第474話
3人の冒険者が立て籠もっているパン屋へと上空から奇襲を仕掛けるべく、レイとセトは警備兵の1人を伴って現場となる場所から10分程の距離の場所まで移動していた。
「この辺でいいか?」
警備兵の言葉に、レイは周囲を見回してからセトへと視線を向ける。
「グルゥ」
そんなレイの視線に、大丈夫と喉を鳴らすセト。
「大丈夫らしい。そっちは周囲の人が怪我をしないようにしてくれ」
「ああ。……皆さん、済みませんがこれからちょっと彼が飛び立ちます! 警備隊の仕事に対する協力ですので、心配いりません。ご協力をお願いします!」
警備兵が周囲で何が起こっているのかと視線を向けてくる住民達へと大声で声を掛ける。
エグジルでも有名になりつつあるセトが警備兵と一緒にいるということで集めていた視線が、その一声で安堵へと変わる。
セトが、あるいはその主でもあるレイが警備兵と一緒にいる。つまり、何か犯罪でもしでかして捕まったのではないかという思いを抱いている者もそれなりの人数がいたのだ。
もっとも、その場合の心配は主にセトにであったが。
住民に対する印象では、圧倒的にセトの方が上らしい。
それでもレイはそれなりに顔立ちが整っている為、心配そうな顔を向けてくる女もある程度の人数いたのだが。
ともあれ、警備兵の言葉にレイやセトを中心にして5m程の空間が出来上がる。
「これで構わないか?」
「ああ、問題無い。セトなら数歩の助走で空を飛べるしな。感謝する」
「グルルゥ」
セトへと跨がりながら告げるレイに、警備兵は首を横に振って口を開く。
「いや、そもそも俺達の力で解決出来ていればこんな風にあんた達の力を借りる必要はなかったんだ。それを思えば、感謝するのは俺の方だよ。……頼む、あのパン屋を、そして捕まっているラティオさんを必ず助けてくれ」
深々と頭を下げながらそう告げてくる警備兵の様子に、何となくこの人物がパン屋の店員――ラティオ――にどのような感情を抱いているのかを悟ったレイは、小さく笑みを浮かべて口を開く。
「店員の方はともかく、その親父の方を助ける必要は無いのか?」
「ぐっ、そっ、それは……ともかくだ! 頼む」
レイだけではなく、周囲で話を聞いていた者達もそんな警備兵の気持ちには気が付いたのだろう。どこか生暖かい視線を向けながら――あるいはラティオに対して警備兵と同じような想いを抱いているのか、鋭い視線を向け――そんな周囲からの視線に、警備兵は自分が何を言ったのかを理解して頬を赤く染める。
「さっきも言ったように、あのパン屋はセトのお気に入りでな。俺とエレーナもあそこで売ってるパンの味は気に入っている。そんな店をどうにかするような奴には、相応の報いをくれてやるさ」
見る者によっては不敵ともとれるような笑みを浮かべたレイは、セトの首を叩いて合図を出す。
「グルルルルルゥッ!」
レイの合図を受け、そのまま周囲に空いている空間を数歩の助走で翼を羽ばたかせながら、空中を蹴るようにして空高く上がっていく。
そんな1人と1匹の様子を見送っていた警備兵や周囲の住民、あるいは冒険者達は、初めて見るセトの空を飛ぶ姿に思わず目を奪われつつ見送るのだった。
「グルゥ」
地面を飛び立ってから1分もしないうちに、パン屋の上空50m程の場所に到着してセトが喉を鳴らす。
セト本来の速度であれば、それこそ10秒も掛からずに到着していたのだが、全速を出すと今度は行き過ぎてしまう可能性があった為に速度を調整してゆっくりと来たのだ。
そんなセトの鳴き声を聞き、地上へと視線を向けるレイ。
そこに見えるのは、相変わらずパン屋を取り囲んで犯人が逃げられないようにしている警備兵達。その外側にはエグジルの住民――パン屋のファンも多い――が様子を見ている。
その場にいる殆ど全員が空を飛んでいるセトと、その背に乗っているレイには気が付いていない。
エレーナと警備隊の隊長やレイと隊長の話を聞いていた少数の警備兵といった例外を除いて。
警備隊の隊長が部下にレイとセトのことを教えなかった理由は簡単だ。警備兵達が上空を気にすれば、当然周囲の住民達も空に何かがあるのだと気が付くだろう。そうなればパン屋に立て籠もって外の様子を探っている犯人達も同様に上空に何かがあると気が付き、結果的にレイの奇襲は失敗する可能性が高くなってしまう。
それを恐れた隊長は、部下にも口止めをして秘密裏にことを運んでいた。
「……よし、下も準備はいいな」
「グルゥ」
その並外れた視力の良さにより、地上にいるエレーナと一瞬だけ目が合ったと確信したレイは同様に地上にいるエレーナの姿を見つけていたセトの背を撫で、準備を整える。
「セト、言うまでもないが実際に行動を始めたら躊躇いは許されない。後は犯人が俺達の存在に気が付く前に確保するぞ。俺が人質の2人を確保するから、セトは犯人の確保を頼む。出来れば一撃で気を失わせて、殺さないようにな」
「グルゥ?」
何で? と自らの背に乗っているレイへと視線を向けて尋ねるセト。
いつものレイなら殺人を忌避しない性格だと知っているので疑問に思ったのだが、レイはそんなセトに苦笑を浮かべて首筋を撫でてやる。
「俺達はともかく、パン屋の2人は普通の一般人だ。人の生き死にには全く慣れていないだろ。なら、そんな奴の前で人を殺したり、盛大に痛めつけたりすれば、向こうにとっては色々と見たくないものを見せてしまうことになる。そうなれば、パン屋の営業にも支障が出るかもしれないだろ?」
「グルルルゥ!」
その説明に納得したのか、小さく承諾の意思を込めて喉を鳴らす。
「よし、じゃあ準備は整ったな。今回のこの奇襲は、敵の意表を突けるというのが最大の利点だ。パン屋の入り口を突き破る形で一気に突入するぞ!」
念の為とばかりに剥ぎ取り用のナイフをミスティリングから出したレイの言葉に、セトは鳴き声を上げずに小さく頷き、そのまま翼を畳んで一直線にパン屋の入り口に向かって突っ込んでいく。
「きゃああああああああっ!」
「おい、あれ!」
上空から落下してくることで、ようやくセトの存在に気が付いたのだろう。周囲で様子を見ていた野次馬から悲鳴のような声が上がる。
空を飛んでおり、その速度はかなり速い。その為、それがセトであるというのも一瞬では区別がつかず、更にはその背に乗っているレイについても見つけることが出来なかったのだろう。
ともあれ一直線に地上へと向けて降下したセトは、地面に着地する寸前に翼を大きく羽ばたかせて速度の殆どを殺し、同時に音を立てずに地面へと着地するや否や、その体勢のまま一気にパン屋の扉を突き破って中に突入する。
周囲に響く破壊音。だが、立て籠もっている強盗と警備隊が睨み合っている一種の膠着状態にあった為か、パン屋の中にいる者達は人質のパン屋の店員は当然として、強盗も咄嗟の出来事に対処出来なかった。
「グルルルルルゥッ!」
「ひっ、ひいいぃぃいぃっ!」
扉のすぐ近くで外の様子を窺っていた、レイと比べても尚背の小さい男がセトの前足の一撃を受けて外へと吹き飛ばされる。
幸いセトはレイの言葉を十分に守っていたので、小柄な男は死ぬようなことにはならずに数ヶ所の骨折はあったもののそれだけで済んだ。
そしてセトが小柄な男へと向かって前足を振るっている横では、セトの背から飛び降りたレイが素早く地を蹴って女の店員のラティオへと長剣を突きつけている巨漢――というよりは太っているだけ――へと向かって距離を縮める。
いきなり突入してきたセトへと驚愕の視線を向けていた男だったが、冒険者崩れというだけあってすぐに我に返り、自分に近づいてくるレイへと気が付く。
「くっ、来る……ぎゃっ!」
だが、そこで脅しを掛けてなんとかしようと判断するのが、冒険者としてやっていけずに脱落した理由なのだろう。
もっとも、そのおかげでレイは助かったのだが。
素早く投擲したナイフが空を斬り裂きながら飛び、巨漢の男の右肩へと根元まで突き刺さって、右手に持っていた長剣が床へと落ちる。
本気で投げればナイフが右肩を貫通し、結果的に腕が切断されると判断したので手加減して投擲したのだが、だからといって男にとっては激痛を感じるというのに変わりはない。
「……っ!? い、痛ぇっ、痛えよっ!」
あまりの痛みに右肩に突き刺さったナイフを抜くことも出来ずに、踞る巨漢の男。
小柄な男を表へと吹き飛ばしたセトが、その男の背後へと移動して同様に前足を振るう。
体重100kgは余裕で超えている男だが、セトの一撃には耐えられずそのまま表へと吹き飛ばされる。
警備兵が殺到して捕獲しているのを横目に、人質になっていたラティオへと声を掛けるレイ。
「犯人は3人の筈だけど、もう1人はどうした!? それとお前の父親も!」
「あ……その、厨房に……」
レイの呼びかけにラティオは我に返り、少し震えながらも店の奥、厨房の方を指さす。
「ちっ、セトはここで待機! 俺は……」
ミスティリングから再びナイフを取り出しながら呟き、そのまま厨房へと向かおうとした、その時。
「うおぁあっ!」
そんな悲鳴を上げながら、厨房へと続く扉を突き破りながら1人の男が吹き飛んでくる。
一瞬パン屋の親父かとも思ったレイだったが、まさかパン屋を経営している店主がレザーアーマーを着ている訳もない。
そう判断し、自分の方へと吹き飛んできた男を足で受け止める。
「ぐはっ!」
丁度その一撃が腹へと命中し、一声呻いて気を失う。
そんな男の様子を見ながら、誰がこれをやったのか予想するのは難しいことではなかった。
自分とセトが上空から奇襲を仕掛けた隙を突き、厨房から外へと続く勝手口から忍び込んだのだろうと。
「……吹き飛ばすにしても、俺に向かってってのは無いんじゃないか?」
「すまない、偶然だ。店主に対して武器を突きつけていたので、勢いを付けて吹き飛ばしたら……な」
厨房の方へとレイが声を掛けると、そこからエレーナが店主を伴って男が吹き飛んできた方から姿を現す。
手に持っているのは鞘に入ったままの連接剣。
それを見たレイは、吹き飛ばされてきた男へと哀れみの視線を向ける。
案の定、着ているレザーアーマーには鞘が叩きつけられた跡がくっきりと残っており、恐らくは肋骨の数本はヒビが入っているか、運が悪ければ折れているだろう。
「お前さん達は確か以前……」
店主の男の声に、レイは小さく驚く。
この店がかなりの人気店であるというのは、以前にパンを買った時にその目で確認していた。
それこそ日に数十人、あるいは数百人以上も客が来ているだろうに、1度店に来ただけの自分達を覚えているとは思わなかったのだ。
だが、すぐに納得してエレーナに吹き飛ばされて気絶した男を、襟首の部分を咥えて店の外に運んでいるセトを見て納得する。
(そりゃ、一目でもセトを見たことがあれば、忘れるってのは無理か)
そんな風に考えているレイへと、先程まで人質に取られていたにも関わらず、ほんの数秒で全てが解決して呆気にとられていたラティオが我に返って近づいてくる。
「あの……あ、ありがとうございます!」
深々と頭を下げるその様子に、日頃から恐れられはしても感謝されるということが少ないレイは、若干戸惑ったように首を横に振る。
「セトがここのパンを気に入っていたからな。俺もこの店のパンの味は好きだったし。礼をしたいのなら、余っているパンをくれればそれでいい」
「はい! ちょっと待ってて下さいね。すぐにパンを用意しますから!」
ラティオがそう告げ、自らの父親にして店主と無事を喜び合うでもなく店で無事だったパンを集め始める。
立て籠もっていた3人は余程に腹が減っていたのか、かなりの量のパンが食い荒らされていたが、それでも無事なパンはそれなりの数があった。
それを集めているラティオの頬が薄らと赤く染まっていたのに気が付いたのは幸か不幸かエレーナ1人だけであり、若干厳しい視線がレイに向けられることになる。
「えっと……はい、これ。うちのパンの中でも美味しいものだけを選んだから、食べて下さい。その子もだけど、良ければ貴方も……えっと、お名前を教えて貰ってもいいですか?」
「レイだ。パンはありがたく貰っていくよ。とにかく2人が無事で良かった。ここのパンを食べるのはこれが2度目だが、この味が食べられなくなるのは残念だしな」
呟き、外側をカリッと焼き上げて中身はジューシーな鶏肉を挟んだサンドイッチへと口を付け、あるいはセトに与えながらそう告げる。
作ってからそれなりに時間が経っているのだろうが、それでも鶏肉の味が落ちていないのはこのサンドイッチを作り上げた店主の腕なのだろう。
「話しているところを悪いけど、犯人を確保させて貰ってもいいかな? あと、事情聴取に協力して貰えると助かるんだが」
護衛隊の隊長に声を掛けられたレイは頷き、そのままエレーナやセトと共に詰め所へと向かうのだった。
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