第753話

 その日、ベスティア帝国の帝都では驚愕の声を発する者が多かった。

 何が起きているのか理解出来ないといった者や、やっぱりと納得の表情を浮かべる者もいる。


「まぁ、そうだよな。最初の討伐軍が第2皇子のシュルス殿下、次が第1皇子のカバジード殿下ときたら、やっぱり今度の討伐軍は第1皇女のフリツィオーネ殿下になるか」

「けど、人数が少なすぎないか? 前々回はともかく、前回の討伐軍だとあれだけの人数を揃えたのに……こうして見る限りだと、間違いなく千人もいないぞ? 下手をすれば五百人を割っている」

「うーん、少数精鋭とか? だって、ほら見ろよ。先頭を進むフリツィオーネ殿下や白薔薇騎士団の近くにいるローブの男」

「男? 随分と背が小さいけど男でいいのか? ……うん? おい、ちょっと待て。俺あの男が持っている大鎌、見覚えがあるぞ」

「それは俺もだ。ついこの前まで行われていた闘技大会で嫌って程見ただろ」

「っ!? 深紅か! いや、けど何で? 確か表彰式をすっぽかして帝都から姿を消したって話を聞いたけど」

「あら? 私は反乱軍に協力してるって話を聞いたわよ?」

「まさか。なら、何でこうして堂々と帝都の中にいて、ああやってフリツィオーネ殿下と一緒にいるんだよ?」

「……そう言えばそうね。じゃあやっぱり私が聞いたのは出鱈目だった訳ね」

「知らないのか? 深紅がいるから今回の討伐軍はあれだけ小規模なんだぜ? で、表彰式をすっぽかしたのを城のお偉いさん達が怒っているから式典の類もないんだよ」


 そんな風に好き勝手に噂をされている第1皇女派の面々は、表には出さないが微妙な思いを抱く。

 既に補給部隊も合流し、フリツィオーネは馬車に乗っており、白薔薇騎士団もまた馬に乗っている。

 背後を進む貴族や騎士達も同様に馬に乗っており、歩いているのは兵士や冒険者といった者達。そしてレイのみだ。

 それでも整然と帝都の中を進む様子は、式典の類は行われていないにも関わらず、それを見ている者達にはどこか演出染みたものを感じさせていた。


「この調子なら特に騒動もなく帝都から出られそうだな」


 馬車に乗っているフリツィオーネや、馬に乗っている白薔薇騎士団を見ながらレイが呟く。

 護衛という名目である以上、レイは馬に乗っていない。

 レイ自身がいつも乗っているのはセトで、馬に馴れていないというのもあるが、それよりも問題はレイが乗ろうとした馬が怯えて動けなかったのだ。

 セトの臭いがある為だと判断したレイだったが、思わず首を傾げる。

 反乱軍の陣地から帝都へと向かう時にウィデーレ達が乗った馬はセトに怯えはしたものの、ある程度の距離があればきちんと行動出来たのだ。

 なのに、今の自分はセトがいないのに何故馬に乗れないのか、と。

 セトと直接間近に接する馬と、セトと間接的に接する馬。この違いがあるのかとも思ったが、レイとしてはその辺の詳しい事情はちょっと分からなかった。

 フリツィオーネ率いるこの軍勢は、なるべく小さく、人数が少なくといったものだ。

 そうである以上は用意出来る馬の数も決まっており、結局レイは帝都を出るまでは歩くということを選択した。


(ま、どうせ帝都を出ればセトに乗れるんだし、その辺はあんまり気にしなくてもいいか)


 自分の近くを歩いている白薔薇騎士団の面々は、そんなレイに対して複雑な視線を向ける。

 元々がレイに対して好意的な者と非好意的な者に別れていたが、今では好意的な者の方が多くなってきていた。

 反乱軍の陣地に向かった騎士達がレイの強さや美味しい料理に関して話したり、中にはレイが城の中で泊まっていた小屋の様子を見に行き、デスサイズを操って行われていた演舞の如き訓練を見た者達がレイの好意的な話を広めたというのもある。

 また、やはり最大の理由としてはウィデーレやアンジェラといった白薔薇騎士団の中でも上位の者達がレイに対して好意的であり、主君であるフリツィオーネまでもが義弟として可愛がっているというのがあった。

 ……それでもレイがフリツィオーネに対する口の利き方がなっていないと思っている者や、ヴィヘラに想われておきながら手を出していないというのがマイナス要因として、一定数レイを嫌っている者はいたのだが。


「レイ殿、気が付いているか?」


 乗っていた馬を操り、レイの横に来たウィデーレが尋ねる。


「ああ。見ているな」

「うむ。やはりこれは帝都を出てから……」

「恐らく」


 短い会話。

 それを近くで聞いていた白薔薇騎士団の騎士は、思わず首を傾げる。

 見ているというのは、これだけ集中して見られていれば当然だろうと。


(まだまだ甘い、な)


 そんな部下の様子に、ウィデーレは思わず目を覆いたくなる。

 現状自分達を見ているというのは、住民のように物見深い視線で見ているのではなく、何らかの意図を持って見ている者達のことだ。

 具体的には殺気や闘気といったものを抱いている者達。……そう、第1皇子派や第2皇子派の手の者。

 チラリと他の部下達を見ると、視線に気が付いているのは大体7割から8割といったところ。


(気が付いている者も多い、か)


 ウィデーレは未だに意味が分かっていない騎士に視線を向け、もっと鍛えなければと判断する。

 周囲からそんな視線を向けられつつ街中を進んでいくと、やがて帝都から外に出る時は必ず通らなければならない場所……即ち帝都と外を繋ぐ門の内の中でも最大の大きさを誇る正門の前を通り掛かる。

 正門にいる人の数はいつもより若干少ないといったところか。

 既に闘技大会を見る為に来た者達は帰ったし、まだ遊び足りないと判断した者も内乱の勃発と共に去っており、討伐軍が負けたという話を聞いて帝都から避難する者達にしても一段落している。

 そうして、最終的にはいつもより若干少ない程度の人数が正門を行き来していた。

 内乱が起こって討伐軍が負けているのに、それでも商人が帝都までやってくるのは、商人の性故だろう。

 もっとも、中には帝都で仕入れた品物を反乱軍の陣地で売ったりしている者もいるのだが。


「ここを通るのか? かなり待たないといけないと思うけど」

「違う。フリツィオーネ殿下が通るのだから、当然貴族用の門だ。確かレイ殿も帝都に初めて来た時は通ったのだろう?」

「そういえば、お前達と一緒に来た時も貴族用の門を通ったな」

「数日前のことだった筈だが……」

「あの小屋の中で暮らしていると変化のない時間だったから、時間の感覚がな。正門前での騒ぎも随分と前の出来事のように思えるよ」

「カバジード殿下と間近で会っておきながら、その態度は羨ましい。私は色々と不安があったのだが。いつレイ殿の件が向こうに知られるかと思うと……」


 それだけで、レイはウィデーレが何を言いたいのかを理解した。


(まぁ、結局はカバジードに見破られてしまったようだしな)


 城の近くでカバジードと会ってから時間が経ち、今ではレイの中で自分の正体があの時カバジードに知られたのは確実だろうという確信があった。

 そうである以上、今回の件でも確実に何かが起きるのは間違いないと。


(問題は、その何かがどれだけの規模かってことだろうな)


 どれだけの騒ぎになるのかと考えながら進んでいくと、やがて貴族用の門が見えてくる。

 そして、早速とばかりに近寄ってくる警備兵。

 向かってくるのが五百人を超える集団だというのに気が付いて顔つきが強張る。

 そんな警備兵を前に、先頭の馬車からフリツィオーネが顔を出すと、警備兵は意表を突かれた表情を浮かべる。


「フリツィオーネ殿下……一体、どのようなご用件で?」


 それでも言葉に動揺がなかったのは、この場を任されている警備兵だけのことはあるのだろう。


「ちょっと外に出たいのですが、構いませんね?」

「外に……ですか? その、後ろにいる方々は……」

「私の護衛です」

「は? ……護衛、ですか?」

「はい」


 一瞬惚けた表情を浮かべる警備兵。

 確かに皇族のフリツィオーネが帝都の外に出るとすれば、フリツィオーネは戦闘力が殆どなく簡単な護身術程度しか出来ないのだから護衛は必要だろう。 

 だが、それでも十人や二十人ではない、そして百人や二百人でもないこの人数は、ちょっと理解出来なかった。

 そもそも、皇族が帝都の外に出るとなれば前もって連絡があるのが普通だ。

 しかしそんな連絡はなかったし、護衛というには多すぎるだけの兵士、更には補給部隊のような者達までが存在している。

 何より、馬車の近くにいる人物が誰なのかは警備兵でも知っていた。

 闘技大会前に貴族の門から入った時には自分はいなかったが、それでも同僚から話は聞いていたし、何より闘技大会で見たこともある人物。


(深紅が、何だってこんなところに……確か帝都を出て行ったと聞いていたのに)


 そんな混乱している警備兵に、フリツィオーネは首を傾げる。

 まるで、どうしたのだろう? 何かおかしいところでもあるかしら? とでも言いたげな様子で。


「……」


 そんなフリツィオーネを相手に警備兵は動けず、やがてフリツィオーネの馬車の隣で馬に乗っていたアンジェラが口を開く。


「いい加減にしなさい。いつまでもフリツィオーネ殿下を待たせるつもりですか?」


 怒気が含まれたアンジェラの声に、警備兵はようやく我に返る。 

 そうして、自分がアンジェラだけではなく他の面々からも険悪な視線を向けられているのに気が付く。

 この警備兵は、確かに貴族が通る門を任される警備兵だけあって有能ではあった。

 だが……それでも、このような状況で何かを出来る程に突出している訳ではない。

 更に不運だったのは、現状ここにはこの警備兵一人しかいないということか。

 本来であれば他にも数人いるのだが、討伐軍が二度も壊滅した影響もあって兵の数が少なくなっている場所も多い。 

 今は貴族の出入りもそれ程多くないだろうということで、貴族用の門にはこの警備兵一人だけが残されたのだ。


「そ、その、少々お待ちを。城の方に連絡を……」

「いい加減にしなさい!」


 警備兵としての職務で言えば、この警備兵の取っている態度は正しい。

 だが、城に連絡を入れられれば困るのはフリツィオーネ達だ。

 勿論現状は既に城の中で情報が飛び交っているだろう。それでも、自分達の情報はなるべく城に……第1皇子派、第2皇子派へと渡したくはなかった。


「フリツィオーネ殿下をこれ以上ここで無意味に待たせるというのですか?」

「アンジェラ」


 睨み付けるアンジェラに、フリツィオーネが声を掛ける。

 その言葉に警備兵の男は助かったと安堵の息を吐くが、それでも現状がどうにかなるかと言われれば、答えは否だ。


「貴方が自らの職務を果たそうとしているのは分かります。しかし、私としてもこのまま無為に時間を潰す訳にはいきません。それ故、私は強引にここを通らせて貰います。貴方は私達を止めようとしても止められなかった。……構いませんね?」

「それは……ですが……」


 何かを言おうとする警備兵だが、フリツィオーネは小さく首を横に振ってから再び口を開く。


「いいですか? 私達はここを強引に通ると言ったのです。貴方に通して欲しいとお願いしている訳ではありません」


 その一言で、警備兵はフリツィオーネが何を言っても既に止まるつもりはないと悟る。


「……分かりました。私はこれから今回の件を報告に行かせて貰います」

「貴様、フリツィオーネ様の言葉を何だと心得ている!」


 白薔薇騎士団の一人がそう叫び、腰の長剣へと手を伸ばす。

 だが……


「止めなさい!」


 鞘から長剣が抜かれる寸前、鋭い声が周囲に響く。

 その声を発したのが、つい先程警備兵を責めていたアンジェラだと気が付くと、白薔薇騎士団の騎士は動きを止める。

 何故、という視線で自分を見る騎士に、溜息を吐きながら口を開く。


「彼は別に何も悪いことをしていないわ。今回非があるべきは、前もって連絡を徹底できなかった私達。そうである以上、言葉でのやり取りはともかく、武器を抜くというのはやってはいけないことよ。彼も、フリツィオーネ様が守るべきベスティア帝国の住民の一人なのだから」

「……はい、申し訳ありませんでした」


 アンジェラの言葉に、自分のやろうとした行為がいかに恥ずかしいものであったかを知り、羞恥で頬を赤く染める騎士。

 いつもであれば、ここまで直情的な行動に出るといことはない。 

 だが、今は違う。

 フリツィオーネの言葉に従い、自分達がこの内乱を終えさせるのだという興奮、そのような目的があったとしても白薔薇騎士団そのものが反乱軍に与してもいいのかという不安。

 それらがまぜこぜになり、こうした短絡的な行動へと繋がっていた。

 そんな騎士に、警備兵は気にしていないと首を横に振る。


「いえ、お気になさらず。私はこれから城に報告に行きますから。……ああ、それではこの場は誰もいなくなってしまいますね。大変だ。私がいない間に誰かがこの門を通らなければいいのですが」

「っ!?」


 警備兵が何を言っているのか分かったのだろう。騎士は大きく目を見開く。


「……ありがとう」


 数秒の沈黙の後でそう告げる騎士に、警備兵は笑みを浮かべて頷く。


「では、失礼します」


 フリツィオーネへと頭を下げ、城へと向かってゆっくり……そう、かなりゆっくりとした足取りで進んでいく警備兵。

 その後ろ姿にフリツィオーネが感謝の言葉を述べ、アンジェラが頭を下げ……第1皇女派は門を通り、帝都の外へと出て行く。






 ……尚、警備兵と武器を抜こうとした白薔薇騎士団の騎士は、内乱終結後に結婚をすることになる。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る