第917話

「初めまして、レイ殿。私が学園長のエリンデ・エクシリアだ」


 ソファに座ったレイとサマルーンを前に、そう言って笑みを向けたのは尖った耳をした人物だった。

 その耳を見れば、レイも目の前にいるのがエルフだというのは理解出来た。

 耳の下辺りまで伸びている緑の髪も、エルフらしさを強調している。

 ただ、理解出来ないこともある。それは……


(男か? 女か? ……どっちだ?)


 そう、レイの前で笑みを浮かべているエルフの性別だ。

 レイの目から見て中性的と表現するのが相応しいそのエルフは、とてもではないが男とも女とも判断出来ない。

 男だと言われれば男だと思えるし、女だと言われれば女だと納得してしまう。そんな相手だった。


「えっと……レイだ。春までの短い間だけど、世話になる。エリンデ・エクシリア学園長」


 そこまで口にし、改めてレイは目の前の人物へと視線を向ける。

 エリンデ・エクシリア。名字持ちであるということは、目の前のエルフが貴族であることを示している。

 男女どちらにも思えるエリンデの容姿に驚いていたレイだったが、そこでようやく名字持ちだと気が付いたらしい。

 戸惑ったように自分へと視線を向けるレイが何を思っているのか理解したのだろう。エリンデは笑みを浮かべて口を開く。


「私の性別が気になるのかな?」

「……まぁ、端的に言えば」

「ふふっ、それはもう少し仲良くなってから教えてあげるよ。それまでは色々と考えてみるといい」


 笑みを浮かべて告げるその様子は、まさしく中性的と表現するのが正しい。


(なるほど、悪戯好きなタイプか。まぁ、使い魔の小鳥をこっちに飛ばしてきたりとかしたんだから、好奇心が旺盛なのは間違いないだろうけど。それにしても、普通なら外見で判断するのは難しくないんだけどな)


 レイの視線が一瞬だけエリンデの胸元へと向かう。

 もしエリンデが女であれば、その胸元は見て分かる程度には膨らんでいる筈だ。

 だが、レイの目から見てもその胸は膨らんでいるようには見えない。

 それでも男だと否定出来なかったのは、エルフというのは肉付きの薄い者が多いというのを以前本で読んだことがある為だ。


(逆にダークエルフは普通のエルフと違って肉付きがいいんだけどな)


 レイの脳裏を過ぎったのは、蠱惑的という言葉をそのまま人の形にしたかのような、ギルムのギルドマスター。

 ダークエルフのマリーナは、男であれば誰しもが引き寄せられる程の色気を発している。

 そんな相手と普通のエルフを一緒にしては駄目だろう。そう思っているレイだったが、エリンデの方も実は内心で似たような思いを抱いていたというのは知らない。


(フードを降ろした様子は、とてもではないが男には思えないね。もっとも、彼の場合は既に性別がはっきりとしているのだから、気にする必要はないのだろうが)


 エリンデは内心を読ませない、にこやかな笑みを浮かべて口を開く。


「さて、何故君にわざわざ学園長室まで来て貰ったのかといえば、私が君を見てみたかったからでもある。……いや、驚いたね。見ただけで分かるようなマジックアイテムを……幾つ持ってるんだい? そこまで多くのマジックアイテムを持っている人を見るのは、随分と久しぶりだよ」


 感心したように呟き、レイの身体へと視線を向ける。

 手、足、身体といった、幾つものマジックアイテムを身につけている場所へと。


「アイテムボックスだけではないと?」


 自分では気が付かなかった為だろう。サマルーンはエリンデの方へと視線を向け、改めてレイを見る。

 魔力を見る目のようなものがなく、錬金術師でもないのでマジックアイテムかどうかというのも感じ取れない。

 そんなサマルーンにとって、レイを見てもどこにマジックアイテムを身につけているのかは分からなかった。

 ……もしサマルーンがセトを見ていれば前足のマジックアイテムに気が付いたかもしれないが、残念ながらレイが職員寮でサマルーンと会った時は既にセトと別れている。


「ああ。もっとも、どれがどのようなマジックアイテムなのかは分からないけど、それでもこうして見ただけで彼が幾つもマジックアイテムを身につけているのが分かるよ。……それにしても、随分と多くのマジックアイテムを持っているね。それを入手するのは大変だっただろう?」

「否定はしない。実際、依頼の報酬とかで貰った物も多いし、街中を歩き回って掘り出し物を見つけたなんて時もあったしな」

「よくもまぁ、そこまで……マジックアイテムが高価なのはどこでも変わらないだろうに」


 日常的に使うようなマジックアイテムならともかく、レイが集めている実戦で使えるようなマジックアイテムというのは非常に高価だ。

 それをここまで集めるのに、自分であればどれだけの時間が掛かるのか……そう思えば、エリンデも感嘆の声を上げざるを得ない。

 また、それはサマルーンも同様だった。

 いや、より魔法に傾倒しているサマルーンは、エリンデよりも更に熱い視線をレイへと向けている。


(魔法に傾倒しているから俺に好意的なのは分かるけど、俺の場合は理論的にじゃなくて感覚的に魔法を使っているからな。議論とかしようと言われてもちょっと困る)


 自分へと向けられる視線に微妙に嫌な予感を覚えつつ、それでもレイは表面上それを気にした様子もなく口を開く。


「趣味というのはそういうものだろ? 特に俺の場合は師匠から貰ったマジックアイテムも多いし」


 こんな時こそ自分の設定を上手く使うべきと、これまでのように師匠についての説明を口にする。


(こうして考えると、よくぞこんな設定にしたって感じだな。ありがとう、俺の脳内師匠。これからも俺の為に頑張ってくれ)


 レイが内心でそんなことを考えているとは思いも寄らず、エリンデとサマルーンの二人はレイの言葉に深く感銘したように頷く。


「なるほど、師匠が自分の弟子に……中々出来る事ではないね」

「はい。普通であればマジックアイテムを自分の物にしようとする者も多い筈……いえ、そうする者の方が多いと表現すべきかと」

「そうだね。それを、自分の弟子の独り立ちにそこまでの贈り物をするとは……正直、私ではそこまでのことが出来るかどうか。レイ殿の師匠というのは、それ程に素晴らしい魔法使いなのだろうね」

「え? あ……ああ、うん。そうだ。俺も師匠には感謝しているよ」


 自分が思った以上に師匠が評価されていることに、レイの頬が引き攣る。

 自分の生み出した妄想の師匠がいつの間にか人格者という扱いになっているのだから、それも当然だろう。


「それで、俺がここに呼ばれたのは結局どういう理由でなのか、聞かせて貰ってもいいか?」


 何とか話を誤魔化そうと告げるレイに、エリンデはようやく思い出したと口を開く。


「特にこれといった用事があった訳ではないさ。単純に私が君と会ってみたかっただけだよ。何と言っても、深紅の異名を持つ冒険者だ。それに春までは私の学園にいるのだから、どのような性格なのかは一刻も早く知りたかったというのもある」

「……それで? 俺と会ってみた感想は?」

「予想とはちょっと違った……といったところかな? ただ、人の噂というのは基本的に大袈裟に伝わるものなのだから、それを考えると当然かもしれないけど」

「そうですね。敵対した貴族の四肢を切断するとか、そんな噂はさすがにどうかと思います」


 エリンデの言葉にサマルーンが同意するように頷くが……レイとしては、その噂の半ばまでが真実だと口にしにくくなる。

 実際、今回の騒動が起きた原因でもあるキープは、両肩から先が切断されている。

 一応生きてはいるのだが、あれだけの騒動を起こした以上、エリエル伯爵から切り捨てられるのは間違いなく、そうなれば義手を得ることは叶わないだろう。

 特に錬金術により生み出されたような義手の入手は、まず不可能だと言ってもいい。


「噂に関しては、特に気にしてない。真実とかもかなり混ざってるらしいし」


 レイとしては、こう言うしかなかった。


「へぇ、随分と謙虚だね。普通なら自分の嫌な噂というのは否定したくなるというものなのに」

「それでこそレイさんなんですよ、学園長。恐らくこの世界にいる魔法使いの中でも屈指の存在。この大らかさというのは、素晴らしいものです。僕としても見習わなければなりませんね」

「……そこまで言われる程のものじゃないんだけどな」


 何故かサマルーンからの評価が鰻登りになっているのに若干の居心地の悪さを感じる。

 普通であれば、自分よりも年下の相手をこうまで純粋に尊敬出来るというのは褒められるべきなのだろう。

 だが……その視線を向けられるレイは、内心で溜息を吐く。


(普段こういう視線を向けられることは殆どないしな。……ああ、バスレロがいたな。けどバスレロの場合は俺よりも大分小さいし)


 サマルーンの様子からバスレロを連想するレイだったが、バスレロも十歳程。

 傍から見れば十代半ば……対外的には十代半ばとなっているレイと比べると殆ど違わないのだが、レイはそれを全く気にした様子がない。


「そういう視線で見られると、ちょっと困るな。普通に接してくれ」

「そう言われても……僕から見れば、レイさんは魔法使いの頂点にいるようにすら思える人ですから。同じ魔法使いとして、そんな風に思える相手がいるというのは非常に幸せなことなんですけどね」


 サマルーンから向けられる視線に、レイは何とかしてくれとエリンデの方へと視線を向ける。

 その視線の意味を理解したのだろう。エリンデは苦笑を浮かべて口を開く。


「サマルーン、その辺にしておきなさい。レイ殿も困っているではないですか。サマルーンがレイ殿をどう思っているかというのはその人の思いなのだからどうしようもないけど、それを表に出されることを好まない人もいるんだよ」


 学園長であるエリンデにそうまで言われれば、サマルーンもこれ以上言い募ることは出来ない。

 サマルーンにとってレイは尊敬の対象ではあるが、同時にエルフであるエリンデもまた魔法使いとして自分より上の存在として尊敬しているのだから。


「学園長がそう言うのであれば……ですが、レイさん。出来れば近いうちに魔法についての話を聞かせて貰えませんか?」

「うーん……気持ちは分かるけど、サマルーンにとっては拍子抜けかもしれないぞ? 俺の場合、魔法は理論じゃなくて感覚的なもので使ってるし。一応魔法の構成を弄ったりはしてるけど、それだってきちんと理論に基づいたものじゃないからな」

「……そ、そうですか。理論も何もなしで魔法を使うとか……天才って本当にいるものなんですね」


 レイの言葉が余程意外だったのだろう。信じられない……いや、信じたくないといった表情を浮かべるサマルーン。

 そんなサマルーンの様子を見て、エリンデは苦笑を浮かべる。

 士官学校の中でも魔法を使う生徒からは慕われている教官ではあるのだが、時々今のように行き過ぎてしまうからだ。


(これさえなければ、いい教官なんですけどね。……いえ、研究者というのは好奇心が強いもの。サマルーンの行動で魔法が発展するのであれば、こちらとしても喜ばしいことではあるのですが)


 痛し痒しといった様子で溜息を吐くエリンデの様子は、レイから見ても未だに男女どちらなのか分からなかった。

 エルフというのも関係してはいるのだろうが、非常に判断しにくい。


(同じエルフでも、マリーナみたいに女だと分かりやすい服装をしてくれればいいんだけど)


 レイの脳裏を、同じエルフでもあるギルドマスターの姿が過ぎる。


「さて、本来ならもう少し話をしていたいところなんですが、残念ながら学園長という仕事柄そうも言ってられない。初顔合わせはこの辺にしておこう。……レイ殿、明日の朝にまたここに来てくれるかな? 色々と通達事項もあるし」


 エリンデの言葉に頷いたレイは、座っていたソファから立ち上がる。


「じゃあ、春までの短い間だけど、明日からはよろしく頼む。……もしかしたら色々と迷惑を掛けるかもしれないけど」

「ははは。ここに通っているのは皆若い。毎日のように……というのは多少言い過ぎかもしれないけど、それでも騒ぎが起こるのは珍しくない。それを念頭に入れて頑張って欲しい。……では、サマルーン。彼のことは頼むよ」

「はい。お任せ下さい」


 その言葉が合図だったのだろう。エリンデは立ち上がって執務机の方へと向かう。

 サマルーンもそれは同様で、レイを促して学園長室から出て行く。


(さて、とにもかくにも士官学校には到着した。だとすれば、春辺りまでは忙しいような、騒がしいような、そんな日々を過ごすことになりそうだな)


 内心で呟き、レイは部屋を出る前に改めて学園長室の中へと視線を向ける。

 そんなレイの視線を感じたのだろう。エリンデはふと顔を上げ、レイへと笑みを向けるのだった。

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