第1340話

 レイが警備兵を連れてビューネとケーナの戦いがあった場所に戻ってきた時、そこにあったのは完全に予想外の光景だった。

 何故なら、縛られたままではあってもケーナはマリーナやヴィヘラと仲良く……それこそ笑みを浮かべて話をしていたのだから。


「……レイ、俺は今回の件に何か関係のある相手を捕らえたからって呼ばれてきたんだけどな。何でこうなってるんだ?」

「いや、大体予想は出来るけど……それでも予想外な光景だな」


 元々レイがケーナに対して強硬的に当たっていたのは、男の自分が憎まれ役になって相手を追い詰め、それをマリーナやヴィヘラが優しく接することによって向こうの警戒を解き、何らかの情報を引き出す……というのが目的だったのだ。

 だが、強硬的な態度を取っていたレイがそのまま現場にいると、向こうも緊張したままだろうと判断し、こうして警備兵を呼びに行っていたのだが……まさか、戻ってきてみればこうも和気藹々と呼ぶべき光景になっているのは予想外だった。


「あ」


 そんなレイと警備兵の姿を最初に見つけたのは、マリーナだった。

 続いてヴィヘラ、ケーナと順番に気が付く。

 そしてレイを見て大きく反応したのはケーナ。

 デスサイズによって命の危機を味わったのは、かなりのトラウマになったのだろう。

 純粋に戦闘の中で命の危機に陥ったことであれば、暗殺者という仕事をしていた以上ケーナも経験がある。

 だが、レイを前にして覚えた命の危機は、今まで感じてきたそれとは大きく違っていた。

 それこそ、今まで感じてきた殺意が偽物なのではないかと、そう思ってしまう程に。


「大丈夫よ。貴方が素直に聞かれたことを答えれば、レイも何もしないわ」

「……ええ、そうね」


 マリーナの言葉に、ケーナは少しだけ緊張を解く。

 自分が戻ってくるまでの短い時間で、よくもこれだけ相手と打ち解けたものだ……と、レイは驚く。


「じゃあ、ケーナを渡すわ。大人しく取り調べは受けると言ってるから、手荒い真似はしないようにしてね?」

「は……はい!」


 艶然とした笑みを向けられた警備兵の男は、顔を真っ赤にしながら返事をする。

 そんな警備兵を見て、そう言えば最近自分はマリーナを見てもあまりこんな態度を取らなくなったな……と、どうでもいいことを考えるレイ。

 マリーナにケーナを縛っているロープの先端を渡された警備兵は、そのままケーナを連れていく。

 ケーナは特に逆らう様子はなく、警備兵に引かれるままに進む。

 先程マリーナが口にしたように、大人しく事情聴取に応じるつもりなのだろう。

 二人の姿が完全に視界から消えると、レイはどこか呆れたようにマリーナに視線を向けた。


「よくもまぁ、この短時間であんなに手なずけたな」

「あら、手なずけたってのはちょっと表現的によくないんじゃない? 仲良くなった、って言い方にしてくれると嬉しいのだけど」

「俺から見れば、同じようなものだよ。ただでさえ暗殺者としてこれまでにも大勢の人を殺してきたような相手だ。だとすれば、恐らく……」

「死刑、でしょうね」


 レイの言葉を継ぐように口を開いたのは、ヴィヘラだ。

 だが、その言葉にレイもマリーナも否とは言わない。

 実際、暗殺者というのは捕らえられた場合は大抵が死刑になるのは間違いないのだから、当然だろう。

 周囲に沈黙が広がる。

 レイはともかく、少しだけだが話したマリーナやヴィヘラは少しだけ哀れみを抱く。

 今回殺されたのは、トリスの部下……それもギルムにやって来てから雇われた相手で、マリーナやヴィヘラには全く関係がない相手だ。

 ……いや、元ギルドマスターのマリーナは、殺された冒険者の名前を聞けば何かを思い出すのかもしれないが。

 ともあれ、それだけにケーナに対する恨みは存在しない。

 寧ろ、ここで多少なりとも話しただけに、親しみを覚えてもいる。

 そんな風に考えていたマリーナは、ふとギルドマスターを辞める件をダスカーに話しに行った時、ギルムの諜報を担っている草原の狼が人数不足で困っていると嘆いていたことを思い出す。

 草原の狼は元盗賊団……いや、義賊だ。

 それだけに元々の人数は他の盗賊団よりもかなり少ない。

 今まではそれでも何とか回してくることが出来たのだが、ギルムの規模が大きくなってしまえばそういう訳にもいかなかった。

 勿論この場合の規模というのは、ギルムの実質的な大きさのことではなく、草原の狼が活動するという意味での規模なのだが。


(そうね。話した限りだとそこまで悪い子じゃなかったのは事実だし……一応話してみるのはいいかもしれないわね。採用されるかどうかは向こうで決めるんだし)


 後でダスカーに話を通しておこう。

 そう考えたマリーナは、改めて口を開く。


「さて、ケーナと話していて幾つか分かったことがあるわ。……まず最初に。今回の件の話を持ってきたのは、プレシャス……ではなく、冒険者風の男だったそうよ」

「……だろうな」


 レイも、プレシャスが直接ケーナに暗殺の依頼をするような迂闊な真似をするとは思っていない。

 もし何か指示を出すとしても、何人かを間に挟むとか、自分ではなく部下に依頼するように頼むとかだろうと、そう考えていた。


(ああ、でも間に何人か挟むってのは、この場合ないか? 今のプレシャスの状況にもよるけど……スラム街の件で俺達に脅威を覚えているのであれば、そんな悠長な真似を……それとも、あれから日数が経ったのはそっちが原因か?)


 スラム街の一件から多少ではあるが日にちが経っている。

 なら、その間に何人かを間に挟んでケーナを雇ったのではないか。

 一瞬そんな風に思ったレイだったが、同時にスラム街で見たプレシャスを思い出す。

 正確には、プレシャスではなくその周囲にいた護衛と思しき者達。

 その中には、冒険者風……正確には冒険者上がりと思われる男の姿があったことを。

 勿論冒険者風という意味でなら、冒険者の数が多いギルムではどこにでもいる。

 冒険者の数という意味では、ミレアーナ王国の中でも屈指の場所なのだから。

 だが、それでもプレシャスの護衛にいた人物が冒険者風の人物なのだというのが気に掛かる。


(そもそも、間に誰かを挟むのならわざわざ冒険者をそこにいれるか? 別に裏社会の人間だけで動けば、問題はないんだし)


 そう考え、マリーナとヴィヘラに自分の考えを説明する。

 ……尚、ビューネはセトに寄り掛かりながら完全に春の陽気の中で眠っている。

 ケーナとの戦いがあったのを思えば、このくらいは仕方がないかと思ったレイは、そちらには触れずに説明を終えた後で改めて口を開く。


「そんな訳で、プレシャスの護衛にいた冒険者風の男がちょっと気になるんだけど、どう思う?」

「普通に考えたら、直接プレシャスに繋がる人物が出てくるようなことはないと思うけど……マリーナはどう思う?」

「そうね。私達に一番都合がいい可能性としては、スラム街の一件でプレシャスが何か手を出そうとしても誰も協力してくれなくなった。それでも何日か頑張ったけど、結局それも駄目で……最終的に、自分の護衛に暗殺の指示を頼んだというのがあるけど」

「その場合、ケーナにプレシャスの護衛を見せれば、プレシャスの仕業だと判明する……か?」

「向こうがそんな風にあっさりと尻尾を現してくれるといいけどね」


 レイの言葉に、あっさりとヴィヘラが告げる。

 実際、今まで明確に証拠を残すような真似をしていなかったプレシャスだ。

 今回に限って……と考えるのは、多少考えが甘いだろう。


「けど、何もやらないよりはやった方がいいだろう?」

「……そうね。けど、それならケーナを警備兵に渡さなきゃ良かったんじゃない?」

「それは今更の話だろ」


 元々ケーナから情報を聞き出す為にレイが強硬な態度を取り、それからレイが消えることで安心させて口を軽くするというのが目的だったのだ。

 そしてレイが姿を消すのに便利な理由として使われたのが、警備兵を呼びにいくということだった。

 ましてや、ケーナとこうも友好的な関係を作ることが出来るとも思っていなかった以上、レイ達にとって現在の状況は予想外と呼ぶのに相応しい。


「仕方がないわね。ケーナについては少し思うところもあったし、こっちに捜査協力をするのであれば罪の減刑を申し出てもいいかもしれないわね。……トリスは納得出来ないかもしれないけど」


 ケーナとの会話で、今日も仕事を……暗殺者としての仕事をしたというのは、マリーナもヴィヘラも聞いている。

 幸いと言うべきか、暗殺対象はトリスではなくその部下だったらしいが、それでもトリスにとっては部下を殺されたことに変わりはない。

 心情的な問題でそれを許せるかと言われれば、勿論否だろうが……それでもやり手の商人としては、プレシャスを追い詰めるという利益になると分かれば、そちらを優先するだろうという確信があった。


「じゃあ、そっちは任せてもいいか? その護衛がプレシャスの手の者かどうかを確認する為にも、まずプレシャスを見つける必要があるだろうし」

「けど、もし暗殺の依頼をしたのがプレシャスの護衛だとして……いつまでもギルムに残しておくかしら? もうギルムを出ていったという可能性もあるんじゃない?」


 ヴィヘラの言葉に、レイはその可能性もあったかと納得する。

 だが同時に、プレシャスにとっては敵地ともいえるギルムに連れてくる程に信頼している相手を、そう簡単に帰すのかという疑問もあった。

 単純な手勢だけなら、それこそスラム街や裏通り、多少事情を知られるのを覚悟の上なら冒険者を雇うという方法もある。

 だが、本当に心から信頼出来る相手となれば、そのような者は多くないだろう。

 そう考えれば、まだプレシャスの護衛がいなくなっていない可能性は十分にあった。


(もっとも、ケーナに頼んだのが本当にその人物だったら、の話だが)


 結局最終的にはそこに行き着く。

 だが、他に手掛かりがないのも事実である以上、今回はそこに賭けるしかないのも事実だった。


「プレシャスの居所に関しては、ケーナを使ったのを見れば分かる通り、多分裏通りの方にいるんでしょうね」

「その可能性が高いな。ただ、もしかしたらトリスが何か情報を掴んでいる可能性もあるから、一応俺はトリスにその辺を聞いてみる」

「……でも、プレシャスの件は私達とトリスのどちらかが証拠を握るかの競走なんでしょ? ここで聞きに行っても、素直に教えてくれるとは思えないんだけど」

「かもな。ただ、何かをやっておいた方がいいのは間違いないだろ。こっちがプレシャスの情報を集めているというのを、これ見よがしにすることで、向こうに……トリスはともかく、プレシャスも焦らせることが出来るかもしれないし」


 その焦った結果が、今回の支店襲撃だったのだろう。

 だが、その襲撃をした相手が捕らえられた以上、間に誰かを挟んでの依頼だったとしても自分に繋がってしまう可能性がある。

 ましてや、プレシャスの護衛が直接依頼したのであれば、より早く、そして確実にプレシャスまで手が届いてしまう。


「一応ダスカーにはその辺をしっかりと話しておくわ。……ただ、今回の件の裏にいる人物がどうやってギルムを出ようとするか分からないから、確実とはいえないけど」


 マリーナも、プレシャスの護衛だった男がギルムを出ようとすれば、それを完全に止めることは出来ない。

 何の工夫もなく、ただ出ようとしているのであれば発見出来るかもしれないが、誰か関係のない相手と一緒に出ようとした場合は見つけにくい。

 ましてや、ギルドを通さない個人依頼として誰かの護衛を引き受け、そのままギルムを出たりするようになった場合、更に厄介になるだろう。


「わざわざギルムまで連れてきた相手だから、プレシャスにとっては相当に信頼出来る相手なのは間違いないでしょうね。だとすれば、そう簡単に手放すかどうかといった問題もあるけど……その辺は、こうして考えても仕方がないでしょ」


 ヴィヘラの言葉に、レイとマリーナはそれぞれ頷き……早速行動に出る。


「なら、俺はトリスに話を聞きに行く」

「私は、ダスカーに話を通す必要があるでしょうね。ヴィヘラは……どうする?」

「そうね、警備隊の詰め所に向かうわ。ケーナが捕まった以上、もしかしたら誰かが口封じにくる可能性もあるわ」


 暗殺者が捕らえられた以上、雇い主に不利な情報を口にされては堪らない。

 そう思う者がいないとは限らないのは、事実だった。

 こうして、紅蓮の翼はそれぞれ行動を開始する。

 ……尚、ビューネは当然のようにヴィヘラと行動を共にし、セトはレイと行動を共にすることになる。

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