第808話

 ノイズが去って行った戦場。 

 そうなると、残っているのは炎帝の紅鎧を解除したレイ、そしてレイの側に佇むセトに、周囲を囲んでいる無数の兵士達のみとなる。

 しん、と。静まり返る周囲。

 当然だろう。今までレイをこの場に留めておくことが出来たのは、あくまでもノイズという存在がいたからこそだ。

 そのノイズが姿を消してしまった以上、この場にレイを留めておくことが出来る者はいない。

 かといって、ここにいる兵士が全員でレイに襲い掛かったとしても、炎帝の紅鎧と名付けられたスキルを持っているレイに対してかすり傷すら付けることが出来るとは思えなかった。何より……


「グルルルルゥ」


 そんな兵士達を牽制するように、喉を鳴らしながら周囲を見回すセトの姿がある。

 レイという存在にさえ迂闊に手出し出来ずにいるのに、そこにグリフォンのセトが合わさればどうすることも出来ない。

 それも、今目の前にいるのはただのグリフォンではない。

 普通のグリフォンでは使えないような、数々のスキルを自在に使いこなす、希少種。

 ……いや、希少種という言葉ですら言い表せないような存在なのだから。

 静まり返っている様子を一瞥したレイは、特に何も言わずに地面へと落ちている物へと手を伸ばす。

 セトの不意を突いた渾身の一撃を、ノイズが盾代わりにして防いだ魔剣。

 意識がレイへと向けられている中で、セトの切り札の一つでもある光学迷彩を使って放たれた一撃だというのに、ノイズは咄嗟に魔剣を盾にしてその攻撃を防いだのだ。


(覇王の鎧で身体能力が大幅に上げられていたのは分かるが……それでもただの人間があの一撃を防ぐのか。分かってたけど、ランクS冒険者ってのは化け物以外の何者でもないな)


 先の戦闘、ノイズが自分の負けを認めて撤退した為、形式的には自分の勝利だというのは分かっている。

 だがそれでもノイズにまだ余力があるのは分かっていたし、あのまま戦い続けていれば恐らく魔力の消耗で炎帝の紅鎧を維持出来なくなっていただろう。

 以前に陣地攻防戦で覇王の鎧を使い続け、極度に魔力を消耗した時に比べれば大分マシだが、それでもかなりの魔力を消耗しているのは事実。

 ここまで魔力を消耗したのは、やはり炎帝の紅鎧の特徴でもある深炎……可視化出来る程に圧縮された魔力を自由に飛ばすという行為を派手に行ったからなのだろう。

 その度に飛ばした魔力の分を補充するために新たに魔力を消費していたのだから。

 覇王の鎧と違い、炎帝の紅鎧を維持するだけであれば魔力の消耗はそれ程多くはない。

 だがそれでも、普通の魔法使いの魔力で出来ることでもないのは事実だった。

 また、炎帝の紅鎧を習得する前に覇王の鎧を使っていたのも影響しているだろう。


「……さて」


 一先ず頭の中で考えを纏めつつ、手にしたデスサイズを担ぐ。

 ノイズに勝利を譲られた形となったのは、確かに面白くない。

 面白くないのは事実だが、それでも自分の前からノイズがいなくなったのは事実だった。

 そう、討伐軍の後陣でレイを抑えることが出来ていた、唯一の存在が姿を消し……そしてここに残っているのは、既にレイとセトのみ。

 周囲には討伐軍の兵士達がいるが、人数はともかく実力では自分達より遙か上の存在でもあるレイを相手に出来る筈もない。

 だからこそ、レイが動きを見せた瞬間に思わず数歩後退ろうとする者が現れ、次の瞬間には後ろにいる兵士達にぶつかり、転ぶ者が多数出る。

 そんな兵士達の様子を眺めていたレイだったが、喉を鳴らしながら頭を擦りつけてきたセトに自分がやるべきことを思い出す。

 そう、元々自分がここに来たのは討伐軍の後陣で大きな騒ぎを起こして混乱に陥れる為。

 同時に、メルクリオ軍に所属する者達に対して自分はここにいると、敵の後陣を攻めていると見せつける必要があった。

 どこを狙うか……と思って周囲を見回し、ノイズとの戦闘中に何度か見た水竜がいつの間にか消えているのに気が付く。

 見覚えのある水竜であり、誰がそこにいたのかは予想出来ていたレイだったが、ノイズと戦っている以上は他に意識を回す余裕は殆どなかった。


(誰が倒した? テオレームか、グルガストか……それとも、ヴィヘラか。あるいは遊撃隊辺りが頑張った可能性も否定は出来ないな。その辺の話はこの戦いが終わった後にでもじっくり聞くとして)


 セトの頭を撫で、残りが心許なくなってきた自分の魔力に若干不安を抱きつつも、口を開く。


「まず、俺はやるべき仕事を済ませてしまわないとな」

「グルルゥ?」


 大丈夫? と心配そうな目つきで自分を見てくるセトに、レイは多少強がりであると理解しつつも頭を撫でる。


「大丈夫だって。この戦争が終わったらゆっくりと休ませて貰うし……何より、セトの力を十分に使うことが出来るようになっただろ?」

「グルゥ!」


 一瞬前の心配そうな表情は何だったのかと言いたくなるくらい、嬉しげに喉を鳴らすセト。

 今までは、人の目のある場所でスキルを使うということは出来なかった。

 それが原因で色々と不自由な思いをしていたセトだったが、今は違う。

 ノイズとの戦いでどうしても勝ち目がなかったとして、既にセトのスキルは人前で……それもこれだけ大勢の目の前で使われたのだ。

 既に隠し通せるがどうかといった問題ではなくなっているし、討伐軍の中でも情報が上に回っているのは確実だ。

 レイとセトというのは、それ程に興味を向けられる者達なのだから。

 だからこそ、今はそのスキルを大々的に使ってでも戦況をメルクリオ軍側に傾けなければならない。


「そういう訳で、行くぞセト」

「グルルルルゥッ!」


 レイが呼びかけると同時にセトの背に跨がり、セトは数m程の助走を経て大きく翼を羽ばたかせる。

 レイの言葉を聞いていた兵士達の何人かは、何としてもここで止めなければ討伐軍に大きな被害が出ると、そう認識しながらも、足を進めることが出来なかった。

 炎帝の紅鎧という新たな力を得たレイはそれだけの迫力を発揮していたのだから。

 曲がりなりにもベスティア帝国最高戦力の一人でもあるノイズに敗北を認めさせる程に。

 その敗北が、本気で戦った結果の敗北という訳ではなく、寧ろまだかなりの余裕がある状態での敗北であったとしてもだ。

 それだけランクS冒険者が自らの敗北を認めたというのは大きい。

 心の奥底までレイに対する敗北感を植え付けられた兵士達は、ただ地上から上空へと上がっていくレイとセトを見送るしかなかった。






 戦場となっているブリッサ平原上空で、レイはセトの背の上から地上へと視線を向けていた。

 見るからにメルクリオ軍側が押し込まれているように見える戦況であり、それでも場所によっては討伐軍を押し返し、更には戦線を押し上げている場所もある。


「これは俺のミスだろうな。本来なら敵の後方に混乱を巻き起こして、討伐軍を動揺させる予定だったんだから」

「グルルゥ」


 レイの呟きに、セトが慰めるように喉を鳴らす。

 実際、ノイズという桁違いの存在を相手にして、その上で敗退させたのを思えば、この戦いの一番手柄に近いだけの功績ではあった。


(それも、メルクリオ軍が負ければ意味はないけどな。それに、おかげで炎帝の紅鎧という新しいスキルを……うん?)


 そこまで考え、ふと疑問が出てくる。

 炎帝の紅鎧というのは、レイの魔力を流すことで炎の魔力とでも呼ぶべき姿へと変わる。

 そして、当然炎の魔力により構成されている以上、熱を放つ。

 実際、ノイズと戦っていた時には覇王の鎧で熱によるダメージは防いでいたものの、それでも熱さに眉を顰めていた光景は目にしていたのだから。つまり……


「炎帝の紅鎧を使ったままだと、セトに乗れない、のか?」

「グルゥ!?」


 レイの呟きを耳にしたセトが、嘘! と言いたげに鳴き声を上げる。


「グルルゥ、グルゥ……」


 悲しげに喉を鳴らすセトを見てしまえば、レイとしても可哀相に思わざるを得ない。

 だが……と。数秒考え、ふと思いつく。


(セトは魔獣術で生み出された存在。つまり、俺の魔力から生まれた。そして、炎帝の紅鎧も俺の魔力が可視化し、半ば物質化に近い。となると……いける、か?)


 レイの予想では、炎帝の紅鎧とセトが触れても問題はないというものだった。

 それでもまさか、セトに乗っている状態でいきなりそんな真似を試す訳にもいかない。

 予想はあくまでも予想であり、もしその予想が外れていればセトは大きな火傷を負ってしまうことになるのだから。


「安心しろ……ってのは、ちょっと無責任かもしれないけど、多分セトは炎帝の紅鎧に触れても大丈夫だと思う」

「グルゥ!」


 本当!? と見るからに嬉しそうなセトに、レイは頷きを返す。


「正確にはまだ試してないから分からないけど、多分……本当に多分だけど、大丈夫だと思う。今は無理だけど、この戦いが終わったら試してみような」

「グルルルルルゥ!」


 嬉しさに喉を鳴らすセト。

 つい先程まで浮かべていた悲しげな表情は何だったのかと言いたげなその様子に、レイは小さく苦笑を浮かべる。

 そして、苦笑を浮かべたちょうどその時、レイとセトの姿は討伐軍の後陣。その中でも最も人の密集している場所へと到着していた。

 だが、地上へと視線を向けたレイは軽く眉を顰める。

 メルクリオ軍と討伐軍の戦いのターニングポイントともなった、ランクA冒険者水竜のディグマの敗退。

 それが起きた結果、現在の討伐軍は自軍の被害を承知のうえで、数の差を活かしての物量戦に出た。

 そうなれば当然後陣の部隊も押し上げられることになり……つまり、現在レイの眼下に存在するのは討伐軍の後陣であるのは間違いないが、メルクリオ軍との距離が近すぎたのだ。

 ここでレイが得意とする広範囲殲滅魔法を使った場合、当然ながらその効果は味方にも及び、敵味方識別機能などという便利なものがある訳ではない以上、レイの魔法の被害はメルクリオ軍にも及ぶことになる。


「かといって、規模の小さい魔法だと敵に動揺を与えるってのは無理だし……岩、も無理だな」


 脳裏にミスティリングに保存されているアイテムの一覧が表示されるが、岩はもう残り七個のみ。

 すぐに弾切れになってしまう以上、上から岩を落とすという手段も存在しない。

 槍も、個人を狙うのであればまだしも、数万人を相手にしては意味がないだろう。

 つまり、ここで必要なのは味方に被害を与えず、敵だけにダメージを与えるだろう攻撃。

 そう考え、すぐに思い浮かんだのはつい先程使えるようになった炎帝の紅鎧だった。

 使えるようになったばかりだからこそ、思い浮かんだのかもしれないが。


(魔力は……まぁ、覇王の鎧よりは魔力の消費が少ないんだし、それを考えれば吸魔の腕輪で何とかなるか? なるといいんだけどな。いや、どのみち短期間でも炎帝の紅鎧を使えば、その時点で向こうが混乱するのは確定か)


 素早く考えを纏めると、レイはセトの首を軽く撫でながら口を開く。


「セト、じゃあ景気づけに下に……後陣の中でも後方へ向けてファイアブレスを頼む。敵を動揺させる為には、思い切り目立って注意を引く必要があるからな」

「グルルルゥ!」


 任せて、と喉を鳴らしたセトは、ファイアブレスの射程距離へ収めるべく地上へと近づいて行く。

 地上ではメルクリオ軍と討伐軍が真っ正面からぶつかり合っているが、それでも数万人もいれば空にいる存在に気が付くような者も出てくる。

 その者達からの連絡により、メルクリオ軍からは期待が、討伐軍からは絶望の空気が生まれる。

 特に、討伐軍から感じられる絶望の空気はかなり深刻だった。

 当然だろう。本来であればレイはノイズが抑えている筈だったのだ。

 ベスティア帝国の英雄の一人でもあるノイズが抑えている筈のレイがここにいるということは、つまりノイズがレイを抑えきれなかったということを意味している。

 つまり、レイがノイズに勝ったのだと。

 ……実際にはノイズがレイに対して勝ちを譲った形となっていたのだが、それを知っているのはレイとノイズの戦闘を見ていた者達だけであろうし、その者達にしても勝ちを譲られたとしてもレイがノイズと互角に……あるいは互角以上に戦っているのをその目で見ている。

 その光景を見ていた者達にしてみれば、レイとノイズの強さはそう違いがないという認識だった。

 そんなレイとセトが地上近くへと降下していくと、レイを自由にさせて堪るかと地上の討伐軍から無数の矢が放たれる。

 当然だろう。もしもこの一人と一匹を自由にさせれば、間違いなく大きな被害を受けるのだから。

 そうなれば、メルクリオ軍との戦闘どころではない。

 折角今は討伐軍有利に戦況が運んでいるというのに、あっという間に逆転されてしまう。

 それを防ぐ為、何とかレイをこの場で自由に動けないようにと攻撃していたのだが……

 レイとセトに対して攻撃を行えば、そちらに割いた分だけ討伐軍のリソースは減る。

 結果的にメルクリオ軍に対して行われていた攻撃の圧力は減っていく。


「この程度の矢で俺達をどうにか出来ると思われてるとはな!」


 デスサイズが縦横無尽に振り回され、レイやセトに当たる軌道を描く矢を斬り落とし、セトの前足が矢を叩き落とす。

 そうして、地上近くまで降下したところで……


「セト!」

「グルルルルルルルゥッ!」


 レイの言葉に応え、セトが地上へと向かってファイアブレスを吐き出すのだった。

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