかったんだけどな。……まさか、レルダクトの意趣返しでそういうマジックアイテムを俺に寄越さなかったとか?)
もしかしてと、一瞬そう考えるも、すぐに首を横に振ってその意見を否定する。
両腕を失い、傷口を焼くという強引な手段で血止めを行い、涙、鼻水、涎で顔中を汚していたレルダクトだ。
そのような状況でレイを嵌めるような真似をするとは、とてもではないが思えなかった。
ある程度の時間が経ち、それでレイに対する憎悪が増して行動に出る……ということは考えられるが、攻撃されてすぐにレイに対して報復に出るとは、とてもではないが考えられなかった。
そのような根性があるのであれば、それこそあのような無様な結果になったりしなかったのは間違いないのだから。
「にしても……あのマジックアイテムをどうするかだな」
報復の意味を込めてレルダクトから奪いはしたが、レイが芸術品に分類される類のマジックアイテムを持っていても、特に意味はない。
いや、寧ろミスティリングの中に死蔵されるということは、芸術品を人の目に触れさせないという点では害悪と言ってもいい。
それだけに何とかしたいのだが、まさかレイの泊まっている宿、夕暮れの小麦亭の部屋に飾る訳にもいかないだろう。
そもそも、価値として非常に高価な代物だけに、迂闊な場所に置いておけば盗まれる可能性は十分にある。
特に現在は、普段ならギルムにやってこないような者達も大勢集まっているのだから、盗難の危険は更に高くなる。
……ギルムの住人であれば、レイに下手にちょっかいを出すような真似は自殺行為だと知っているだろうが、現在はそれを知らない者も多いのだ。
レイもわざわざそんな相手に付き合おうとは思わないので、適当な場所に置ける筈もない。
「マリーナの屋敷とか?」
極めて優秀な精霊魔法の使い手のマリーナであれば、それこそマジックアイテムを守るという点ではどうにでも対応は出来るだろう。
また、マジックアイテムの手入れという点でも、マリーナに任せておけばレイにとっては手間が掛からない。
最悪の場合は売って金に換えるかと考えていたレイだったが、マリーナの屋敷に飾るというのが最善の選択肢に思えてくる。
ダスカーへの報告とギルドへの報告が終わったら、マリーナにその辺を相談してみようと、そう考え……すると、そんなレイの考えが纏まるのを待っていたかのように、応接室の扉がノックされる。
中に入るように促すと、そこには先程レイをここに連れてきたメイドの姿があった。
「失礼します。ダスカー様の準備が整いました」
「分かった」
カップに残っていた紅茶を飲み干すと、レイは椅子から立ち上がってメイドに案内され、執務室に向かうのだった。
「おお、レイ。よく戻ってきてくれたな。失敗するとは思っていなかったが、こうして無事な姿を見ることが出来たのは嬉しいな」
満面の笑みを浮かべているダスカーに、レイは小さく頭を下げる。
「一応依頼は完全にこなしてきたと思いますよ。……依頼以上のことにも手を出すことになってしまいましたが」
レイが思い出しているのは、鉱山の件だろう。
鉱山を崩落させて破壊したのだから、本来であればかなり大きな功績と言ってもいい。
……一応ミレアーナ王国の味方という意味では、そうおおっぴらに出来るようなことではないが。
「そうか。なら、早速報告を聞かせてくれ」
ソファに座るように促し、ダスカーも執務机からソファに移動すると、そう言ってくる。
心なしか、レイに向かって面白い話を期待するような、そんな表情を浮かべているようにレイには思えた。
ここ最近は色々と書類仕事が多かったが、その鬱憤をレイの話で晴らそうかと、そう考えてのものなのだろう。
「そうですね、何から話したものか……まず、レルダクト伯爵領に向かう途中で、オークに連れ去られたシラーという女を助けました。で、そのシラーの父親がレルダクト伯爵領の出身だったので、色々と情報を聞けました」
「……また、随分と都合がいい流れだな」
レルダクト伯爵領に向かっている途中で助けた相手が、そこから逃げてきた相手だった。
それだけを聞けば、誰でも都合がいいと思ってしまうのは当然だろう。
レイもまた、人から聞かされればそう思うのは間違いない。
「普通ならそう思っても仕方ないかもしれませんが……ジャズ、シラーの父親の話によると、レルダクト伯爵領ではかなりの重税で、圧政と呼ぶのが相応しい施政が行われていたそうです」
「……貴族派ってのは、尊い血を持つ貴族こそが民衆を導くというのが大まかなやり方だが……」
ノブレス・オブリージュ。高貴なる義務。
レイも日本にいた時に様々なサブカルチャーの類に触れている。
その際に時々出てきた言葉だ。
貴族派というのは、そのノブレス・オブリージュを実践している者達なのだろうというのは、レイにも理解出来る。
もっとも、それを自分達に都合のいいように曲解した結果が、レルダクト伯爵領で行われていたような政治なのだろうが。
「ともあれ、レルダクト伯爵領からはそれなりの者達が逃げ出しているらしいです。そう考えれば、俺がジャズに遭遇したのも、そうおかしな話ではないのかもしれませんね」
「……かも、しれないな。それで、他には?」
話の先を促され、レイは報告を続ける。
……川魚を使った鍋というのに、ダスカーが若干の興味を示したのが、レイには意外だった。
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