第653話

 ここ数日続く秋晴れの好天は、今日もまた太陽の光を地上へと照らし出していた。

 空には太陽のみがあり、雲は一欠片たりとも存在していない。

 まるで空は自分の場所だと言いたげにすら見える太陽の様子は、鎮座していると表現するのが正しいだろう。

 降り注ぐ日差しは夏の日差しの如く強く、闘技場の外で並んでいる観客達へと容赦なく照りつけている。


「うわぁ……何だって今日に限ってこんな天気かね? まだ朝も早いってのに」

「確かにな。闘技場に入るまでに汗で物凄いことになりそうだ」


 ぼやくように呟く観客達だが、まだ朝の九時前だというのに気温が三十℃近いともなれば当然だろう。

 今が秋であるのを考えれば、異常気象と言ってもいい。


「もしかして不動と深紅の戦いがあるから、とかじゃないよな?」

「まさか……と言いたいけど、あの二人の戦いだと普通にありそうで怖いんだよな」


 そんな風に観客達が話していると、この暑さを商機と捉えたのだろう。果実水を入れた箱を持った売り子が近くを通る。

 その売り子へと観客達からの注文が殺到して、瞬く間に果実水は売り切れとなった。

 果実水自体は冷たく冷やす為のマジックアイテムを使っている訳でもないので温いのだが、それでも買った者達は美味そうに喉を潤す。

 ……尚、この売り子、実は闘技大会の運営委員でもあったのだが、それを知る者は少ない。


「何はともあれ闘技大会も今日で最後か」

「ああ。今年は色々な意味で派手な大会だったな。まさか深紅が出場するなんて思わなかったし」

「だよなぁ。思うところがある奴は多いんだろうが、あの強さを見てしまうとな」


 果実水で喉を潤しながらしみじみと呟く。

 祭りがもう少しで終わる。そんな思いから、どこか物寂しげな様子で闘技場に並んでいる観客達へと視線を向ける。

 まだ闘技場が開くまでに一時間はあるというのに、既にその行列はかなり長い。

 自分も含めてこの行列に並んでいる者達は、闘技大会最後にして最高の試合を見に来たのだと思えば、その身体は興奮に震える。


「どっちが勝つかは分からないけど、間違いなく盛り上がるだろうな」


 男が呟くと、先程まで話していた男が同意の頷きを漏らし……


「ふんっ、深紅が不動に勝てるかよ。ランクSだぜ? 所詮ランクB程度の深紅が……身の程を知れってんだ」


 その近くにいた別の男が憎々しげに吐き捨てる。

 それを見て、二人の男は大体の予想が出来た。恐らく春の戦争で誰か知り合いが死んだのだろうと。

 そう思いつつも、特に反論することはしない。

 幸いにも自分達の知り合いは春の戦争に参加していなかったが、それでもこの問題で迂闊に口を出していいことはまずないと理解していたからだ。


(恐らく、レイが無様に負けるところを見に来たんだろうな)


 内心で呟き、男は照りつける太陽の光に耐えながらも闘技場が開くのを大人しく待つ。






 外では真夏の如き暑さになっていたが、闘技場の中は……特に選手控え室ともなれば、マジックアイテムにより涼しく快適に過ごすことが出来ていた。

 勿論予選の時のような大勢が入るような控え室ではそこまで快適に過ごせはしないのだが、今レイがいるのは控え室と言っても悠久の空亭の部屋に負けない程の設備が整っている。

 ……もっとも、レイの場合は温度を自動的に調整してくれるドラゴンローブがあるので、快適であろうとなかろうと大して差はないのだが。

 部屋の中には冷蔵庫と同じ能力を持つ非常に高価なマジックアイテムすらも置かれており、その中には氷すら入っていた。

 予選に参加したときと比べると信じられない程の好待遇だが、それはやはり決勝まで勝ち残ったからこそだろう。


「……後一時間ちょっと、か」


 部屋にある時計で時間を確認し、そのまま目を瞑る。

 そのまま周囲の気配を探ると、この部屋を中心にして幾つかの気配を察知出来た。

 闘技大会の運営委員、決勝ということで改めて多くの皇族や貴族が来ている為にその護衛。そして何よりも盗賊や暗殺者と思われる足の運びをしているような者もいる。


(この期に及んで、まだちょっかいを出してくる気か? まぁ、今の状況ではどうしようもないだろうが)


 皇族や貴族を守る為の護衛として、多くの腕利きが闘技場内には配置されており、今無理に行動を起こそうとすれば間違いなく騒ぎになるだろう。

 そしてレイ以外にも多くの者を相手にしなければいけなくなる。

 レイ一人にすら苦戦しているというのに、そんな風になってしまえば暗殺が成功する確率は万が一にも存在しない。


(だからこそ、いざ事態が始まってしまえば止められない程に激しくなるんだろうけど)


 内心でそう考えを纏め、瞑っていた目を開け、立ち上がる。

 そのまま大きく足を開き、手を床へと付け、数秒。次に大きくのけぞり、身体を解すように柔軟運動を開始していく。

 1分、5分、10分……柔軟運動を続けるに従ってレイの身体の動きは次第に滑らかなものへと変わる。

 もっとも動きが滑らかになると言っても、それは微かなものでしかない。

 だがその微かな差こそが、いざという時に勝敗を左右することになるというのを十分に理解しているレイだ。それも、今日戦うのは自分よりも実力が上の相手。少しでも万全の状態で挑みたいと思うのは当然だっただろう。

 暫くの間柔軟運動を続け身体が暖まったと判断したのか、次にレイが取り掛かったのは自らが身につけているマジックアイテムの確認。

 スレイプニルの靴、ミスティリング、吸魔の腕輪、ドラゴンローブ、ミスリルナイフ、そして昨日入手したばかりのネブラの瞳。

 どのマジックアイテムにも特に異常がないことを確認し……特にネブラの瞳は念入りに調べ、魔力を流して鏃を1つ作り出す。

 そのまま掌の上で鏃を弄び、やがて30秒程で霞のように消えていくのを確認する。

 そうして再び魔力を流して鏃を作り出すと、部屋の中に置かれている的の人形へと向かって手首の動きだけで投擲。

 空気を斬り裂くような音と共に、大まかな人の形をしている人形の頭部へと突き刺さる鏃。

 本来であれば、殴ったり蹴ったりする為の人形なのだろう。だが、今その人形の頭部に突き刺さっているのは鏃だ。

 そして鏃を作り出してから再び30秒程が経過すると、先程同様にその鏃は霞の如く消え失せる。


「問題はない、な」


 自らの調子を確かめるように呟くが、そこまですると完全にやることがなくなってしまう。


「……イメージトレーニングでもするか」


 呟き、控え室にあるソファへと座って目を瞑る。

 イメージするのは最強の自分。不動と呼ばれる男を相手に互角に渡り合い、更には打ち勝つであろう自分。

 そんなイメージと共に、これまで見てきたノイズの戦いを参考にしながらどのように戦闘を進めるのかを確認していく。

 そのまま暫くの時が流れ……扉のノックされる音により、我に返る。


「失礼します。レイ様、そろそろお時間ですが準備はよろしいでしょうか?」


 運営委員から掛けられる声も、以前までとは違って敬うような色が存在している。

 春の戦争の件を思えば、とてもではないが信じられない態度だ。

 運営委員の中にも、知人や親族がレイに殺されたという者は少なくないのだから。

 だがそれでも……ベスティア帝国の中でも最大の祭りにして、最強の人物を決めるというこの闘技大会の決勝まで残ったというのは、それだけで敬意を覚えざるを得ない。それ程の偉業なのだから。


「ああ、こっちはいつでも準備は出来ている」


 そう言葉を返し、座っていたソファから立ち上がるレイ。

 既にその表情には、つい数分前までのソファの上でイメージトレーニングをしていた時のような落ち着いた色はない。

 いや、傍から見ればそれは分からないだろう。実際運営委員もレイの様子に特に違和感は覚えてなかったのだから。

 だがこれから自ら挑む壁、あるいは山といった存在に対する獰猛な闘争心は確実にその表情には存在している。

 今はまだ戦いが始まっていないから大人しくしているのであり、もしも戦いが始まればそれが爆発するのは確実だった。


「……行くか」


 控え室を出る前に振り返り、ネブラの瞳へと魔力を流して鏃を作り出す。

 そのまま手首の動きだけで投擲し……次の瞬間、人形の頭部へと突き刺さり……そのまま破砕する。

 そんな様子を眺め、小さく頷くと驚愕の表情を浮かべている運営委員の前を通り、闘技場の舞台へと向かう。






『さて、皆。こうして長く続いてきた闘技大会も、いよいよこれが最後の一戦となる。正真正銘、ベスティア帝国の最強を……そして、ベスティア帝国の最強ということは、この世界の最強を決めるべき戦いだ』


 その言葉を他の国の者達が聞けば、間違いなく異論が出るだろう。

 実際、闘技場の貴賓室へとやって来ている他国の招待客の中には実況の言葉に不愉快そうな表情を浮かべている者も少なくないのだから。

 だがそれでもここはベスティア帝国なのは間違いなく、実況の声が喋った論理が通るのはしょうがなかった。


『この闘技大会というのも既に百回を超えるだけの回数が行われてきたが、それでも恐らく今年程に盛り上がった大会はなかっただろう』


 普段であれば実況の声が観客を煽り、観客もそれに乗るようにして興奮していく。

 だが今日だけは違っていた。

 闘技場の観客席は限界まで埋まっており、それはベスティア帝国の貴族や他国から招待された貴族が見学するための貴賓席ですらも同様だ。 

 皇帝の座っている貴賓席には皇族も多くが見物のためにやってきており、そちらも常になく人の数が多い。

 それにも関わらず、闘技場の中は誰かが興奮のあまり叫ぶでもなく、多少のざわめきは聞こえるものの、静まり返っている。

 分かっているのだ。皆がこれからどのような戦いが行われるのかを。

 恐らくは一生に一度見られるかどうかという、そんな戦いだと。

 そんな沈黙を破るように、再び実況の声が闘技場内へと響き渡る。


『既に細かい説明はもうこれ以上はいらないだろう。まずは……ランクB冒険者、深紅のレイの入場だ』


 実況の声と共に、選手の出入り口に複数の光の玉が乱舞する。

 演出自体は準決勝の時と同じだが、より豪華で派手な、人目を引く仕様に変わっていた。

 七色どころか、二十色を超える色の光の玉が無数に乱舞する中、レイが姿を現す。

 その手には既にデスサイズを持ち、ドラゴンローブを身に纏っている姿は、この闘技大会の観客であれば幾度となく見てきた姿だ。


『全てを斬り裂くその大鎌と、深紅の異名の原因となった炎の魔法でここまで勝ち進んできた実力は本物。準決勝では水竜のディグマをも倒しての決勝進出。この人物が闘技大会に出ると聞いた時から、恐らくこの光景を予想していた人は多い筈』


 そんな実況の声を聞きながら、軽く地面を跳躍して舞台の上へと着地する。

 デスサイズを肩に担ぎ、いつ試合が始まってもいいとばかりに、視線を真っ直ぐに自分が出てきたのとは違うもう1つの出入り口へと向けていた。


『そんな深紅と対峙する、もう一人。この人物が闘技大会に参加した以上、深紅のレイ以上にここまで来るのは既に決まっていたと言ってもいいかもしれない。その圧倒的な力によってこの決勝まで勝ち上がってきた……ベスティア帝国の英雄、ランクS冒険者、不動のノイズ』


 その言葉と共に、再びレイが入場してきた時と同様の……いや、それ以上に派手な無数の色を放つ光の玉が乱舞する。

 そして光の玉の乱舞から姿を現したのは、特に驚きの表情を見せもせずに淡々と歩を進めるノイズの姿。

 だが闘技場に姿を現したノイズの姿は、準決勝の時に見せていたものとは大きく変わっていた。

 モンスターの革を使ったレザーアーマー、腰にある長剣の納まった鞘という姿は同じなのだが、装備品そのものの格が違っていた。

 明らかに準決勝の時まで身につけていた装備品よりも数段上の代物。

 それに気が付いたのだろう。闘技場にいる観客達も沈黙を破って微かにざわめきの声を上げる。

 周囲から聞こえるざわめきを存在しないかのように無視して進み続け、フワリと跳躍して舞台の上へと着地する。

 その動きを見ただけで、レイは理解する。

 やはりまだ今の自分では目の前の男に勝つのは難しいだろう、と。

 だが難しいというのは不可能ということではない。自らのアドバンテージを最大限に活かせば勝算は低いだろうが勝つことも不可能ではない、と自らに言い聞かせる。

 そんな風にレイが考えている間に、舞台の上でノイズは動きを止める。

 舞台の中心で向かい合う二人。


「やはりお前がここまで来たな。あの時に街中で会った時からこうなるのは大体予想していたよ」


 表情を殆ど変えぬまま、それでも小さく口元に笑みを浮かべて腰の鞘から準決勝でも使っていた魔剣を抜き……


「そう言って貰えて幸いだ、とでも言えばいいのか?」


 デスサイズを握る掌に、緊張と目の前の人物から与えられるプレッシャーで薄らと汗が滲んでいるのを自覚しながらもそう告げる。

 そんなレイの言葉に、特に言葉を返さず……


『お互い、力の限り戦うように。始め!』


 皇帝の短い声と共に、闘技大会の決勝の開始が宣言されたのだった。

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