第1007話
スラム街を男に案内されながら進むこと、十数分。レイ達だけで進んでいたときとは違い、特に道に迷うこともないままに進むことが出来ていた。
先程までは少しでも隙があればスラム街の住人が襲ってきてもおかしくなかったのだが、現在は明らかに先程までよりもレイ達を狙っている者の数が少なくなっている。
「これは、あの男がいるからか?」
エレーナが、周辺を見渡しながら呟く。
その声が聞こえたのだろう。レイ達の道案内をしている男は、愛想笑いを浮かべながら振り向き、口を開く。
「へい、俺がいるからでさあ。俺が案内してるってことで、俺の知り合いは手控えしてくれてるんだと思いやす」
少しでもレイ達から受ける印象を良くしようというのか、最初にビューネによって強引に連れてこられてレイと話をしていた時に比べると、言葉遣いが幾らか丁寧なものになっている。
丁寧というか、下っ端風の言葉遣いというのが正しいのだが。
「なるほど。だが、その割りにはまだこちらを狙っている者もいるようだが?」
「手控えしているのは、あくまでも俺の知り合いだけっすからね。俺と関係のない奴はまだ狙ってると思いやすよ」
「仕掛けてくるのであれば、さっさと仕掛けてきて欲しいのだがな。こう付きまとわれるのは、正直いい気分がしない」
「いや、襲われると俺が危険なんですが」
男もスラム街で生活し、レイ達を襲おうと隙を窺っていた通り、決して腕に自信がない訳ではない。
だがそれでも、同じスラム街の住人を複数人相手にして戦うとなれば、決して楽に勝てはしないだろう。
仲間意識というものは、男との関係がある者以外には存在しないが、敵対すれば後々面倒になるかもしれないということもあって、出来ればスラム街の住人とは戦いたくなかった。
「このままもう少し進めば、こっちを狙おうとする奴の数も少なくなる筈ですから、もう少しだけ我慢してくだせえ」
「もう少し? それが、さっき言ってた私達が行こうとしている場所?」
「そうでさあ。俺も少し離れた場所で失礼させて貰いやす」
いいですよね? とレイに視線で尋ねてくる男に、レイは頷きを返す。
明らかにレイよりも年上の男が下手に出るのは色々と慣れないものがあったレイだったが、いつものことかと気にせず流すことにする。
冒険者というのは実力が全てであり、それだけにレイのように若くても実力さえあれば敬われたりする。
……もっとも、レイの場合はその性格の為か、同じくらい敵となる者も多いのだが。
「すいやせんね。では、行きましょうか」
取りあえず自分は最後まで供をしなくてもいいのだと納得した男は、今までよりも軽い足取りで先へと進む。
その現金な態度に呆れながらも、レイ達はその後を追う。
そして歩き続けること、十数分。やがてその男は足を止める。
「案内しろって言われたのは、あそこでさぁ」
男の言葉に、アジモフ以外の全員が納得の表情を浮かべる。
建物の中に何人かがおり、その中にはそれなりに強いと思われるだけの気配を発している者もいたからだ。
(このスラム街の住人は、暴力にこそ慣れてるけど、決して技量的に優れてる訳じゃない。まぁ、俺達に襲い掛かってきた奴だけの能力を考えてのことだから、中には当然腕が立つのもいるんだろうが。ともあれ、俺が知ってる限りの技量であの小屋の中にいる奴を相手にすれば……)
その先は、考えなくても理解出来た。
そして、目の前にいる男はその光景を己の目で見たのだろう、と。
現にこうしている今も、男の足は微かにだが震えている。
それでも表情にその恐怖を出さないのは、中々に大したものだと思えた。
(へぇ)
内心で感心したレイは、銀貨を一枚男へと放り投げる。
「っと! ……へへっ、ありがたいこって。じゃあ、俺はこれで失礼するんで。あの建物に何かをするのであれば、十分気をつけて下せえ」
へへっと、笑いながら去って行く男だったが……
「おい」
レイはその背へと声を掛ける。
背後から聞こえてきた声に何を感じたのか、男はそれ以上は動くことも出来ずに足を止め、ぎこちない動きで振り向く。
そして男の視線はレイと合い……
「追加だ、これも持っていけ」
その声と共に、保存が利くように焼き固められた黒パンが一つ放り投げられる。
一般人であれば、黒パンを……それも冒険者が保存食として持つようなパンを好んで食う者は殆どいないのだが、それでもスラム街の住人にとってはご馳走といっていい代物だ。
空中を飛んできた黒パンを受け止め、男は何が起きているのか理解出来ないといった表情を浮かべて口を開く。
「え? あの、何で?」
「何となくだ。それより、もう用件は済んだから行っていいぞ」
「はぁ、えっと、その……ありがたく貰っていきやす」
取りあえず感謝の言葉を述べると、男はこの後に起こるだろう揉めごとには巻き込まれたくないと、さっさと走って逃げていく。
「どんな気紛れだ?」
エレーナの口から出た言葉は、レイが黒パンを放り投げた件を言っているのは明らかだった。
そんなエレーナの言葉に、レイは小さく笑みを浮かべて口を開く。
「ちょっと気に入っただけだよ。明らかに怖がっているのに、それを表に出さなかったのがな」
「……そうなのか?」
レイの言葉に微妙に納得していないような表情を浮かべるエレーナだったが、それ以上は特に追求もせず、視線を目的の建物へと向ける。
「いるな」
「ええ。どんな強い相手がいるのかしら。楽しみだわ」
エレーナの言葉に、ヴィヘラは蕩けるような笑みを浮かべて言葉を返す。
元々戦闘を好むヴィヘラにとって、ここ最近は満足出来るような戦闘が出来ていない。
サイクロプスとの戦いはそれなりに楽しかったのだが、それでもそれなりはそれなりだ。
とてもではないが、心の底から燃え上がるような戦いは出来ない。
そんな自分の戦闘欲とでも呼ぶべきものを解消してくれる相手がいるのではないかと思えば、ヴィヘラは自然と周囲へと気配を放つ。
殺気と呼ぶ程には禍々しくなく、純粋に戦いを楽しむという意味では闘気とでも呼ぶべき気配。
そんなヴィヘラの闘気に反応したのか、小屋の中に動きがあった。
数秒後、小屋の扉が開かれて姿を現したのは五人。
外へと出た五人は、まだレイ達と距離がある為か近づいてくるのをじっと待っている。
その中の二人にレイは見覚えがあった。
マジックアイテム屋の店主と、レイが……正確にはセトが捕まえた女のアドリアだ。
(警備兵に引き渡したんだが……ここにいるってことは、逃げられたんだろうな。それとも意図的に泳がせて仲間と合流したところを捕らえるとか? 可能性としてはあるかもしれないけど、そこまで不確実な手段をランガが取るとは思えない。他に手段がないならともかく)
レイがマジックアイテム屋の地下室に潜っている間に起きた出来事を知っていれば話は別だったのかもしれないが、生憎とアドリアの逃亡騒ぎについては知らないレイは、もしかしたらランガの意図的なものなのかという疑問を持つ。
それでもランガの性格を考えれば、恐らくそれはないだろうという結論になったのだが。
他には顔中を髭で覆われている頑強そうな男に、その男に従っていると思われる男、そして最後にどこか育ちが良さそうな男が一人。
その男の腰には幾つものガラス瓶がぶら下がっており、盗賊達から引き出した情報にあった錬金術師の姿を連想させる。
「錬金術師、か」
「当たり?」
「さあ、どうだろうな。今回の件に関わっている錬金術師が本当に一人とは限らない訳だし……だとしても、何らかの情報を持っているのは確実だろうけど」
「……取りあえず、私はあの髭の男を貰うけど構わないわね?」
絶対に獲物は他人に渡さないと告げるヴィヘラに、レイもエレーナも、そしてビューネも何も言わない。
ただヴィヘラと会ったばかりのアジモフは、何でヴィヘラがこんなに興奮しているのかが分からなかった。
もっとも、アジモフは荒事には慣れていないということもあり、髭面の男、ダイアスがそこまで強いというのは全く分からなかったが。
(さっきの男も髭面だったけど、スラム街ってのは髭面が流行ってるのか?)
アジモフはそんな感想しか抱けない。
尚、スラム街に髭を生やしている者が多いのは、髭を剃ることがなくなる者が多い為だ。
先程の男のように大抵のスラム街の住人は常に金に困っており、良く切れる刃物の類は持っていない者が多い。
持っていても錆びているナイフであったりするので、そんなので髭を剃ろうとしてもろくに剃れる筈もなかった。
たまに人から奪ったりして綺麗な刃物を持っている者もいるが、自分の飯の種になるだろう刃物を髭を剃るということで使って切れ味を落とすような真似はしない。
また、自分の顔を少しでも隠す目的で髭を剃らない者もいる。
レイ達の前にいるダイアスがどちらなのかは、考えるまでもないだろう。
「ふむ、では私はあの女にしようか。さっき捕まえたのがもう逃げたというのでは、体裁が悪すぎる」
「いや、別にエレーナが逃げられた訳じゃないだろ? あの時はしっかりと警備兵に渡したんだから、何かあったとしても、それは向こうの不手際だろ」
「それでも、だ。折角レイと再会したのに、その時に捕らえた人物が逃げ出したままだというのは、正直面白くないからな」
「あー……うん」
思った以上に直球で己の気持ちを伝えてきたエレーナに、レイは照れで薄らと頬を赤く染めながら視線を逸らす。
「あのねぇ、そういうのはこの件が片付いてからやって頂戴。全く、どうせなら私も混ぜなさいよね」
「ん?」
ヴィヘラが何を言っているのか意味が分からなかったのだろう。ビューネは不思議そうに首を傾げてレイの方へと説明を求めるように視線を向けてくる。
「いや、気にするな。ビューネにはまだ早い」
「ん!」
外見年齢では自分とそう変わらないレイに子供扱いされたビューネが不満そうに呟く。
そんなビューネに、レイはアジモフの方へと視線を向ける。
「悪いがビューネはアジモフの護衛を頼む。出来れば他の三人のどれかを受け持って貰いたかったんだけどな」
「……ん」
多少不満そうな様子ではあったが、それでもビューネはレイの言葉を受け入れる。
「うん? レイ、向こうで何か動きがあったようだぞ」
エレーナの言葉に前方へと視線を向けたレイは、そこで錬金術師と思われる男が腰のベルトから取り出したガラス瓶のうちの一本をダイアスへと渡しているのを見た。
ガラス瓶を受け取ったダイアスは、大きく振りかぶって……その動きを見た瞬間、レイは反射的にミスティリングからデスサイズを取り出していた。
そして、その巨大な刃を横薙ぎに振るう。
「飛斬!」
その言葉と共に放たれた飛ぶ斬撃は真っ直ぐに空中を飛んでいき、やがてダイアスが投げたガラス瓶へと命中、破壊する。
丁度錬金術師達とレイ達がいる場所の中間で破壊されたガラス瓶は、その中身が地上へと落ちると同時に毒々しい程の紫色の煙を生み出し、周囲へと広がっていく。
自分達に被害が及ばないようにと作られていたのか、その紫の煙は数m程度の位置だけに留まっており、それ以上は広がらない。
「……随分とえげつない物を作ってやがるな」
紫の煙を見て、アジモフが苦々しげに呟く。
「あの煙は何だ? 見るからに危険そうな色をしているけど」
「カトプレパスの吐息と呼ばれている代物だ。あの紫の煙に触れると腐食する。……見ろ」
アジモフが示した先には、紫の煙に触れたことにより、腐食した地面が存在している。
「また、随分と……」
錬金術師と戦うことになるレイが、嫌そうな表情を浮かべる。
基本的に魔法や物理攻撃に対しては強い防御力を誇るドラゴンローブだが、今のカトプレパスの吐息のような煙状のものとは相性が悪かった。
そもそも煙である以上、ドラゴンローブの隙間から幾らでも入ってくることが出来、その上で煙に触れた場所を腐食させるのだから、手に負えない。
「本来ならカトプレパスの素材が必要だから、そう簡単に作れる代物じゃないんだがな。技量的にその辺の錬金術師に作れる代物でもないし」
「……対抗策は?」
「煙に触れないことだ」
至極もっともな言葉に、レイの口からは溜息が漏れる。
「それは見れば分かる。他にもっと何かないのか?」
「そうだな……お前の場合はさっきみたいに遠距離攻撃が出来るんだから、距離を取って戦うってのもいいだろうな」
そう言われ、錬金術師……ズボズの方へと視線を向けるレイだったが、そこではズボズが新しいガラス瓶を手にして、いつでも投げられるよう準備を重ねている。
更に、いつの間にか髭面の男を含めて全員がマジックアイテムの武器を装備している。
「向こうも準備万端待ち構えている、か。……仕方がない、このまま無駄に時間を掛ければ向こうに取っても有利になるだけだ。さっさと倒すぞ」
レイの口からその言葉が出ると、ズボズ達との距離が縮まったこともあって一気に戦闘行動に入るのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます