第743話

 帝都からそれ程遠くない位置にある、反乱軍の陣地。

 シュルスの派遣した討伐軍に対して圧倒的なまでの勝利を得たということで、元々その陣地を訪れる者は多くいた。

 だが、今の反乱軍の陣地は以前よりも更に大きく、広くなっている。

 勿論その理由は、シュルスの派遣した討伐軍に続いてカバジードの派遣した討伐軍をも撃退したという話が広まっている為だ。

 それもただの勝利ではない。自分達は一切被害を出さずに討伐軍は殲滅という、普通では考えられない戦果。

 だからこそ反乱軍としてもその話を大々的に広め、同時にそれを行った深紅の異名を持つレイという人物や、深紅に率いられた遊撃部隊に関しても精鋭という扱いで、士気高揚の為に広く噂に組み込まれている。

 反乱軍首脳部の中には、レイという存在は隠しようがないので噂を広めるのはしょうがないが、遊撃部隊に関してはなるべく隠したいという思いを抱く者もいた。

 レイやセトから厳しい訓練を受けた精鋭部隊。当然その戦闘力は一般の部隊に比べれば非常に高く、いざという時の切り札になるかもしれないと判断したからだ。

 反乱軍の中にも、それに同意する者はそれなりに多くいたが……結局は遊撃部隊も公表された。

 理由としては、やはり今は少しでも士気を高める必要があったというのもあるし、何より事実と同様……いや、それよりも噂では反乱軍の方が圧倒的に有利にこの内乱を戦っているという印象を強くしたかった為だ。

 この辺は、反乱軍の情報操作を任されているティユールが反対派を押し切った形になる。

 結果的に、反乱軍圧倒的有利という噂を聞きつけた商人や周辺の街や村といった場所からは、商機を求めて多くの人が反乱軍の陣地へと集まっていた。


「それは分かるんだけど、これから反乱軍が進軍しようっていう帝都方面からも人が来ているのはどうなのかしら?」

「……人は利に聡い。少しでも自分達の利益になると判断すれば問題ないんだろう。特に反乱軍は人道的だという噂も流れているから、その辺の抵抗は少ないと思う」

「その噂にしたって、反乱軍が流しているものでしょ? それが真実かどうかなんて……」

「噂のおかげで俺達もこうして反乱軍の陣地に無事に入れたんだ。なら、ありがたく思っても、それを非難する必要はないだろ」

「けど、シストイ……」


 何かを言い掛けた相棒の言葉に、シストイは小さく首を横に振って周囲の様子を窺ってから口を開く。


「落ち着け、ムーラ。今はとにかく目立たないことが最優先だ。特にこの陣地には深紅の姿もある筈。なるべく目立たないようにした方がいい」


 実はレイの姿は既に帝都にあるのだが、その件に関しては基本的に隠されている為にムーラやシストイが知ることは出来なかった。

 もっとも、レイはともかくグリフォンのセトは目立つ。それが数日姿を見せないのだから、どうしてもレイの不在を隠し通すことは難しい。

 それでもレイが姿を見せなくなったことで、戦死したという意見や逃げ出したという意見が出てこない辺り、反乱軍の者達がレイに寄せている信頼を現している。

 当然レイが反乱軍に合流した当初は、レイに対して恨みを持っている者も大勢いた。

 だがレイはそんな恨みや憎しみ、妬みといった感情を持つ者達に実力を見せつけ、実績を挙げることで認めさせてきた。


「それにしても驚いたわね。まさか深紅に恨みを抱いている人が殆どいないなんて」


 だからこそ、ムーラが口にしたようにレイに対して恨みを持っている者は皆無という訳ではないが、それでも表に出すような者は少なくなっている。


「全くだ。……こうなると、寧ろ帝都での時よりも襲撃はしにくくなるかもしれないな。だが、俺達に後はない」

「ええ」


 鎮魂の鐘として受けた、レイの暗殺という仕事。それを果たすのは現状の自分達の実力では難しいというのは分かっていたが、それでもここで退く訳にはいかない。

 ここで退くということは、下手をすれば自分達の命ですらも諦めなければいけないのだから。


「ほら、落ち着きなさい。雰囲気が周囲から浮いているわよ。それより今私達がやるべきなのは、深紅の暗殺もそうだけど追加で来た依頼の方ね」

「む、そうか? 俺自身はそんな自覚はないんだが」

「ただでさえシストイは以前よりも痩せて顔つきが鋭くなってるんだから、もう少し気をつけなさいな」


 窘めるように告げつつも、ムーラの瞳の中には微かな悲しみと安堵の色がある。

 シストイが闘技大会中にレイを襲った襲撃で逆襲されて受けた毒。

 致死性の毒であったにも関わらず、シストイは何とか死から免れることが出来た。

 だが死から免れることは出来たが、毒の影響から完全に脱することが出来た訳ではない。

 食欲の減退、それに伴い体力の低下といった後遺症がシストイには残っていた。

 そんな状態からここまで身体能力を回復させたのは、シストイ本人の潜在能力もあるがやはり気合いだろう。

 しかし……例え体力を取り戻してきたとしても、以前と比べれば明らかにその戦闘力は劣る。

 そういう意味では、すぐに深紅の暗殺に取り掛かれと言われずに、追加の仕事を回されたのは幸運だったのかもしれない。

 じっとシストイの様子を見ながら、ムーラは対象の名前を口にする。


「ソブル……とか言ったかしら。第1皇子派の中でもかなりの重要人物らしいけど。実際、かなり厳重に居場所を隠されているみたいだし」


 感心するように呟くムーラ。

 軽く陣地の中を歩き回って情報を集めてみたが、目標であるソブルという人物の居場所は分からなかった。

 それでいながら少しも困った様子を見せないのは、元々情報収集で標的の居場所を探し出せるとは思っていなかったからだ。

 標的……そう、今回自分達に与えられた仕事の標的の姿を。

 ただし、標的とは言ってもその意味はレイと比べると大きく違う。暗殺対象の標的であるレイに対して……


「聞いたところでは、ソブルという人物は頭脳派の人物なんだろ? 俺達が行動するのに邪魔になるんじゃないのか? 出来れば助け出すのは、この陣地から脱出する時にしたいな」

「無茶を言わないでちょうだい、無茶を。そもそも、私達は深紅の件で失敗しているのよ。その温情という意味もあるんだから、こっちの仕事はきっちりとやらないとね」


 そう、ソブルは助け出すという意味での標的だった。

 この二人にソブル救出の命令が下ったのは、ムーラが口にしたように深紅暗殺の件を未だに達成出来ていないからという理由もある。

 ……もっとも、ソブルの救出依頼そのものはシュヴィンデル伯爵率いる一派がカバジードに討伐軍の協力要請をする際の土産の一つとして選んだものなのだが。


(それでも、深紅の相手をまともにするよりはソブルとかいう人を助け出して時間を稼いだ方がいいのは間違いないんだけどね。その間にシストイが少しでも回復してくれれば、私達としても願ったり叶ったりだし)


 今は少しでもシストイの回復のために時間が欲しいと願うムーラにしてみれば、寧ろ望むところと言っても良かった。

 更にこの二人にとって幸運だったのは、鎮魂の鐘の協力者――正確には買収した相手――が標的であるソブルの近くにいるということか。

 今回のような仕事で一番大変な、標的の居場所を探るという行為を完全に人に任せることが出来ると言うのは非常に幸運だった。

 もっとも協力者本人はまだこの場にいる必要がある為、救出をするのはムーラ達でなければならないのが難点だったが。


(まぁ、全部向こうでやられると私達が手を貸す意味がないんだけど)


 程良くてこずっている状態だからこそ自分達の出番が回ってきたというのは、ムーラにしても十分に理解している。


「さ、とにかくこれで陣地の中は大体見て回ったわよね。正直、ここまで広いとは思ってなかったけど」

「そうだな。村なんていう規模じゃない。下手をすればその辺の街かと思うくらいに広い。……けど、これは俺達にとって有利に進めることが出来る要素だ」

「確かにね。これだけ人がいるのなら、何かあったとしてもすぐに人混みに紛れることが出来そうだし。それより、そろそろ待ち合わせの時間じゃない? 向こうにしてもあまり時間を取られたくないだろうし、遅刻しないうちに移動しましょ」


 ムーラの言葉に、シストイは無言で頷き共に歩き始める。

 待ち合わせの場所は、陣地の中に作られている酒場。

 ただ、ここが反乱軍の陣地という場所である以上、酒場ではあっても別にしっかりとした建物がある訳ではない。

 テーブルや椅子を外に適当に並べただけの場所だ。

 それだけに気安く皆が利用出来るということもあり、連日盛況だった。

 ただ、外にある酒場だけに雨が降れば当然休業であり、そういう時は酒を買ってそれぞれのテントで飲むという営業形式になっている。

 幸い今日の天気は見事な秋晴れであり、酒場が休んでいるということはなかった。


「折角だし、何か食べてみるのもいいかもしれないわね。結構美味しい料理があるって話だし」

「……そうだな」


 食欲はまだそれ程ないシストイだったが、それでもムーラが自分を気遣って告げているのは理解出来た為、素直に頷くのだった。






「ふーん。ここが酒場、ね。……ま、想像よりは悪くないんじゃないかしら。昼間から酒を飲んでる人がこんなにいるのはどうかと思うけど」


 酒場へと到着したムーラは、無言のシストイと共に周囲を見回す。

 その目が見てるのは、言葉通りに酒場に客がどれくらいるのかを数えている訳ではなく、とある目印だ。

 青い鞘に、赤い柄という少し派手な長剣をテーブルの上に置いている人物。その人物を探して……


(いた)


 視界に捉えたその人物のいる席へと、迷うことなく進んでいく。

 シストイも黙ってムーラの後を追う。

 ムーラだけでは酔っ払いに絡まれるかもしれず、その護衛という役割だ。

 ……もっとも、ムーラも鎮魂の鐘の一員。シストイと違って戦闘が本職ではないにしても、酔っ払いの十人や二十人程度であればどうとでも対処出来るのだが。


「ここ、座っても構いませんか?」


 笑みを浮かべて親しくない相手に対する言葉遣いで尋ねるムーラに、相手は飲んでいたコップをそのままに視線を向ける。

 典型的な兵士の格好をしており、特に目立った様子はない。

 兵士達の中に混ざればすぐにでも埋もれてしまうだろう容姿の男。

 だが、もしもソブルを尋問している男がその姿を見れば、ライオットを差し入れに持ってきてくれた人物だと思い出すだろう。

 兵士の方も、ムーラが待ち合わせの証拠として身につけていた腕輪に視線を向けると小さく頷く。


「ああ、どうせ一人で飲んでたんだ。姉ちゃんのような美人と一緒に飲めるんなら願ったり叶ったりだよ。そっちの兄ちゃんも一緒にどうだ? 陣地の中にある酒場だけあって酒の種類は多くないが、それなりに美味い酒が揃ってるぜ?」


 兵士の言葉に、シストイは特に何も答えずに椅子に座ったムーラの隣へと座る。

 あくまでも自分はムーラの護衛であると態度で示しているのだろう。

 本来であれば、ムーラの後ろに立っていたいとすら思ったシストイだったが、そんな真似をすればこの場では明らかに目立ってしまう。

 だからこそこうしてムーラの隣に座って、目の前の男以外の周囲に自分は連れだと現していた。

 注文を取りに来たウェイトレスにエールと軽い食べ物を注文すると、すぐに運ばれてくる。

 早速とばかりにエールを飲みながら、ムーラが口を開く。


「初めまして。そう言った方がいいでしょうか?」

「そうだな。けど、俺達の付き合いは出来るだけない方がいい。それを思えば、あまり親しくしない方がいいと思う」

「ふふっ、確かにそれはそうですね。けれど、挨拶というものは必要ですよ? ……それはともかくとして。標的の場所は既に判明していると思ってもいいのでしょうか?」

「ああ。ただし見張りはかなり厳重だ。腕に自信のある兵士が見張っているしな。もし奴を連れ出すのなら、警備の兵士を全員殺してしまうか、それとも全く気が付かれずに標的を連れ出すか。まぁ、どっちにするのかはそっちに任せるが、俺としては後者を選んで欲しいな」


 皿の上にある干し肉へと手を伸ばしながら告げる男に、ムーラは小首を傾げる。

 意図的な演技ではあるのだが、兵士の男にそれを見破ることは出来なかった。


「何故でしょう?」

「確かに俺はお前達の協力者だ。けど、だからってここにいる奴等に何も感じていないって訳じゃない。一緒に生活してるんだから、その辺は当然だろう?」

「……なるほど。その辺は気に掛けさせて貰いましょう。正面から突破するのでは、反乱軍を相手に私達だけで戦うということにも成りかねませんし。出来れば穏便に話を進めたいですね。……ですが、その為には標的の周辺に関しての情報がもっと必要です」


 人形を使えばどうにかなりそう。そんな思いと共にムーラは尋ね、兵士の男もそれで同僚の命が保証されるのならと自分の知っている情報を話すのだった。

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