第1005話

 いつ壊れてもおかしくないだろう小屋から外に出たレイ達は、周囲の様子を警戒しながらこれからどうするかを考える。

 レイとヴィヘラ、ビューネが捕獲を依頼されている錬金術師を追って地下通路を通りスラムまでやってきたのはいいのだが、ここからどうやってその後を追うのかというところで行き詰まってしまっていたのだ。

 セトがいればアドリアの時のように臭いを追えたのだろうが、残念ながらそのセトはアーラと共にマジックアイテム屋の前で待機している筈だ。


「レイ、ギルムは貴方が拠点としている街なんでしょう? なら、スラムに入ったことは?」

「ないとは言わないけど、殆ど来たことはないな。ここも全く見知らぬ場所だし」


 ヴィヘラの問い掛けにそう言葉を返すと、レイはこの場にいるもう一人のギルム居住者に……それも、レイよりも以前からギルムに住んでいる人物へと視線を向ける。


「は? 俺か? スラムになんか全く来たことないぞ。それ以前に、俺は家からも滅多に出ないし」

「……だよな。アジモフに聞いた俺が馬鹿だった」


 アジモフがどれだけ錬金術にのめり込んでいるのかというのを、この中で一番知っているのはレイだ。

 だからこそパミドールに紹介された時に槍の件を頼んだのだから。

 もしパミドールの紹介であっても、それだけの技量がなかったり信用出来そうになければ、レイも魔剣を槍に打ち直すという無茶を頼みはしなかっただろう。

 もっとも、パミドールがその辺を考えずに紹介する筈もなかったが。


「となると、どうするの? 色々と私達に興味を持ってる人が多いみたいだけど」


 ヴィヘラが周囲を見回しながら尋ねる。

 こうして話している間にも、スラム街の住人だろう。レイ達に目を付けた者達が物陰から様子を窺っていた。

 スラム街の住人にとって、レイ達は色々な意味で美味しい獲物に見える。

 フードを被っているレイはドラゴンローブの影響もあって、特に売れそうな物を持っているようには見えない。それでも背が小さいことからまだ大人になっていないだろう年齢であり、そういう相手を奴隷として欲している者も決して少なくない。

 アジモフは男で特に何か売れそうな物を持っていないように見えることから、迂闊に騒がれる前に殺される可能性が高い。

 だが、それ以外の三人の女は色々と話が別だった。

 三人の中で最も若いビューネにしても、子供ではあるが十分美形と呼べるだけの顔立ちをしている。

 そんな相手を好むのは、レイを好む者よりも多いだろう。

 そして何より、エレーナとヴィヘラは自分達が楽しむことも出来、同時に奴隷として売れば非常に高額になるのは間違いがなかった。

 そんな風に、自分達にとって最上の獲物がやって来たと他の者達を牽制している間に、エレーナの言葉によって事態は動く。


「ほう、どうやら私達が行くべき場所に迷う必要はないようだぞ?」


 夕焼けの空を見上げながら呟くエレーナの言葉に、レイ達も視線を上へと向ける。

 そこに映し出されたのは、夕焼けの赤い空に浮かぶ黒い何か。

 それが何なのか、アジモフ以外の者は皆が知っていた。


「なるほど、イエロか」

「そうだ。おかげで、先程の女がどこに逃げたのかを容易に知ることが出来る」


 逃亡者を追跡するにしても、普通なら人間が行う。

 少し変わったところでは、嗅覚が鋭い獣人に追わせるという手もある。だが、夕暮れの街並みのように幾つもの臭いが入り交じっていては、多少嗅覚が鋭い程度では役に立たない。

 そんな中、イエロのように空を飛んで追跡をするというのは非常に有効な追跡手段だった。

 この世界では、空を飛べるという存在はそれ程多くはない。

 いや、モンスターの中には空を飛べる種族は多いが、人間がそれを操ったりするのはテイマーや召喚魔法の使い手といったような非常に稀少な存在でなければ出来ない。

 アドリアもセトの存在は身を以て知っていたが、さすがにセトのような巨体が空を飛んでいれば気が付かない筈はないし、万が一アドリアが気が付かなくても通行人の誰かが気が付いただろう。

 セトはこのギルムで知らない者が殆どいない程に有名な存在なのだから。

 そんなセトに比べると、イエロは小さい分見つかりにくいという長所があった。


「キュ! キュキュキュ! キュウ!」


 地上へと降りてきたイエロが、エレーナに受け止められ、抱かれながら鳴き声を上げる。

 キュウキュウとイエロのような小さなドラゴンが鳴く様子は非常に愛らしく、保護欲を掻き立てられるのだが……そんな保護欲は自分達が今日、明日と生き残る為の食費を稼ごうというスラムの住人には関係ないらしく、やがて建物の陰から何人もの人間が姿を現す。

 先程まではお互いに牽制していたのだが、イエロが、ドラゴンの子供が姿を現したことで事情は一変する。

 スラムに住んでいる者にとっても、ドラゴンというのが素材としてどれだけ稀少で、それだけに高価な代物であるのかは知っていた。

 ここで自分達が争い、その結果イエロやエレーナ、ヴィヘラといった者達に逃げられでもしたら目も当てられないと、無言のうちに全員で協力して襲い、儲けは山分けすることにしたのだ。

 ……尚、イエロの存在に驚き、目を光らせているのはスラムの住人だけではなく、レイ達の同行者でもあるアジモフも同様だった。

 いや、腕利きの錬金術師であるアジモフにとっては、ドラゴンの素材というのは喉から手が出る程に欲しい物なのだろう。スラムの住人よりも更にイエロに対する注目は高い。


「キュウ!? キュキュ! キュウ!」


 そんなアジモフの視線が怖かったのか、イエロはエレーナにひっしと抱きつく。


「……アジモフ、悪いがあまりイエロをそういう目で見ないでやってくれないか」

「っ!? え、あ、ああ。悪い」


 エレーナの言葉で、ようやくアジモフは我に返ったのだろう。慌てて謝罪を口にする。


「いや、分かってくれればいい。錬金術師にとってイエロがどのような存在なのかというのは、重々承知してしているのでな。……さて、イエロ。悪いがお前が見てきた記憶を見せてくれ」


 そう告げ、エレーナは自分に抱きついているイエロを両手で持ち上げ、頭と頭を触れさせた。

 そんなエレーナの行為が切っ掛けになったのだろう。レイ達の周囲にいたスラムの住人が何も口にせず一斉に行動を開始する。


「じゃ、私達はこの人達の相手をしましょうか」


 ヴィヘラの言葉にレイとビューネが頷き、アジモフはエレーナの側へと移動する。

 元々錬金術師であるアジモフの戦闘力は決して高くはない。

 いや、錬金術師の中にはある程度戦闘を得意としている者もいるのだが、アジモフは研究に特化した錬金術師であり、戦闘力に関しては魔法使いという言葉で思い浮かべられる程の強さはとてもではないがなかった。

 勿論錬金術を用いて作ったマジックアイテムを使えば、自衛程度は出来る。

 だが、そもそも今回アジモフがレイ達と行動を共にしていたのは、あくまでもマジックアイテムの素性……具体的には誰が作ったのかといったことを調べる為だ。

 その為、自衛用のマジックアイテムの類も最低限の物しか持ってきていない。

 それでも手ぶらではない辺り、きちんとギルムで暮らしているだけのことはあった。


(イエロを見る目付きが微妙に危ない気もするけど……)


 ヴィヘラはいつものように素手でスラムの住人を待ち受けながらも、ふとそう考える。

 もしかしたら、エレーナに……正確にはイエロに妙なちょっかいを出すのではないかと。

 アジモフと接した時間はごく僅かでしかなく、幾らレイがアジモフを信頼しているからといって、それだけで無条件に信頼は出来ない。

 エレーナとは恋敵であり、同胞であり、友人でありと、色々と複雑な関係でもある。

 それでも……いや、だからこそエレーナに妙なちょっかいを出すような相手がいるのであれば、対応しない訳にはいかなかった。


「ビューネ、エレーナの護衛をお願い」

「ん」


 ビューネもまた、エレーナに対してはヴィヘラ程ではないにしろ懐いている。

 だからこそヴィヘラが何を心配しているのかというのは何となく分かったし、アジモフが妙な考えを起こさないように見張るというのに異論はなかった。

 襲ってきた敵がもっと強い相手であればそんな余裕はなかっただろうが、今回の相手はスラムの住人だ。

 人を襲うことに慣れてはいても、戦闘の本職である冒険者……それも戦闘力に関してはその辺の冒険者とは比べものにならないだけの力を持つレイとヴィヘラだけに、その戦いは安心して見ていることが出来る。


「うおおおおおおおっ!」


 叫びながら、まず真っ先にスラムの住人が襲い掛かったのは、レイ。

 ヴィヘラは曲がりなりにも手甲や足甲を身につけているので、一見すると武器を持っておらず、小柄なレイを捕らえて人質にしようという思いがあったのだだろう。

 セトを連れていないレイの外見だけを見れば、容易い相手だと判断するのはおかしくなかった。

 スラム街ではあっても、ここはギルムだ。

 当然レイのことを知っている者も多いのだろうが、今のレイはフードを被っていて外見からレイであると認識することは出来ない。

 それがスラム街の住人にとって最大の不幸だった。


「武器を使うまでもないな」


 自分へと襲い掛かってくるスラム街の住人に、レイはそれだけを呟くと一気に前に出る。

 このような襲撃を行うのは珍しくないのか、レイへと襲い掛かる動きは非常に手慣れていた。

 だが……それでも、これまでレイが戦ってきたモンスターとは比べものにならない程の動きの遅さであり、同じ人として考えても低ランク冒険者と同程度か若干上程度の身のこなしでしかない。

 そんな相手に無造作に近づいたレイは、自分を捕らえようというのか手に持つ棍棒を大きく振りかぶっている男の間合いの内側に入り込むと、棍棒を振り下ろすよりも前に素早く拳を出す。

 レイの力で本気で殴れば、それこそ肉が潰れ、骨が砕けといった具合に大きな傷を与えることが出来るだろう。

 だが今のレイはそこまでやる必要を感じていない。

 これが盗賊であれば、捕らえて拠点の場所を吐かせて貯め込んでいるお宝を奪うといった行動も出来るのだが、今ここにいるのはスラム街の住人……とてもではないがお宝の類を持っているとは思えなかった。

 ヴィヘラやエレーナといった重要人物に対して襲い掛かったのだから、警備兵に突き出せば奴隷として売られることはあるかもしれないが、手続きの面倒臭さを考えれば手間ばかりが多い。

 また、スラム街に侵入してきたのは自分達なのだからという思いもあった。

 だからこそ振るわれたレイの拳は、棍棒を持った男の顎を掠めるようにして放たれ、命ではなく意識を刈り取るだけで済まされる。

 一連の動きで、レイは決して見た目とは違って侮れる相手ではないと判断したのだろう。数人が一斉に襲い掛かるが……


「無駄だ」


 次々に放たれるレイの拳や蹴りに、スラム街の住人達は次々に意識を失っていく。

 それはヴィヘラの方へと襲い掛かった者達も同様であり、あわよくばその薄衣の下にある極上の身体を味わおうと考えていた者達は、何をするでもないままに手足の骨を折られて地面へと転がる。

 レイのように意識を奪うだけではなく手足の骨を折るという行為に出たのは、やはり女として自分の身体を狙ってきた相手をただで済ませるつもりはなかったからだろう。

 強い者であれば、まだ戦うべき相手として見ることも出来たのだろうが、今ここにいるのはヴィヘラの力を理解出来ず、自分達との力の差すら理解出来ない存在なのだから。

 そうして、一分と掛からず二十人近いスラムの住民は全て意識を失い、地面へと転がることになる。


「ふむ、時間的に丁度良かったな」


 イエロの記憶を覗いていたエレーナが呟く。


「どう? 逃げていった女の行方は」

「問題ない。ここから少し離れた場所にある小屋の中にいる。ただ……どうやら、何人か協力者がいるようだな」


 イエロの記憶では、アドリアを迎えに来た人物がいた。

 顎髭とモミアゲの部分が髭で繋がっており、顔中髭で覆われていると表現するのが相応しい人物。

 身のこなしから、エレーナの目から見てもかなりの強さを持つ人物であり、何故このような人物がスラム街にいるのかと不思議に思う程だ。

 だが、強い者全てが表の世界にいる訳ではないということをすぐに思い出す。

 寧ろ、強さがあったが故に裏の世界へとその身を沈めた者は、枚挙に暇がないのだから。


「なるほど。どうやら追い詰めるのはともかく、捕縛するというのは難しそうだな」


 エレーナの様子から何となく事情を察したレイは、そう呟くのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る