第910話
指名依頼を行うと決まった以上、このままじっとしているよりも依頼の手続きを進めてしまおうと、レイはマルカとコアン、そしてセトという三人と一匹でギルドへと向かっていた。
「ほう、この串焼きは美味いのう。ふむ、店主。もう一本所望する」
「はっはっは。所望と来たか。嬢ちゃんには敵わねえな。ほら、焼きたてで熱いから気をつけろよ」
「うむ。やはり焼きたての料理というものは美味いのう。それも、こうして雪が降っている中で食べるのも風情があってよい」
「グルルルゥ」
嬉しそうに串焼きを食べるマルカの横で、セトも同じく串焼きを食べながら嬉しそうに喉を鳴らす。
……そう、クエント公爵令嬢という立場のマルカだったが、夕暮れの小麦亭にやってきた時に乗っていた馬車ではなく、今は普通に歩いてギルムの中を移動していた。
それも、いつもレイやセトがやっているように、買い食いをしながらだ。
更に、服装も夕暮れの小麦亭にやって来た時とは違い、質はいいが貴族とは思えない程に質素な服へと変わっている。
今のマルカを見て、どこかの豊かな商人の娘だと思う者はいても、貴族だと……それも公爵令嬢だと思う者はまずいないだろう。
いるとすれば、それは貴族としてのマルカを見たことがある者か。
「お嬢ちゃん、セトちゃんを連れてるのか。いいねぇ。……ほら、これも食べてきな」
「ぬ? いいのか?」
「ああ、ああ。構わんとも。うちのサンドイッチはちょっとその辺で食べる物とは違うよ?」
「何? 本当か? では、早速貰おう!」
マルカは、屋台の店主に貰ったサンドイッチへと元気よく齧りつく。
その瞬間、サンドイッチの間から飛び出たソースが頬に付くが、本人は全く気にせず食べ進める。
見ているだけで幸せな気持ちになるだろうその様子に、周囲を歩いている者達も自然と笑みが浮かぶ。
「いいのか? 一応お忍びって形なのに、こんなに目立って」
「あははは。まぁ、何かあれば私が守りますから。それに、レイさんやセトがいるのに何か手を出してくる者はいないでしょう」
レイとコアンも串焼きを食べつつ進み続け、何度か屋台で買い食いをしながら一行はギルドへと到着した。
「うむうむ、ギルムというのは素晴らしいのう。グラシアールで妾がこのような真似をしておれば、必ず騒ぎになるのじゃ」
「クエント公爵の本拠地で、クエント公爵の一人娘であるマルカ様が出歩けば、目立って当然でしょう」
「分かってはおるのじゃがな」
「グルルゥ」
ギルドへと到着すると、セトはレイに何も言われずとも喉を鳴らしていつもの場所へと向かう。
マルカとコアンはセトの賢さに改めて驚き、レイはそんな二人を伴ってギルドの中へと入る。
「おおっ! 久しぶりのギルドか! ギルドか。……ギルド、か?」
最初にギルドの中に入った瞬間に歓声を上げたマルカだったが、すぐにギルドの方に人の数が少ないのに気が付き、同時に併設している酒場の方は満席に近いことに疑問の声を上げる。
「のう、レイ。これではギルドではなく酒場ではないのか? 去年来た時はここまで酒場だけが流行って、ギルドの方は冒険者がいないということはなかったと思うのじゃが」
レイの方を見上げて呟くマルカ。
背の低いレイにとっては、下から見上げられるというのは非常に珍しい経験だった。
それに少し嬉しさを感じながらも、表情には出さないように頷き、口を開く。
「ここはギルドであると同時に酒場でもあるからな。俺は他の街のギルドをそんなに知ってる訳じゃないけど、基本的にギルドは酒場と併設されていることが多いな」
「ギルドで依頼完了の報告をして報酬を受け取った後、そのまま酒場で飲み食い出来るようにというのを狙っているんでしょうね。実際、どこのギルドでも酒場で得られる収入は少なくないという話ですし」
レイの言葉に続けるようにコアンが呟く。
二人の説明を聞いたマルカが、改めてギルドと酒場の両方を見回す。
ギルドの方の冒険者の数は数人。それに比べると酒場の方は満席に近い。
「ふむ。じゃが、こうして見ると酒場の方に人の数が多いの」
「今は冬ですから。もっと暖かい場所や、雪が少ない場所なら冬にもそれなりに冒険者は活動出来るのですが、生憎このギルムは結構雪の量が多いらしいですから。雪が溶けるまで冒険者は休業なんですよ」
「そうなのか。……けど、冬だからといって依頼がない訳ではないじゃろ? 妾が知ってる限りでも、冬だけに姿を現すモンスターというのもおるし」
「その辺は彼等の出番という訳です」
コアンの視線が向けられたのは、ギルドの方にいる冒険者達。
何かいい依頼がないかと、依頼ボードへ目を通している。
「冒険者の全てが冬を越えるだけの資金を貯めることが出来る訳じゃありません。それに失敗した人達は、ああやって雪の中でも出来る依頼を探している訳です。……さ、お嬢様。依頼の方をしてしまいましょうか」
「うむ! では行くぞレイ、コアン!」
周囲を物珍しそうに眺めていたマルカだったが、やがてコアンの言葉に頷いてギルドのカウンターの方へと向かう。
そこには、いつものようにレノラやケニーの姿があり、他の受付嬢の姿もある。
だがギルドの中がこのような状況である為、どうしても暇になるのは当然だろう。
書類の整理といった仕事もあるが、それも一日中やっていられるようなものではない。
だからこそ、レイと顔なじみのレノラやケニーはレイがギルドの中に入ってきたのに気が付くのは早かった。
……マルカとコアンの二人を連れているのに驚いたというのもあるが。
(あら?)
レノラと視線で無言のやり取りをしていたケニーだったが、不意にレイと一緒にいる男に見覚えがあるのに気が付く。
(確か、あの人……以前にもギルドでレイ君と話してたわよね?)
毎日何十人、何百人、日によっては千人を超えるだろう冒険者と顔を合わせることもあるケニーだったが、一度顔を合わせただけの男にも関わらず顔を覚えていたのは、レイの関係者だという認識もあるだろう。
だがそれ以上にギルドの受付嬢として、その男……コアンに感じるものがあったのが大きい。
そんな風に思っているケニーの方へ……より正確にはその隣にいるレノラの方へとレイ、マルカ、コアンの三人は向かう。
「ほう、これが受付嬢か。なるほど、ギルドの顔と言われるだけあって、見目良い者を揃えておるの」
レノラとケニーの二人を見て、感心したように呟くマルカ。
もっとも、レノラとケニーの方はそんな風に自分を褒められても微妙な気分になる。
何故なら、自分を見目良いと表現しているマルカは、まだ十歳にもならない少女にも関わらず非常に愛らしい為だ。
今は愛らしいという表現になっているが、このまま成長すれば人目を惹き付けるような美人になるのは確実だった。
それでもプロ根性を発揮し、そんな思いを表に出さないように口を開く。
「レイ君、この人達は? 確か、そっちの人は去年ギルドに来たと思うけど」
真っ先にレイへと声を掛けるケニー。
コアンは、そんなケニーの様子に少し驚いたように眉を動かす。
まさか、少し顔を見せただけの自分を覚えているとは思わなかったのだろう。
「ちょっと指名……」
「よい、レイ。この場合は依頼をする妾が話すべきじゃろう。……妾は、マルカ・クエント。そうじゃな、クエント公爵家の者じゃと言えば分かりやすいのではないか?」
そう口にした瞬間、受付嬢だけではなく、カウンターの中にいた他のギルド職員達の中でも殆どの者が驚愕に目を見開く。
当然だろう。クエント公爵家と言えば、ミレアーナ王国の中でも屈指の領地を持つ大物貴族なのだから。
そのような人物の関係者がいると聞き、平静を装うことが出来るのはギルド職員の中でも数少なかった。
もっとも、中には去年やってきてランクアップ試験に協力した人物だと思い出す者もいて、その関係できたのかもしれないと考える者もいた。
その時にランクアップしたレイが一緒にいるのだから、尚更だろう。
「これは失礼しました。マルカ・クエント様。今日はどのような御用でしょうか?」
普段は軽い感じで冒険者と接するケニーだが、当然受付嬢として相応の教育は受けている。
改めて一礼して尋ねるそんなケニーの姿に、レイは小さく驚きの表情を浮かべていた。
それを見て内心少し不満に思ってしまうのは、ケニーとしては仕方がないのだろう。
そんなケニーの隣にいたレノラは、取りあえずこの場はケニーに任せておくことにしたのか、言葉を挟まずにやり取りを見守る。
もしケニーが何か妙な真似をしたら、すぐにでもそれを止めるつもりで。
何せ、相手は公爵家令嬢。ここで妙な騒ぎでも起こそうものなら、ギルドと公爵家の間で問題になる可能性すらあるのだから。
レノラがそんな思いを抱いているとも知らず、マルカはケニーに対して口を開く。
「うむ。レイに対して指名依頼をと思ってな。それでギルドに寄らせて貰ったのじゃ」
「え? レ、レイ君に、ですか……?」
マルカの口から出たのが、嫌な予感を抱かざるを得ない言葉だったからだろう。ケニーの視線はレイの方へと向けられる。
ケニーにしてみれば、レイがベスティア帝国から戻ってきてまだそれ程――ケニーの視点でだが――経っていないのだ。
それなのに公爵家からの指名依頼となると、休む暇があるのかという心配をしてしまう。
「うむ。実はレイには妾の家があるグラシアールの士官学校で教官をやって貰おうと思ってな」
「……えっと、レイ君が教官、ですか?」
数秒前の心配は何だったのかと言いたくなるような、そんな表情。
普段は色っぽいお姉さんといった風情のケニーだったが、今のマルカの言葉を聞いたケニーを見て、そんな感想を抱く者はいないだろう。
それはケニーだけではない。レノラの方も同様の表情を浮かべている。
二人にとって、レイと教官という言葉は全く似合わないものだった。
少なくても、この二人にとってレイが誰かにものを教える――それも士官学校の生徒へ――というのは、想像が出来ない。
勿論レイが完全に教師に向いていないという訳ではないのは知っている。
それこそ、去年バスレロを鍛えるという依頼をこなしているのだから。
だがそれは、あくまでもバスレロ……まだ十歳程度の子供へ対してのものだった。
士官学校ともなれば、そこに通っているのは十代半ばから後半、中には二十代の者すらもいるかもしれない。
つまり、そこに通っているのは基本的にレイと同年代、あるいは年上の者達だけとなる。
そこにレイの性格を考えれば、とてもではないがまともに教官役が出来るとは思えなかった。
それは、話を聞いていたケニーやレノラだけの思いではない。他のギルド職員にとっても同様だ。
そもそも、レイは基本的に人との付き合い方は決して上手くない。
そんなレイが教官をやると言われれば、ギルド職員にとっても驚き以外のなにものでもなかった。
中には、士官学校の生徒達が使いものにならなくなるのではないかと考える者もいる。
友好的な相手には友好的に、敵対的な相手には敵対的に接するのがレイであり、その上で敵対した相手には容赦がない。
数週間前に起きたシスネ男爵家とエリエル伯爵家次期当主の問題で決闘に負け、それをなかったことにしようとシスネ男爵家を襲撃しようとしたキープの両腕が切断されたというのは、警備隊の方から噂話という形で情報が伝わっていた。
それでもレイがギルムで恐れられたりしないのは、無意味な暴力を振るわないと知れ渡っているからだろう。
……もっとも、セトの存在がレイに対する恐怖を大きく和らげているのも否定は出来ないし、他にも屋台を始めとした食べ物屋では大量に買い物をして金払いがいいというのも影響しているのだろうが。
「うむ。父上から以前相談されたことがあってな。その時、レイのことを思い出したのじゃ」
「ですが、その、レイ君は人に教えるというのはあまり向いてないように思えますが」
もしレイがその指名依頼を受けるとまたギルムを出て行ってしまうと、ケニーは何とかマルカに翻意させようと口にする。
(ケニーの気持ちは分かるけど、わざわざギルムまでレイさんを迎えに来たんだから、そう簡単に諦めたりはしないと思うんだけど。……でもケニーの言う通り、レイさんが教官なんてことになってしまうと色々問題が起きそうなのよね)
ケニーとマルカの会話を聞いていたレノラが、心配そうな視線をレイの方へと向ける。
レイを弟のように思っているレノラだけに、レイが士官学校で問題を起こすのではないかと、そんな心配があった。
「その件は心配いらん。レイが担当するのは模擬戦になる予定じゃ。レイの強さは、生徒達にとっても十分な刺激になるじゃろう」
「……刺激どころか、自信喪失させるような気がするのですが」
レイの強さを知っているだけに、ケニーの言葉はどこか実感がこもっている。
その後も何とかレイ以外の者を教官にするように促すが、マルカはそれを聞くつもりはない。
当然だろう。そもそも、今回の指名依頼の目的はレイを一時的に自分達で保護することなのだから。
そうして、ケニーの口から説得の言葉が出なくなると……
「ケニー、その辺にしておきなさい」
ギルドマスターである、マリーナの声が周囲に響くのだった。
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