第709話

 マジックテントの中に響く笑い声。

 笑い声を上げていたメルクリオは、やがて数秒前に浮かべていた笑い声を小さな笑みへと変えて、再び手紙へと目を通す。

 そんなメルクリオの姿を見ていた者達……ヴィヘラ、テオレーム、グルガスト、ティユール、ウィデーレとその部下四人。そしてレイは、珍しいものでも見たような視線をメルクリオへと向けていた。

 それも当然だろう。普段はどちらかと言えば大人しいと表現すべきメルクリオが、こうまで愉快そうに笑うということは滅多にない。

 もっともヴィヘラの実の弟であるというのを考えれば、当然その中には激しい気性を備えているし、皇族として生まれてきたが故の冷酷とすら呼べるものも持っている。

 ただ普段はそれを表に出さないだけなのだが、今のメルクリオはそれを表に出していた。


「メルクリオ、姉上は何て言ってきたの?」


 マジックテントの中で、最初に口を開いたのはヴィヘラ。

 この辺はやはりメルクリオの姉というのもあっての行動か。


「姉上……フリツィオーネ姉上からは、私の方に味方したいと」

「……へぇ。それは驚きね。いえ、それ程でもないかしら。寧ろ納得出来ると言ってもいいかもしれないわね」

「ええ。納得は出来ますが……それでもこの状況ではいそうですかと信じる訳にはいかないでしょう。……ウィデーレ、とか言ったね? この手紙に関しては……」


 フリツィオーネの真意を確認しようとウィデーレに視線を向けたメルクリオだったが、途中で言葉を止める。

 何故なら、視線の先にいたウィデーレが驚きに目を見開いていたからだ。

 これが演技だとしたら一流の役者になれるだろう。そう思ってしまう程の驚き。

 メルクリオが一瞬迷ったようにレイの方へと視線を向けてくる。

 メルクリオとウィデーレが顔を合わせてからはまだ数分程度しか経っていないが、レイはウィデーレとそれなりに長い期間……少なくても自分達よりも長い間接しているのだ。それを考えると、この態度が演技かどうかというのを見抜けるのではないかという思いから向けられた視線だったが、返ってきたのは首を横に振るという行為のみ。

 明らかに、目の前にいるウィデーレの態度は素のものであると示していた。

 勿論レイにしても、ウィデーレに関してそれ程詳しく知っている訳ではない。

 だが、それでも幾度か言葉を交わしたところでは忠義心の高い騎士という認識であったし、それが間違っているとも思えなかった。

 つまり、ウィデーレがこの手紙の内容を知っていたということは、まずなかった筈。

 そんな意味を込めて首を横に振るレイを見て、メルクリオも取りあえずはと納得する。

 もっとも、そこにあるのはあくまでも取りあえずであって、心の底からレイを信じたという訳ではない。

 メルクリオがレイと接した時間はまだまだ少ない。ヴィヘラやテオレームが信頼しているということである程度信用はしているが、そこにあるのはあくまでも信用であって信頼ではなかった。


「どうやら、君もこの手紙の内容は知らされていなかったようだね。……後ろの四人も同様かな?」


 メルクリオの言葉に、ウィデーレの背後にいる者達も同様に頷きを返す。


「……なるほど。姉上、どう思います?」

「フリツィオーネ姉上の性格を考えれば、罠……ということはないと思うけど……」


 それでも罠ではないと言い切れないのは、やはりこの手紙にどこか疑問を感じている為か。


「現状で私達が不利なのは、どこをどう見ても明らかです。確かに最初の戦いでは、ヴィヘラ様の戦女神の如き働きにより圧勝と言ってもいい結果を出すことが出来ました。ですが、それでもやはり私達の方が不利だというのは変わりありません。その辺を考えると……」


 状況を説明しつつも崇拝するヴィヘラを称えながらのティユールの言葉に、テオレームもまた同意するように頷く。


「現状では圧倒的な有利であるあちらを裏切り、私達の方に味方をする。余程の何かがなければそんな真似は出来ないだろう。その辺の事情が分かればいいのだが」


 言葉を止めて、ウィデーレの方へと視線を向けるテオレーム。

 それに釣られるようにして、他の者もウィデーレの方へと視線を向ける。


「フ、フリツィオーネ殿下はそのような汚い策を弄するお方ではありません。それはフリツィオーネ殿下のご兄弟であるメルクリオ殿下、ヴィヘラ殿下ならば分かるのではありませんか?」

「……けど、フリツィオーネ姉上が私を軟禁するという策に荷担したのも事実。そこから脱出した私に対し、急に掌を返したかのように協力すると言われて……それを、はいそうですかと信じられるとでも?」

「それは! ……それは、恐らく何らかの理由があったのだと思います。それこそ、そうしなければならない理由が」


 フリツィオーネに対して忠誠を誓っているウィデーレにしてみれば、ここで自らの主君の言葉が信じられないのでは役目を果たしたとは言えず、何よりもフリツィオーネが聞けば悲しむだろうという判断からだ。

 そんなウィデーレに向かい、メルクリオは悲しげに溜息を吐いてから口を開く。


「そうだったかもしれない。あるいはそうではなかったかもしれない。結局その理由はフリツィオーネ姉上にしか理解出来ないことだよ。そして私が軟禁されて命の危機にあったという結果だけが残った。……まぁ、命の危機云々というのはどこから流れた噂なのかはまだ分かっていないけど」


 その噂があったおかげで、テオレームは主君の命の危機だと判断して強行な行動に出ざるを得なかった。

 そう考えると、噂こそが全ての元凶であるとも言えるだろう。


(この噂は突然どこからか流れた。……本当に突然。そんなことが出来る者は限られている。となれば……さて、誰の仕業なのかな?)


 内心で愉快そうに呟きながらも、メルクリオの表情には一切出ない。


「ですが、フリツィオーネ殿下はその選択を後悔しているからこそ、今回メルクリオ殿下にお力添えをと思ったのでは?」

「ああ、確かにその可能性もあるね。ただ私としても、はいそうですかとそれを信じる訳にはいかない」

「……ではフリツィオーネ殿下からの提案は断る、と?」


 確認の意味も込めて尋ねられたその言葉に、メルクリオは首を振る。……横に。


「別にそうとは言ってないさ。ただこの件はすぐに返事を出来る内容ではない。幸い私達はここに陣を構えたばかりで、すぐに次の場所を目指して移動するという訳でもない。既にここはオブリシン伯爵領ではない以上、周囲の安全を確保してから進まないといけないしね」


 ウィデーレや、その背後にいる四人の騎士達の表情を確認するように告げたメルクリオは、だから……と言葉を続ける。


「次の陣地の移動までには、フリツィオーネ姉上からの申し出にどう返事をするのかを決めさせて貰うよ。それまでは君達もこの陣地でゆっくりしていって欲しい。ただ、君達にしてもこの陣地の中では色々と迷うこともあるだろうから、案内の者を付けさせて貰うよ」


 案内の者と言ってはいるが、その実は監視役以外の何ものでもない。

 ウィデーレにしてもそれは理解していたが、特に異論を口にする様子はなく、黙って頭を下げる。


「ありがとうございます。ご迷惑をお掛けしますが、よろしくお願いします」


 ウィデーレが頭を下げれば、他の四人にしても何か異論があっても言うことは出来ずに続けて頭を下げる。


「ああ。君達には不便を掛けないようにさせて貰うから、ゆっくりとしていって欲しい。ただし、妙な行動は慎むようにね。テオレーム、彼女達の案内をシアンスに頼んでくれるかな」

「はい、すぐに」


 テオレームがメルクリオの言葉に頷き、マジックテントの中を出て行く。

 何をしに行ったのかは明白だろう。それはこの場にいる全員が理解していた。

 そして事実、五分程で戻ってきたテオレームの隣には、その副官のシアンスの姿があったのだから。


「ではウィデーレ殿、後はこの者についていって欲しい。テントへと案内させて貰うので」

「はい。お手数をお掛けして申し訳ありません。では、くれぐれもフリツィオーネ殿下の件をよろしくお願い致します」


 頭を下げ、シアンスと共にマジックテントの中を出て行く白薔薇騎士団の面々。

 それを見送り、最後の一人が姿を消してから一分程。メルクリオは大きく溜息を吐く。


「さて、今回の件は嬉しいことなのか、それとも残念なことなのか……姉上としてはどちらだと思いますか?」


 視線を向けられたヴィヘラは、小さく笑みを浮かべて首を横に振る。


「分からないわね。ただ、恐らく姉上としては純粋に血の繋がった兄弟同士が戦わなければならないというのを危惧しているんだと思うけど」

「……それは確かにそうでしょうね。ですが、こちらとしてもはいそうですかと簡単に負ける訳にもいきませんし」


 メルクリオとしても、反乱軍を作り出したという責任がある。また、明らかに不利な状況にも関わらず、反乱軍に協力してくれた者達をあっさりと切り捨てる訳にもいかない。

 もっとも、中には風見鶏の如き存在がいるのも理解しているし、そのような相手に対しては殆ど恩に感じている訳でもない。

 そのような者の場合、何を企んでいるのか分かったものではないのだから。

 事実、何か怪しげな動きをしている貴族の姿も数人確認されている。

 そのような者達に対しては、さり気なく見張りを付けているのだが……当の本人達がそれに気が付いている様子はない。

 このまま自分達と行動を共にするのであればよし。だが、もしも反乱軍を裏切るような真似をすれば……


「テオレーム、白薔薇騎士団に接触するような者がいないかどうか気をつけて、何か少しでも異常があったら知らせて欲しい」

「はい。シアンスにその辺は徹底させておきます」


 テオレームにしても、メルクリオが何を考えたのかは理解したのだろう。素早く言葉を返す。

 そんな二人を眺めていたヴィヘラは、小さく笑みを浮かべる。

 いつものように艶然とした笑みではなく、微笑ましいものを見るような笑みを。

 二人の仲がいいというのは、ヴィヘラにとって安心出来ることだった。

 何しろ、いつまでも自分がメルクリオの近くにいる訳にもいかないのだから。出来ればテオレームのような、弟に忠誠を誓っている人物が近くにいて欲しかった。


「それと、貴族や幹部達を再度集めて欲しい。この件に関しての意見を聞きたいのでね」

「正直なところを言わせて貰えば、ここにいる者で決めた方がいいと思うのですが」


 テオレームの言葉通り、ここにいるのは反乱軍の中でも色々な意味で力を持っている者達だ。

 それが政治的な影響力であったり、個人としての武力であったり、はたまたメルクリオに対する強い影響力を持っていたりするが。

 だが、メルクリオはそんなテオレームの言葉に首を横に振る。


「確かにこの場にいる者達で決めたことなら、他の者達にしても大人しく従うだろうね。けど、それでは最終的に色々と問題が起こってしまう可能性も高いだろう? なら、今のうちにその不満を吐き出させておいた方がいいと思ってね」

「……文句がある奴がいたら、俺が出てもいいが。どうする?」


 今まで黙って話を聞いていたグルガストが、突然そう告げる。

 グルガストにしてみれば、有象無象の言葉など聞く意味も、そして価値もないといったところなのだろう。

 だが、そんなグルガストの言葉にメルクリオは首を横に振る。

 確かに力で押し通せばそれでどうにか出来るだろう。だがそれでも……メルクリオとしては、出来ればそのような真似をしたくない。


「いや、確かにグルガストはこの軍で大きな力を持っているのは事実だけど、ここはそれを使うべき場所ではないからね」


 そう答えるメルクリオに、グルガストは微かにだが不機嫌そうにしつつも大人しく頷く。

 この反乱軍の中でグルガストが一定の力を持っているのは事実だ。確かに人数的には第3皇子派でもあるテオレーム率いる者達の方が多いのだが、そもそも反乱軍が結成されたのはオブリシン伯爵領だった。

 つまり、この反乱軍の為に用意された物資や食料、はたまた商人や娼婦、冒険者といった具合に集まってきている者達は、オブリシン伯爵領の者が殆どなのだ。

 勿論それが全てではない。反乱軍の噂を聞いて商機を見出してやってくる者も多少ではあるがいるし、オブリシン伯爵領と隣接している他の貴族領からやって来る者もいる。

 それでも人数的に見れば、やはりオブリシン伯爵領の人物が一番多いというのも事実であり、反乱軍の旗印でもあるメルクリオ、そのメルクリオの姉でもあるヴィヘラ、第3皇子派を纏めているテオレーム、個人として圧倒的な戦闘力を持つレイといった者達と同様に、反乱軍の中では高い存在感を発揮していた。

 そんな状況であってもその高い影響力を行使しないのは、やはりグルガスト自身がそのような煩わしいことに興味がなかったからだろう。

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