第757話
街道を進むフリツィオーネ達、第1皇女派の軍勢。
補給部隊を併せても五百人程であるという為に、進軍速度は大きな軍隊に比べればかなり速かった。
人数を少なくしなければならないということで、選ばれたのは基本的に精鋭だというのもあるのだろう。
そんな第1皇女派が反乱軍の陣地を目指して街道を進んでいくと、やがて視界の先に自分達を待ち構えているかのように布陣している相手が見えてきた。
……いや、待ち構えているようにではなく、正真正銘待ち構えていたのだろう。
やがて街道を進む第1皇女派は足を止め、使者として二人の人物が前に出る。
アンジェラとレイ。共に、フリツィオーネ軍の中では際立った実力を持った者達だ。……もっともレイは正確にはフリツィオーネ軍ではなく、反乱軍から送り込まれた護衛なのだが。
「……なるほど。こうして見ると確かに林の中にそれなりの人数が潜んでいるわね。ただ、相手もなかなか上手く気配を消しているし、見つからないように工夫しているから、レイが言ってくれなければ分からなかったでしょうけど」
待ち伏せしていた部隊へと向かって進みながら、アンジェラが呟く。
視線は自分達の進行方向へ真っ直ぐ向けられているが、街道沿いの林のある方へも意識を割いていた。
「普通、目に見える場所に敵がいれば、それ以外の場所に意識を割くのは難しいからな。あからさまに目を逸らすなんてのは使い古された策だけど、効果的だからこそ何度となく使われて、その結果使い古されたんだろうし。……実際こうして見る限り、向こうとしてもここで絶対に決めてやるって風には思えないけど」
アンジェラと会話を交わしつつ、レイの視線は前方に布陣している部隊へと向けられている。
前衛にはフルプレートアーマーを身につけ、槍を手にした重装歩兵とでもいう者達や盾を持っている歩兵がおり、その背後には弓兵が、更にその背後には騎兵が……という風に隊列を整えていた。
ただし、その表情は強張っている。
自分達が敵対しようとしているのが、第1皇女のフリツィオーネであるというのもあるだろう。
民衆からの圧倒的な人気を誇り、当然今待ち構えている者達の中にもフリツィオーネを慕っている者は多い。
そんな相手に対して敵対しようというのだから、どうしても憂鬱な気持ちになるのは当然だった。
また、今近づいてきている二人組のうちの片方、アンジェラの件もある。
白薔薇騎士団は女の騎士のみで結成されている騎士団であり、一種秘密の花園的な印象を持っている者も少なくはない。
特にアンジェラはその秘密の花園を統べる存在なのだ。多少年齢的な問題があれども、憧れている者も決して少なくはなかった。
そして何より……長さ二m程のデスサイズを肩に担ぎ、グリフォンであるセトの背に乗っている人物。
これが誰なのかというのは、ベスティア帝国の軍事に関わっている人物なら……そしてここにいる人物なら間違いなく知っているだろう。
深紅の異名を持つランクB冒険者のレイ。
これだけの人数を前にしても全く臆した様子もなく近づいてくるレイに、兵士達は否応なく気圧される。
臆した様子もないという点ではアンジェラもまた同様なのだが、やはりネームバリューとして考えればレイの方が上なのだろう。
それでも待ち伏せしている方としては、こうしてただ近づいてくる相手を待っている訳にはいかない。
やがてレイとアンジェラが第1皇女派と待ち伏せしていた軍の丁度中間辺りまで来たところで、待ち伏せしていた軍からも二人の人物がやって来る。
それが誰なのかを見たレイは、思わず目を見開く。
二人の人物のうち、先頭を進んでいる人物は見覚えがなかったが、もう一人の方は見覚えがあった為だ。
「ロドス……」
レイの口から自分の名前が出たのを耳にしたのだろう。ロドスはレイの方へと視線を向ける。
だが……
(何だ?)
自分の名前を呼ばれて視線を向けてきた割りには、殆ど表情が変わっていない。
今までであれば、間違いなく何らかの反応を示した筈だというのに。
寧ろレイに強烈な視線を向けてきているのは、ロドスの前を進んでいる人物だった。
「……お前が深紅か。遠くからはともかく、こうして近くで見るのは始めてだな」
声に潜んでいる憎悪を感じ取り、肩に担いでいるデスサイズの柄を握る手に力を入れる。
もし向こうが何らかの行動に出たら、すぐに対応する為に。
「妙に恨まれているみたいだな。この国に恨まれる理由は幾らでもあるから、不思議じゃないが」
「そうだな、お前に対する恨みは嫌って程あるよ。それを返せる日が来るのを、どれだけ楽しみにしていたことか」
ここまで恨まれているというのも珍しく、本当にこうして会うのは初対面か? そう思ったレイだったが、当然目の前にいる人物の顔は見覚えがない。
目の前にいる人物が誰なのか。それを示してくれたのは、レイが思い出すのでもなく、本人の口からでもなく、ロドスの口からでもなかった。
「ブラッタ、通しては貰えませんか?」
「アンジェラか。今はお前よりも深紅の方だ」
アンジェラの言葉に一瞬だけ視線を向けたブラッタだったが、すぐにお前には興味がないと言いたげにレイの方へと視線を向ける。
その様子に、若干の違和感を覚えるアンジェラ。
勿論アンジェラは第1皇女派で、ブラッタは第1皇子派。敵対派閥である以上は仲がいい訳ではない。
それでも顔見知り程度ではあるし、偶然会えば会話を交わす程度の仲ではある。
それに、今はお互いが正面からぶつかり合おうとしている時だ。だというのに、そこまでレイに固執する理由が分からなかった。
しかし、その疑問も次の瞬間には氷解する。
レイを睨み付けたブラッタは、心の底から嬉しそうに笑みを浮かべて口を開く。
「今も言ったが、俺はお前に会うのを楽しみにしていた。あの恨み……何も出来ないままで一方的に蹂躙される恨みをお前自身に教えてやる為にな」
近くで聞いていたアンジェラは、ブラッタが何を言っているのかはすぐに分かった。
討伐軍が壊滅した時のことだろうと。
それはレイもまた理解したのだろう。ブラッタに負けない笑みを浮かべて口を開く。
「そう言えば、あの時の戦いで尻尾を巻いて逃げ出した奴が何人かいたな。その生き残りか」
「ああ、そうだよ。俺はあの時、みっともないままに逃げ出した。それこそ、仲間を見捨ててな」
「仲間……ああ、ソブルか」
反乱軍の陣地に捕らえられている人物の姿が脳裏を過ぎったレイに、ブラッタは一瞬忌々しそうな表情を浮かべたものの、すぐに気持ちを落ち着ける。
「まぁ、いいさ。それでお前達はここを通して欲しい。俺達はここを通す訳にはいかない。それは分かっているな? 後はお互いにぶつかり合うだけ。何か異論があるか?」
「……どうしてもここを通す訳にはいかないと? ここで無駄に私達と戦って戦力を消耗する必要はないと思いますが?」
「反乱軍に合流されて、向こうの戦力がこれ以上増えるよりはいいだろ」
レイがいる時点で……いや、ここで待ち伏せをしていた時点で自分達の狙いが知られているとは思っていたが、こうもきっぱりと言われると、アンジェラとしてもそれ以上言葉を発することが出来ない。
いや、何か言おうと思えば言えるが、それで相手が退いてくれるとは絶対に思えなかった。
「それより、そこにいる俺の知り合いの様子が妙なんだが……どうなっている?」
「うん? ああ、ロドスか。強くなる為に色々とあったんだよ。そう、お前に勝つ為には全てを投げ捨てても構わないってな」
「……ロドス、それは本当か?」
尋ねつつも、レイは内心で不思議に思う。
確かにロドスは自分に対して強い対抗心を持っていた。
それは闘技大会の時の態度でも明らかだったのに、今自分を見ているロドスはあの時と比べると別人と思える程に落ち着いている。
(いや、落ち着いているというよりは……表情が動いていない?)
内心で考えるレイだったが、ロドスは特に何を言うでもなく無言でレイを見返すのみだ。
「ロドス、答えろ」
「無駄だよ。言っただろ? そいつはお前に勝つ為に全てを捨てたって。その中には感情も存在している」
「……何をした?」
「さて、な。それをわざわざ言うと思うか? それに、何でこいつの心配をする? こいつはお前達を裏切ってこっちについた……いわば、裏切り者だろ? お前が心配する必要なんかないと思うんだけどな」
口元に笑みを浮かべつつ告げるブラッタに、レイは一瞬言葉に詰まるも、すぐに言葉を続ける。
「裏切り者であったとしても、俺が世話になった冒険者の息子であることに変わりはない。それでロドスはどうすれば元に戻る?」
「ふん、そうかい。ま、残念ながらこいつがこうなったのは自分が望んだことだ。俺はどうすればいいのか何て分からないぞ? ……ああ、でもそうだな。もしかしたら……こいつの望みを叶えてやれば意外と元に戻るかもな? そう、お前を殺すという望みを」
「……」
ブラッタに対して無言で鋭い視線を送るレイ。
そんなレイの横で、アンジェラもまた視線を鋭くしてブラッタを見据える。
「変わったわね、貴方。以前は戦いにのめり込みはしても、そこまで道を外れた真似はしなかったのに」
「そうだな。俺自身もそう思ってるよ。けど、あんな体験をすれば性格の一つや二つは変わって当然だろ。……で、どうするんだ? お前達は降参するのかしないのか。勿論俺としては降参しないで欲しいんだけどな」
「当然でしょう。既にフリツィオーネ様の意思は固まっているわ。その道を閉ざそうと前に立ち塞がる者がいるのであれば、フリツィオーネ様の剣である私達がそれを討ち滅ぼす」
断固とした決意がアンジェラの口から出ると、その言葉を聞いたブラッタは笑みを浮かべて口を開く。
「よく言ってくれた。そうこなくちゃな。なら、ここで話し合うことはもう何もないな? ……後はお互いの力で自らの意思を貫くのみだ。行くぞ、ロドス」
ブラッタはそう告げ、相変わらず表情を全く動かさないままのロドスを連れて自分達の軍へと戻っていく。
その背をレイは鋭く見据えていたが、やがてセトが心配そうに自分の方を見ているのに気が付くと、大丈夫だという意思を込めて頭を撫でてやる。
「グルゥ……」
それでも心配そうに喉を鳴らすセト。
セトにしてみれば、ロドスは初対面の印象もあって気にくわない相手だ。
そのロドスがどうなろうと、正直知ったことではないとすら思っている。
だが、レイにしてみれば自分と親しいエルクやミンの子供なのだ。
冒険者である以上全ては自己責任だし、そもそも第1皇子派に潜入したのもロドス自身が考え、実行したことだ。
そうである以上、その責任を取るのもロドス自身となる。
「レイ、大丈夫?」
「ああ。……正直、この可能性を全く予想していなかったといったら嘘になるしな」
小さく、それでいながらしっかりとアンジェラの言葉に答えたレイは、内心で考える。
(何らかの手段で洗脳されているのなら、それを解けばいいだけだ。俺にはその手の技術も魔法も存在しないんだから無理だろうけど、エルクならランクA冒険者のコネとかでどうにか出来るかもしれないし)
考えてみれば簡単なことだと意識を切り替えたレイは、アンジェラに向かって小さく頷き、口を開く。
「行こう。フリツィオーネからもここの様子は見えている筈だし、いつまでもここにいれば、向こうに先手を取らせることになってしまう。ただでさえこっちの数が少ない以上、そんな真似は出来ないだろ」
「……大丈夫、なのね?」
心配そうに尋ねてくるアンジェラに言葉を返し、セトの首を軽く叩いてフリツィオーネのいる方へと戻っていく。
その横をアンジェラの乗った馬が進むが、馬の方がセトに対して脅威を覚えているのか、どこか落ち着かない。
自らの愛馬を落ち着かせるように首を撫でつつ、アンジェラが口を開く。
「あの二人は、レイに任せるのが一番なんでしょうね」
「ブラッタとかいう方はともかく、ロドスの方はそうしてくれると助かるな。……まぁ、ブラッタの方も俺を諦めるって様子はないらしいけど」
「ふふっ、人気のある男は違うわね」
「全く嬉しくない人気だけどな」
話していて、レイは落ち着いていると判断したのだろう。アンジェラは安堵しつつ進み、やがて二人はフリツィオーネの馬車の下へと戻ってくる。
「申し訳ありません、フリツィオーネ殿下。向こうを退かせることは出来ませんでした。正面からぶつかることになってしまいます」
「……そう。残念だけど、向こうにしてもそう易々と退くことは出来ないのでしょうね。分かったわ、背後はログノス侯爵にお願いしてあるから心配はいらないわね。正面からの敵にはアンジェラに、林の中にいるという伏兵に関しては……レイ、お願い出来る?」
その言葉に頷き、待ち伏せしていた軍も動き出したのを見て、アンジェラは素早く命令を下し……フリツィオーネ軍がこの内乱で行う初めての戦いの幕が開ける。
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