第1132話

 離れろ、と。そう叫ばれた護衛は最初それが自分に向けられた警告だとは思いも寄らなかった。

 だからこそ叫ばれた時、反射的にダリドラを……護衛対象へと視線を向けたのだ。

 そしてダリドラが自分の方を見ているのに気が付き、そこで初めて今の警告は自分に向けられたものだと知った。

 自分のすぐ近く……つい数秒前までは死体にしか見えなかったその人物が何故か自分のすぐ側におり、明確な殺意と共に自分に視線を向けているのを知る。

 何故、気配は全く感じなかった、不思議、疑問。

 そんな断片的な言葉が脳裏を過ぎるのと同時に、数秒前の死体は手にした短剣の刃を護衛の首へと向かって突き出し……

 キュンッという妙な音が聞こえたと思ったら、次の瞬間には今にも自分に向けて短剣の刃を突き出そうとしていた相手は護衛の目の前から姿を消していた。


「っ!?」


 自分が助かったと判断し、殆ど反射的に床を蹴って今いた場所から後ろへと跳躍し、距離を空ける。

 そこまでして、ようやく自分を殺そうとした相手がどうなったのかを悟った。

 身体に幾つもの小さな鏃のようなものが突き刺さり、血を流しているのだ。

 顔も含めて十数ヶ所から血を流しているにも関わらず、白衣を纏った男は痛みを全く気にした様子もなく、じっと自分の獲物になる筈だった男へと視線を向けていた。


(何だ? 痛みを感じてない? じゃあ、今日襲撃して来たあの三人と同じような感じか? いや、でも……)


 距離を取ることにより、ようやく落ち着いてきた男が視線の先にいる白衣の男を見て内心で呟く。

 その時には既に他の護衛達も自分の武器を手にダリドラの周囲を固め、部屋の入り口前にも護衛が陣取り、白衣の男に逃げ道は存在しなかった。

 だがそんな状況であるにも関わらず、男は手にした短剣を自分が襲い損ねた護衛の男へと向ける。

 そんな白衣の男を見て、ダリドラを含めた護衛達は少なくても昼間に自分達を襲った三人の男達とは明確に違うということを悟る。

 痛みを感じていなかった三人の襲撃者は、目に意志の光というものがなかった。

 だが、今こうして自分達の視線の先にいる白衣の男は、目の中に確固とした自分の意志が存在していたのだ。


「……誰だ、お前?」


 ドラゴンローブの下に装備したネブラの瞳から手を離し、レイが呟く。

 ダリドラを襲った三人の男を知らないレイにとっては、目の前にいる白衣の男は自分が攻撃してそれが当たったにも関わらず、動揺を全く表に出していない相手……という認識しかない。


(痛みを感じない敵とはこれまで何回か戦ってきたが……まさか、こんな場所でも相対することになるとは思わなかったな)


 ネブラの瞳から手を離したレイは、次の瞬間にはその手にミスティリングから取り出した黄昏の槍を握る。

 斬り裂く動きを主にするデスサイズは、多少広くても研究所の部屋の中で使うには不向きだ。

 ここで有用なのは、突きを主体に出来る黄昏の槍の方だと判断したのだ。

 ここが外で、周囲に被害を出してもいいのであれば、デスサイズを取り出していただろうが。

 もしくは二槍流……そう考え、未だに実戦で使えるようになる程に完成度は高くないと自嘲を浮かべる。

 脳裏を過ぎった考えからすぐに切り替え、黄昏の槍を手にしたレイは白衣の男に襲われた護衛の隣へと立つ。


「ここは俺に任せて、そっちはダリドラの護衛を頼む」

「いや、だが……」


 すぐにレイの言葉に納得出来なかったのか、腕利きの冒険者ということで雇われているにも関わらず、白衣の男の襲撃に全く気が付かなかった為だろう。

 汚名返上をしたいのだろう護衛の男だったが、レイはジリジリと少しずつ移動している白衣の男に黄昏の槍の穂先を向けながら口を開く。


「お前の本来の目的は何だ? あの白衣の男を倒すことか? それとも……護衛対象であるダリドラを守ることか?」


 そう言われれば、護衛の男もこれ以上我が儘を言う訳にはいかない。

 自分はダリドラの護衛として雇われているのだから、当然最優先すべきはダリドラの身の安全だった。


「分かった。頼む」


 悔しげに呟き、ダリドラの方へと戻っていく護衛の男。

 その姿を横目で確認すると、レイは安堵しながら穂先を白衣の男へと向ける。

 護衛の男がある程度の強さを持っているのは知っている。

 だが、外でならともかく、多少広いとはいってもこのような研究室の中で黄昏の槍を振るうとなれば、邪魔者でしかない。

 ……結局レイがダリドラの身の安全云々と口にしたのは、自分が白衣の男と戦う時に邪魔にならないようにする為……というのが正確だった。

 護衛の男もレイの考えは半ば理解していたが、自分の腕はレイに遠く及ばないというのは理解している為、大人しくレイの口車に乗る。

 もっとも、深紅の異名持ちであるレイの実力を自分の目で見ることが出来るというのもあったのだが。


「さて、お前が誰なのか。……そのくらいは教えてくれてもいいんじゃないか?」


 黄昏の槍を手に告げるレイの言葉だったが、白衣の男は何も口にしない。

 目には殺意のみを宿し、レイを見据えるだけだ。


「言っておくが、お前を逃がすつもりはない。大人しく何故研究所を襲ったのかを話してくれれば、相応の態度は取るが? どうやら今日オウギュストやダリドラを襲ったのもお前達の手の者らしいし、情報は貴重だからな」


 そう告げるレイだったが、恐らく目の前にいる人物は大人しく自分の言うことを聞くことはないだろうというのを殆ど確信していた。

 自分の前にいる人物の目の中には、曲げようのない己の信念のようなものが浮かんでいた為だ。

 この手の人物は、他人が何を言っても殆ど言うことを聞いたりはしない。

 その証拠に、レイの言葉を無視して現在もじっとその隙を窺っているのだから。


「ちっ、やっぱり駄目か。……ならしょうがない。少し手荒になるけど、その辺は理解してくれ……よ!」


 言い終わると同時に、レイの手から放たれる一閃。

 それを見たダリドラは、赤い光が走ったとしか見えなかった。

 護衛の者達も、槍の動きをしっかりと自分の目で確認出来た者は殆どいない。

 それ程の速度の一撃。

 まさに赤い閃光とも呼べる一撃は、真っ直ぐに白衣の男へと向かう。

 勿論レイも相手を殺すつもりはない。

 今は少しでも情報が必要な以上、何も喋らなくても何らかの情報は得られるかもしれないと、その一撃は白衣の男の手を……短剣を握っている手を狙って放たれた一撃だ。


「ぐっ!」


 この場に残っていた刺客である以上、白衣の男も自分の技量には自信があったのだろう。

 だが……それでも不幸なことに、レイの実力というものを完全に見誤っていた。

 鋭く放たれた刺突の一撃は、あっさりと白衣の男の腕を貫く……どころか、黄昏の槍の鋭さとレイの身体能力により魔力を流していない状態であってもあっさりと腕を切断してしまう。

 あまりにも鋭いその切断面は、最初の数秒白衣の男が自分の腕が切断されたと気が付かず……それどころか、血すら流れない。


「なっ!?」


 そして一瞬後には自分の腕がなくなっているのに気が付き、同時に切断面から大量の血が噴き出す。


「取りあえずこれで武器はなくなったな。……次は逃げる足か? それとも、もう片方の手か? これからどうするのかを確認する為の頭をどうにかするのは避けたいんだがな」

「この……化け物がっ!」


 叫ぶ白衣の男。

 レイはその叫びを無視して黄昏の槍を構えたが、そんなレイの背後ではダリドラやその護衛として集まっている者達が何故か白衣の男の言葉に同意するように頷いていた。

 それだけ、今見た黄昏の槍の一撃は信じられないだけの威力と鋭さ、そして何より速さを持っていたのだろう。


「その化け物を敵に回したんだ。もう勝ち目はないって分かっただろう? そろそろ降伏してくれないか?」

「馬鹿が! そんな真似が出来る筈がないだろう!」


 叫びながら、懐へと手を伸ばす白衣の男。

 それを見た瞬間、レイは前へと出る。


「ちっ!」


 放たれたのは黄昏の槍の一撃ではなく、ネブラの瞳の一撃。

 空気を斬り裂きながら飛んだ鏃が、次々に白衣の男へと放たれる。

 レイの身体能力で放たれた鏃は、白衣の男にも回避することは出来なかった。

 唯一残っていた左腕に何発も鏃が命中し、その衝撃で白衣の男が懐に入れていた手から何かが零れ落ちる。

 ガラス瓶のように見えるそれは、だが不思議なことに床に落ちても割れることがないまま転がる。

 その瓶の中身が気になり、一瞬だけそちらに視線を向けたレイだったが、次の瞬間には再び黄昏の槍を振るう。

 今度は突きではなく、横薙ぎの一撃。

 振るわれたその一撃は、不思議な程に研究室の中にあった机や壁といった部分を破壊することはなく白衣の男へと向かう。

 白衣の男もその一撃の威力を理解したのか、何とか回避しようとしたのだが……突きではなく薙ぎ払いの一撃であっても、その速度は容易に回避出来る速度ではなかった。


「があぁっ!」


 レイの手に、男の肋骨を砕く感触が伝わってくる。

 その感触と共に吹き飛ばされた男は、真っ直ぐ真横に吹き飛び……壁にぶつかり、ヒビを入れてようやく動きが止まった。


「お、おい……人間が真横に飛んだぞ……それも数m近く……」


 背後からダリドラの護衛の一人がそう呟いている声が聞こえてきたが、レイは特に気にした様子もなく壁にぶつかった白衣の男の方へと近寄っていく。


(あの手応えから考えて、死んではいない筈だが)


 肋をへし折ったが、致命傷にはなっていない筈。

 そう認識して微かに動く様子もない男の様子を眺めるが……次の瞬間には理解出来ないといった表情を浮かべた。


「は?」


 そんなレイの素っ頓狂とも呼べる声に、ダリドラの護衛達も不思議に思ったのだろう。護衛の中から何人かがレイの方へとやって来る。


「どうした?」

「……これ、見てくれ」


 呟いたレイの言葉に、護衛の一人が白衣の男へと視線を向ける。

 そうして見たのは、口から血と共に緑色の液体を吐き出している男の姿。

 目を見開いたままの男の姿は、どこからどう見ても死んでいた。


「レイの一撃で死んだ……って、訳じゃなさそうだよな」

「ああ」


 護衛の男の言葉に、即座に頷くレイ。

 自分の一撃は相手に重傷を与えるだけの威力は持っていた。

 だが、即座に命を奪うだけの致死性がある一撃という訳ではなかった。


「そもそも、俺の一撃で死んだのなら口から吐き出している緑の液体は何だよ。……血は血できちんと赤いのが口から流れているし……」

「それは……いや、じゃあこの緑の液体は何なんだ?」

「だから、それを俺に聞かれてもな。俺が何かした訳じゃないんだから」

「その槍で殴っただろう」


 そんなやり取りをしていたレイだったが、ふと思いつくことがあった。

 日本にいた時に見た漫画や小説といったもので刺客となる者はあらかじめ毒を飲み、任務が成功したら解毒剤を飲むという。


(いや、それでも死ぬのが早すぎないか? じゃあ……自決用の毒?)


 そこまで考え……次の瞬間、レイの口から先程同様に若干間の抜けた声が上がる。


「あー……」

「うん? どうしたんだ? 何か思いついたのか?」


 当然そんな声が上がれば近くにいた護衛の者が気が付かない筈がなく、そう尋ねる。

 レイは困った様子を見せながらも、口を開く。


「もしかして……本当にもしかしてだけど、奥歯とかに仕込んでいた自決用の毒を飲んでしまったんじゃないか? それも、自分で飲もうと思って飲んだんじゃなくて、俺の一撃で壁にぶつかった衝撃で……」

「いや、まさか……幾ら何でも、そんな間抜けな真似で死ぬとは思えないんだが」


 ぶつかった衝撃で自決用の毒を飲み込み、死亡。

 どこからどう見ても、それは間抜け以外の何ものでもないだろう。

 そう告げる護衛の男だったが、レイの視線が壁に……白衣の男がぶつかってヒビが入ってしまっている壁へと向けられると、納得してしまう。

 普通はこれだけの衝撃を受けることを想定している筈がない、と。

 勿論同じ衝撃を与えられれば、誰もが同じように毒を飲む訳ではないだろう。

 やはり単純に運が悪かった。そう言うしかない。


「それは置いておくとして……結局こいつが研究所を襲ったのか? それにしては随分と呆気ない最後だったけど」


 取りあえず死んでしまった以上はこれ以上考えても無駄だろう。

 そう考えたレイが呟くも、護衛の男は呆れたように口を開く。


「あのな、レイだからこそあんなに簡単に倒せたんだろ? 普通なら多分手こずってた相手だから」

「そうか?」

「ああ、そうだよ。……ただでさえ強いレイが、その上更にそんなに強力なマジックアイテムまで持ってるんだからな。俺は寧ろ、敵に同情するけどな」


 自分の陣営の研究者が皆殺しにされたにしては、特に何の思い入れもない言葉。

 それを疑問に思ってレイが視線を向けると、男は小さく肩を竦めてから口を開く。


「俺がダリドラさんに雇われたのはつい最近だからな。ここの奴との面識は殆どなかったんだよ。……それより、この男が落とした瓶、ちょっと気にならないか?」


 男はそう告げ、床に転がっている瓶のある方へと歩き出すのだった。

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