第1359話

 夜、ダスカーは領主の館でワーカーと夕食を食べながら報告を聞いていた。


「ふむ、侵蝕する森……それもトレントが関係している可能性が大、か」

「はい、レイさんに軽く調査してきて貰ったのですが、どうやら相当の広さを持つようです。そのうえ、侵蝕か増殖か移動かは分かりませんが、このギルム方面に向かっているとか」


 春野菜のソテーを楽しんでいたワーカーは、口の中に入っていたものを飲み込むとダスカーにそう言葉を返す。

 森がギルム方面に近付いているのはたしかだが、それでもそこまで切羽詰まった様子がないのは、やはりその距離がそこまで近くではないからだろう。

 森の中にも関わらず、歩いて数分くらいの距離しかギルムに近付いてこないのであれば、そこまで緊急の事態という訳ではない。

 勿論、だからといって放って置いていい訳ではないのだが。

 だが、ワーカーはそれを踏まえた上でもそこまで深刻にはなっていない。

 何故なら、ギルムにはレイという炎の魔法を得意とする冒険者がいるのだから。

 いざとなれば、森の全てを燃やしてしまえばいい。

 そのことが、ワーカーに余裕をもたらしていた。

 そしてレイのことをワーカー以上に知っているダスカーも、怪しげな森の存在は若干気に掛かるが、レイの存在からそこまで心配はしていなかった。

 ……そう、この時までは。


「ダスカー様、少々よろしいでしょうか?」


 部屋の中に現れた執事が、そう告げる。

 こうしてワーカーと食事をしているところに直接顔を出して言ってくるのだから、何かがあったのは間違いなかった。

 これで書類にサインをといったような用事であれば、ダスカーは笑って許すようなことはしないだろう。


「何だ?」

「はい、ズモウス様から至急報告があると」

「ズモウスから? ……通せ」

「はい」


 ダスカーの言葉に頷いた執事は去っていく。

 ズモウスというのは、ダスカーの……より正確にはダスカーが擁する騎士団に所属する錬金術師の一人だ。

 ワーカーがレイから譲って貰った、木の枝……調査に行った森で拾ったその枝を、何かの役に立つのではないかと。

 そんな気紛れから、ダスカーはズモウスに調べさせたのだ。

 元々トレントの身体というのは、杖を作るのに向いている素材だ。

 そして森の全てがトレントであった場合、それは莫大な収入源となるのは確実だった。

 それこそ、一気に森の全てを消滅させず、ある程度伐採したらまた広げさせて……とやれば、無限の収入源となるのは間違いない。

 前もってそれがトレントで構成されている森だと知っていれば、危険も十分に制御出来る筈だった。

 ダスカーも人として、その森に喰われた冒険者パーティには思うところがない訳ではない。

 だが、ダスカーはギルムの領主なのだ。

 そうである以上、ギルムを発展させる為に出来ることは何でもやる必要があった。


「何かあったのでしょうかね?」

「ワーカーが持ってきてくれた枝を調べさせていたから、何か発見があったんだろうな。でなければ、こうして急いで俺に報告しようとは思わないだろうし」

「でしょうね。ですが、こちらで調べた時には少し魔力が多い枝……ということしか分からなかったのですが。他に何かあったんでしょうかね?」

「さて、どうだろうな。それを今から教えてくれるんだろ。……ほら、来た」


 ダスカーの言葉と共に、先程出ていった執事が一人の男を伴って部屋の中に入ってくる。


「ダスカー様、この枝はどこで手に入れたのですか!?」


 入ってくるなりそう尋ねたのは、三十代程の男。

 体型は太っている訳でもなく、痩せているわけでもない普通のものなのだが。その雰囲気から何故かひ弱そうに見えるという奇妙な男。

 もっとも、そのひ弱そうな状況で目だけが爛々と輝いているのを見れば、普通なら迂闊に関わり合いになりたくないと思うだろうが。

 だが、騎士団で抱えている錬金術師の中でも、技量に関しては非常に高い人物だ。

 それだけに、こうした今の状況では何か見つけたのではないかと期待してしまう。


「ギルムから少し離れた場所に現れた、森の木だな。ただし、トレントか……もしくはそれに類するモンスターが纏まって繁殖している場所だが」

「それはつまり、トレントの森ということですか?」

「だから、それは分からん。最初にその森に襲われて生き延びた者の話によれば、トレントに襲われたということになっている。だが、それを確認に行ったレイによれば、森の木々は別にトレントではなかったらしい」


 ダスカーの口から出たレイという言葉に、ズモウスは悩む。

 ギルムで暮らしている……どころか、ダスカーの部下として働いている以上、ズモウスは当然のようにレイを知っている。

 勿論知っているだけで、実際に話したことはないのだが……セトの羽根や毛といったものを錬金術の素材として得たことがあるのだから、寧ろレイには感謝しているといってもいい。

 また、その実力はこれまでの実績から考えれば疑うまでもないだろう。

 だからこそ、と言うべきか。

 レイとセトが、トレントという存在を見逃すとは思えなかった。


「結局それは、どういうことなのでしょうか?」

「分からん。だが……ともあれ、だ。お前がこうして急いでやってきたのは、何か理由があってのことだろう? それを聞かせてくれ」

「あ、はい。……この木の枝ですが、一見すると多少普通よりも魔力が多いだけのものにすぎません」


 ズモウスの言葉に、ワーカーは頷く。

 植物や魔法について高い技術を持つダークエルフ族……その中でも突出した能力を持つマリーナが断言したのだから、そのことに異論はない。

 ダスカーもマリーナとの付き合いは長いこともあって、そのことに異論はない。

 そんな二人を前に、ズモウスは説明を続ける。


「ですが、この枝を調べてみたところ、ある特定の液体を塗り、一定の魔力を流した場合……かなりの密度を持ち、魔法的な防御力も得ることが出来ると判明しました」

「……何?」


 ズモウスの説明に、パンを口に運ぼうとしていたダスカーの動きが止まる。

 それ程、ズモウスの口から出た説明は衝撃的なものだった為だ。

 ワーカーの方も、ズモウスの言葉の真実を確認するようにじっと見つめる。

 ギルムの領主と、ギルドマスター。

 その二人にとって、今の説明が事実であれば無限の防具を入手出来るかもしれないと、そう思った為だ。

 木製である以上、武器としては難しいだろう。

 だが、盾や鎧としてであればどうか。

 そんな期待を込め、ダスカーが口を開く。


「では、その森……名称がないと不便だな。取りあえずトレントの森とでも呼ぶか。そのトレントの森に生えている木で防具を作ることは可能なのか?」


 レイからの説明を聞く限り、トレントとは呼べないような気もするワーカーだったが、それでも今はその森に何か名称をつけなければならないというのが事実である以上、余計な口出しをするつもりはない。

 ワーカーとダスカーの期待の視線を向けられたズモウスだったが、申し訳なさそうに首を横に振る。


「残念ですが、防具として使えるだけの強度はありません」

「……そうか」


 あからさまに溜息を吐くダスカーだったが、一緒に話を聞いていたワーカーはふと気が付く。


「待って下さい。防具として使えるだけの強度はない。ということは……何か別の利用方法はあるのですか?」


 その言葉にダスカーが期待を込めた視線を向け、ズモウスも我が意を得たりと頷きを返す。


「はい。その……私に思いつくのは建築素材です」

「建築素材?」


 まさかここでそんな言葉が出てくるとは思わなかったのだろう。ダスカーが一瞬不思議そうな表情を浮かべるも、次の瞬間には小さく息を呑む。

 領主として、今のギルムの状況を理解しているからこそ、その言葉の意味がよく分かった。

 現在のギルムはまだ幾らか余裕があるが、それでもこのまま人口が増え続ければ近い将来飽和状態になるのは間違いない。

 そうなれば、色々と問題が起きるのは事実だ。

 だからこそ、出来れば何とかギルムの拡張工事を行いたいとダスカーも考えていたのだが、それを行うには大量の資材、人材、資金……それ以外にも様々な物が必要となる。

 だが……今トレントの森にある木は、幾ら伐採しても自然と広がっていくのだ。

 そして、更に防具に使える程ではないしろ、建築素材として使うには十分な強度を持つのであれば……


「むぅ」


 ダスカーは唸る。

 ……本人としては、これからどうするべきかを真剣に悩んでいるのだが、傍から見ればそれは木についての報告を持ってきたズモウスを睨んでいるようにしか見えない。

 それでもズモウスに怯えた様子がないのは、ダスカーの下で働いてある程度こういうことに慣れているからだろう。

 寧ろ、ズモウスよりもワーカーの方が今のダスカーの様子に驚いた様子を見せている。

 もっとも、ワーカーとダスカーの付き合いというのはまだまだ短い。

 そう考えれば、寧ろワーカーの驚きは当然と言うべきだろう。

 数分程黙って考え込んでいたダスカーだったが、やがて視線をワーカーに向ける。


「ワーカー、ギルドとしてはトレントの森をどうするつもりだ?」

「……難しいところですね。冒険者が襲われた以上、燃やしてしまった方がいいと思っていたのですが……杖に使えるとなれば、資源として使えるでしょうし」

「そうだな。特に今の話を聞けば、迂闊に手を出す訳にはいかない。もし本当にギルムの拡張工事に使えるのであれば、少なくてもレイの魔法で全て燃やすという手段は論外だ」

「でしょうね」


 ワーカーも、ダスカーの言葉に異論は挟まない。

 杖の素材として使えると考えていた木々だが、燃やしてしまえば当然杖の材料にはならない。


「ダスカー様、一つお願いが」


 二人の話を聞いていたズモウスが、言葉を挟む。


「何だ?」

「はい。その森……トレントの森でしたか。出来れば、そこから枝ではなく、木を一本持ってきて欲しいのですが。先程言った、建築資材として使えるというのは、あくまでもこの枝について調べたものだけですので」

「つまり、枝ではなく木を調べれば、もっと何か分かるかもしれないと?」


 ズモウスがその質問に答える。


「その辺りは詳しく調べてみないと分かりません。もしかしたら、その枝と違う性質を持っているかもしれませんし。ですが建築資材として使うのであれば、本物……という言い方はちょっと違うかもしれませんが、そちらもしっかりと調べておいた方がいいかと」


 ズモウスにそう言われれば、ワーカーもダスカーも納得せざるを得ない。

 まだトレントの森の木を建築資材として使うと決めた訳ではないのだが、ダスカーは前向きにそのことを検討している。

 そうである以上、トレントの森の木の性質をしっかりと調べておいた方がいいのは確実だった。


「それに、今回は木の枝だけなので少ししか調べることが出来ませんでしたから」


 ズモウスにとっては、建築資材云々よりもそれが一番大きな理由なのだろう。

 ある意味錬金術師らしいと言えばらしいのだろうが。

 だが、ズモウスの意見は決して間違っている訳ではない。

 モンスターの素材でも、部位によって性質が違うというのは珍しくないのだから。

 ……もっとも、今回レイから渡されたのはトレントの枝ではない、普通の木の枝なのだが。


「ワーカー」

「はい、分かりました。レイさんには毎日森の様子を見てきて貰うことになっているので、明日にでも見に行って貰う時に木を一本持ってくるようにお願いしましょう」


 これが、普通の冒険者であればワーカーもそう簡単に依頼は出来ない。

 木といっても、ダスカーが持ってきて欲しいと言っているのは、ある程度の太さがある木……具体的には建築資材に使えるような木だ。

 それだけの木であれば、伐採するのも相応に手間が掛かるし、ましてやギルムまで運んでくるのにも重量を考えると難しい。

 荷車を数台繋げた物を作るか、もしくはその場で木を適当な大きさに切るかといった真似をしなければならないだろう。

 だが、レイの場合はアイテムボックス持ちなので、木だろうが何だろうが持ち帰る心配をしなくてもすむ。

 あらゆる意味で、木を一本伐採してくるのはレイに向いている依頼だった。


(まぁ、その代わり報酬も更に要求されそうですが)


 そう思うも、幸い今回の依頼はダスカーからのものである以上、報酬に関してはワーカーの懐が痛む心配はない。


「ダスカー様、木を一本伐採してくるのはいいのですが、その場合は様子を見てくるというものに加えて追加の依頼となります。そうなると当然報酬が発生するのですが……」

「ああ、それは俺が出す。具体的にどれくらいになる?」

「うーん……そうですね。異名持ちのランクB冒険者となると、金貨数枚といったところでしょうか」


 予想していたよりも安いことに驚いたダスカーだったが、トレントの森は近いというのが大きい。

 安いのであれば文句はなく……ダスカーはワーカーの言葉に頷くのだった。

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