第579話

 時は少し戻り、レイが周囲の異変を察知して目を覚ました頃。

 厩舎にいるセトもまた同様に、第六感で周囲の異変に気が付き目を覚ましていた。

 自分に割り当てられた場所で寝転がっていた状態から立ち上がる。

 本来であれば、そんなセトの動きにも他の動物たちが過敏に反応して目を覚ましていただろう。

 だが今日の宿はダスカーが借り切っている為に、厩舎にいるのもセト以外にはダスカー一行の軍馬や馬車を引く馬のみだ。

 そうである以上、宿としてもセトと他の馬を離れた場所に配置するのは当然であり、馬達にしても十分に訓練されているし、ギルムからこの街まで旅路を共にしたということもあってある程度は慣れていたのか、セトの行動には殆ど反応せずに眠りについていた。


「グルルゥ?」


 周囲を見回しつつ、喉を鳴らすセト。

 特に異変があるようには見えなかったが、それはあくまでも今だけだ。

 小さく鳴き声を上げつつ、グリフォンとしての力を使って自分に割り当てられた厩舎から出る。

 丁度タイミング良く――あるいは悪く――厩舎へと近づいてくる幾つもの足音が聞こえてきた為だ。


「おい、本当に大丈夫か? 相手はグリフォンなんだろ? そんな相手を怒らせたら……」

「大丈夫だって。何てったって、この時間帯だぜ? 幾らグリフォンだって夜になればぐっすり眠っているに決まってる」

「けど、グリフォンなんだぜ? それこそ、厩舎が燃えているって気が付けば脱出してくると思うんだが」

「あのねぇ。なら、あんたはあのグリフォンを許せるの? 深紅の従魔で、セレムース平原であの人達を殺した相手よ?」

「それは分かるけど、そこまでやったら私達も追われることになるのよ?」

「……いい? 貴族の泊まっている宿を襲撃した時点で、もう私達はこの街にはいられないの。出来るとすれば、後は確実に奴等の口を封じて知らんぷりすることよ」

「何だよ、怖じ気づいたのか? 大丈夫だって、所詮従魔と言ってもモンスターでしかないんだ。眠っているところに火を掛けるんだから、何も出来ないまま死んでいくよ。後は魔石だっけ? それでも取り出して処分すれば金にもなるし……」

「おい、俺は別に金儲けがしたくてここに来た訳じゃないぞ。息子の仇を討つ為だ」

「分かってるって。けど、別にこの襲撃に参加した全員がお前さんみたいに真面目なわけじゃないのは知ってるだろ?」


 人間に比べると桁外れに鋭い聴覚でそんな会話を聞き、更にはその会話をしている者達が厩舎の方へと近づいてきているのにも気が付いたセトは、厩舎の中で眠っている馬や軍馬へと視線を向ける。

 最初は自分を怖がっていた相手だが、旅をするうちにある程度慣れた今はそれ程怖がったりはしない。親しいとはとても言えない相手だが、それでも旅を共にする仲間だった。

 このまま厩舎に火を付けられれば、自分はともかく他の馬や軍馬は間違いなく焼け死ぬ。

 そう判断したセトは、ゆっくりと厩舎の扉へと向かって歩き進める。

 そんなセトの姿に気が付いた馬や軍馬もいたが、セトはそれに構わずに扉を身体で開けながら外へと出て行く。

 外に出て最初に目に入ったのは、10人を超える人影。

 人間であれば詳細な顔の判別までは出来ないだろう。だが、夜目の利くセトにとってこれだけの月明かりがあれば、その判別は容易だった。

 そして人影の手元には火を付けるマジックアイテムがあり、藁を始めとした燃えやすいものを持っている者もいる。先の会話と合わせれば、何が行われようとしているのかは疑いようがなかった。


「グルルルルルゥッ!」


 セトのスキルである王の威圧を発動。セトの口からでた雄叫びは、厩舎の近くにいた人影の集団へと効果を発揮し、身動き一つ取れない状態にする。


「グルゥ、グルルルゥ?」


 そんな風に動きを止めたのはいいものの、果たしてどうすればいいのかと迷うセト。

 このままもう一度王の威圧を使って気絶でもさせればいいのか、あるいはいっそ……

 そんな風に考えていたセトだったが、唐突にその場から真横へと跳ね飛ぶ。

 すると一瞬前までセトのいた場所へと数本の矢が突き刺さる。


「グルルルゥッ!」


 矢の向かってきた方向へと威嚇の意味を込めて喉を鳴らす。

 だがその矢を放った人物は、宿の庭に生えている木の枝の上から、そんなセトの様子は全く関係ないとばかりに再び幾本も矢を放つ。

 その矢の速度は、普通の冒険者が放つ矢よりも余程速い。

 しかし、その割に矢の精度は酷く低く、全く見当違いの方へと向かっていくのも珍しくはない。

 まるで力はあっても弓を使ったことが殆どない人物といった感じだった。


「グルゥ?」


 矢の威力と精度が釣り合っていないことに疑問を抱いたセトだったが、それでも自分に向かって害意を抱いている相手をそのままにして置く訳にもいかない。

 一瞬の迷いをすぐに振り切り、矢を放っている人物がいる木へと向かって突き進む。

 大地を蹴る速度が徐々に上がり、そんなセトの後を追うようにして矢が一本、二本と地面に突き刺さる。

 その途中で動きの止まっていた暴徒達を吹き飛ばしていったのだが、セト本人は全く気にした様子もなく突き進む。


「グルルルルルゥッ!」


 木の近くまで移動したセトは、雄叫びを上げながら跳躍。

 そのまま自分を木の上から狙っている人物へと向かって飛び掛かる。

 ヒュッ、という空気を斬り裂く音が周囲に響くが……


「グルゥッ!」


 衝撃の魔眼を使って生み出された衝撃波が矢を弾く。


「死ね、死ね、死ね」


 だが、矢を放った男はそれに全く動じた様子もないまま、持っていた弓をセトへと向かって投げつけ、同時に腰の鞘から短剣を抜き取り構える。


「グルルルゥッ!」


 自分の顔面目掛けて放たれた弓を右前足の一撃で弾き、左前足の一撃を短剣を構えた男へと叩きつける。


「死ねぇぇぇぇぇっ!」


 短剣でその一撃を防ごうとした男ではあったが、当然何のマジックアイテムでもないただの短剣でそんな真似が出来る筈もなく、僅かな衝撃を受け止めた次の瞬間に男は空中へと吹き飛ばされ、折れた短剣の剣先もあらぬ方へと飛んでいく。

 憎悪に目を染めたまま男は木の上から叩き落とされ、地面を数m程削りながらその動きを止める。


「グルゥ……グルルルゥ?」


 他に敵はいないかを確認しようとしたセトだったが、やがて厩舎の方へと向かってくる足音に気が付く。

 だが、それは敵ではない。聞き覚えのある足音だ。


「セト、無事か!」

「グルルルゥ!」


 宿から姿を現したレイの言葉に、元気よく鳴き声を上げるセト。

 セトの実力なら問題はないと思ってはいたが、それでもしっかりと相棒の姿をその目で見て安堵の息を吐くレイ。


「ふぅ、どうやらこっちにもやっぱり来たようだな。よくやってくれた」


 小さく笑みを浮かべ、褒めるようにしてしっかりとセトを撫でつつ追いついてきた騎士達に向かって声を掛ける。


「悪いが、その辺に倒れている奴等も襲撃して来た奴等だから、捕縛を頼めるか?」

「ああ、問題ない。それにしても、本当にレイの言う通り厩舎の方も襲っているとはな」

「全くだ。つくづく助かったよ」

「考えてみれば、俺達が護衛をしている宿の中よりも厩舎の方が警備も薄いし、襲撃がしやすいのは事実なんだよな」

「確かに。特にセトの存在を思えば、襲撃して来た奴等には狙う理由も十分以上にあるし」

「馬車ならここの代官辺りに用意させるのも難しくないけど、俺達の相棒はなぁ……」


 騎士にとって馬とは、戦場では文字通りに命を預ける相棒だ。それだけに繋がりも深く、愛情をもって接する者も多い。

 そんな相棒が厩舎を襲撃されて死ぬような目に遭っていれば、精神的な衝撃は相当なものだろう。

 敵国でもあるベスティア帝国内でそんな目に遭うのは、騎士達にとっては絶対にごめんだった。


「ま、それもセトのおかげで何とか免れたんだ。……助かったよ、セト」


 そう告げ、騎士の1人がお礼の意味を込めて持っていた干し肉をセトへと放り投げる。


「グルルルゥッ!」


 セトはその干し肉をクチバシで受け止めると、嬉しそうに喉を鳴らしつつ、あぐあぐと食べる。

 レイを含めた騎士達は、そんな姿にほんわかとしたものを感じつつ自らの愛馬の無事をその目で確認すべく厩舎の中へと入っていくのだった。






「……ねぇ、どう思う?」


 宿からかなり離れた場所。レイの目から見てもそのままでは見えない場所で呟く声がある。

 柔らかい声の主、洗脳を得意とするムーラが手に持っている水晶球へと視線を向けたまま口を開く。


「予想以上。それでも想定外ではないといったところか」


 そう呟く男、シストイの視線も女が持っている水晶球へと向けられている。

 この水晶球は女が自ら洗脳した相手の見た光景をそのまま映せるという能力を持ったマジックアイテムだ。

 それだけを聞けば便利そうに思えるのだが、使用するにはかなり厳しい制限があった。

 例えば、洗脳した相手と隔てられた場所にいれば使えない。

 つまり、どこかの部屋に閉じ籠もったままでは使用出来ないのだ。

 もっとも今回のように宿の扉が開いていれば使用に問題はないのだが。

 他にも使用するには相応の魔力を消費する必要もあり、ムーラの魔力ではこの水晶を1度使うと数日は魔力切れにより身体の動きが怠くなるという症状に襲われる。

 そして何よりも、この水晶球には規定された使用制限があり、非常に高価な代物だった。

 それこそムーラの仕事数回分の報酬を使ってようやく購入出来る程の。

 色々と使い勝手の悪いマジックアイテムだったが、それでも今回無理をしてでも使って良かった。心底ムーラはそう思う。

 何故なら……


「深紅の実力も想定内だった?」

「……いや、奴は例外だろう」


 どこかからかうように告げるムーラに、シストイは一瞬沈黙した後で呟く。

 その口調が苦々しげな色をしているのを感じ取ったムーラは、当然だろうと苦笑と共に同意する。

 シストイが雇い、ムーラが憎しみを増幅させた暴徒達。

 手駒とした者達程の深い洗脳ではなく、単純に感情を増幅させた程度の処置しかしなかったのだが、人間というのは精神が肉体に影響を与えることは珍しくはない。

 強い意志を持った者であれば、本来であれば気絶する一撃を耐え、激痛にも耐え、死ぬ寸前であっても相手の喉元に食らいつくことがある。

 そんな相手を、レイはいともあっさりと無力化したのだ。

 最初は意表を突くことが出来たのだが、出来たのは驚かせるくらいのことだけでしかなかった。


「護衛の騎士に関しては、何とかなると思う。腕は立つが、それでも常識の範囲内だしな。だが……」

「そうね。結局は深紅……か」

「ああ。あの男が護衛についている限り、ラルクス辺境伯へと手を伸ばすのは難しい。それに、気が付いただろう?」


 その言葉だけで、ムーラはシストイが何を言いたいのかを理解したのだろう。小さく溜息を吐きながら口を開く。


「雷神の斧」

「そうだ。今回の襲撃に本人は全く姿を見せなかった。出てきたのは息子だけだしな」


 水晶球で見た光景を思い出す。

 騎士と共に、階段を守っていた戦士。

 宿屋の建物内であり、近くに騎士もいるというのに、特に苦労することなく騎士達と共に階段を守っていた。


「俺が集めた情報によると、両親と比べると腕はそれ程でもないって話だったんだけどな」

「まぁ、確かに騎士よりも少し上くらいではあったわね」

「そうだ。もっとも、こっちに入っている情報は所詮古いものでしかない。あの年齢だと日々腕が上がってもおかしくないだろう。特に身近に雷神の斧や深紅という存在がいるんだ。自分を鍛えるという意味では、これ以上ない程に恵まれている」


 どこか羨ましそうな色がシストイの口調に混ざったのを感じ取り、ムーラは小さく笑みを浮かべてからかうように口を開く。


「羨ましい?」

「まぁ、否定はしない。それに……」


 そこまで呟いたシストイだっただが、何故か急に黙り込む。

 そんな相棒を不思議そうな目で見るムーラだったが、視線の先にあるシストイの表情が急激に厳しくなっていく。


「引くぞ」

「え?」


 その言葉に戸惑ったのは一瞬だったが、すぐに何が起きているのかを理解する。


「嘘でしょ、この距離で見つかったっていうの!?」

「ああ、こっちに向かってきている」


 そう告げたシストイは、ムーラの返事も待たずに膝へと手を伸ばして横抱きに抱き上げる。


「ちょっ、シストイ!?」

「お前の足だと逃げ切れない」

「分かってるけど、それでもちょっとこれは……」

「黙ってろ」


 短く告げると、そのままムーラを横抱きにしたままその場を離れ、夜の闇に溶け込むように消えていく。

 それから数分……


「ちっ、逃がしたか」

「グルゥ」


 夜空に浮かぶのは翼を広げたセトと、その背に跨がっているレイ。

 先の襲撃が自分達の力を知る為の襲撃であると判断し、そうである以上はどこかから様子を窺っていると考え、その結果セトとレイの並外れた五感や第六感までをも駆使して見つけたのがここだった。

 だが、敵も並ではなかったらしく、レイ達がこの場に到着した時には既に姿を消していた。


「……追うか? いや、あまり離れすぎるのもよくない、か。それにこの逃げ足の早さを考えれば……しょうがない、か。セト、戻ってくれ」

「グルルルゥ!」


 レイの声に喉を鳴らして答え、そのまま1人と1匹は宿へと戻っていくのだった。

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