第594話

 宰相との会談の場へと向かっている途中、レイは内心でふと首を傾げる。


(さっきの2人……ローブに杖を持っていたってことは、間違いなく魔法使いだろうが、どこかで会ったか?)


 先程身体を強張らせ、あるいは床に座り込んでいた女2人組の魔法使いの姿を思い浮かべながら疑問を抱く。

 だが、レイの記憶にある限りだと全く見知らぬ2人だった筈だ。

 少なくても何らかの依頼で遭遇したような記憶はない。

 もっとも、ミレアーナ王国で活動していたレイがベスティア帝国の魔法使いと遭遇する機会は……


「ああ、なるほど」


 ふとその可能性に思い至り、納得したように呟く。

 突然呟いたレイを、隣のロドスが不思議そうな視線で眺めていたが、本人は特に気にした様子もなく内心で考えを進める。


(そもそも、ミレアーナ王国で活動していた俺とベスティア帝国で活動していた魔法使いが遭遇する可能性が高いのは、やっぱりセレムース平原での戦いだろ。となると、恐らく戦争で傭兵としてベスティア帝国軍に参加してたんだろうな)


 そうであれば、自分をあれ程に恐れる理由も理解出来る。そう思いつつ別の可能性として、以前はミレアーナ王国で活動していた時にレイと遭遇した相手が、何らかの理由でベスティア帝国に渡ったという可能性も思いつく。


(まぁ、そっちの可能性は殆どないだろうけど)


 セレムース平原を通れば普通に行き来出来るのだが、お互いの国には長年の対立による悪感情が存在している。

 そんな中で、好んでベスティア帝国に向かうような者はあまり多くはない。

 ……ヴィヘラのような特殊な例外を除いて、だが。

 結局理由の有無は分からぬままに、これ以上考えても無駄だろうと判断した時、ようやくダスカー一行を先導していたオンブレルの動きが止まる。

 オンブレルの近くには扉があり、護衛と思わしき騎士の姿が2人。


「ここで宰相が待っております。ただ、会談をする前に皆様が持っている武器の類をお預りします」

「……まぁ、当然だろうな」


 呟いたのはエルク。

 一国の……それも、長年敵対している国の宰相と会うのだ。それなのに武器を持って……とはいかないのが普通だろう。

 敵対していなくても、武器を持ったまま地位のある人物に会えると考える方がおかしいのだが。

 その点では面会する時によほど危険な相手ではない限り、武器の類を自由に持ったままでも許可をするというのは腕に自信のあるダスカーだからこそだろう。

 勿論常に護衛が隣の部屋に控えており、何かあればすぐに動けるようになっているというのもあるのだろうが。

 護衛の騎士やロドスは持っていた長剣を、エルクは雷神の斧、ミンは杖を手渡していく。

 レイに関しても当然武器の提出を求められたのだが、まさかデスサイズを渡す訳にもいかず、更にはミスティリングに関しては言うに及ばずだ。

 結局は懐に予備として持っていた短剣を手渡すだけで済ませる。

 当然宰相の護衛は納得しなかったのだが、実際にレイが現状で身につけている武器はナイフだけだった為か不承不承納得したらしい。

 ミスティリングについては知らなかったのか、あるいは知っていて意図的に見逃したのか分からなかったが、預けろと言われることもないままに部屋の中へと通される。

 もっとも、もしミスティリングを預けろと言われていればレイは拒否していただろう。さすがに自分の生命線ともいえるミスティリングを、敵対していた相手に預けるだけの度胸は持ち合わせていなかった。


(それを思えば、エルクはよく雷神の斧をあっさりと預けたよな)


 性能的に非常に高く、エルクの異名にもなっている雷神の斧。当然その価値は計り知れない程に高く、もしもこの雷神の斧をエルクから奪い去れば、それだけでミレアーナ王国の力を大きく削ぐことが可能なのだから。

 ただし、そのような真似をすれば色々な意味で騒動に発展することは確実であり、ただでさえ現在は戦力の再編まっただ中であるベスティア帝国軍としてはたまったものではないだろうが。


「ペーシェ・ガット様、ラルクス辺境伯御一行をお連れしました」

「うむ、入れ」


 オンブレルの言葉に部屋の中から返ってきた言葉は、どこかくぐもった声音。

 その声の調子に多少首を傾げつつも、ダスカー一行はオンブレルの開けた扉の中へと入る。

 最初に目に入ったのは、ソファに座って何らかの書類を見ている人物だった。

 当然その人物がオンブレルの口にしていた宰相、ペーシェ・ガットという人物なのだろうが、その外見は随分と特徴的だ。

 座っているので正確な身長は分からないが、それでも決して巨漢という訳ではないのは明らかだった。恐らくはレイとそう大差無い程度の身長しかないにも関わらず、体重は間違いなくレイの2倍……下手をすればそれ以上はあるだろう。

 端的に表現すれば、その人物はかなり太っている人物だった。

 頭部は禿げており、鼻の下にはヒョロリと伸びた髭が生えている。

 一見するとどこか道化師のような雰囲気すら感じさせる相手なのだが、書類を見ているその目だけは違った。

 まるで猛禽類を思わせるような、鋭い視線。

 だがその視線をダスカー一行が見たのは一瞬。

 次の瞬間には柔らかな視線となって一変し、部屋に入ってきたダスカー一行へと向けられる。


「これは失礼した。今の時期、色々と仕事が多くて……待たせてしまって申し訳ない」

「……いえ、こちらこそ。急な会談の要望に応じて貰って、感謝の言葉しかありません」


 いつもとは違う、ダスカーの丁寧な言葉遣い。

 普段の型破りな言葉遣いは、身内やそれに準じる者、あるいはその辺を気にしない相手に対するものであり、今のこの状況では外向けの言葉遣いにせざるを得なかった。

 ダスカーにしても、辺境伯という立場にいる以上このくらいの言葉遣いは出来て当然だった。


「ようこそベスティア帝国へ。何か不便を掛けてないといいのだが。さぁ、まずは座ってくれ。おい、お茶の用意を」

「はい」


 ペーシェの言葉に、部屋の中にいたメイドが頷き部屋を出て行く。

 それを見送ったダスカーは、ペーシェに勧められるままソファへと腰を下ろす。

 勿論レイやエルクといった護衛としてついてきた者達は座ることは許されず、ダスカーの後ろへと立つ。

 それはペーシェの護衛も同様であり、3人がソファに座っているペーシェの後ろに立っていた。


(……強い、な)


 内心で呟くレイ。

 一目見ただけで分かった。3人が3人とも、かなりの力量をその身に宿しているのだ。

 戦って負けるとは決して思わないが、それでもこれまでに幾度となく戦ってきたような雑魚のように一掃するといった真似は出来ない力量。

 レイの側にいた2人の騎士にしても、相手の力量を理解したのかそれぞれに気を引き締め直している。

 それはペーシェの護衛3人にしても同様だった。

 いや、寧ろペーシェの護衛達の方が驚きは強かっただろう。

 自分達の腕には当然自信を持ち、そうであるからこそ宰相の護衛という重要な役目を割り振られているのだ。

 だがそんな自分達でも、今目の前にいるラルクス辺境伯の護衛と敵対した場合どうにか出来るかと言われれば、難しかった。 

 出来るのは、精々護衛対象であるペーシェを逃がす時間を稼ぐくらいだろう。

 特に護衛の中の1人は魔力を感じ取る能力があった為に、レイに向けて信じられないような……それこそ、化け物でも見るような視線を向けている。

 言葉ではやり取りせずとも、護衛同士ということで雰囲気や仕草だけでお互いの力量を測る。これもまた、交流の1つなのだろう。


「毎年招待状を出してはいたのに、今までは代理ばかりでこうして本人がやってくるまで随分と時間が掛かったな」

「私としても、噂に名高いベスティア帝国の闘技大会には是非足を運んでみたかったのですが、何しろ辺境で領主をしていますのでね。特にここ最近は色々と騒動も大きくてゆっくりと出来ないのですよ」

「ほう? 騒動が?」

「ええ。特に去年の秋から冬に掛けてが色々と急がしく走り回っていましたよ」

「はっはっは。何、ミレアーナ王国でも辺境の領主として名高いラルクス辺境伯だ。その程度の騒動など、気にする程のことでもないだろう?」


 お互いに笑みを浮かべての会話であり、和やかな雰囲気すら漂っている。

 だが、当然ベスティア帝国の宰相とミレアーナ王国の中立派の中心人物でもあるダスカーの話がその言葉通りの意味で行われる筈もなく、この短い会話の中でもお互いにお互いを牽制することを忘れていなかった。


(去年の騒動ってのは、ベスティア帝国が仕掛けてきた奴だろ。それを暗に責めたのを、向こうがその程度は何でもないだろと受け流した。……みたいな感じか?)


 ダスカーの後ろで会話を聞いていたレイが内心で首を傾げていると、やがて部屋の扉がノックされ、メイドが紅茶とクッキーを持って入ってくる。

 紅茶の入っているポットからカップへと紅茶を淹れ、そのまま2人の前に差し出すメイド。

 それを見ていたペーシェはダスカーに向かって笑みを浮かべて口を開く。


「好きな方を選んでくれ」

「うむ、ではこちらを」


 ダスカーが向かって右側のカップを手元に引き寄せると、それを待っていたかのようにペーシェは残っているカップを手元に引き寄せ、クッキーを口へと運び、それを紅茶で飲み込む。

 紅茶の入ったカップをダスカーに選ばせ、紅茶とクッキーは自分が先に口に入れる。

 この中に毒が入っていないということを示す為の行為だったが、それでもどこかわざとらしく感じたのはレイだけではないだろう。

 自分はここまでそちらに配慮していますよ、というのをあからさまな形で見せつける行為。

 その行為がなければ、ダスカーも紅茶やクッキーに手を伸ばすようなことはしなかっただろうが。

 この地が敵地であるというのは間違いなく事実なのだから。

 そんな風に、細かな言動に幾つもの意味を込めたやり取りをしながらダスカーとペーシェはそれぞれ言葉を交わす。

 まずはお互いに前置きの意味もあってか、当たり障りのない世間話としてギルム近辺に現れるモンスターに関してや、あるいは帝国で作られているマジックアイテムに関してといった内容を話していたのだが、話題が今回の闘技大会へとなったところでダスカーが本題を口に出す。


「闘技大会ですか。実はその件に関してお願いしたいことがあるんですが」

「ほう? わざわざミレアーナ王国からおいで頂いたラルクス辺境伯からの頼みだと思えば、無碍にも出来んな。必ずしも要望を聞けるとは限らないが、一先ず聞かせて貰おう」

「助かります。実は護衛として雇った者の中で、数名が是非闘技大会に出てみたいと言ってましてな。その辺を宰相殿のお力で何とかならないかと」

「……なるほど」


 ダスカーの口から出た言葉に、今までは穏やかと言ってもいい光を宿していた目が鋭くダスカーの後ろに黙って立っている護衛を一瞥する。


「まさか全員……という訳ではないのだろう? 具体的には誰が出場希望なのかを聞いても?」

「ええ、問題ありません。まずはレイ。いえ、宰相には深紅といった方が分かりやすいでしょうね」


 自分の名前が呼ばれたレイが、一歩前に進み出るとペーシェに向かって小さく一礼した。


「ギルムの冒険者、レイです」


 深紅という言葉に、ペーシェの視線が鋭くレイへと向けられる。

 勿論ベスティア帝国の宰相という立場にある以上、ペーシェは深紅というのがどのような人物なのかは知っていた。

 春の戦争に参加した生き残りからの聞き取り調査により、その容姿や体格といったものが噂とは全く違うというのも知っている。

 だが……それでも、やはり実際にその目にしてみれば、これが戦争で帝国軍にあれ程の被害を与えた人物かという思いが強い。

 身長は低く、子供ではないが大人とも言い切れないような年齢。

 顔立ちにしても、とてもではないが腕利きで異名を持つような冒険者の凄みは感じられない。

 目の前の人物こそが深紅であるというのは当然前もって集めた情報で知っていたペーシェだったが、それでもこうして直接紹介されれば首を傾げざるを得なかった。

 レイの隣に雷神の斧と呼ばれているエルクがいたことも、ペーシェの思いに拍車を掛けていただろう。


「お主が深紅、か。噂では色々と聞いているし、戦争に参加した者達からの報告も聞いているが……こうして直接見ると、信じられんというのが正直なところだな」


 ペーシェの言葉を聞いたレイは、思わずといった表情で苦笑を浮かべる。

 自分の容姿については既に半ば諦めているレイだったが、それでもこうして真っ向から言われれば思うところがあったらしい。

 そんなレイの様子を見て何を思ったのか、ペーシェはやがて小さく頷き口を開く。


「いいだろう、深紅の闘技大会への参加、儂が責任を持って手を尽くそう」

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