第1353話

 スレーシャと遭遇した冒険者は、仲間を助けて欲しいと言って気を失ったスレーシャを前に、すぐにギルムに戻る決断をする。

 本来なら特定の魔力を持った薬草採取の依頼をこなさなければならなかったのだが、こんな状況でスレーシャを見捨てて行く訳にもいかない。

 また、スレーシャがそれなりに美人だったというのがそこに影響しているのも間違いはなかった。


「はぁ。っとに、何で俺が……」


 そう言いつつも、気絶しているスレーシャを抱き上げ、踵を返す。

 今日は門が開いてから真っ先に飛び出してきたので、馬車や馬を使っている者達以外では男が一番速かった。


(いっそ馬車に乗ってる奴の前に現れれば、俺がこうして運ぶこともなかったんだろうけど)


 心の中では愚痴を言いつつ、それでもスレーシャを見捨てないのは、男の親切心か……それとも下心か。

 ともあれ、男はスレーシャを抱き上げ……横抱きにしつつギルムに戻っていく。

 当然そうなれば他の……男よりも後にギルムを出た冒険者や商人と遭遇するのも珍しくはない。

 他の面子からの視線を感じつつ、男はギルムへ急ぐ。

 ……もしこの男の外見が怪しければ、下手をすると人さらいに見えていたかもしれないのだが、幸いと言うべきか男はソロの冒険者としてそれなりに有名な人物だった。


「おい、ルーノ。その女はどうしたんだ?」


 ソロの冒険者……ルーノは、街道で顔見知りの冒険者にそう声を掛けられる。


「いや、いきなり現れて倒れたんだよ。しかも仲間が森に喰われたとか、何とか……」

「森、だと? おい、それは本当か?」

「いや、俺に聞かれてもな。一言だけ言われてそのまま意識を失ったんだから」

「なら、ルーノの魔眼でどうにもならなかったの?」


 ルーノと話していた男とパーティを組んでいる女がルーノにそう尋ねる。

 魔眼を持つルーノは、ギルムでもそれなりに有名な人物だ。

 それだけに、女ももしかしたら魔眼で何とかなるのではないかと……そう思ったのだろう。

 だが、そう言われたルーノは黙って首を横に振る。


「魔眼はそんなに何でも出来る便利な代物じゃねえよ」


 魔力を見るという能力の魔眼を持つルーノだったが、それは現状で何かの役に立つ訳でもない。


「魔眼はとにかく、この女は本当に森に喰われたって言ったんだな?」


 ルーノと仲間の女の会話に割り込むように、男が尋ねる。

 何故そこまで気にしているのかと言えば、男達は今日はその森でファングボアの肉を二匹分獲ってくるという依頼を受けた為だ。

 ギルムからそう遠くない位置にあるその森は、冒険者が依頼を受けて向かうことも多い場所だ。

 そんな場所で森が人を喰うと言われてしまえば、気になってしまうのは当然だろう。

 だが、男にそう言われても、ルーノはそれに答える言葉を持たない。


「そう言われてもな。俺だって、ちょっと話を聞いただけなんだぞ? 詳しい話を聞く前に、こうして気絶してしまったし」


 気絶している状態であっても、スレーシャの顔には色濃い疲労が残っている。

 それが、今はスレーシャを起こすよりも寝かせておいた方がいいとルーノが判断した理由だった。

 だが、男達はこれから森に向かうのだから、森に喰われるといった不穏な言葉を聞いて黙っていられる訳もない。


「ぐぬぬぬ……どうする? 森に行くか?」

「そう言われてもね。私は森に喰われるのなんてごめんよ? 何があったのか分からないけど、そんな物騒なことは……」


 どうするのかを悩んでいる二人をその場に残し、ルーノは女を連れてその場を去っていく。

 事情はある程度説明したのだから、どうするのか判断するのは自分の仕事ではないと。

 そうして何人かの商人や冒険者、旅人とすれ違いながら、やがてルーノはギルムの正門前に到着する。

 そこでは街を出るピークが終わり、一旦落ち着いた為だろう。警備兵はそれぞれ束の間の休息を楽しんでいた。

 それだけに、少し前にギルムを出ていったルーノが戻ってきたのを見ると……そして女を一人横抱きにして連れているのを見ると、驚愕で目を見開く。

 もっとも、それでルーノを女の意識を奪って連れてきた犯罪者……と認識しなかったのは、ルーノ自身がそれなりに知名度があることもあるし、そもそもそのような真似をしたのなら、こうして堂々と警備兵の前に姿を現す筈がないと思ったからか。

 結果として、何らかの理由で街道にでも倒れていたのだろう女を見つけ、こうして連れ戻してきたと予想する。


「ルーノ、どうしたんだ? その女は?」

「街道から外れた場所を走ってきたらしい。で、俺の前にやって来たと思ったら、森に喰われたとか何とか言って意識を失った」

「……森に、喰われた?」


 警備兵の一人が首を傾げる。

 森にいるモンスターに喰われたというのであれば、納得も出来る。

 だが、森に喰われたとはどういう意味かと。


「俺もその辺は知らない。今も言ったように、それだけを言って意識を失ったからな。それで放っておく訳にもいかないから、こうしてギルムに連れてきたんだけど」


 そう言われ、警備兵達は顔を見合わせる。

 これをどう判断したらいいのか。

 もし単純にモンスターに襲われただけなのであれば、気の毒には思うが冒険者としての自己責任というものだろう。

 だが、もし何らかの異常があるのであれば……そしてギルムに大きな被害を与えるのだとすれば、警備兵としては放って置く訳にもいかない。

 その辺りの見極めが大変なのだが……結果として、今回の件はギルドに一任するということになった。

 森に喰われるという言葉は気になるが、それでも結局のところ被害を受けたのは一つのパーティにすぎない。

 色々と可哀相だとは思うが、それでも警備兵として一つのパーティに贔屓することは出来ないのだから。

 もしそんな真似をすれば、次から次に警備兵に協力を求めてくるパーティが現れるだろう。

 ただでさえ、ギルムの警備兵は決して数が多いわけではない。

 そうである以上、切り捨てるべきところは切り捨てるという判断が必要だった。

 ルーノもそれは分かっているので、警備兵に不満を持ったりはしない。

 女の警備兵を呼んで、スレーシャの懐からギルドカードが出て来て、そこに表示されているランクがDだったというのも影響しているだろう。

 ランクD冒険者は一応ベテランと認識されるランクだが、それでもランクD程度の冒険者はギルムであれば幾らでも存在する。

 言葉は悪いが、その程度の冒険者が全滅寸前になるようなモンスターというのは、辺境にあるギルムでは全く珍しいものでもない。

 それこそ、少し探せば幾らでもそのような例はあるだろう。


(けど……出来れば警備兵が一人くらいついてきて欲しかったな)


 大通りを歩きながらそう思うのは、ルーノがスレーシャを横抱きにして歩いているからだ。

 当然そんな行動をしていれば非常に目立つのは当然で、多くの通行人から注目を浴びる羽目になる。


「うわぁ……ちょっと、見てよあれ。凄いわね、憧れちゃうわ。誰かあたしもああやって抱いてくれないかしら」

「けっ、お前みたいな奴を抱いたら腕が壊れ……痛っ! おい、こら! 痛いって!」

「勇気あるよな、あの冒険者。ルーナだっけ? うん? ルーノ? 確かそんな名前の冒険者だったよな」


 そんな会話が、ルーノの耳にも聞こえてくる。

 色々と言いたいことはあるのだが、ここで何かを言えば余計に人の注意を引き、ろくな結果にならないだろうと判断しながらルーノは進む。


(こういう時、パーティを組んでれば他の奴に……それも、女が近くにいてくれれば……)


 自分一人だけで女を抱き上げて運んでいるのと、女が一人でも自分の近くにいる光景。その両方を見比べれば、そこにある差は非常に大きい。

 これでルーノが堂々と運んでいるからいいようなものの、もし人目を避けるようにして移動していれば、警備兵に呼び止められても不思議ではないだろう。

 羞恥心に襲われながらも、ようやくルーノはギルドに到着する。

 こちらも幸いと言うべきか、ギルドの中は既に朝の一番忙しい時間帯はすぎており、今はギルドの中にいる冒険者の数も少ない。

 ……もっとも、まだ午前十時といった風に完全に人の少ない時間帯ではないので、ある程度の人数はいるのだが。

 それだけに、女を抱き上げてギルドの中に入ってきたルーノは相当に目立っていた。

 残っている依頼で何かいいものがないのかを探していた冒険者、酒場で遅めの朝食を食べている冒険者……そしてカウンターの中にいるギルド職員。

 そんな者達の視線を向けられながら、ルーノはカウンターの前に行く。


「ルーノさんが受けたのは、魔力を持った薬草の採取依頼であって、人攫いではなかったと思うのですが」


 馴染みの受付嬢に真面目な顔でそう言われる。


「人攫いじゃねえよ。……街道を歩いていたら、いきなりこの女が街道から外れた場所からやってきて、仲間が森に喰われたとか言ったんだよ。名前はスレーシャ。ランクD冒険者だ」


 ルーノの口からそう言われると、冗談でも何でもないと判断したのだろう。

 受付嬢の女は、少し考えてから近くにある書類に目を通す。

 とても全てを読んでいるとは思えないような速度だったが、受付嬢と知り合ってからそれなりに長い時間のルーノには、それで十分書類に目を通しているというのは理解出来た。

 やがて書類全てに目を通すと、受付嬢は首を横に振る。


「どうやらギルムで依頼を受けたことはないようです。少なくてもここ五日程の間にスレーシャという冒険者が依頼を受けた形跡はありません。そうなると、考えられるのはギルドを通さないで依頼を受けたか……」

「ギルムに向かっている途中で今回の件に遭遇したか、か」


 自分の言葉を続けたルーノに、受付嬢は頷く。

 だが、すぐに隣にいた別の受付嬢が不思議そうに尋ねる。


「けど、もしギルムに向かってたんなら、何で街道を逸れた場所にいたの? ギルムには真っ直ぐに街道が続いてるんだから、わざわざ街道から外れる必要はないでしょう?」


 それは間違いのない事実だったが、同時にギルムに向かう冒険者の気持ちを完全に分かっているとは言えなかった。


「多分、ギルムに来る前に何らかのモンスターの素材とかを持ってきて、自分達は腕利きなんだぞって示したかったんだろうな」


 それなりに長い間ギルムで冒険者として活動しているルーノだけに、この時季にギルムにやって来る冒険者が何を考えているのかというのは、大体理解している。

 受付嬢の方も、それは同様だ。……いや、直接そのような冒険者と会話をする機会の多い受付嬢だけに、寧ろルーノよりもその辺りの事情には詳しいだろう。


「そうですか。……とにかく、事情を聞く必要がありますね。こちらにどうぞ」


 受付嬢がルーノをカウンターの内部に通す。

 そうして案内されたのは、治療室。

 冒険者という血の気の多い者が集まるギルドだけに、ギルド職員が怪我をするようなことも珍しくはない。

 また、冒険者同士の争いで怪我をする者もいる。

 そのような者達のために、ギルドに治療室が用意されていた。

 もっとも、治療室とはいっても回復魔法を使える者がいる訳ではなく、ポーションの類が置いてあるだけなのだが。

 その上、ギルド職員以外がポーションを使えば料金を支払わなければならないのだから、冒険者にとってはあまり使う者はいなかった。

 ルーノの場合は、ソロで活動している上に魔力を見る魔眼を持ち、それ故に金に困るということは少ない。

 今日受けた依頼も、普通の薬草ではなく魔力を持った薬草の採取で、報酬は普通の薬草とは比べものにならない程に高い。

 その依頼を受けても、魔眼を持つルーノはあっさりと魔力を持つ薬草を……それも大量に採取することが出来るのだ。

 そのように金に困っている訳ではないルーノは、以前何度かこの治療室を使ったことがある。


「そちらのベッドに寝かせて下さい」

「あいよ」


 受付嬢の指示に従い、ルーノはスレーシャをベッドに寝かせる。


「後は、彼女から事情を聞きたいのですが……どうしましょう?」

「いや、俺にそう聞かれてもな。……そもそも、俺がここまで付き合う必要ってないんじゃないか?」


 行きがかり上スレーシャを助けたルーノだったが、スレーシャを抱き上げながら街中を移動するという羞恥に満ちた行動をしたのだ。

 今更ながら、何故自分がそこまでしなければならなかったのかと、そう疑問に思う。


「あら、随分と薄情ですね。彼女のような美人を前にして珍しい」

「……お前、俺を無理矢理女好きにするの、止めてくれないか?」

「ふふっ、気が向いたらそうさせて貰います。……そうですね。今日は少し気分がいいので、気付け薬を私がサービスしましょう」


 ルーノとやり取りをしていた受付嬢だったが、笑みを浮かべてそう告げると棚から気付け薬を取り出し……それを意識のないスレーシャに嗅がせるのだった。

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