第1098話

 見えてきた家は、一介の商人が住むには随分と立派なものだった。

 セトが入っても大丈夫な厩舎があるということでレイもその辺は予想していたのだが、その予想より大分大きな家だと言ってもいい。

 勿論豪邸と呼べる程のものではないのだが、いつもは宿暮らしのレイの目から見れば十分に立派だ。

 ……もっとも、普段レイが暮らしている宿は夕暮れの小麦亭という、ギルムでも上から数えた方が早い高級宿なのだが。


(元遊撃隊の奴等が住んでいる屋敷よりは少し小さいくらい……か? まぁ、あっちは何人もで共同生活をしてるんだけど)


 レイの脳裏を過ぎったのは、ベスティア帝国の内乱で自分と共に行動した遊撃隊の面々。

 その遊撃隊の中で、レイのいるミレアーナ王国とは間違っても敵対したくない、レイの強さに憧れた、ミレアーナ王国に興味があった、セトが可愛い……といったような様々な理由でギルムへとやって来た者達の顔だ。

 勿論全員が共同生活をしているという訳ではないが、それでも多くの元遊撃隊の面々が一つの屋敷で暮らしていた。

 今レイの視線の先にあるのは、その屋敷よりは一回り程小さいが、一家族が住む分には全く問題がないのは明らかだろう。


「……随分と大きな家だな」

「そうですか? そう言って貰えると嬉しいです。……まぁ、この家は私が自分の力で建てたものではなく、先祖代々譲られてきたものなのですが。この家を建てた先祖はゴーシュでも指折りの商人でしたから」

「代々商人だったのか」

「ええ。皆、私よりよっぽど才能がありましたね。だからこそ、このような屋敷を建てられたのですから。……私ではこの屋敷を維持するのが精一杯で」


 そう告げるオウギュストだったが、エレーマ商会に押されてはいても誠実な取引を心掛けており、信頼は厚い。

 ……だからこそ、曲がりなりにもこの屋敷を維持出来ているのだろうが。


「さ、行きましょう。妻も美味しい料理を準備して待っていてくれている筈ですから」


 オウギュストに促され、屋敷の門へと向かう。


「おう、オウギュスト。今日は随分と早いな。……で、そっちは?」


 門番らしき中年の男が、オウギュストにそう声を掛ける。

 それは雇い主に声を掛けるというより、友人に対して声を掛けているような感じだった。


「ギュンター、いつも悪いね。しっかり水分は取ってるかい? 無理はしないでくれよ。こちらの方は私の客人だよ」


 オウギュストの方も、レイやザルーストに向けるのとは違って若干気安い口調でギュンターと呼ばれた男に声を掛ける。


「サンドサーペントに襲われている時に助けてくれた、レイさん。それとレイさんの従魔のセトだ」

「へぇ。オウギュストを助けてくれたのか。なら歓迎しないとな。ようこそ、レイ、セト。俺はこの家の門番をやっているギュンターってんだ。よろしくな」


 気軽にレイへと返事をしたギュンターは、そのまま続けてセトの方へも視線を向ける。

 グリフォンを見た者にしては珍しく、特に驚いた様子を見せない。

 それでもセトへと手を伸ばして触ろうとしたりしないのは、セトに対する警戒心からか……それとも言葉使いはともかく、門番としてきちんと働いている為か。

 ともあれ、レイとセトを見ても侮ったり無為に騒いだりしないというのはレイにとっても好印象だったのは間違いない。


「ああ、よろしく」

「グルゥ」


 一人と一匹の短い挨拶を聞き、ギュンターは笑みを浮かべて頷きを返す。

 そんな短いやり取りを交わした後、いよいよレイとセトはオウギュストの案内に従って門の中へと入った。


「オウギュスト!」


 そんな一行を……より正確にはオウギュストのみを待ち受けていたかのように、屋敷の方から一人の女が走ってくる。

 年齢はオウギュストと同じく三十代程。

 本来であれば優しそうな顔立ちなのだろうが、今その表情に浮かんでいるのは焦燥以外のなにものでもない。


「キャシー、そんなに走ってどうしたんだい? 私ならほら、何ともないからそこまで気にしないでもいいよ」

「だって、オウギュストの遣いとしてきた子が、サンドサーペントや砂賊に襲われたって言うんだもの。心配して当然でしょ? 怪我は? 本当に大丈夫なのよね?」


 喋りながら、キャシーと呼ばれた女はオウギュストに怪我がないかどうかを直接確認していく。

 身体中を触られているオウギュストはくすぐったそうに笑みを堪えているものの、妻が自分の身体を心配してこのような行為に出ているのは理解している。

 だからこそ、キャシーの肩先で揃えられた髪をそっと撫でながら落ち着かせるように言葉を紡ぐ。


「レイさんやセトが助けてくれたから大丈夫だよ」

「本当? 本当に大丈夫なのね?」

「ああ」


 即座に頷くオウギュスト。

 だが、それは間違いのない事実でもあった。

 サンドサーペントはレイが放った黄昏の槍の一撃であっさりと頭部を消滅させ、砂賊は砂上船に乗って襲ってきたものの、セトの王の威圧のスキルを使って放たれた咆吼で殆どの者が動けなくなってしまった。

 オウギュストやザルースト達の手を煩わせたのは、動けなくなっていた砂賊達を縛り、ゴーシュへと向かう時に妙な行動を起こさないように見張る程度でしかない。

 勿論それはそれで大変ではあったのだが、勝ち目のない戦いを行うのに比べれば圧倒的に楽だろう。

 そう説明されたのを聞いたキャシーは、ようやく安堵の息を吐く。

 そして次に視線が向けられたのが、当然のようにレイ……ではなく、レイよりも圧倒的な大きさを持つセトだった。


「きゃあっ!」


 悲鳴を上げたキャシーは、オウギュストの背後へと隠れてしまう。

 それを見たセトは、少しだけ残念そうに喉を鳴らすが……自分が初めて会う人に怖がられるのはいつものことなので、それだけで終わる。

 先程の門番のギュンターのように、初対面にも関わらずセトを怖がらないという方が珍しいのだ。


「大丈夫。セトは大人しいから、決してキャシーに危害を加えたりはしないよ」

「……本当?」

「ああ。私が今までキャシーに嘘を言ったことがあったかい?」


 そう告げたオウギュストの言葉に、キャシーは小さく首を振って自分の夫へと熱い視線を向ける。

 オウギュストもその視線を受けて同じように熱い視線を返し、やがて二人の顔は近づいていき……


「ん、コホン。出来ればそういうのは人目のない場所でやってくれると嬉しいんだけど」


 レイの言葉で我に返ったのか、オウギュストとキャシーは唇が重ねられる直前で一気に離れる。

 それを見ていたレイは、もしかしてギュンターはいつもこのやりとりに付き合わされているのか? と、先程会ったばかりの人物に同情を覚える。

 そしてザルーストが何故自分達と一緒に来なかったのかというのも、何となく理解出来てしまった。


(これを知ってたんだな。……いや、オウギュストが愛妻自慢をし始めた時に嫌な予感はしてたんだけど……まさか夫婦揃ってこのタイプだとは思わなかった。いっそ他の宿を探す……のは難しいらしいから、野宿にするか?)


 慌てて体裁を取り繕う二人を前に真剣にここから出て行った方がいいのかどうかをレイが迷っていると、それを察知したわけでもないだろうが、慌ててオウギュストが口を開く。


「キャシー、伝令の者から話は聞いてるね? レイさんを暫くうちに泊めたいと思うんだけど、構わないかな?」

「貴方がそう言うのなら、私は何も言わないわ。そのグリフォンも、こうして見る限りでは大人しくていい子そうだし」


 最初にセトを見た時の恐がり具合はどこに行ったと言いたくなる程の変わり身の早さに、レイは小さく苦笑を浮かべる。


「さ、入って頂戴。あ、いえ。その前にそっちのグリフォン……えっと、セトちゃんだったわね。セトちゃんに厩舎の場所を教えないと。オウギュスト、お願い出来る?」

「ああ、任せてくれ。君の頼みとあらば、私はダリドラの首でもとってくるよ」

「……嬉しいけど、少し冗談になってないわよ」


 一瞬の沈黙の後で告げる声を聞き、半ば本気でそうなって欲しいと思っているのだとレイに感じさせる。


(結構根深い問題みたいだな。……まぁ、話を聞いている限り無理もないけど。ティラの木……か)


 レイはオウギュストから聞いた話を思い出す。

 モンスターのみを駆除してくれるティラの木。それをゴーシュを囲むようにして植える……というのをダリドラは考えているらしい。

 ゴーシュを囲んでいる壁もかなり老朽化してきており、それを修理するのにも莫大な費用が必要となる。

 それに比べれば、ティラの木を植えるというのは多少の費用が掛かるものの、壁を補修するのに比べると随分と掛かる費用は小さい。


(どっちの意見も頷けるけどな)


 ティラの木を植えて費用を抑えようというダリドラに、それに反対して壁の補修を進めようとしているのがオウギュスト。

 勿論二人共ゴーシュを心配してのことであるのは間違いないが、商人である以上それだけではないのも事実だった。

 ティラの木の植樹となればエレーマ商会には大きな利益が入るようになっているのだろうし、それはオウギュストも変わらないのだろう。

 だが、別にレイはそれを責める気はない。商人である以上、利を求めるのは当然なのだから。


「さ、ここです。こちらの厩舎は今使ってませんので、セトが使っても問題ありませんよ」


 オウギュストに案内されたのは、屋敷から少し離れた場所にある厩舎だった。

 中は広いのだが、今は使われていないらしくセト、レイ、オウギュスト以外に生き物の気配はなく、どこか寂しげな雰囲気が漂っている。

 今レイの目の前にある厩舎よりも新しい厩舎もあるのだが、そちらは現在駱駝が使っているらしい。

 セトとしては、出来れば自分だけが厩舎にいるというのは寂しいので止めて欲しいのだが、セトが幾ら何もしなくても、駱駝がすぐにグリフォンに慣れる筈もない。

 オウギュストも駱駝がいなければ商売に支障が出て来てしまう以上、セトと駱駝を一緒の厩舎に入れるような真似は出来なかった。


「グルルルゥ……」


 寂しいと喉を鳴らすセトに、レイは手を伸ばしてそっと撫でる。


「心配するな。俺はすぐそこの屋敷にいるんだし、何かあったら遊びに来るから」


 言い聞かせるようにセトを撫でると、寂しさが少しであっても収まったのだろう。セトは少しだけ嬉しそうに喉を鳴らしながらレイへと身体を擦りつける。

 そのまま一分程、レイはセトを撫で続けていた。

 そんな一人と一匹の様子を、オウギュストはただじっと眺める。


(レイさんにセト。この一人と一匹がいなければ、私は間違いなく死んでいたでしょう。……異名持ちの冒険者であるレイさんに会えたのは、紛れもなく僥倖。ゴーシュを守る為にも、何としても私の仲間に引き込まねば)


 オウギュストにとって、レイというのはこの上もなく魅力的な人材だった。

 レイ個人の戦闘力は異名を持つ程の代物であり、従魔としているのはランクAモンスターのグリフォン。

 ……公式には希少種ということでランクS扱いなのだが、オウギュストはセトがスキルを使用する場面を見たことがなかった。

 そして何よりオウギュストにとって好都合だったのは、レイがギルムの……ミレアーナ王国の冒険者だったことだ。

 つまり、今回の件が終わってもレイがゴーシュに残るということは基本的にない筈だった。

 別にオウギュストはレイを嫌っている訳ではない。だが、あまりに強い力の持ち主がいるとそれに頼ってしまうのも間違いはない。

 それは、ゴーシュの住人として避けたかった。


「さて、じゃあ行きましょうか。レイさんには妻が美味しい料理を作ってくれてる筈ですから。セトのご飯もきちんと用意しますから、楽しみにしていて下さいね」


 オウギュストの口から出たその言葉に、数秒前までは寂しそうにしていたセトは嬉しそうに喉を鳴らす。

 あまりに現金な相棒の姿に、レイの口には思わず笑みが浮かぶ。

 だが、美味い食事というのはレイにとっても非常に魅力的なのは間違いがない。


「セト、また後で来るからな」

「グルルルゥ!」


 レイの言葉にセトは待ってる! と鳴き声を上げる。

 そんなセトに見送られながら、レイとオウギュストは厩舎を出て屋敷へと向かう。


「ゴーシュの名物にパニータという料理がありましてね」

「パニータ?」


 聞いたことのない名前の料理に、レイは好奇心を刺激される。

 食事というのは、レイにとっても大きな楽しみの一つだ。趣味の一つと言ってもいい。

 だが、貴族がよく言う美食とレイの食事では大きく違う。

 大抵の貴族の美食というのは、貴重で高価な食材を凄腕の料理人が手間暇を掛けて作ったものを言う。

 それに比べると、レイは安くても美味い料理であれば満足なのだ。

 内臓と豆の煮込みといった酒場で出されるような料理は、酒を好まないレイにとっても好物の一つでもある。


「ええ。肉の塊を焼きながら薄く切って、それを小麦を水で溶かして薄く焼いたものに野菜や豆といったものと一緒に巻いて食べるんです」

「……何か聞いた覚えがあるような料理だな」


 ふと、レイの脳裏を日本にいた時に祭りの夜店で食べたドネルケバブという名前が過ぎる。

 薄切りの肉だったり、ヨーグルトを味付けに使っていたりと、色々な違いはあるのだろうが、説明を聞いた限りではレイのイメージはドネルケバブで間違いがなかった。

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