第801話

 ベスティア帝国で起きている内乱の中で、最も激しい戦いとなっているこの戦闘。

 その戦闘を本陣から見ながら、メルクリオは側で控えているテオレームへと視線を向ける。


「全体的に見て互角……ということでいいのかな?」

「はい。兵力で劣ってはいますが、現在の戦況は互角と言ってもいいかと。……本来であれば、討伐軍の後陣でもっと派手に混乱が起きる予定だったのですが」

「そうだね。その辺が上手く進んでいれば、今頃こちらが有利になっていたんだろうけど……」

「レイの性格を考えれば、ここぞとばかりに派手な魔法を使いそうなものなのだけど」


 メルクリオとテオレームの話を聞いていたフリツィオーネが心配そうに呟く。


「そうだね、フリツィオーネ姉上。確かにレイの性格……というか能力を考えれば、ここで派手に戦わないってことはないと思うんだけど。これはカバジード兄上が打った手が当たったのかな?」

「それしか考えられませんね。ただ、どんな手を打ったのかは分かりませんが。正直、レイを抑えるのに相応しい相手となると、不動のノイズくらいしか思いつきません」


 そう告げるテオレームだったが、本陣の中にいる貴族の一人が首を横に振る。


「その件に関しては既に結論は出ているだろう? 確かにノイズであればレイに対抗出来るかもしれない。だが、ノイズをこの内乱で使う為には皇帝陛下の許可が必要だろうし、何よりノイズは闘技大会が終わった後で既に魔の山に向かってしまっている。そのノイズを引っ張り出すのは難しいと言わざるを得ないと」


 他の者達も同様に頷く。

 そう、普通に考えれば貴族の言葉通りにノイズをこの戦場に引っ張ってくるのは到底無理なのだ。

 それは間違いない。

 だがテオレームの脳裏にあるのは、この内乱が始まってから幾度となく戦ってきた討伐軍側が連戦連敗であり、個人として兵士を何人倒した、騎士を倒したといった手柄はともかく、戦闘で勝利を得たという手柄はまだ一切なかったということだ。


(つまり、それだけ討伐軍側は追い詰められている。そしてフレデリックのあの自信。カバジード殿下のことだ。何らかの奥の手があるのは確実だと思うのだが、な)


 テオレームの脳裏には、メルクリオ最大のライバルとも呼べる……いや、それどころか政務に携わってきた経験を思えば、上位互換と呼んでもおかしくないカバジードの顔が過ぎる。

 必ず何らかの手を打っている筈、と。

 すると、まるでそんなテオレームの内心を読んだかのように伝令が姿を現す。 

 全力でここまで走ってきたのだろう。乗っている馬も、荒い呼吸を隠しもしない。


「伝令、伝令です! 遊撃隊が同士討ちを行っています!」

「……何?」


 最初、伝令が何を言っているのか、その意味が分からずにテオレームが言葉を漏らす。

 当然だろう。遊撃隊は、メルクリオ軍の中でも精鋭と言ってもいい部隊だ。

 それこそ、レイを抜きにしても魔獣兵や白薔薇騎士団と同格の実力を誇る部隊であり、レイを入れれば文字通りの意味でメルクリオ軍の中でも最強の部隊となる。

 当然そこに所属している者達は、メルクリオ軍全体の中で実力以外に裏切りの心配がないかどうかを調べてから配属されていた。

 勿論内乱が行われている中である以上、完全な調査という訳にはいかない。

 一人や二人くらいは何かを企んでいる者がいてもおかしくないだろうとテオレームも考えていた。

 だからこそ、自らの部下であるペールニクスを送り込んでいたのだから。

 ……もっとも、レイが率いる部隊なのに、そのレイが基本的に単独行動を好むという面があるので、実際に部隊を率いることになっているが。

 ともあれ、一人や二人が裏切るのならともかく、同士討ちをしていると報告が来る程の人数が裏切るというのはまず有り得ないと言っても良かった。


「何が起こっている?」


 テオレームの近くにいた貴族が呟く事が聞こえてくる。

 それを聞いたテオレームは、すぐに我に返って指示を出す。


「遊撃隊が同士討ちをしているとなると、周辺にも大きな被害が出る危険がある。近くの余裕のある部隊で鎮圧しろ。なるべく殺さず捕らえるようにしてくれ。それと、騒ぎが落ち着いたらペールニクス……いや、今はそれどころではないか。事情を詳しく説明出来る者を連れてこい。それで、討伐軍との戦いにはどんな影響が起きている?」


 最初の指示で本陣に待機していた伝令が素早く馬へと向かって走ったのを見て、改めて報告を持ってきた伝令が口を開く。


「暴れている者達は、敵味方関係なく暴れているようです。なので討伐軍が近づけば討伐軍に、遊撃隊やこちらの軍の者が近づけばそちらに攻撃をしています」

「……こちらを裏切って討伐軍についたという訳ではない、のか?」


 もし討伐軍側についたとなれば、そちらにも攻撃を仕掛けるのはおかしいだろう。

 そんな疑問を口にすると、報告を持ってきた伝令は頷きを返す。


「はい。見たところ、裏切ったというよりは暴走しているといった印象を受けました」

「暴走?」


 首を傾げるが、特に暴走するようなマジックアイテムを持っているとも考えられない。

 そもそも、その手のマジックアイテムは非常に稀少であり、幾らメルクリオ軍の精鋭部隊である遊撃隊であるとしても、話で聞いたような数を持っていると思えない。


(だとすれば……何だ? いや、今は考えるよりもとにかく行動をするべきか)


 このまま悩んでいるだけでは、周囲に不安を与えるだけだ。


「他に同士討ちをしている部隊は?」

「今のところそのような報告は入ってきていません。恐らく遊撃隊だけかと」


 その説明に、テオレームは悔しげに口を噤む。

 今のところは特にこれといって他の部隊に問題はなかったが、遊撃隊が同士討ちをしている理由が不明な以上、完全に安心することは出来ない為だ。

 次の手をどう打つべきか。

 それを考えていると、ようやく待ち望んでいた人物が姿を現す。

 いや、目の前の人物が潜り抜けてきた修羅場を考えれば、すぐにやって来たと表現する方が正しいだろう。

 顔の周辺に血が付いているのは、男が怪我をした様子がないところから考えると、恐らく返り血。

 それも男が戦っていた相手を考えると、自分の戦友の血なのは間違いがなかった。

 目に浮かんでいるのも、混乱の色が強い。

 そんな遊撃隊の一人へと、テオレームは声を掛ける。


「お前を呼んだのは他でもない。……いや、その前にこれを聞いておくか。遊撃隊の混乱はもう収まったのか?」

「いえ、収まってきてはいますが、まだ暴れている奴がいます。くそう、何だってあんな……あいつら、完全に正気じゃなくなってた。なんであんな、あんな……」

「……今聞くのは色々と辛いかもしれないが、今はそれどころではない。向こうがどのような手段でこちらの部隊を……それも精鋭部隊である遊撃隊をこのような目に遭わせたのか。それを聞かせて欲しい。何か心当たりはないか?」

「そう言われても……」


 テオレームの言葉に、遊撃隊の男は悩むように考える。

 そのまま数十秒が過ぎ、やがて自信がない様子で口を開く。


「多分ですが……ワイバーンのレザーアーマーが理由だと思います」

「ワイバーンのレザーアーマー?」


 呟き、すぐに思い出す。

 レイが竜騎士を仕留め、ワイバーンの死体を持ち帰ったことを。

 そして、ワイバーンの死体から剥ぎ取った皮を、マジックアイテムを使って強引に時間を短縮して革とし、レザーアーマーを作ったことを。


「……つまり、これはレイの仕業だというのか?」


 テオレームの口から出たのは、最悪の予想。

 もしこのメルクリオ軍最強の戦力でもあるレイが討伐軍側に裏切っていたとすれば、この戦いは完全に勝ち目がない。

 だが、遊撃隊の兵士はとんでもないと首を横に振る。


「あのレイ隊長がそんな真似をするとは思えません。それは、副隊長も同じ意見でした」

「ペールニクスが……」


 信頼している自分の部下だけに、その判断が間違っているとは思えない。

 ならば、何故? そう思うも、原因が思いつかず……ふと、目の前にいる遊撃隊の兵士が予備の武器として持っているのだろう短剣の入っている鞘に目が止まる。


(短剣? そう言えば、レイからはレザーアーマーの他に……っ!?)


 レイと話した内容を思い出し、小さく息を呑む。

 そして、慌てて目の前にいる男へと向かって口を開く。


「確か、あのワイバーンの素材からは、レザーアーマー以外にも牙や爪から短剣や矢といった武器を作っていた筈だな? 魔剣の類は時間が掛かるとして、後回しにした筈だが」

「っ!?」


 そこまでは考えが及んでいなかったのだろう。兵士が息を呑む。

 勿論兵士が普通であれば、その辺にも考えが及んだだろう。

 だが、突然味方が……それもつい数分前まで話していた戦友が暴れ出したのだ。

 寧ろ、ワイバーンのレザーアーマーを身につけている者だけが暴れていると見て取ったのを褒めるべきだろう。


「テオレーム、つまりどういうことなのかしら? 分かるように説明してくれる?」


 黙って話の成り行きを見守っていたフリツィオーネの言葉に、テオレームは頷き、口を開く。


「同じワイバーンの素材から出来ている装備品を持っているというのに、レザーアーマーを装備している者だけが暴れ回り……いえ、暴走し、牙や爪を使った装備品を持っている者は暴走していない。同じワイバーンから剥ぎ取った素材から作っているというのに、です」


 そこまで言えば、メルクリオやフリツィオーネ、そして周囲にいる他の者達にしてもテオレームの言いたいことを理解したのだろう。

 小さく息を呑む。

 そんな中、テオレームの言葉は続く。


「そして、そのワイバーンを得ることになった竜騎士の襲撃。レイから聞いた話によると、全く無意味な状況で姿を現し、それこそ負けることを前提としているかのように襲い掛かって来たとか。……そう。まるで、ワイバーンの死体をレイに与える為に」

「けど……カバジード兄上がワイバーンに何らかの仕掛けをしたとしよう。なのに、何故牙や爪を使った装備を持っている者達は特にこれといって異常がなかったのかな?」


 メルクリオの言葉に、テオレームはすぐに口を開く。

 今回の件の仕掛けが半ば予想出来ていただけに。


「通常、皮をなめして革にするには、ある程度の日数が必要です。それがモンスターともなれば……それも、ワイバーンのようなモンスターであれば、通常以上の日数を必要とします。それこそ、数日程度ではどうあっても革には出来ない程に」

「けど、間に合ったんだろう?」

「はい。私達の軍の鍛冶師が使うマジックアイテムに、ドリムの滴というものがあります。それを皮に垂らしてなめしの作業をすれば、普通に革にするよりは性能が落ちますが、革にするまでの時間を驚く程に短縮してくれます。ただ、もしもカバジード殿下がこのマジックアイテムを使うということを知っていれば……」

「そのドリムの滴というマジックアイテムに反応して、装備している者を混乱させるようにワイバーンに対して何らかの仕掛けをするのは難しくないってことかな?」


 メルクリオの言葉に、厳しい表情を浮かべて頷くテオレーム。

 それはそうだろう。つまり、最初からカバジードはここまで読み切って竜騎士をレイに対して襲撃させたということになるのだから。

 とてもではないが、普通に考えてここまで罠を仕込めるとは思えない。


(ただ、これは偶然に偶然を重ねた結果だ。ワイバーンのレザーアーマーを戦争終了後に渡すとレイが決断していれば、今のような事態にはならなかった可能性もある。必勝の策として狙った訳ではなく、あくまでも成功したら運がいい程度の狙いだったのか?)


 カバジードの思考が理解出来ず、テオレームの中に疑問が満ちる。

 運が良ければ発動するという策を行うにしては、竜騎士5人を失うという被害はあまりにも大きいような気がするのだ。

 もしもレイがワイバーンのレザーアーマーを遊撃隊の者達に与えていなければ、竜騎士を無駄に死なせただけとなる。


(今回は上手くいった。だが……賭けの要素が強すぎる。いや、寧ろカバジード殿下としては、本当にここまで読み切っていたのか?)

 

 テオレームの脳裏を、有り得ない想像が過ぎる。

 ここまでは幾つもの偶然が積み重なっての現状となっているのだ。

 だというのに、その全てを読み切って罠を仕掛けるというのは……


(いや、カバジード殿下なら有り得るか?)


 第1皇子の、どこか得体の知れなさを思い出す。

 能力的に見れば、皇位継承権を持っている人物の中で最も高いだろう。

 だがその得体の知れなさを考えると、どうしても皇帝として仰ぎたいとは思えなかった。

 だからこそ、テオレームはメルクリオに仕えることを選んだのだから。

 ……もっとも、メルクリオ自身の器に惹かれたというのも、間違いのない事実だが。


「遊撃部隊の混乱、ようやく収まった模様です! ただし、被害は多数!」


 伝令の兵士の報告を聞き、安堵しつつも、次に向こうが何をしてくるのかと思わずにはいられなかった。

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