第1300話

 ヴィヘラとのデートをしてから十日程が経ち……レイはマリーナの家にやってきていた。

 他にいるのは、セトのみ。

 その点ではヴィヘラとのデートの時のように二人きりという訳にはいかないが、それでもマリーナは十分に幸せだった。

 また、愛する男との二人きりの時間以外にも、セトが魔石を吸収するという光景すら見ることが出来るのだ。

 女としても、冒険者としても、精霊魔法使いとしても、非常に充実するだろう予感を抱く。


「はい、レイは紅茶で良かったのよね?」


 以前行われたパーティのように、精霊魔法によって環境を整えられたマリーナの家の庭。

 そこでもまた、以前と同様に持ち出されたテーブルの上にマリーナは紅茶を置く。


「ああ、酒は苦手なんだよな。……うん、美味い」


 紅茶を一口飲んだレイは、しみじみと呟く。

 純粋に紅茶の味ということでは、アーラが淹れた紅茶には及ばないだろう。

 だが、マリーナが心を込めて淹れた紅茶は、レイにとって十分美味いと感じる味だった。


「そう? ふふっ、なら嬉しいわね。……セトも色々と喜んでいるようだし、レイとセトを招待して良かったわね」


 レイの言葉に、マリーナが視線を庭で駆け回っているセトに向けながら、嬉しそうな、幸せそうな笑みと共に呟く。

 精霊魔法によって環境を整えられた庭は、既に雪はない。

 いや、そもそもここ数日はそれなりに暖かくなってきており、街中でもかなり雪が溶けてきていた。

 ましてや、今日もヴィヘラと共に出掛けた時に負けない程に春の訪れを予感させる天気だ。

 そのような気温に、まだ残っていた雪も多くがなくなっているのだが……マリーナの家の庭では、雪が消え、緑の芝生が既に存在している。

 セトは今、その緑の芝生を嬉しそうに駆け回っていたのだ。

 雪の上に寝転がっても全く問題のないセトだったが、別に緑が嫌いな訳ではない。

 いや、寧ろ好むという点では雪よりも草木の方を好んだ。

 だからこそ、セトはこうしてマリーナの家の庭で芝生の上を走り回っているのだろう。

 そんな無邪気なセトの様子を眺めていたレイは、紅茶を飲みながら自分の向かいに座るマリーナに視線を向ける。

 このお茶会に相応しいようにだろう。いつもとは違い、露出が大人しめのパーティドレスに身を包んでいた。

 それでも両肩は露出しているのだから、普段からマリーナが着ているパーティドレスがどれだけ派手なものなのかは容易に想像出来た。

 そんなマリーナに対し、レイは紅茶のカップをテーブルの上に置きながら口を開く。


「それよりも、いいのか?」

「あら、何がかしら?」

「いや、まだ外だと雪がそれなりにあるのに、この庭だけがこんな景色で。精霊魔法って言っても、別に効果はずっと続く訳じゃないんだろ?」

「ああ、その件? そうね。普通の精霊魔法だと無理だけど……何にでも、裏技というのはあるのよ?」


 精霊魔法については殆ど詳しくないレイだったが、自信満々にそう告げるマリーナの顔を見れば、それ以上尋ねるのは無粋だということは分かった。


「そうか。ならこれ以上は聞かないけど……ああ、そう言えばワーカーの件はどうなったんだ? もう殆ど引き継ぎを終えたって話だったけど」

「うん? ああ、そっちなら私はもうギルドマスターとしてやるべき仕事は殆どないわね。……ダスカーにも顔を出して紹介してきたし」


 ギルムの領主にして、中立派の中心人物がダスカー・ラルクスなのだが、マリーナにとってダスカーは小さい頃自分にプロポーズしてきた人物という印象が強いのだろう。

 公式の場ではきちんとした態度を取るのだが、今はレイと二人だけ……完全にプライベートの一時だ。

 だからこそ、こうして気軽にその名前を出すことも出来る。

 そんな二人の詳細な関係は知らないが、それでも仲がいいというのは分かるのだろう。レイはギルドマスターとしての立場なら当然かと納得する。

 辺境のギルムは、領主とギルドマスターという高い地位にいる二人が権力闘争を始めようものなら、それによって引き起こされる被害は大きくなる。

 それこそ、辺境であるが故に下手をしたらギルムにとって致命的ともなりかねない。

 そう考えれば、マリーナとダスカーの仲が良好なのは歓迎すべきことだった。


「ワーカーもダスカー様と上手くやっていけると思うか?」

「そうね……」


 レイの問いに、マリーナは何かを考えるように黙り込み、紅茶を味わってから口を開く。


「多分大丈夫だと思うわよ? 寧ろ、ダスカーにとっては私よりもワーカーの方が付き合いやすいでしょうね」


 小さい頃の恥ずかしい出来事を色々と知られているマリーナより、ゼロから新しく付き合い始めるワーカーの方が、ダスカーにとっては付き合いやすいだろう。

 そう告げるマリーナだったが、口元には隠しきれない笑みが浮かんでいた。

 ワーカーは、マリーナのようにダスカーの小さい頃を知らない。だが……それでも、ワーカーはマリーナが自分の後継者とした人物なのだ。

 そんな人物を、もしダスカーが甘く見た場合……領主として受ける被害は大きなものになるだろうと。

 ギルムのギルドマスターである以上、ギルムに対して致命的な被害を与えるようなことはしないだろうが、それでも色々と手札はあるのだから。


「ふーん。ま、ワーカーのことはそんなに詳しくないけど、マリーナがそう言うんなら信頼は出来るんだろうな」


 レイがワーカーと会ったのは、それこそ数える程しかない。

 エレーナとの一件、銀獅子の一件。

 この二度だけだ。

 だが、それでもマリーナの人を見る目は間違いないと思っているので、ワーカーを信頼しないという選択肢はなかった。

 その後もレイとマリーナは二人で色々と会話をし、時には笑い、時には照れ、時には怒り……そんな幸せな時間がすぎていく。

 セトも芝生に覆われた庭を走り回り、レイやマリーナに撫でられといった風に時間をすごす。

 そして暫く時間が経ち……


「ねぇ、レイ。そろそろ魔石を吸収するところを見せて貰えないかしら?」


 ふと、マリーナがレイにそう告げる。

 その言葉に、レイはそう言えば今日こうしてマリーナと一緒にすごしているのは、セトが新しいスキルを覚えるのを見せる……という意味もあったのか、と思い出す。

 スノウサラマンダーの魔石の吸収は、セトとデスサイズのどちらにするのか迷ってはいた。

 だが、こうしてマリーナに頼まれれば、セトに吸収させた方がいいかと思い直す。

 デスサイズのスキルも使い勝手がいいが、炎帝の紅鎧や二槍流といった戦闘方法があり、それ以外にもレイは様々な戦闘用のマジックアイテムを持っている。

 ならば、やはり単独行動をすることも多いセトがより強くなった方がいいのは確実だった。

 周囲の気配を探り、誰も自分達のことを探っていないことを確認してから口を開く。


「そうだな、マリーナが言うならそうするか。……おーい、セト!」

「グルルルゥ?」


 芝生を駆け回っていたセトが、レイの声に動きを止め、振り向く。

 そしてレイが呼んでいるのだと理解すると、嬉しそうに走り寄る。


「グルゥ?」


 どうしたの? と小首を傾げて尋ねるセトに、レイはミスティリングからスノウサラマンダーの魔石を取りだし、放り投げる。

 それを見たセトは、何かを考えるよりも前に、殆ど反射的な動きでその魔石をクチバシで咥え、飲み込む。


【セトは『アイスアロー Lv.二』のスキルを習得した】


 既に聞き慣れたアナウンスメッセージが、レイの脳裏に響く。

 それはセトも同様だったのか、こちらもまた嬉しそうに鳴き声を上げていた。

 だが、セトと繋がっているレイとは違い、マリーナにはそれが分からない。


「どうしたの?」

「いや、無事にスキルを習得出来たみたいだ。……セト、使ってくれるか?」

「グルルルルゥ!」


 レイの言葉に従い、セトはアイスアローを発動する。

 セトの周囲に、十本の氷の矢が姿を現した。


「魔石を吸収する前は五本だったことを考えると、単純に倍か。……氷の矢が十本っていうのは、結構強いな」


 氷というのは、元々の質量もある。

 一本のアイスアローでも、ゴブリン相手なら致命傷を与えることが出来るだろう。

 それが十本も姿を現したのだから、一声で十匹の……いや、ゴブリンの身体を貫通することも考えると、より多くのゴブリンを倒すことが出来る。

 レベルが低い現在、もっと強力なモンスターを相手にした場合は、アイスアローの効果がない可能性も十分にあるが。


「へぇ……随分と凄いのね」


 セトの周囲に現れた氷の矢に、マリーナは感心したように呟く。

 精霊魔法を操るマリーナにとって、同じような攻撃をするのはそう難しい話ではない。

 だが、その場合は普通の魔法と比べると詠唱が短いとはいえ、効果を発揮させるまでには多少の時間を必要とする。

 それに比べると、セトの場合は鳴き声を上げるだけで氷の矢を生み出せるのだから、その発動速度は戦闘でかなり有利なのは間違いない。


「ふふん、だろう?」


 自分の相棒を褒められたのが嬉しかったのだろう。レイは自慢げな笑みをマリーナに向ける。


「いや、そこはレイじゃなくてセトが喜ぶところじゃないの?」

「だって、セトは俺の相棒だし。……な?」

「グルルルゥ!」


 レイの言葉に、セトは嬉しそうに喉を鳴らす。

 同時にアイスアローが地面に落ちて消えていく。

 そんなセトの頭を軽く撫でながら、レイは空を見る。


「いい天気だな。……こういう時は、こうしてゆっくりとした時間をすごすのもいいよな。セトも、好きに走り回れて嬉しそうだし」

「そうね。今年の冬は今までと比べると随分と穏やかな日々だったけど、その冬もそろそろ終わりよ。……レイ、準備の方はいいわよね?」

「いいわよねって言われてもな。俺は別に特に何かある訳じゃないしな。もう少し身体を動かしておいた方がいいかもしれないけど」

「グルゥ!」


 レイの言葉にセトは自分なら大丈夫! と喉を鳴らす。

 実際、こうして動き回っているのを考えれば、その言葉は決して間違いではないだろう。


「ふふっ、セトは元気ね」


 そんなセトに視線を向け、マリーナは嬉しそうに笑みを浮かべてそう告げる。

 マリーナに褒められたのが嬉しかったのか、セトは喉を鳴らしながらマリーナに顔を擦りつける。


「ふふっ、レイとパーティを組んでいいことは色々とあるけど、その中でも好きな時にセトとこうして触れあえるのは、かなりの利益ね」

「あー……そう言って貰えると、俺も嬉しいよ」


 セトと戯れるマリーナを眺めつつ、レイが笑みを浮かべる。

 実際、ギルムにおけるセトのマスコット的な扱いを考えると、セトと戯れるという点だけでレイと同じパーティに入りたいと思う者は多いだろう。

 特にセトに抱く愛情では他に類をみないだろう存在の二人……某パーティのパーティリーダーの女と、某元遊撃隊の女はその最たる者だ。

 もっとも、前者は既にパーティを組んでいるし、後者もパーティこそ組んでいないものの一緒に暮らしている者達のリーダー格の存在の一人だ。

 もしそれらを投げ出してレイのパーティに入れて欲しいと言えば、間違いなく呆れられ……それどころか、見限られかねない。

 レイにそんな風に思われるということは、当然レイを大好きなセトにもそう思われるということであり、それには到底耐えられないのは、二人も……そして同じような考えの者達も分かりきっていた。

 そもそも、レイ達は今のところこれ以上パーティメンバーを増やすつもりはない。

 増やすとしても、それはエレーナがこちらに来てから……と考えていた。

 ただ、ビューネが抜けると盗賊がパーティ内にいなくなってしまうのだが……その辺りは、セトの能力やレイの魔法、マジックアイテムといった代物を使ってどうにかするつもりでいる。


「ふふっ、レイが喜んでくれると私も嬉しいわ。……あ、そうだ。ちょっと待っててくれる?」

「うん? 別にいいけど」


 突然の言葉に疑問を抱いたレイだったが、今日は一日マリーナと一緒にすごすと決めていただけに、特に断る様子もなくその言葉に頷く。

 レイの様子を見て、面白そうな笑みを浮かべたマリーナは、庭にレイとセトを残してそのまま家の中に戻っていく。

 それを見送り、数分。

 セトと一緒に紅茶やサンドイッチを食べながらすごしていると……やがて家の中からマリーナが姿を現す。


「その……どうかしら」


 何について言ってるのかは、レイにもすぐに分かる。

 珍しく胸元の開いていないドレスを着ていたマリーナだったが、そのドレスにブローチが付けられていたのだ。


「似合ってるけど……そのブローチ、どうしたんだ?」

「ふふっ、ギルドマスターを辞めるからって、レノラやケニー達が贈ってくれたの」

「……なるほど。じゃあ、大事にしないとな」

「ええ。けど、レイも私がこのブローチを大事にするように、私を大事にしてね?」


 マリーナはいつもの艶然とした笑みではなく、幸せに満ちた女らしい笑みを浮かべ、そう告げるのだった。






【セト】

『水球 Lv.四』『ファイアブレス Lv.三』『ウィンドアロー Lv.三』『王の威圧 Lv.三』『毒の爪 Lv.五』『サイズ変更 Lv.一』『トルネード Lv.二』『アイスアロー Lv.二』new『光学迷彩 Lv.四』『衝撃の魔眼 Lv.一』『パワークラッシュ Lv.五』『嗅覚上昇 Lv.四』『バブルブレス Lv.一』『クリスタルブレス Lv.一』『アースアロー Lv.一』



アイスアロー:レベル一で五本、レベル二で十本の氷の矢を作り出して放つ事が出来る。威力としては、五本命中させれば岩を割れる程度。

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