第1003話
レイが床を軽く蹴ったのを見たエレーナやヴィヘラは、それぞれ納得の表情を浮かべる。
アジモフはそんな二人を気にしながらも、店の中に置かれている各種マジックアイテムに興味があるのか、周囲を見回していた。
そしてビューネは、盗賊である自分が出し抜かれたのが悔しかったのか、レイが何かを言う前から床を調べ始める。
「まぁ、壁や天井に脱出路がないんだから、他に残っているのは地下だけよね」
「そうだな。だが……ここから脱出したとして、どこに向かうつもりだ? 先程レイが警備兵に話していた内容からすると、今回の件でかなりの数の警備兵が動いているのだろう? であれば、ギルムの中で逃げ隠れするのは厳しいと思うが」
ヴィヘラの言葉にエレーナが不思議そうに告げる。
それはレイにも同意見だった。
(地中を掘ってギルムの外まで移動出来るようにしているとか? まぁ、可能性としてはあるだろうけど……でも、ギルムだって地中を掘ってくるモンスターへの対策くらいはしてるだろうし)
空を飛ぶモンスター程多い訳ではないが、地中を掘り進んで移動するモンスターが皆無という訳ではない。
そうである以上、辺境であるギルムがそんなモンスターへの対策を怠っているとはレイにはとてもではないが思えなかった。
「ん!」
不意に店の中にビューネの声が響く。
他の者の視線を受けると、ビューネは壁の近くに置いてあった壺へと魔力を流す。
すると何かの鍵が開くような音がすると共に、壺の近くにあった床が動き、大人二人くらいなら楽に通れるだけの広さを持つ階段が姿を現す。
「なるほど、これで店の中から逃げ出した訳だ。何だってこんな凝った仕掛けを作ったのかは分からないけど。もしかすると、元々この店はベスティア帝国の手の者の店だったのか? 以前の件でベスティア帝国と繋がっている奴は徹底的に狩り出されたと思ってたんだが」
全てを狩り出すことは出来なかった訳か、と呟くレイにヴィヘラが口を開く。
「それでどうするの? このまま追う? それとも誰か来るのを待つ?」
「……このまま逃がす訳にはいかないだろ。今から追っても遅いかもしれないけど、もしかしたら間に合うかもしれない。それなら後を追うべきだ」
「でしょうね。で、誰が行くの?」
その言葉に、レイは悩む。
まずこのような仕掛けで現れた場所を進むのだから、盗賊のビューネは外せなかった。錬金術師やマジックアイテム店の店主を追う以上は錬金術師のアジモフも必要だろう。また、狙われているのが自分である以上、自分がここに残る訳にはいかない。
そしてこの脱出路の先に何があるか分からない以上、戦力としてヴィヘラやエレーナはこれ以上ない程頼りになる人物だった。
セトが行ければ連れて行くのだろうが、地下へと続く階段という関係上、セトは行動しにくいだろう。
「そうだな……」
レイの口調で迷っているのを感じ取ったのか、エレーナが何かを口にしようとし……
「エレーナ様、御無事ですか!?」
不意にそんな声が周囲に響き渡る。
突然店の中に入ってきたのは、斧を持った女。
その女が誰なのかというのは、レイにもすぐに分かった。
そして当然エレーナもまたその人物が誰なのかというのに迷うことはないまま口を開く。
「アーラ、来たのか。宿で待っていろと言っただろう?」
「待っていても全く帰ってこなかった上に、宿に来た人からエレーナ様のことを聞いたので、急いで来たんです!」
その言葉に、レイを含めて店の中にいる全員が納得の表情を浮かべる。
街中を散策するだけの筈だったエレーナが、何故かトラブルに巻き込まれたという話を聞き、いてもたってもいられなくなり、宿を飛びだしてきたというところか。
エレーナに対するアーラの忠誠心が最大限発揮されたのだろう。
「はい。その、レイ殿やエレーナ様が大立ち回りという程ではありませんが……それに、何でも凄く狡猾そうな相手だという風に話をしていたので、もしかしたら逃げ出して、また騒動が起きるのではないかと」
心配していましたと告げるアーラだったが、その話を聞いたエレーナは特に残念そうな表情を見せてはいない。
それどころか、薄らとした笑みすら浮かべている。
「心配するな。念の為にあの女にはイエロに後を追わせている。もし逃げたとしても、それをイエロが見失うことはないだろう」
エレーナの口から出た言葉に、レイはアドリアを捕らえた時にいたイエロが、いつの間にかセトの背の上から消えていたのを思い出す。
(てっきり何かに興味を惹かれて、どこかに遊びに行ったんだと思ってたんだけど、違ったのか)
レイの目から見たイエロというのはまだ子供で、自分の興味があるものに対しては一も二もなく飛びつくような性格をしているように思えた。
まだエレーナに竜言語魔法で作り出されてからそれ程経っていないということもあって、それは決して間違いではない。
……もっとも、それを言うのであればセトも魔獣術によってこの世に生み出されてから数年しか経っていないのだが。
(だからこそ、セトとイエロは気が合うんだろうな)
精神年齢の近さや、レイ、エレーナといった特殊な人物に生み出されたといった共通点から仲がいいのだろうと考えているレイの前で、エレーナはアーラに笑みを浮かべて口を開く。
「それよりもアーラ、丁度いいところに来てくれた。これから私達はこの階段を使って逃げた相手を追う。お前は警備兵が来たらそのことを伝えてくれ」
「え? その、エレーナ様? 一体何をされてるんですか?」
アーラにとっては、エレーナが街中に出て行って心配していたところで騒ぎを起こしたという話を聞き、その行方を追ってきたら何故かエレーナがマジックアイテム屋の中におり、そこで地下へと続く階段を降りようとしていたのだから、事情を理解出来なくて当然だった。
この場所にレイがいるのはいい。元々エレーナはレイを探す為に街中へと出掛けていったのだから、それはおかしくはない。
だが、そこにエレーナに負けず劣らずといった美貌を持つ人物がいるとなれば、話は別だった。
貴族の家に生まれたアーラだったが、それでもエレーナと同等の美貌を誇るような人物は目にしたことがない。
今まで幾人もの貴族令嬢や美貌自慢の女は見てきたのだが、今目の前にいるのは文字通りの意味でエレーナに勝るとも劣らずといった美貌の持ち主だった。
そのような人物を見たのは初めてであり、それだけに何故そんな美人がこの場にいるのかと気になっても仕方がない。
また、相手が気になるという意味では、ヴィヘラの方も同様だった。
もっともヴィヘラがアーラのことを気にしたのは、その容姿ではなくアーラの強さを見抜いたからこそだが。
そんな、色々な意味で複雑な関係が生まれそうになった中で口を開いたのはレイだった。
「悪い、アーラ。今はこっちでちょっとやることがあるんだ。色々と紹介とか話しておいた方がいいことはあると思うけど、それは後回しにしてくれ。エレーナ、ヴィヘラ、ビューネ、アジモフ、行くぞ」
レイの言葉に、とにかく今はここの店主の後を追うべきだと判断して階段へと向かう。
「ちょっ、エレーナ様!?」
「すまん、アーラ。詳しい話はこの件が片付いてからさせて貰う」
エレーナはそれだけを告げ、アーラをその場に残して階段を下りていく。
結局店の中に一人だけ残されたアーラは、何が何だか全く分からないままに店の扉の近くへと移動する。
それでも扉から外へと出なかったのは、もしかしたらこの店の中で何かが起きるかもしれず、もしそうなったら自分が何とかしなければいけないと理解していたからだろう。
何だかんだと言いながらも、結局エレーナに対して深い親愛の情を抱いているアーラだけに、そのエレーナから頼まれれば基本的に嫌とは言えなかった。
「それにしても……あの破廉恥な格好をした人は一体誰だったのかしら。もしかしてレイ殿の二人目の恋人? それにしてはエレーナ様と険悪な様子はなかったし。ねぇ、どう思う?」
アーラの視線が向けられたのは、店のすぐ外で自分の様子を伺っているセトだった。
「グルゥ?」
何のこと? と円らな瞳のままに小首を傾げるセトに、アーラは笑みを浮かべて手を伸ばすのだった。
階段を下りた先にあるのは、一つの部屋だった。
ただ、その部屋はとても普通の部屋であるとは言えない部屋だ。
「これは……また、随分と高度な錬金術の技量を持っている相手らしいな」
部屋を一瞥したアジモフが、感心したように呟く。
部屋の中には幾つもの実験用の器具や、素材といった物が幾つも転がっている。
中には非常に稀少であり、扱うのに高度な技術が必要な高ランクモンスターの素材の類もあり、それだけでこの部屋にいた錬金術師がどれだけの腕前なのかをアジモフには理解出来た。
中には技術がないのに高価な素材を用いるような者もいるのだが、この部屋の中を見ればここにいた錬金術師はそのような人物ではないことは明らかだ。
「そんなにか?」
部屋の中に広がっているのが錬金術に関係する物であるというのは分かるのだが、レイではその道具を見ただけで使用していた者の技術が分かる程に錬金術には詳しくない。
それはレイだけではなく、エレーナやヴィヘラも同様であり、疑問の視線をアジモフへと向けている。
視線を向けられたアジモフは、唸るような口調で頷きを返す。
「ああ。純粋に錬金術師としての技能で考えると、俺よりも上なのは多分間違いない。それに、ここに残していった素材の数々を見てみろ」
アジモフが告げたのは、部屋の色々な場所に置かれている幾つもの素材。
「恐らくここから逃げ出していった時に、本当に稀少な素材の類は持っていった筈だ。つまり、ここに残っている素材は例の錬金術師にとっては、最重要って程に重要じゃない訳だ。……普通に考えれば、間違いなく一級品の素材の数々が、だ」
「つまり、ここから逃げただろう錬金術師はもっと稀少な素材を持っていったということか?」
嫌そうな表情を浮かべるレイの問い掛けに、アジモフは頷く。
「でも、ここに錬金術師がいなかったって事もあるんじゃない? 例えばここでは作業するだけの部屋で、偶然今日はいなかったとか」
「いや、あっちを見てみろ」
ヴィヘラの言葉にアジモフが示したのは。テーブルの上にあるガラス瓶。
そこには緑の液体が入っている。
「あの緑の液体はパーニャの夢というもので、一定の速度で魔力を込めながら掻き混ぜ続けないと一時間もしないうちに茶色に変色して使い物にならなくなる」
「……緑だな」
エレーナが口にしたように、パーニャの夢と呼ばれた液体は緑色のままであり、どこにも茶色の要素は存在しない。
それはつまり、つい先程までここに誰かがいたということになり、現在の状況を考えれば間違いなくそれは今回の件を起こしている錬金術師である可能性が高かった。
「そうなる。しかもパーニャの夢は魔力を込める調整がかなり難しいしな」
「ん!」
アジモフが感心したように告げるのと同時に、ビューネが短いながらも明確な声を発して注目を集める。
ビューネが示していたのは、壁の一部分。
皆の注目を浴びながら壁を規則正しく順番に叩くと、やがて何かが外れる音と共に壁の一部分がずれて、奥へと続く通路を作り出す。
「隠し通路、か。隠し階段の上に隠し通路とは……随分と用意周到だな」
感心したように呟くエレーナだったが、レイ達にしてみれば余計な真似をしてくれる、というのが正しい気持ちだった。
「ビューネ、先頭を頼めるか?」
「ん!」
レイの言葉に素早く頷き、そのまま隠し扉の向こう側へと進む。
当然レイを始めとした他の者達も、その後を追う。
隠し扉の向こう側は、一本道となっていた。
この辺は、例え地下に脱出路を作るにしても、迷路のようには出来なかったのだろう。
そんな、土が踏み固められている地下道を真っ直ぐに走っていると……
「ん!」
不意に、先頭を走っていたビューネが鋭く叫び、足を止める。
その後ろを走っていたレイたちも急いで足を止める。
そうして全員の足が止まったところで、ビューネは鋭く近くにある壁へと視線を向け、慎重にその壁へと手を伸ばす。
土を掘って作った地下通路だけに、当然その壁も土を固めたものだ。
その土の壁をしっかりと、それでいて慎重に触れていたビューネは、やがて目当ての物を見つけたのか壁に向かって何らかの作業を行う。
もっとも作業と言ってもやるべきことは、ビューネが武器としている長針を取り出して壁に何度も突き刺しただけだったが。
「……何をやってるんだ、あれ?」
「恐らく壁から矢とか針とか、それとも毒とかが発射されるようになってたんでしょうね。以前にエグジルのダンジョンで同じようなことをしているのをみたことがあるわ」
ヴィヘラの言葉通りなのか、作業を終えるとビューネは小さく頷く。
そうして再び地下通路を走り続け……それ以後は特に罠の類もなく、やがて上へと延びているハシゴのある場所へと到着するのだった。
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