第825話
討伐軍とメルクリオ軍が正面からぶつかり合った場所、ブリッサ平原。
本来であれば、相手の四倍以上の戦力を用意した討伐軍の勝ちは揺るがぬ筈であった。
だが、それを覆したのはレイやヴィヘラ、グルガスト、ウィデーレといった質を極めた強さを持つ者達。
特にレイはランクS冒険者である不動のノイズとの戦いの最中、更に己の強さを求め、最終的にはノイズを退かせることにすら成功した。
それらの力もあり、この内乱最後にして最大の戦いは、結局メルクリオ軍の勝利となった。
現在は勝者であるメルクリオ、敗者であるシュルス両名の命令により、主だった者達は数日後には帝都へと向かうべく準備をしており、それ以外の者達は敵味方関係なく治療が行われている。
勿論、少し前まではお互いに戦っていた者達同士だ。
戦友を殺された怒りは当然あるが、それでも目立った騒動が起きていなかったのはメルクリオ軍、討伐軍の両軍の貴族配下の者達がそれぞれ厳しく見回っていた為だろう。
特にメルクリオ軍の中でも色々な意味で有名なグルガストが先頭に立って見回りをしており、その部下達も同様に見回っている為、下手な真似をすれば自分の命がないというのを殆どの者が理解していた。
(帝都に行って下らん政治に巻き込まれるよりは、まだこうして戦場跡を見回ってた方がいいな)
内心で呟き、両手に持ったバトルアックスを大きく振るう。
その風切り音に、治療の順番を巡って睨み合っていた兵士達は、背筋を正して大人しく待つ。
そんな様子に詰まらなさそうに鼻を鳴らしたグルガストは、再び見回りを開始する。
「親分、親分。向こうで騒ぎを起こしていた奴等をとっちめてきやした」
「……親分じゃねえっつってんだろぉがぁっ! 何度言わせる気だ、てめえっ!」
男の頭部へと拳が落とされ、肉と肉、骨と骨がぶつかり合う音が周囲に響く。
少し離れた場所で大人しく治療を待っていた討伐軍の兵士が、そこまで聞こえてきた音……最早、打撃音と表現してもいいだろう音に、思わず身を竦める。
今の一撃は、普通の兵士であれば間違いなく重傷になっていただろう、そんな一撃のように思えたからだ。
だが……身を竦めた兵士の視線の先で、たった今グルガストに殴られた男が頭を抱えながら悲鳴を上げる。
「痛ぅっ! 親分、酷いじゃないですか! 俺の頭は親分と違って繊細なんですよ!?」
「ふざけたことをほざくんじゃねぇっ! 繊細な頭の持ち主が、俺の拳を受けて痛いって言うだけで済むと思ってるのか!? ったく、親分って呼ぶなって何度言わせる気だ」
「それは……だって、今までずっと親分って呼んできたじゃないですか。何で今更」
「今更じゃねえだろっ! 今まで何度俺が親分って呼ぶなって言ったと思ってやがる! いい加減、我慢の限界なんだよ!」
ただでさえ強面のグルガストの顔に、怒りの余り血管が浮き出る。
それがより一層周囲に対して威圧感を撒き散らし、離れた場所で様子を見ていた兵士達は、メルクリオ軍も討伐軍も関係なく大人しくその場で治療を待つ。
決して相手に対する憎しみがなくなった訳ではない。
だがそれでも、ここで騒げばあの拳を貰った男のようになるのは明らかだった。
それは避けたい。自分達があんな一撃を受けたら、怪我を治療するどころか瀕死の重傷を負うのは間違いないのだから、と。
グルガストにしろ、拳を頭に落とされた男にしろ、そんな効果を狙って今のやり取りをした訳ではなかった。
それでも今のやり取りのおかげで騒がしさがなくなったのは幸運だったと考え、次の場所へと見回りに行く。
それを見送り、騒げばまたグルガストが戻ってくると理解してるのか、その後は周囲に誰がいなくても騒ぎが起きるようなことはなかった。
メルクリオ軍の本陣の付近。現在はこの内乱の勝利を喜びつつ戦後処理をしている者が多いその一画に、レイともう一人の姿があった。
「……そうか。命に別状はない、か」
目の前の男の口から出た言葉に、レイは安堵の息を吐く。
それを見ていた遊撃隊の副隊長でもあるペールニクスは、唇の端だけを曲げるような笑みを浮かべて言葉を返す。
「はい。暴れている時には色々と傷を負っていましたが、取り押さえた後で回復魔法やポーションを使って回復を」
「死ななかったようで何よりだ。……悪いな、まさかワイバーンにそんな仕掛けがされているとは思いもしなかった。何の意味もなく、それこそこっちにワイバーンの素材を渡すような感じで襲ってきた時点でおかしいとは思ってたんだが」
悔しそうに告げるレイに、ペールニクスは首を横に振る。
「誰だって、竜騎士を使い捨てにするような真似をするとは思いませんよ。しかも、特定のマジックアイテムを使ってようやく効果を発揮するなんて……普通になめしていれば、まず効果がなかったのですから。それこそ、運が良ければ発動するくらいの気持ちだったんでしょうね」
「そんな運次第の策で貴重な竜騎士を使い捨てる、か」
竜騎士が乗るワイバーンというのは、竜騎士自身が卵から孵して育てるのが一般的なやり方だ。
だとすれば、この策を考えた者は非道と呼ぶべき決断をしたということになる。
(いや、カバジードだとすれば、そのくらいは平気でやるか)
幾度となく自分達の裏を掻いてきた男の顔を思いだし、レイの口から溜息が漏れる。
それでも今はもういない以上、ここで考えていても仕方がないと判断し、小さく首を振ってから改めて口を開く。
「確か遊撃隊でワイバーンのレザーアーマーを装備していた奴等は治療所にいるんだよな?」
少し前にテオレームから聞いた話を思い出しつつ尋ねるレイに、ペールニクスは頷きを返す。
「幸いだったのは、ディグマ殿がこちらに付いたことでしょうか」
「……正確にはついたというよりも、治療に限って手を貸して、その代価として捕虜の待遇を良くしているって感じらしいけどな」
「それでも水の精霊魔法を得意とするディグマ殿がいたおかげで、こちらの死人は驚く程少なくなったのは事実です」
「だろうな。それに関しては純粋に羨ましいと思うよ」
レイの脳裏に、ディグマが使っていた水の精霊魔法が過ぎる。
攻撃だけではなく、回復に、補助にと、色々な意味で汎用性の高いのがディグマの水の精霊魔法だ。
それに比べると、レイの魔法は基本的に攻撃に特化した存在だ。
中には炎の浄化という性質を利用してアンデッドを浄化したり、薄く広げて罠を探査したりといった使い方もあるが、後者の探索は純粋に炎を使うだけだから消費はそれ程大きくないが、前者の浄化ともなれば魔力の消耗が相当に激しい。
これも、レイが炎特化と言うべき存在なのが影響しているのだろう。
(炎は破壊の象徴ではあるけど、同時に再生の象徴でもある。それを考えれば、炎による回復魔法を使えてもおかしくはないんだけどな)
そう考えるも、感覚的にはとてもではないが回復魔法を使えるという気がしないのも事実だった。
自分の性格というか、性質がどこまでも攻撃に特化しているのを考え、もしかしてゼパイル一門の技術の結晶でもあるこの身体のせいではないかとも思う。
自分の性格や性質については取りあえず一旦置いておき、ペールニクスへと尋ねる。
「遊撃隊の奴等に会いに行ってもいいと思うか?」
「そう、ですね。レイ隊長に合わせる顔がないって言ってる奴もいましたが、出来れば会って貰えると助かります。今回の戦いで、私達遊撃隊はメルクリオ軍の中でも有数の戦力として期待されていました。それが、結局は仲間割れをして殆ど役に立てなかったのですから」
「……けど、全く役に立たなかったって訳じゃないんだろ? テオレームから聞いた話だと、ある程度敵を倒したって聞いてるぞ? 兵士だけじゃなくて、指揮官や騎士、貴族とか」
励ますようにというよりは確認するという意味を込めて尋ねたレイの問い掛けに、ペールニクスは力なく首を横に振る。
「私達が精鋭である以上、多少の戦果では納得しません。……周囲がではなく、私達自身がです。だからこそ、遊撃隊の皆も自分がやるべきことを出来なかったと不甲斐なく思っているのです。……その辺について、レイ隊長から何か言って貰えれば」
ペールニクスの言葉に頷き、レイはそのまま治療所の中でも遊撃隊がいる方へと向かって進んでいく。
単純な怪我ではなく、一種の呪いにも近い攻撃。
だからこそ、念の為に遊撃隊の面々は他の怪我人とは離された場所に纏められていた。
恐らくは大丈夫だろうと判断しつつも、それでも何らかの被害が他に出ないとも限らない為に。
それ以外にも今はワイバーンのレザーアーマーは脱がされているが、それでもまだ確実に安全とは限らない為に。
そんな風に隔離されている遊撃隊の面々へと、レイは特に気にした様子もなく近づいて行き、声を掛ける。
「大丈夫か、お前達。何だか色々と厄介な目に遭ったんだってな」
その場にいた者達は、最初誰に声を掛けられたのかが分からなかったのだろう。
一瞬呆気にとられた表情を浮かべ、慌てたように周囲を見回す。
「レイ隊長! 今、俺達の側に近づいたら……」
「そうです! 何らかの悪影響がまだ残っているかもしれないんですよ!?」
自分達よりもレイのことを気にして告げてくるその言葉に、言われた本人は小さく笑みを浮かべて口を開く。
「気にするな。俺の強さは知ってるだろ? 例えお前達に何らかの後遺症が残っていても、俺に悪影響を与えることはまず不可能だよ」
「けど、また俺達が暴走状態になるかも……」
そう言い掛けた男は、レイが笑みを浮かべて自分を見ているのに気が付き、それ以上は口を噤む。
だが……それは既に遅く、レイはニヤリとした笑みを浮かべながら口を開く。
「ほう? お前達が暴走した程度で俺に明確な危害を加えられると? そこまで腕を上げているとは思わなかったな。よし、じゃあ内乱も終わって一段落したことだし、明日にでも腕試しをするとしようか。問題ないだろう?」
「あります!」
一瞬の躊躇もなく告げるのは、たった今口を滑らせた男だ。
そんな男に対し、レイは数秒前とは違う笑みを浮かべながら……首を横に振る。
「駄目だ。もう決定事項だ」
「うわぁっ、レイ隊長がこれ以上ない程に楽しそうな笑顔を浮かべてる!?」
「馬鹿、お前、馬鹿! もう、馬鹿! この、馬鹿!」
口を滑らせた男に対して罵声を浴びせる他の男達。
そんな男達に対して、レイはミスティリングの中からとっておきのガメリオンの串焼きを取り出す。
ガメリオンの肉自体は去年の代物だが、ミスティリングの中では時間が経過しないということもあって焼きたての串焼きだ。
「ほら、取りあえずこれでも食って元気を出せ。お前達にはきちんと遊撃隊として復帰して貰わないといけないからな」
「隊長……それは嬉しいんですけど、この内乱が終わった以上はもう遊撃隊は解散するんですけど」
そう、元々遊撃隊というのはメルクリオ軍の中から優秀な兵士や冒険者、傭兵を集めて結成された部隊であり、悪い言い方をすれば寄せ集めの者達だ。
その部隊が必要とされていたのは当然この内乱の為で、内乱が終結した以上は遊撃隊は解散される筈だった。
「そうだな。確かに遊撃隊は解散となる。ただし……凱旋パレードが終わってからだが」
「……凱旋パレード?」
「ああ。内乱が終わったというのを、しっかりとベスティア帝国中に知らしめる必要があるらしい。……いや、ベスティア帝国だけじゃないな。この内乱には周辺諸国も強い興味を抱いていたって話だったし。寧ろそっちに見せつける意味の方が強いんだろうな」
「そのパレードに、俺達も参加出来るんですか?」
恐る恐るといった様子で尋ねてくる兵士に、レイは当然だと頷く。
「お前達遊撃隊は、メルクリオ軍の中でも最精鋭の部隊の一つだ。そうである以上、どうしたってパレードには出る必要がある。それに……今回の戦いでは、隊長である俺がお前達とは完全に別行動だったからな。せめて、最後くらいは一緒に迎えるってのも悪くないだろ」
「レイ隊長……もしかして、それをメルクリオ殿下に?」
「さて、どうだろうな。それより話は分かったな? お前達にもきちんと凱旋パレードには出て貰うつもりだから。そのつもりで準備をしておけ」
視線を逸らして告げるレイの態度は、兵士の質問が真実を突いていたことを意味していた。
それが分かったのだろう。兵士達がレイに向けて感謝の視線を向け……
「隊長、もし良かったらミレアーナ王国に帰る時に、一緒に行ってもいいですか?」
「あ、お前抜け駆けしやがって。レイ隊長、俺も一緒に行かせて下さい」
「お前達……少しはレイ隊長の事も考えてだな。あ、レイ隊長俺も行きますのでよろしくお願いします」
「いいなぁ……俺も兵士をやめて冒険者になろうかな」
いきなり出て来たその言葉に、レイはただ唖然とするしかなかった。
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