第476話

「キュキュ、キュウ!」


 体長20cm程の小型の竜。一見すると生き物と言うよりはヌイグルミのようにしか見えない黒く小さい竜は、エグジルの街中を歩いているレイやセト、そして自らの主でもあるエレーナの周囲を嬉しそうに鳴き声を上げながら飛び回っていた。


「あら、イエロちゃん。今日はご機嫌ね」

「キュ!」


 道の脇で火種を作り出すような生活用品のマジックアイテムを売っている露店の店主がそんなイエロへと声を掛けると、嬉しそうな鳴き声を上げつつそちらへと近づいていく。

 40代程の中年の女は、そんなイエロをそっと撫でて笑みを浮かべる。

 レイ達が砂漠の階層に挑んでいる間、その強烈な日光がまだ子供のイエロには耐えられず、成長にも悪影響を与えると判断されて宿に1匹だけ残されていたイエロ。

 勿論夜になればレイやエレーナ、そしてある意味ではイエロの保護者的な役割を持っているセトも帰っては来るが、それでも日中はどうしても暇だった。

 そんなイエロの暇潰しが外に出て遊ぶことであり、そうなれば当然イエロのような、見るからに保護欲を掻き立てられる存在はすぐに周囲から人気者になる。

 外に出るとは行っても宿の周辺だけである以上、街中を歩いているセトのように爆発的に広まるようなことは無かったが、それでも一部では根強い人気を誇るようになっていた。


「うちのイエロが世話になったようだな」


 そんな露店の店主へとエレーナが声を掛けると、小さく目を見開いた後で笑みを浮かべる。

 宿の近くで商売をしている以上、当然露店の店主も宿の客で目立つ相手はそれなりに見知っていた。

 それがレイのようにグリフォンを連れている冒険者であったり、あるいはエレーナのような美貌の持ち主であれば尚更だっただろう。

 それでも、周囲でたまたま近くを通りかかった男が魂を抜かれたかのように見惚れているのとは違ってすぐに我に返ったのは、やはり高級宿の近くで商売をしている為に美形をある程度見慣れていたからか。


「い、いえ。そんなことはありません。私もいつもイエロちゃんを見て暖かい気持ちになっているのですから」

「ふっ、そうか。イエロが役に立ったようで何よりだ。……そうだな、イエロが世話になっている礼だ。これを貰おう」


 そう告げ、火種を作り出す指輪を手に取って銀貨2枚を店主へと渡す。

 それを見た店主は、エレーナを見た時よりも大きな驚愕に目を見開く。

 エレーナが手に取った指輪は、幾らエグジルに出回っている魔石の量が少なくなってきていても銅貨数枚程度の値段であり、銀貨を……それも2枚も支払って貰うようなものではないからだ。


「そんなっ、これはちょっと多すぎます!」

「この商品の値段だけではない。イエロが世話になっている礼も兼ねているのだから、気にせず貰ってくれ」

「でも……」

「では、な。今日からイエロはまた私と共にダンジョンへと潜るが、それでもまた遊びに来ることがあるだろう。その時はまた構ってやってくれ」


 貰いすぎだと、と告げる店主の話を意図的に断ち切り、そのままエレーナは少し先で自分を待っているレイへと追いつく。

 エレーナの右肩の上にはイエロが止まっており、後ろを向いてまたね、とキュウキュウ鳴いていた。






「じゃ、セト。暫くイエロを頼むな」

「グルゥ」

「イエロもセトと一緒に大人しくしているんだぞ。すぐに戻ってくるから」

「キュ!」


 レイとエレーナの言葉にセトとイエロがそれぞれ返事をし、2人はギルドの中へと入っていく。

 その後ろ姿を見送った2匹は、従魔用のスペースに寝転がってグルグル、キュウキュウと会話をし、それを見て周囲の者達は心和み、持っていた食べ物を与えたり、あるいは撫でたりして癒やしの空間が出来上がるのだった。






 ギルドへと入ると、出入り口近くにいる冒険者の視線がレイとエレーナへと集まり、すぐに逸らされる。

 そんな視線を感じつつも、2人は既に慣れているのか特に気にした様子も無くカウンターへと向かう。


「剥ぎ取りの依頼に関しては、ダンジョンから戻ってきて素材を売った時に一緒にやっても良かったんだけどな」

「依頼を出すのなら少しでも早い方がいいだろう? 今のうちに依頼を出しておけば、ダンジョンから戻ってきた時には既に受ける冒険者が揃っているかもしれない。それにダンジョンから戻ってきてから依頼を出せば、実際に素材の剥ぎ取りをするのは明後日になる」


 確かに、とエレーナの言葉に頷きつつ、カウンターに到着したレイは、受付嬢へと向かって声を掛ける。


「依頼を出したい。内容は素材の剥ぎ取りで、コボルト、デザート・リザードマン、アースクラブ、ブラッディー・ダイル、スパイラル・ラビットで、全部で50匹程の予定だ。ただ、今日これからダンジョンに潜るから、もう少し増える可能性もある。依頼を受ける際のランクに関してはそっちに任せるが、人数は最大で10人程とさせてもらう。依頼を受ける奴は、午前9時にエグジルの正門前に集合させてくれ。報酬は……そうだな」


 そこまで告げ、少し悩む。

 レイとしては出来れば明日にでも素材の剥ぎ取りを片付けてしまいたいのだが、そうするとある程度の額は必要だろうという思いがあったからだ。


(あの時は金貨1枚をキュロット達で分け合ったんだよな。そうなるともう少し報酬を上げて……)


 素早く頭の中で考えを纏め、受付嬢へと向かって告げる。


「1人銀貨5枚。それと、素材の剥ぎ取りが明日で終わったら銀貨をもう1枚出そう。それと、素材の剥ぎ取りをやっている時は俺が監督させて貰う。もし素材をくすねたりしたら、その場合は相応の処置をすると依頼書には書いておいてくれ」

「はっ、はい!」


 最後の言葉に物騒なものを感じたのだろう。受付嬢は、レイの言葉に素早く頷く。


「依頼のランクについては、そちらで決めてくれて構わない。出来れば早めに依頼ボードに貼って貰って、明日にでも依頼をこなして貰えば助かる。これが報酬だ」


 そう告げ、ミスティリングから出した袋の中から銀貨5枚を10人分で金貨5枚、それと追加報酬の銀貨10枚をカウンターの上に置く。


「依頼をする際の手数料はダンジョンから帰ってきてランクが決まってたらその金額を支払う。……他に何かあるか?」

「いえ、今は特に何も。ただ、後で何か追加であるかもしれませんが……」

「そっちに関しては、今も言ったようにダンジョンから戻ってきた時に言ってくれ。取りあえずは以上だ」

「分かりました。では、こちらをどうぞ」


 渡された書類に依頼の内容を書いていき、それを受付嬢に渡してレイとエレーナはギルドを出て行く。

 ギルドの中で何か旨味のある仕事を探して依頼ボードを見ていた冒険者の中でも数人がレイと受付嬢の会話を聞いており、そのまま依頼書が依頼ボードに張り出されるのを待つ。

 もっとも、受付嬢が上司へとレイの書いた依頼書を提出しランクが決定し、実際に張り出されるまでには1時間程掛かることになったのだが。

 だが、それでも素材の剥ぎ取りで銀貨5枚、それも1日で終われば更に銀貨1枚というのは非常に旨味のある依頼であると判断したのだろう。それなりに大勢の冒険者達が10人という狭い枠を奪い取るべく多少の騒動まで起きるのだった。

 





「悪いな、俺の用事のせいで少し遅れて」

「30分も掛かっていないのだから、いつもとそれ程の違いはないさ」

「グルゥ……」

「キュ!」


 レイの言葉にエレーナが問題無いと告げ、セトとその背に乗っているイエロもエレーナに同調するように鳴き声を上げる。


「そうだといいんだがな。何しろ、このダンジョンでは初のアンデッドのフロアだ。幸い砂漠と違って何階層もあるような場所じゃないが、それだけに色々と面倒くさそうな階層だろうし。せめてもの救いは、涼しい場所だってことくらいか」


 その代わりに嗅覚が麻痺するが。

 言外にそう告げると、実際に昨日一瞬ではあるが地下16階を経験しているエレーナは不愉快そうに眉を顰め、セトもまた思わず前足で鼻を押さえる。


「キュ?」


 ただ1匹、久しぶりのダンジョンということで嬉しそうに鳴き声を上げているイエロのみが、レイ達から浮いていた。

 何度かアンデッドの階層は腐臭がすると教えようとしたエレーナだったが、こうまで喜んでいる様子を見ると、ここ暫くしょうがないとは言っても放って置いた罪悪感もあり、告げることが出来ずにいた。


「……なにごとも経験だしな、うむ」


 そう、自らを誤魔化すように告げながら。






 いつものように串焼き屋で串焼きを食べ、ダンジョンカードを門番へと見せてダンジョン前の広場へと向かうと、そこは相変わらずの活気に満ちていた。

 いや、相変わらずと言う表現は正しくないだろう。レビソール家の一件で一時的に下火になっていた活気が再び戻ってきたという表現が正しい。


「こっちは戦士が3人と弓術士が1人。盗賊はいないか? 今なら報酬は弾むぞ! 探索するのは地下9階だ!」

「槍の使い手を1人募集中だ!」

「こっちは弓術士が4人よ! 前衛をやってくれる人を2人探してるわ!」

「魔法使い、魔法使いはいないか!? 浄化魔法か火炎系の魔法を使える魔法使いを探している!」


 そんな声が周囲に響き、それを聞いたレイは軽く眉を顰める。


「どうした?」


 そんなレイに気が付いたエレーナが尋ねるが、レイはそれに黙って首を横に振って何でもないと態度で示す。


(浄化魔法か火炎系の魔法。……となれば、間違いなくあのパーティはアンデッドのいる階層に向かうんだろう。アンデッドが現れる階層は別に地下16階だけじゃないにしても、重なるとあまり面白くないな)


 競争相手とぶつかるのはモンスターの素材や魔石を手に入れにくくなるだけではなく、レイ達の場合は、セトの戦闘スタイルにも影響してくる。

 セトが通常のグリフォンと違うというのを隠している以上、よく知りもしない相手の視線がある場所でファイアブレスのような目立つスキルを使用する訳にもいかないのは当然だった。


(まぁ、衝撃の魔眼や毒の爪、王の威圧といった、派手じゃないスキルを使えば十分戦闘は可能だろうけど。ああ、そう言う意味だとサイズ変更も誤魔化せるか? ……いや、さすがに大きさが半分くらいにまで縮めば誤魔化すのは無理か)


 内心で考えつつセトの頭を撫でていると、それが羨ましかったのだろう。自分も! とイエロが小さい羽を羽ばたかせながらセトの背を飛び立ってレイの右肩へと止まる。


「キュ!」

「可愛い……」


 レイの右肩で鳴き声を上げたイエロの頭を左手でそっと撫でていると、ふとそんな声がレイの耳に入る。

 声そのものはそれ程大きくは無く周囲の声にかき消されていったのだが、それでもレイはその声を聞き逃すようなことはなかった。

 もっとも、だからと言って向こうから話し掛けてくるならまだしも、それを理由にレイが声の主に対して何らかの行動を起こす訳でもない。

 だが、子供の竜というのは相当に珍しく、それもイエロは十分すぎる程に愛らしい容姿をしている。

 実際、今の声の主だけではなく、ダンジョン前の広場にいる女冒険者の多くや、あるいは男の冒険者もまた、こっそりとイエロへと視線を向けていた。

 中には、竜の子供ということで目の色を変えているような者も何人かいたが、欲望に満ちた視線はレイにしろエレーナにしろ、そしてイエロの保護者的存在でもあるセトにしろ、見逃すことはない。

 何か手を出して来た時にはすぐに対応出来るようにしっかりと顔を覚え、2人と2匹は周囲の様子を気にせずに話しながら転移装置へと向かって進んでいく。

 既にレイ達は基本的に固定パーティであり、野良パーティに誘われても受けないというのはそれなりに知れ渡ってはいるので、声を掛ける者は基本的にいない。

 だが、どこにも空気を読めない者、あるいはここ数日エグジルに来たばかりでレイ達についての情報を持っていない者というのは存在していた。


「よおっ、そこのグリフォンと竜を連れてる2人。良ければ俺達のパーティに入らないか? 見たところ戦士と魔法使いの2人だろ? こっちは槍と弓と盗賊が1人ずつだけど、どうだ?」


 そう声を掛けてきたのは20代半ば程の、頑強な体格をした男。

 人好きのする笑みを浮かべ、年齢や背丈でエレーナをこのパーティのリーダーだと判断して声を掛ける。

 もっとも、純粋にパーティに誘うと言うよりもエレーナと親しくなりたいというのが、その顔には浮かんでいた。

 それでもレイやエレーナが不愉快にならなかったのは、下卑た雰囲気を出していなかったからだろう。


「悪いが、パーティに関しては今は間に合っている。他を当たってくれ」

「そうか、ま、本人がそう言うのならしょうがないか」


 そして実際にエレーナが断ってもしつこく絡んでくることもなく、あっさりと手を振って去って行く。


「ああいう奴等ばかりだといいんだけどな」

「ああ」


 エレーナとレイはお互いに短く言葉を交わし、ダンジョンに潜るべく転移装置へと向かう。

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