第1187話

 ボッブスの登場に驚きは受けたものの、一旦ボッブスが来たと分かればレイもこれ以上驚きを露わにはしない。


「おう、久しぶりだな。こうして直接会うのは暫くぶりだが、お前の活躍は聞こえてきてるよ」


 男臭い笑みを浮かべたボッブスの言葉に、レイは笑みを返す。


「別にそこまで言われるようなことじゃないと思うけど」

「おいおい、お前がそんなことを言っても誰も信じられないぞ。……まぁ、いい。それよりも今は急いで話す必要があるしな」


 それが何のことについて言っているのかというのは、考えるまでもない。

 そもそも、レイとヴィヘラがここにやってきたのはアンブリスの情報を話す為なのだから。

 レイもそれが分かっているので、頷いてから口を開く。


「単刀直入に言う。アンブリスをこの目で見た。ただ、俺達の前からはすぐに消えた。それも地面に潜るといった行動でな」

「……地面に潜る、か。それはつまり地中を移動出来るってことか?」

「見た限りでは、そんな風に見えたな。寧ろ、そうやって移動しているからこそ見つけることが出来なかったんだと思う」


 地中を移動するのであれば、当然そこにいるのを見ることは出来ない。

 勿論アンブリスがいつも地中で移動をするとは限らないのだが、それでも地中を移動出来るという能力があると分かっただけでこれからアンブリスを探し出す難易度が上がるのは確実だ。

 もっとも、実際には地中を探るような能力がない以上、探すのに新たな手間の類は殆ど増えないのも事実だろう。


「やっぱり黒い霧だったのか?」

「ああ。それは間違いない。ギルドからの情報通り、黒い霧だった。それと魔石の類も……なかったよな?」


 レイの視線に、ヴィヘラは頷く。


「黒い霧だったけど、それは間違いないと思うわ。それに、意志というものも感じられなかったわね」

「……意志を感じない、ですか?」


 理解出来ないといったレノラの言葉に、ヴィヘラは頷く。


「ええ。アンブリスの姿を発見した時、セトが唸り声を上げたのよ。でも。アンブリスは私達に何の反応も示さないまま、地中へと沈んでいった。もしアンブリスに自我のようなものがあれば、セトを見て反応くらいはするでしょう?」

「そう……でしょうね。ギルムで暮らしていればあまり実感はないんですけど、セトちゃんはランクAモンスター……いえ、希少種だと考えれば、ランクS相当のモンスターになる訳ですし」

「普通なら、そんなモンスターが自分の近くにいれば何らかの反応を示すんだろうが……それもなかった、か」


 レノラの言葉を続けるようにボッブスが呟き、レイがそれに頷く。


「ああ。完全にこっちには興味がなかった……というか、生き物として認識しているかどうかも微妙だったな」

「厄介だな。せめてこっちを生き物と認識してくれるのなら、色々と打つ手もあるんだが」


 忌々しげに呟くボッブスの言葉に、他の三人も同意する。

 攻撃を仕掛けるのであれ、逃げ出すのであれ、何らかの反応をするのであれば罠なり誘き寄せるなり、取るべき手段は幾つもあった。

 だが、完全に無視をするというのであれば、どんな反応を見せるのかが分からない。

 今のところはアンブリスによって攻撃をされたという情報はない――そもそも存在を確認したのがレイ達だ――が、本当に攻撃手段を持っていないとも限らない。

 そうなると、手を打つのが非常に難しくなる。


「誰かが見つけても、迂闊に手を出せないか」

「ボッブスさん、元々アンブリスは物理攻撃は効果がなくて、高い魔法防御力も持っているという話ですから、中途半端な攻撃は何が起きるのか……」

「そうだったな。となると、やっぱり効果的に攻撃するには強力な攻撃手段を持った奴が必要、と。……エルクがいないのは残念だな」


 エルクが持っている雷神の斧は、非常に強力なマジックアイテムだ。

 それこそ、こういう場合には役に立つこと間違いなしと思えるだけの。


「俺は会ったことがないけど、ギルムには他にも異名持ちの冒険者が何人かいるんだろ? なら、そいつらにも出て貰えば……」

「もう出ている。……というか、エルク以外の異名持ちに会ったことがなかったのか?」


 少しだけ意外そうな表情を浮かべるボッブスだったが、元々レイは決して人付き合いが得意という訳ではない。

 向こうから話し掛けられれば対応したかもしれないが、何の理由もないのに自分から相手に声を掛けるような真似は基本的にはしない。


「俺が知っているエルク以外の異名持ちだと……不動とか、天弓とか?」

「……寧ろ、俺はその二人と面識のあるお前に驚きだよ」


 レイの口から出て来た異名に一瞬言葉に詰まったボッブスだったが、最終的に口に浮かんだのは苦笑としか表現するしかない笑みだ。

 不動、天弓。その異名を持っているのは、共に世界で三人しか存在しないランクS冒険者なのだから。

 普通は会おうと思って会える存在ではない。


「えー……まぁ、レイさんですしね。ええ。今の話は聞かなかったことにしておいた方が良さそうです」


 レノラの視線がレイから逸らされ、会議室の壁を見ながら呟く。


「不動の方は無理でも、天弓なら……いや、無理か」


 ボッブスの口からは最後まで言葉が出ずに諦めの言葉へと変わる。

 不動はベスティア帝国のランクS冒険者で、とてもではないがギルムに呼ぶことは出来ないだろうと即座に判断し、ミレアーナ王国のランクS冒険者なら、と。

 そう考えたのだが、ランクS冒険者は国王派が囲っている。

 王都からギルムに呼ぶにはダスカーに手を回して貰わねばならず、そんな真似をすればダスカーが所属する中立派は国王派に大きな借りを作ることになってしまう。

 勿論本当にどうしようもない状況になってしまえば、ダスカーも国王派に頭を下げるのを躊躇しない筈だったが、現状ではそこまでギルムが追い詰められていないのも事実だ。


「ボッブスさん。私が目を逸らしているんですから、出来れば他の話に変えませんか? 具体的には、どうやればアンブリスを倒すことが出来るのかというのを」

「……そうだな。天弓の力を使えば、アンブリスもあっさりと倒せるんだろうが……今はそれに頼る時じゃない、か」


 呟くボッブスの言葉に、レノラは安堵の息を吐く。

 冒険者ギルドの一受付嬢に過ぎない自分が、中立派や国王派といった派閥のいざこざに巻き込まれるというのは、出来れば遠慮したかった。

 そして天弓を呼ぶということにならないように、慌ててレノラは口を開く。


「とにかく、アンブリスを倒す方法です。ギルドマスターからの情報では、物理攻撃は基本的に無意味。魔力を使った攻撃を行うしかないのですが、アンブリスの魔法防御は非常に高い。ここまではいいですよね?」


 前提情報を口にし、ボッブスとレイ、ヴィヘラの反応を見るレノラ。

 自分の話を聞いていた三人がそれぞれに頷くのを見ながら、レノラは言葉を続ける。


「アンブリスの発見例が三百年前のものしかない以上、あまり当てにはなりませんが……それでも魔力を使った強力な攻撃でなければダメージは通らないそうです。ただ、問題は具体的にどの程度強力なものなら通じるのかが不明だということです」

「三百年前の情報は残ってるんだろ? なら、そこから大体でいいから予想出来ないのか?」


 レイの口から出た当然とも言える疑問に、レノラは首を横に振る。


「ある程度の情報は残っていますが、詳細なところまでは……現在ギルドマスターも手を尽くしていますけど、現状以上の情報を集めるのは少し難しいと思います」

「そう、か。そうなるとやっぱり魔法を使った攻撃を行える奴が手を出すしかない訳だ」

「でしょうね。で、その最有力候補がレイなんでしょう?」

「はい。ヴィヘラさんの言う通りです。実際魔力を使った攻撃が出来るという者は、決して少なくはありません」

「正確にはギルムでは少なくないって言うべきだろうな」


 レノラの言葉を捕捉するようにボッブスが呟く。

 ミレアーナ王国中……時には国外からも有力な冒険者が集まってくるギルムだ。

 当然ながら、魔法を使える者も他の街や村に比べれば多くなるし、魔法を使えなくてもスキルとして魔力を使っている者も多い。


「……けど、アンブリスを相手に出来るだけの攻撃力を期待出来る者は少ない、と?」


 ボッブスに尋ねるヴィヘラだったが、尋ねている本人がそもそも魔力を使ったスキル……浸魔掌を使っている。

 だが、その浸魔掌でアンブリスを倒せるかと言われれば、やはり本人も首を傾げざるを得ない。


「ああ、そうなる。……いや、実際にはどの程度の魔力を伴った攻撃なら効果があるのか分からない以上、実際に試してみるしかないんだけどよ」

「明日から忙しくなりそうだな」


 呟くレイの言葉に、その場にいる全員が頷く。

 アンブリスの存在が確認された以上、明日からは魔力を使った攻撃が可能な面子を効率的に動かせるように配置するのは当然だった。

 そして、セトという存在がいるレイとヴィヘラは、当然のように広範囲を見て回ることになる。


(うん? けど、それだと結局今までと変わらないんじゃないか?)


 ふと、レイはそれだと結局自分の行動は今までと全く変わらないのではないかと、疑問に思う。

 もっとも行動範囲こそ同じだが、実際の行動はアンブリスを見つけ次第強力な魔法攻撃なりなんなりで仕留めるという以上は今までと全く同じという訳にもいかないのだが。


(強力な魔力か。……だとすれば、やっぱり炎帝の紅鎧だろうな)


 自らの魔力を可視化出来る程に濃縮して使用するスキル。

 今ではレイの中でも最強に近い威力を持っているそのスキルは、間違いなくアンブリスに通用する筈だった。

 いや、寧ろ炎帝の紅鎧を使った攻撃が通用しないのであれば、それは既にレイにとってアンブリスへの攻撃手段がなくなるということを意味しているに近い。


「異名持ちは他にも何人もいるが、正直なところ、セトに乗って空を飛ぶことが可能なレイが、一番アンブリスを見つける可能性が高い。色々と苦労を掛けるだろうが、よろしく頼む」


 深々と頭を下げてくるボッブスに、レイは気にするなと首を横に振る。


「ギルムは俺にとっても故郷に等しいからな。モンスターの群れを恐れて商人が来なくなって、最終的にギルムが衰退するなんてことになったら俺が困る」


 レイにとって、本当の意味での故郷というのは当然ながら日本だ。

 だが、エルジィンに来てしまった以上、もう日本に行くことは出来ない。


(いや、タクムが来たりカバジードの件を考えると、もしかしたら日本に戻れる可能性はあるのかもしれないけど)


 自分以外に日本から来たと判明している二人……ゼパイル一門のタクムと、ベスティア帝国の元第一皇子カバジードのことがレイの脳裏を過ぎる。

 もっともタクムは肉体そのままにエルジィンへやって来たようだが、カバジードはレイと同様に魂だけがこの世界にきた、いわゆる転生した存在の筈だった。

 それらのことを考えるも、レイは本当に日本に行けるとは思っていない。

 そもそも、今の状況で日本に行ったとしても騒ぎになるのは分かりきっていた。

 レイは既に日本にいた時とは全く違う姿になっているし、何より大きいのはレイにはセトという相棒がいることだろう。

 日本にグリフォンを連れていくようなことになってしまえば、間違いなく大きな騒動になる。

 もっとも、レイの家は山に近い。

 都会に住んでいるのではないので、人目につかないという可能性も十分に考えられるのだが。


(それに俺の倫理観とかそういうのも、エルジィンで暮らせるように色々と緩くなってるしな)


 今の自分が人殺しを躊躇しない以上、日本に行っても大人しく暮らせるかと言われれば、答えは否だろう。

 勿論何もしていない相手を些細な理由で殺すといった真似はしないが、自分に危害を加えようとする相手がいれば、反撃するのに躊躇はしない。

 少なくても、レイが日本にいた時に読んでいたような小説や漫画のように、人を攻撃したり殺したりすることでウジウジと悩むようなことはないだろう。


(ましてや、ヴィヘラやマリーナ……それにギルムにはいないけど、エレーナなんかを向こうの世界に連れていったらどうなることやら)


 雑誌やTVといったもので世界中の美人を見たことがあるレイですら、エレーナを含む三人以上の美人を見た記憶はない。

 そんな人物が……しかも三人も揃って日本に現れればどうなるかというのは、どう考えても明白だった。

 もっとも、エレーナとヴィヘラはともかく、ダークエルフのマリーナは美人云々といった問題ではないのだろうが。

 いつか日本に行くことが出来たら面白そうだと考えるレイ。

 ……だが、日本に『帰る』ではなく、日本に『行く』と考えている辺り、レイの中ではもうこのエルジィンが自分のいるべき場所と考えているのだろう。

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