第1418話
ギルドにレイがやって来たのは、いつものように一日の中で最も忙しい朝がすぎた時間だった。
もっとも、現在は増築の特需とでも呼ぶべきもので、いつもであれば冒険者の数が少ないギルドの中でも、かなりの冒険者がギルドにはいる。
(人数は多いけど、もう慣れたな)
ギルドの中を見回し、レイが溜息を吐く。
既に人が増え始めてからそれなりに時間が経つ。
だからこそ、レイもこの状況には慣れ始めていた。
「レイ、ほら。呼んでるわよ?」
レイの隣で周囲にいる冒険者の視線を一身に――マリーナもいるので、正確には二身にだが――集めているヴィヘラが告げる。
「また何か面倒か?」
「さぁ、どうかしら。でも、宿まで直接来なかったのを思えば、そこまで緊急の用件でもないんじゃない?」
「……だと、いいけどな」
何となく嫌な予感を覚えながら、レイは自分に視線を向けている人物……ケニーの方に近づいていく。
いつもであればレイの担当はレノラなのだが、今は席を外しているのかその姿はどこにもない。
それがまた、余計にレイに嫌な予感を覚えさせる原因となっていたのだが。
ともあれ、こうして呼ばれた以上はいかない訳にもいかず、レイはマリーナ達三人と共にカウンターに向かう。
尚、ビューネは木の実でも煎っているのか、どこか香ばしい香りが漂ってくる酒場の方に視線を向けていた。
もっとも、ビューネの保護者のヴィヘラがそのまま酒場に向かって歩き出しそうなビューネを掴みながらカウンターに向かっていたのだが。
「レイ君、ちょうどいいところに来てくれたわね。……まぁ、この時間帯だし、そろそろ来る頃だと思ってたんだけど」
レイ達紅蓮の翼の面々が近づくと、ケニーは近くにいた受付嬢に自分の仕事を押しつけ、そう話し掛ける。
「まぁ、いつもの時間帯だし」
そもそも、ここ最近レイがやっている仕事はトレントの森で伐採された木を運ぶというものだ。
そうである以上、仕事が始まったばかりの時間に樵達の下に向かっても、当然まだ木は切られていない。
一応前日に伐採した木の残りがあったりすることもあるが、基本的にそのようなことは滅多にない。
だとすれば、トレントの森に行ってもレイはただぼーっと待つといったことしか出来ないのだ。
……もっとも、セトと遊んだり、木陰でゆっくり昼寝したり、気が向けば樵達の仕事を手伝うということもあるのだが。
ただ、斧を何度も振るい、しっかりと倒れる方向を計算して木を伐採するという……一種職人としての顔がある樵達と比べると、レイの木の伐採の仕方は色々と乱暴なところがある。
デスサイズの一閃で木を伐採するというのが、元々無茶な話なのだが。
「それで、今回は何の用件なんだ? またどこぞの私兵……いや盗賊に商隊が襲われたのか?」
「いえ、違うわ。実は……」
勿体ぶるように告げてくるその様子に、レイの中では確実に面倒ごとだという確信が生まれる。
もっとも、昨日エレーナと話していたように増築工事でギルムが大きくなるというのはレイにとっても望むところだ。
(トレントの森でモンスターでも出たのか? ……まぁ、その辺りは普通にありそうだけど)
レイがギガント・タートルを倒してから、トレントの森では夜になって森が人を襲うといったことはなくなった。
トレントの森の意思が、ギガント・タートルを倒したことで消え去ったのか、もしくは活動出来る程の力がない程に弱まっているのか。
その理由は分からなかったが、それでも樵が多少時間が遅くなっても襲われなくなったというのは、樵達にとっては幸運だった。
……尚、以前冒険者に対して反感を抱き、半ば暴走したフェクツという樵も現在は仕事に戻っている。
ただし、当然常に誰かの目が光っており、非常に居心地の悪い思いをしていた。
また、トレントの森をギルムの樵達だけでどうにかするのは難しく、他の村や街からやって来た樵達にもその一件は伝えられ、冷たい目で見られることになる。
それでもフェクツは、自分が起こした騒動の責任を取る為、そして仲間達からの信頼を取り戻す為に、日々頑張って仕事に熱中していた。
「ダスカー様が、レイ君を呼んでるわ」
「……」
耳元で小さく囁かれたケニーの言葉に、レイは改めて視線をケニーに向ける。
整っている顔立ちが悪戯っぽく笑みを作り、うん? と小首を傾げていた。
「あー……それってやっぱりこの前の一件が関係しているとか?」
「恐らくだけど、そうでしょうね」
どこぞから派遣されたと思しき私兵集団の一件に今回の件が関わってきているとなると、先程よりも更に面倒な予感を抱いてしまう。
それでもレイはダスカーに色々と便宜を図って貰っていることで感謝している。
特にダスカーから戦争の報酬として貰ったマジックテントは、非常に助かっている。
また、今まで何人かの貴族を見てきたレイだったが、その中でダスカーは最上級……とまではいかないものの、間違いなく有能な人物に入る。
それは過不足なくギルムを運営していることや、中立派の中心人物として活動していることから考えても明らかだろう。
もし傲慢な……それこそ自分の治めている街を金のなる木程度にしか思っていないような者が領主であれば、間違いなくレイは既にギルムを出ていた筈だった。
いや、その前にそのような性格の貴族であるのなら、レイの持つマジックアイテムを、そして何よりセトという存在を取り上げようとしていただろう。
そうなれば、下手をしたらこのギルムは火の海に沈んでいた可能性もある。
「何を依頼するのかってのは?」
「いえ、何も聞いていないわ。ただ、出来るだけ早くレイ君を領主の館に寄越して欲しいと、それだけよ」
「俺を……ねぇ」
結局行くしかないということか。
そう思いながら、パーティメンバーに視線を向けると……そこでは、マリーナとヴィヘラが面白そうな笑みを浮かべ、ビューネは相変わらずの無表情でじっと二人を……それこそ恋人の距離と表現するに相応しい距離感のレイとケニーを見ていた。
「あらあら、随分と仲がいいのね」
「っ!? こ、これは別に!」
慌てたようにレイから距離を取るケニー。
普段からレイに対する好意を露わにし、スキンシップも過剰なまでに仕掛けているケニーだったが、このような突発的な事態には弱いらしい。
「え、えっと……じゃあ、私は仕事があるから、この辺で失礼するわね。くれぐれも、さっきの件をよろしく」
「はいはい、分かったからさっさと仕事に戻りなさい」
マリーナの言葉に恨めしそうな表情を浮かべるものの、レイが自分を見ていると知ると顔を赤くしながらカウンターの内部に戻っていく。
「ふふっ、相変わらずね。……さて、じゃあ行きましょうか」
「うん? 今日はマリーナ達も来るのか?」
「ええ。ダスカーが何かを頼むのなら、多分私がいた方がいいでしょうし」
「あー、うん。それはそうだな」
レイは決して交渉の類いが得意という訳ではないのに対し、元ギルドマスターのマリーナはそちらも苦手という訳ではない。
また、何よりもマリーナは小さい頃のダスカーを知っていた。
そして小さい頃にしでかした失敗の数々も忘れてはいない。
……その中でも一番大きいのは、まだ子供のダスカーがマリーナに結婚を申し込んだということだろう。
ダスカーにとっては、まさに絶対に忘れたい思い出だった。
その辺はレイも詳しくは聞かされていないが、それでもマリーナとダスカーの間では半ば絶対的な力関係があるというのは、二人のやりとりを見ていれば分かる。
ダスカーを尊敬しているレイだったが、それでもいいように使われるのは遠慮したかった。
そのような理由から、紅蓮の翼の全員が揃って領主の館に向かうことになる。
「うわぁ……何だかかなり人が多いわね」
領主の館に近づくにつれ、多くの人が行き来しているのが目に入る。
それを見たヴィヘラは、素直に感想を口にした。
だが、それも当然だろう。
今まで、レイ達は何度も領主の館に来る機会はあった。
その時に比べると、こうして領主の館の近くにいる人々の数が段違いなのだ。
周囲にいる者の多くは商人で、同時にその護衛とおぼしき者達の姿も多い。
何故こんなに商人が? と疑問に思ったレイだったが、よく考えればギルム増築の最高責任者は当然のようにこのギルムの領主のダスカーだ。
商人である以上、そのダスカーに対して前もって挨拶をし、面通しをしておくというのは当然なのだろう。
「領主の館に来るのは随分と久しぶりだけど……これ程とは思わなかったな」
「そうね。でもまぁ……ここにいるのは、そこまで重要じゃない商人だと思うけど」
小さく、レイ達にだけ聞こえるように呟くマリーナ。
「そうなのか?」
これだけの商人全員が? と疑問に思ったレイが尋ねると、マリーナは頷きを返す。
「そうよ。増築作業に必要な、本当に重要な商人達は、前もってダスカーから話を通されている筈よ。……もっとも、重要な商人ではなくてもギルムの規模を考えれば、商人達にとっては十分に美味しい商売なんでしょうけど」
ギルムの規模を考えれば、マリーナの言っていることは理解出来た。
それだけの商売が出来るのであれば、商機に貪欲な商人達がこうして領主の館に群がっているのも不思議ではないだろう。
「ふーん」
黄昏の槍の件のこともあり、どうしてもレイは商人に対していい思いを抱いてはいない。
勿論それが全ての商人に当て嵌まることではないというのは理解しているのだが、それでも少しだけでも嫌そうな表情を浮かべたのは仕方のないことなのだろう。
「あ、レイ! それにマリーナ様やヴィヘラさん、ビューネまで。よく来てくれたな」
と、微かに嫌そうな表情を浮かべていたレイに、そんな声が掛かる。
声のした方にいたのは、領主の館の門番だった。
これだけの商人がやってきているのだから、当然見知らぬ者も多い。
何か妙なことを企んでいる者がいないとも限らない以上、その仕事はいつもより厳重にする必要があった。
商人達の方も、当然のようにそんな門番達の様子を見れば、なるべく手間を掛けないようにと考える。
勿論それは門番をやっている者達の苦労を思って……ではなく、そうすることにより自分の印象を良くするということを狙っての行為だったが。
ともあれ、門番の前には大勢の商人が集まっているにも関わらず、すぐにレイを見つけることが出来たのは……単純に紅蓮の翼の面々が非常に目立つ存在だったからだろう。
特に商人達の中には、レイの隣にいるセトを見て目の色を変えている者すらいる。
もっとも、グリフォンをこうして間近で見ることが出来るというのは、それこそ一生に一度あるかないか……いや、普通に考えればまずないと言い切ってもいいのだから、この光景は不思議でもなんでもないのだろうが。
それだけに、商人としてセトには大きな金の臭いを嗅ぎつける。
それでもすぐに行動に出たりせず、レイ達の様子を見ているのは……曲がりなりにも今回の増築作業に関わろうという考えでここにやってきただけのことはあるのだろう。
商人は情報が命だ。
であれば、当然のようにギルムで現在名前が売れているレイのことは知っているだろう。
そしてもう少し調べれば、以前レイの手に入れた黄昏の槍というマジックアイテムを手に入れる為に、多くの商人――ここにいるような商人はいなかったが――が殺到したことを知るのは難しくない。
また、目敏い者はレイがこの場に現れた時、自分達を見て嫌そうな表情を浮かべたところを見てもいる。
だからこそ、今のままでは迂闊に話し掛けることが出来なかった。
最初に話し掛け、それで嫌な印象を持たれれば、取り返しがつかない……訳ではないが、他の商人達と比べて大きく不利になるのは間違いない。
そうである以上、出来るだけ有利な状況で話し掛けたいと思うのは当然だろう。
商人達がお互いを視線で牽制し……そんな行為が行われていると知ってか知らずか、レイは商人達に構わず、自分に向かって声を掛けてきた門番に近づいていく。
「よく俺達が来たって分かったな」
「あのな……セトがいる時点でお前が来たってのを隠すのは無理だと思わないか?」
「グルゥ?」
門番の言葉に、レイの方を見て喉を鳴らすセト。
そんなセトの頭を撫でながら、レイは首を横に振る。
「気にするなって。別にセトが悪いって訳じゃないし。……それより、ダスカー様が俺を呼んでるってギルドで聞いて来たんだけど」
レイの言葉に、周囲で聞き耳を立てていた商人達は少しだけ驚く。
まさか、ダスカーから直々に呼び出されるとは、と。
そんなレイに門番は頷き、レイを通す為に門を開けるのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます