第1216話
ダンジョン……正確にはダンジョンの周辺に自然発生的に出来た場所。
宿屋や武器、防具を売っている店、道具を売っている店、食べ物を売っている店、酒場、娼館……それ以外にも、様々な店がダンジョンの周辺には存在していた。
下手な村よりも活気に溢れ、人が多く集まっている。
それは、もう少しで冬になるというのも関係しているのだろう。
冬になる前に少しでも稼いで、ギルムで冬を越すと考えている者のように。
もっとも、ダンジョンは冬であっても中で雪が降ることはない。
それどころか、階層によっては雪が降って寒い外よりも暖かくて快適にすごせる場所もある。
それでも一冬をダンジョンの中ですごそうと考える者は、殆どいない。
何故なら、ダンジョンの中ということは当然モンスターがいる。
つまりダンジョンの中で暮らすということは、常にモンスターに襲われる可能性があるということだ。
勿論セトのように敵を察知する為の高い能力を持っていたり、このダンジョンの敵では相手にならない程の強さを持っている……というのであれば、話は別だろう。
だがそのような実力を持っている者は当然そんなに多くはない。
……それでも中には金欠の為にダンジョンで冬を越そうと考える者も、少数ながら存在するのだが。
自分の実力に自信があるのであれば、特にこのダンジョンは内部に森が存在しているということもあり、野菜や果実の類にはあまり困らない。
また、肉もモンスターがいるのであれば、十分すぎるだけの量を確保出来るだろう。
そんなごく少数の者達だけが、ダンジョンで冬を越すという行為を行うことになる。
「うわ……前に来た時に比べると、随分と変わったな」
馬車の窓から周囲を見回し、レイが呟く。
普通なら中々見ることが出来ないような馬車が二台……更にその馬車の横をグリフォンが歩いているのだから、この一行は非常に目立っていた。
だが、セトと行動している為に目立って注目の視線を向けられるのを慣れているレイにしてみれば、そんなのは全く気にした様子もなく周囲を見回す余裕がある。
それは他の面々にしても同様だった。
姫将軍のエレーナ、美貌のギルドマスターマリーナ、エレーナのお付きとして常に注目を浴びているアーラ、ランクA冒険者にして異名持ちのエルク、その妻ミン。
殆どの者が、誰か一人で歩いていても注目を浴びるには十分な面子だ。
だからこそ、全員が注目を浴びるのには慣れており、周囲の視線を特に気にした様子もない。
もっとも、それは馬車の中にいるというのも関係しているのだろうが。……エルクとアーラは御者席にいるのだが。
「そうね。ダンジョンの攻略はされていないけど、それでも最下層近くにまで向かえる冒険者はいるもの。そのパーティが取ってくる素材を求めて、商人の数も増えているんでしょうね」
周囲の様子を見ながらマリーナが呟き、エレーナが頷く。
「冬が近いということもあって、商人も今が一番忙しいのだろうな」
「そうね。エレーナの言ってることも当たっているわ。冬になってもここにいれば、半ば閉じ込められるもの。……ここから出ようと思えば出ていけるでしょうけど、雪が積もっている中を外に出れば、それこそ命を失う可能性が高いでしょうし」
「……まぁ、ここはモンスターを防ぐ為の壁とかもないしな」
ギルムを始めとして、多くの街に存在する壁。
モンスターが襲ってくることを防ぐ壁の存在は、その場に住む者にとって心の拠り所となる。
そのような壁がない場所で、しかも冬にモンスターが襲ってくるようなことになれば、それを防ぐのは難しい。
自分で戦う力を殆ど持たない商人にとって、そのような壁のないこの地で冬を越すというのは可能な限り避けたい事態だった。
そんな風に話しながら進んでいくと、やがて以前にもレイ達が泊まった宿が見えてくる。
このダンジョンの周辺にある宿の中では、最も高級な宿。
それだけに安全対策もしっかりされており、馬が盗まれるといったことはまず考えなくてもいい。
宿泊料金は高いが、ここにいる面子の懐事情から考えれば、その点でも問題はなかった。
「では、手続きをしてきますね」
「ああ、私も行くわ。ここも一応私の管轄だから、ある程度の無理は聞いて貰えると思うし。それに……部屋に余裕があるかどうかも分からないしね」
もうすぐ冬ということもあり、多くの商人が急いでこのダンジョンから取れる素材を仕入れに来ており、当然宿の部屋が埋まるのも早い。
そうなれば当然このような高級な宿でも部屋を取るのが難しくなる。
だが、このような高級な宿の場合、何かあった時に備えて数部屋くらいはいつでも使えるようにしておくのが普通だった。
……そう、例えばギルムのギルドマスターや高名な高ランク冒険者、貴族派の象徴的な人物……といった具合の客が突然来た時に使えるように、だ。
それが分かっているのだろう。エレーナはマリーナの言葉に頷いて答える。
そして御者台から馬車の中にやって来ていたアーラと共に、馬車を出ていく。
マリーナを見送ると、レイとエレーナもそれぞれ馬車から降りる。
「今からだと……やっぱりダンジョンに行くのは明日になりそうだな」
「そうだな。私も、出来れば今日のうちにダンジョンに入りたかったのだが……ここまで馬車で旅をしてきたのだから、多少なりとも疲れはある筈だ。であれば、万全の態勢とするに越したことはない。相手はランクSモンスターなのだから」
「え?」
レイとエレーナの会話に挟まれるように聞こえてきた声に、二人はそちらへと振り向く。
視線の先にいたのは、二十代程の実直そうな男。
(うん? 前は子供がセトを厩舎まで連れていってくれた筈だけど……まぁ、高級宿だ。従業員は何人もいるんだろうな)
以前に来た時には見なかった顔だが、以前ここにきてから数年が経っている。
そうなれば、当然ここにいる者も入れ替わったりするだろう。
そもそも、ここはダンジョンの側であり、ギルムのような壁に守られている街と違って非常に危険だ。
普通であれば、そんな危険な場所で長い間働き続けたいとは思わないだろう。
それはともかく、目の前の男が口にした言葉が気になったレイは、男に向かって口を開く。
「え? って言ってたけど、何かあるのか?」
レイにそう尋ねられ、初めてその男は自分が二人の話を聞いてしまったことを……正確には、話を聞いたということをあからさまに示してしまったことに気が付く。
このような高級宿に雇われている職員の場合、当然客の会話を耳にすることは多い。
だが、それを聞いてしまったことをあからさまに示してしまえば、当然のように客は気分が悪いので、聞いていても聞いていない振りをするのが常識だった。
「あ、その、すいません。つい……お客さん達がランクSモンスター、銀獅子に挑むという話をしていたので」
「そうだな。明日にでもダンジョンに行くつもりだ」
「やっぱり。……でも、その、このダンジョンにいる銀獅子はとてつもなく強力だという話ですよ? その、今までに何人もの冒険者が挑んでは皆が返り討ちに……」
最後に言葉を濁す男だったが、その返り討ちにあった冒険者達がどうなったのかというのは、男の沈痛な表情を見れば明らかだった。
「だろうな。相手はランクSモンスターなんだ。それだけの力があるのは、こっちも承知の上だ。けど、どうしても倒さなきゃいけない理由がある」
視線をエレーナの馬車へと向けて呟くレイの表情は、絶対に銀獅子を倒すという決意がある。
眠っているようにしか見えないヴィヘラが、あのアンブリスとの戦いの日から一度も目を覚ましてはいない。
それを助ける為であれば、レイはランクSモンスターに挑む程度のことは幾らでもするつもりだった。
先程まで馬車の中にいたので、フードを脱いでいるレイの顔を見て、自分では何を言ってもレイを止められないと思ったのだろう。
だが……それでも、従業員の男は無為に人が死ぬというのは我慢出来ないらしく、口を開こうとする。
この従業員にとって不幸だったのは、まず第一に全く荒事とは関係のない一般人だったということだろう。
もし多少なりとも腕に覚えがあるのであれば、レイやエレーナといった二人を見て、その技量を理解出来たかもしれないのだから。
そして何よりも最大の不幸として、セトが馬車の陰に隠れて見えなかったというのがある。
「グルゥ?」
だからこそ、レイと男の話し声が気になったセトが馬車の陰から顔を出すと、男は何かを言おうとした動きを止める。
最初に思ったのは、視線の先にいるモンスターはなんなのだろうということだ。
見る者を圧倒するような迫力を感じさせるモンスター。……実際にはセトはそのような迫力を発してはいない。
男がセトを見て、そう思ってしまっただけだ。
……もっとも、グリフォンという存在を見たのであれば、それは無理もないのだろう。
寧ろこの男の反応こそが普通であり、ギルムで愛玩動物のようになっているということの方が異常だった。
「ひっ!?」
「あー……安心しろ。セトはこう見えて大人しい。それこそ、危害を加えられなければ攻撃したりはしないからな」
やっぱり以前に来た時はいなかった奴か。
そんな風に思いながら、レイは男を落ち着かせる。
セトが大人しいというのを示す為に、セトの頭を撫でながら。
いきなり男に怖がられたのは、セトにとっても悲しい出来事だったのだろう。
だが、こうしてレイに撫でられることにより嬉しそうに喉を鳴らしている姿を見て、男は目の前で何が起きているのか理解出来ず、やがてレイに撫でられているセトが嬉しげに鳴き声を漏らしているのを聞いて、大きく目を見開く。
男の目からは、レイが撫でているのはグリフォンにしか見えない。
そう、ランクAモンスターのグリフォンだ。
普通であれば、とてもではないがこうして人に慣れるようなことはないだろうモンスター。
「え? あれ? ええっと……」
そんなグリフォンがレイを相手に、まるで子猫のように喉を鳴らしているのを見て、男は戸惑う。
セトを撫でながら、レイは男を落ち着かせるように口を開く。
「だから言っただろ? セトはこっちから何もしなければ暴れたりはしないって。……それより、セトを厩舎に連れて行きたいんだけど、勝手に行ってもいいのか? 馬の問題もあるし」
落ち着かせるような、そして言い聞かせるようなレイの言葉に男はようやく我に返ったのだろう。
慌てて頭を下げ、口を開く。
「申し訳ありません。すぐに担当の者を連れてきますので、もう少々お待ち下さい」
そうして去っていく男の背中を見送っていると、もう一台の馬車からミンが姿を現す。
「レイ、あまり相手をおちょくるような真似をしない方がいいんじゃないかい?」
「いや、別におちょくるとか、そんなつもりは一切なかったんだが」
「……素でやってたのか。いや、寧ろレイは常にセトと一緒にいるのだから、その辺の感覚が麻痺しているのかもしれないね」
どこか呆れたように呟くミンに対し、レイは小さく肩を竦めるだけだ。
ミンの言う通り、別に狙って今の出来事をやった訳ではないからだ。
それだけに、何も言い返すことは出来ない。
そんなレイを助けるかのように、宿からマリーナとアーラの二人が戻ってくる。
「無事に部屋を取ることが出来たわよ。ただ、やっぱりこの時季だから、部屋は二つしか取れなかったけど……」
「うん? だとすれば、私達とレイ達という風に別れるのか? それとも、男部屋と女部屋?」
「それは……どうかしら」
ミンの言葉に、マリーナはレイへと視線を向ける。
マリーナの正直な思いとしては、レイと一緒に部屋で寝るというのは歓迎出来る。
だが、ヴィヘラの意識が戻っていない状況でそのような真似をするのも少し悪い気がするのは事実だ。
それはエレーナも同様であり、ミンの言葉に薄らと頬を赤く染めつつも、首を横に振る。
「そうだな。男部屋と女部屋の方がいいと思う」
「私もエレーナ様に賛成します」
アーラもエレーナの言葉に頷き、他の者も異論がないということで最終的には無難に男部屋と女部屋で別れることに決まる。
「なら、ヴィヘラとロドスを運ぶ必要があるか」
「男の人に運ばれるのは色々と嫌でしょうから、ヴィヘラ殿は私が」
「ま、ロドスは俺が運ぶのが筋だろうな」
アーラがヴィヘラを、御者台から降りてきたエルクがロドスを運ぶということで決まる。
この宿のような高級宿であれば、それこそ宿の従業員に運ばせてもいいのだろう。
だが、レイ達はヴィヘラを人任せにする気はなかった。
それは、宿の人間を信じられないということではなく、あまり他人に触れさせたくなかったというのが大きい。
宿から馬車や馬を案内する人間がやってくるのを見ながら、レイはいよいよだ……と決意を固めるのだった。
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