第781話
戦場から聞こえてくる悲鳴や歓声。それは、明らかに異常な代物だった。
少なくても、反乱軍の陣地を攻撃する指揮を執っていたペルフィールにしてみれば、予定外にして予想外としか言いようのない代物だ。
「どうなっている。この騒ぎの原因は何だ?」
それでも冷静に尋ねるペルフィールに、周辺にいるペルフィールの部下は慌てたように首を横に振る。
「分かりません! 部隊が完全に混乱しており、連絡が全く取れません! 既に伝令の兵を向かわせましたが、情報が入るにはもう少し掛かるものかと」
「遅い! ……と言いたいが、現状ではそれが最善の選択だろう。よくやった。それで、何か予想出来る者はいるか?」
「一番考えられるのは、メルクリオ殿下が温存していただろう切り札とも呼ぶべき戦力を投入したということでしょうか?」
その言葉を発した騎士の近くにいたペルフィールの幕僚の一人が口を開く。
「ですが、既に向こうは切り札であろう魔獣兵と、少数精鋭の部隊を投入しています」
「それ以外にも切り札はあったということだろうな。少なくても相手にはテオレームがいる。それを考えれば、少しも不思議はない」
「……なるほど。ですが、それならばヴィヘラ殿下が戻ってきたという可能性も考えられませんか? クォントームの吐息を使ってこの一帯には幻影を見せてはいても、ヴィヘラ殿下であればこちらの動きに気が付いたというのは十分以上に考えられるかと」
「待って。けどそれならクォントームの吐息の範囲外に配置してある部隊から連絡が来る筈よ。そちらから一切連絡がないというのは、幾ら何でも有り得ない」
「では、残るのはフリツィオーネ殿下の軍ですが、そちらにしても突破されたと連絡が来ないのはおかしい」
「そもそも、帝都方面には街道に投石機すら用意していた筈だろう? それがこんな簡単に突破される筈が……」
その場にいた者のうちの一人が声を荒げてそう叫んだ、その時。
まるでタイミングを計っていたかのように、馬に乗った兵士がやって来た。
「伝令、伝令です! フリツィオーネ殿下の軍が来る方面に配置していた部隊のほぼ全てが壊滅!」
「何ぃっ!」
たった今、投石機すらも用意したのだから大丈夫だと告げた男が、その報告に目を剥く。
いや、それはその男だけではない。この本陣にいた人物全てが同様であり、ペルフィールですらも例外ではなかった。
「それは事実か?」
それでも部下のように声を荒げることなく問い掛けるのは、カバジードの信が厚いペルフィールならではだろう。
「間違いありません! 私は……私は、見ました! あの、あの深紅が暴れ回って投石機を破壊するのを! それに、投石機を配置した以外の部隊も、上空から大量の岩を落とされ、被害甚大です。死者、負傷者多数で、中には部隊を指揮していた隊長が死んだ部隊もあり、殆どが混乱して部隊の体を成していません!」
「……なるほど。つまり、あの騒動は深紅の仕業という訳か」
ポツリと呟くペルフィール。
その言葉を聞き、その場にいた者達もまた気が付く。
「では! ……では、報告が来ていなかったのは、伝令が来るよりも早く深紅がこの戦場にやってきたからだと?」
「恐らくは間違いあるまい。深紅はグリフォンを従魔にしている。空を飛ぶ者と、地を走る者。どちらが早いかは、言うまでもないだろう?」
「それは……」
ペルフィールの言葉を聞いていた者達が息を呑む。
その言葉は、間違いなく事実だったからだ。
「竜騎士がいれば……」
そう呟く者もいたが、ペルフィールはすぐに首を横に振る。
「駄目だ。春の戦争で深紅に竜騎士が全滅させられたのを忘れたのか?」
「ですが、伝令として使えば!」
「……カバジード殿下の判断が誤っていた、と?」
静かに尋ねるペルフィールに、たった今まで竜騎士の件で激昂していた男は我に返ったように落ち着きつつも、言い返す。
「そうは思いません。ですがカバジード殿下も人の子。そうである以上、全てに考えが及ばないこともある筈です。そのような時は臣下の私達が諫める必要があるかと」
「確かにそうかもしれないが、竜騎士の件にしても私達が思いも寄らない理由がある可能性は否定出来ないだろう。……まぁ、それはともかくとしてだ。一旦部隊を退かせるよう全軍に命令を。ここまで混乱させられてしまっては、このまま戦い続けていてもこちらの被害が増すだけだ」
「は! すぐに取り掛かります」
伝令用に待機していた兵士が、すぐさま本陣を出て行く。
それを見送り、ペルフィールは改めて視線を自分の部下達へと向ける。
「皆、撤退の用意を」
「このまま退かれる、と?」
「そうだ。伝令の兵士にも言ったが、深紅が来ている以上はこのまま戦っても勝ち目はないだろう。それどころか、ブラッタの率いた討伐軍のように炎の竜巻で一網打尽にされるかもしれない」
「それは……」
撤退に不服だった男も、ブラッタが受けた被害がどれ程のものであったのかを知っているが故に、それ以上の反論は口に出来ない。
深紅という存在がこの戦場にやってきた以上、確かに炎の竜巻を使われる可能性は否定出来ないからだ。
だが幾つもの手を打った上で、ようやくこの状況に持ってくることに成功した。
だというのに、こうもあっさりと退いてもいいのか? そんな思いがペルフィール以外の者にはある。
そんな部下達を安心させるように、ペルフィールは微笑みながら口を開く。
「心配するな。確かに今回のことに関しては色々と予定外だったが、それでもカバジード殿下であればこの可能性は十分に予想していた筈。恐らくこちらに向かっている部隊には、深紅に対する為の用意がされているだろう」
その言葉を聞いた部下達は、驚きの表情を浮かべる。
話の内容もそうだが、何よりも驚いたのはペルフィールの笑顔を見たこと。
他人に厳しく、それ以上に自分にも厳しいペルフィールだ。その笑顔を初めて見たという者も少なくない。
「それに、以前カバジード殿下は深紅に対しての奥の手があると仰っていた。であれば、そろそろその切り札を切る頃合いだろう」
「奥の手……というのは、ロドスに使ったマジックアイテムなのでは? 魔力によって生み出された炎を吸収するとかいう」
その言葉に、ペルフィールの顔が微かに……周囲で見ている者でも気が付かない程に顰められる。
ペルフィールにしてみれば、ロドスは自分が鍛えた相手だ。
幾らロドス自身が望んだからといって、炎を吸収するマジックアイテムや、更には強力な再生能力を与える代わりに自らの意思を封じ込めるかのようなマジックアイテムを使って欲しくはなかったというのが正直な気持ちだった。
実際、その件に関しては、カバジードの考えだとしても決して十分に納得している訳ではない。
そんな思いが一瞬過ぎるが、すぐに首を横に振って意識を目の前のことへと集中する。
今ここで時間を掛ければ、それだけ味方の被害は大きくなるのだから。
「カバジード殿下は深紅の対処法が幾つかあると言っていた。それが何なのかは分からぬが、それでも一つしかないのであれば、決して幾つかあるとは言わなかった筈だ」
ペルフィールの口から出たその言葉は、事実だった。
この場にいる者達の上司であるカバジードは、決して自分に出来ないことは口にしない。
それは、これまで仕えてきた経験からはっきりと理解出来た。
だからこそ、その場にいる皆がペルフィールの言葉に従う。
「分かりました。それで、第2皇子派の方には何と?」
この反乱軍の陣地攻略を行っているのが討伐軍である以上、当然そこにはカバジードだけではなくシュルスの手の者もいる。
だが現在のシュルス率いる第2皇子派は、勢力を大きく落としている。
その理由が最初の戦いで捕虜になった貴族達なのだが、その貴族達が現在ペルフィール達の視線の先にいるのは、何とも皮肉な結果だった。
ともあれ、切り捨てる予定だった筈の貴族の多くが生き残っている為、それらの貴族は現在反乱軍の身代金の交渉を行っており、戦場に戦力を出せる筈もない。
勿論全ての貴族が捕らえられた訳ではなく、最初から有能な貴族であるとシュルスに認識されていた為に全く無傷の貴族達もいる。
だがそれでも、最大派閥であり、有能な貴族を多く擁しているカバジードに比べると圧倒的に勢力は落ちており、結果的にこの反乱軍の本陣を攻めるという作戦においても、主導権を第1皇子派に譲らざるを得なかった。
「そうだな、正直に説明しても構わん。向こうにしても、深紅を相手に下手に対抗するような真似をすれば、それは全て自軍の損害となることは今までの経験で理解している筈だ。それでももし残るというのであれば、それはそれで構わん。私達が撤退する際の殿軍として利用させて貰おう」
ペルフィールの口から出た言葉にその場にいる者全てが頷き、伝令の兵士が出ていく。
「さて。そうは言ったが、恐らく向こうの部隊も撤退にはすぐに同意するだろう。あの深紅とまともにやり合えば、ただでさえ少ない向こうの戦力を更に減らすことになるだろうし」
「でしょうな。そうなると、必然的に殿軍を用意する必要が出てきますが」
「……惜しいな。名にし負う深紅。私がこの軍の指揮官でなければ、寧ろ望んでやり合いたい相手なのだが」
自らの力には自信がある。だが、それでも異名を持つ程の力にはまだ達していない。
それが理解出来るからこそ、ペルフィールは異名持ちである深紅と戦い、具体的にどのくらい力の差があるのかを感じてみたかった。
(望みすぎか。それに、今回は無理でもカバジード殿下と反乱軍が敵対している以上、いつか必ずその機会はある筈)
内心の惜しいという思いをすぐに消し去り、ペルフィールは部下へと次々に指示を出していく。
未だにレイとセトが暴れている以上、その一人と一匹が遭遇した部隊は既に諦めた方がいいのかもしれないと思いつつ。
「とにかく、今は一刻も早くこの場から離脱して反乱軍と距離を取る。撤退方向を間違えないように各自にきちんと指示を出せ! 下手に街道沿いに帝都方面に撤退しようものなら、フリツィオーネ殿下の軍と正面から衝突することになるぞ。クォントームの吐息の使用も許可する」
「こちらの戦力であれば、フリツィオーネ殿下の軍とぶつかっても問題ないのでは?」
そう告げてくる騎士の一人へ、ペルフィールは軽蔑の視線を向ける。
「馬鹿か、お前は。ただでさえ深紅との交戦でこちらの兵士の士気は落ちているんだ。そんな状況でフリツィオーネ殿下の軍とまともにぶつかり合ってみろ。人数的にこちらの勝ちは揺るがないだろうが、被害が馬鹿にならないぞ。それに、そちらと戦っている時に反乱軍から追撃を受けたらどうするつもりだ? その追撃部隊の中には、深紅がいる可能性もあるのだぞ」
「……すいません、そこまで考えていませんでした」
「血気盛んなのはいいが、カバジード殿下の下でお役に立ちたいのであれば、目の前のことだけではなく遠くも見るようにしろ」
騎士を窘めるようにそれだけを告げて、再び部下へと指示を出していく。
「駄目です! 深紅を相手にしている部隊は既に崩壊寸前! 深紅が暴れている周辺にいる部隊から逃げ出している者も増えてきています!」
「グリフォンの暴れている部隊も同様です! 深紅の部隊程に直接的な被害は出ていませんが、精神的な衝撃ではこちらの方が上で、逃げ出す兵士多数!」
伝令の兵士の報告にペルフィールの周囲にいる者達がざわめくが、ペルフィール自身はそれを気にした様子も見せずに指示を下す。
「隣接している部隊の者に指揮を執らせろ。逃げ出した者に関しては、今の状況では集めても混乱の元凶にしかならないから放っておけ。指揮下にいる者だけでも纏めて、その場から離脱。すぐに足止め用の部隊を派遣する。確かイーシュテットとマトレンの部隊はそれぞれ深紅とグリフォンからそう遠くない位置に配置していた筈だな。攻撃はせずともいい。ただ、時間を稼がせろ。第2皇子派の方は何と言ってきている?」
「そちらからの連絡は、まだ……いえ、来ました!」
ペルフィールの言葉に、近くにいた貴族の一人が叫ぶ。
同時に、馬に乗った伝令がペルフィールの下へと到着する。
「第2皇子派も撤退するとのことです。また、殿軍は自分達からも出すと」
「……ほう」
てっきり殿軍は人数の多い第1皇子派で何とかしろと言われるだろうと思っていただけに、ペルフィールは予想外といった呟きを漏らす。
だがその呟きは、どちらかと言えば好意に値するものだった。
「軍に強い影響力を持つシュルス殿下の第2皇子派だからこそ、ここで私達に殿軍全てを押しつけて撤退するという真似は出来なかったのだろうが……さすが、と言うべきだろうな」
呟き、ペルフィールは素早く撤退の指示を出していく。
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