第413話

 エグジルの裏通りにある宿屋の一室。その中で、2人の男が話をしていた。

 いや、正確に言えば1人の男がもう片方の男に向かって何かを必死に訴えているという方が正しい。


「俺はもうあんな奴等と関わるのは絶対にごめんですよ!」

「……やはり罠程度では彼等を止めることは出来ないか。せめて後数日はあの階層で足止めをしたかったのだが」

「当然でしょう。幸い俺は隠蔽のローブがあったから見つかりませんでしたが……もしもあの深紅に見つかって、更に罠を仕掛けているのが俺だと知られたら、まず間違い無く死んでました!」

「まぁ、相手が深紅ではそうだろうな」


 レイの日頃の行いと言うべきか、あるいは深紅という異名を得た戦場での行いが象徴的だった為か。深紅は敵に容赦をせず、残虐極まりないという話が広がっている。

 もっとも、レイが敵に対して容赦しないのは事実であるし、その際に残虐な真似をしたりもする以上、噂がそれ程間違っている訳でも無いのだが。


「大体、なんで深紅にちょっかいを出すんですか? 今までは特定の個人にそんな真似はしなかったじゃないですか。それこそ、樹木の縁に対しても特に何かしたりもしなかったのに……」


 現在エグジルにあるダンジョンで最も深い位置まで潜っているランクBパーティの名前を出す男。

 だが、上司の方はそんなことは関係無いとばかりに首を振る。


「ダンジョンをどこまで攻略したかなんていうのは、正直な話あまり意味は無い。いや、このエグジルに住む者にすれば意味はあるのだろうが、私達にはどうでもいいことだ。我等にとって最も重要なのは奴が行っている実験とその成果だ」

「それは分かってますが……とにかく、俺はもう深紅の一行に手を出すのは無理です。一目見ただけで自分との格の差というものが分かりましたからね。もし次に何か手を出すつもりなら、俺以外でお願いします」

「……いいだろう。確かにお前だけで奴を相手にするのが危険なのは事実。それを思えば、お前の言うことも一理ある」

「絶対ですよ! 俺は本当にもうごめんですからね!」


 必死の形相をしながら言い募る部下に、上司の男は小さく溜息を吐く。

 そのまま懐の袋から数枚の銀貨を取り出すと、男へと手渡す。


「とりあえずこれで酒でも飲んで気分転換をしてこい」

「……分かりました」


 上司の言葉に、不承不承ながらも銀貨を受け取った男はそのまま部屋を出て行く。

 その男の背を見送りながら、上司の男は壁に掛けられているローブへと視線を向ける。


「隠蔽のローブか。確かに使えはするのだろうが……姿を消している時に動けないというのはやはり痛いな。だが、このエグジルで行われていたあの実験についてはこちらにとっても非常に有益なのは事実。だが、奴に任せておけば好機を逃すのも間違いは無い。……さて、まずはどうするにしろ報告に出向かない訳にはいかない、か」


 呟き、苦い息を吐きながら座っていた椅子から立ち上がるのだった。






「……今日は疲れたな」

「ああ。何しろ今日だけで随分と探索が進んだからな。多少は疲れもするさ」


 エレーナが冷えた果実水を飲みながら言葉を返す。

 現在は既に夜であり、夏の日差しもとうに暮れている。

 それでも尚蒸し暑いのは、やはり真夏であるが故なのだろう。

 だが、レイやエレーナが泊まっているこの黄金の風亭は高級宿なだけに、マジックアイテムで快適に過ごせるような作りになっている。

 宿そのものが涼しい空気で満ちており、外の蒸し暑さとは一線を画していた。更にはエレーナが飲んでいるような、冷えた果実水を無料で提供したりといったサービスも行われている。

 とは言っても、ギルムよりも規模の大きいエグジルであるが故、そして何よりもダンジョンという恵みをもたらす存在がある為だろう。

 ……もっとも、そのダンジョンは恵みと同時に危険ももたらす。ある意味ではハイリスク・ハイリターンといった面もあるのだが。

 ともあれ、レイはそんな夕暮れの小麦亭よりも上のサービスを存分に満喫しながら冷たく冷えたお茶の入ったコップへと口をつけ、エレーナへと視線を向ける。

 いつもは凜とした雰囲気を放っているエレーナだが、今は楽しそうな雰囲気を発していると同時にどこかしっとりとした色気を発していた。

 果実水の入ったコップへと口をつけるさまは、見ていて思わず目を引きつけられる程だ。


「ん? どうした?」

「あ、いや。何でもない。……で、明日だけど、どうする?」


 目が合った時に一瞬見惚れたのを隠すかのように尋ねる。


「どうするとは? まだ私達の目的でもあるマジックアイテムは入手していないし、何よりレイも同様に魔石を殆ど手に入れてはいないだろう? なら当然ダンジョンを進むに決まっている」

「いや、そうじゃなくて。明日は地下10階から攻略する。これはいい。だが、ヴィヘラからちょっと話を聞いた限りでは地下11階からは砂漠だって話だっただろ? 俺はドラゴンローブがあるし、セトはそもそもグリフォンだから環境の変化には強い」


 そう口にしたレイだが、セトにしても暑いものは暑いと感じるのだ。その点で言えば黄金の風亭はこの本館程ではないにしろ、厩舎にも多少冷房用のマジックアイテムが設置されており、従魔や馬のような存在に対する配慮もなされていた。

 一瞬、セトが嬉しげに喉を鳴らす声が脳裏を過ぎったような気がしたレイだが、恐らくは気のせいだろうと判断する。


「……そうだな。エンシェントドラゴンの魔石を吸収したとは言っても、確かに私の装備で砂漠になっている階層に進むのは色々と厳しいものがあるかもしれないか」


 エレーナの装備は、武器は連接剣。防具に関しては純白の軽鎧にその髪とお揃いの黄金のマント、レイと同じスレイプニルの靴だ。

 その全てがマジックアイテムであり、戦場で敵と戦うのなら全く問題無い装備だ。だが、砂漠に適した装備かと言われれば、答えは否だろう。


「となると、明日はダンジョンに行かずに冒険者用の店に行ってみるか?」

「冒険者用の店?」

「ああ。このエグジルが迷宮都市である以上、当然ダンジョンを攻略するのに必要な装備も売ってる筈だ。特に砂漠なんていう特殊な階層があるのなら、間違いなくそれ用の道具や装備を売ってる店があると思う。……もっとも、その類いの店を見つけるところから始めなきゃいけないだろうが……まぁ、何とかなるだろう」

「そ、そうか。レイがそう言うのなら、是非そうしよう」


 薄らと頬を赤く染めながら告げるエレーナに、内心で首を傾げるレイ。

 エレーナにしてみれば、2人きりで買い物に行くのだ。つまり……


(アーラに聞いた話によると、これは……デートと呼んでもいいのではないか?)


 内心で呟く。

 ダンジョンに向かうのも2人きりではあるのだが、さすがにダンジョンへ潜るのをデートというのは厳しいと思っていた。だが、2人で買い物に行くのは間違いなくデートと言ってもいい筈だ。


「……エレーナ?」

「ん? いや、何でも無い。確かに砂漠の階層に挑戦するのだから、準備はしておくに越したことはない。分かった、では明日にでも2人で買い物に行くとしよう」


 微妙に力の入ったエレーナの言葉に若干押されつつも、レイは頷く。


「あ、ああ。エレーナがそれでいいのなら、俺は構わないが。エグジルに来てからずっとダンジョンに潜り続けていたからな。確かに多少の休憩は必要だろうし」


 ダンジョンへと向かう時に毎日買うリザードマンの串焼き。その串焼き屋の店主も、連日のようにダンジョンへと向かうレイやエレーナが普通では無いと言っていたのを思い出す。

 レイやエレーナは色々な意味で普通の人間とは違うが、それでも完全に疲れを感じないという訳では無い。それ故に休日と洒落込むというのもいいだろうと判断したのだ。


(エレーナと一緒に出掛けるというのも楽しそうなのは事実だしな)


 レイにしても、エレーナと共に出掛けるというのはかなり楽しみな出来事であり、それ故にその日は明日の買い物をどのようにして過ごすかを2人でかなり遅くまで話し合うことになる。






「ふざけるなっ!」


 怒声と共に、持っていたコップが床へと叩きつけられる。

 その声の持ち主は、怒りで顔を真っ赤に染めながら目の前に立つ人物を睨みつけていた。

 本来であれば、目の前で澄まし顔をしている男の顔面へとコップを叩きつけてやりたいところだ。だが、それが出来ない訳がある。何しろ、自分と比べて年若い筈のこの人物は手を組む……否、同盟関係を組んでいる相手のトップなのだから。


「そう言われましてもね。こちらとしても困惑しているのですよ。何しろ変異種……いえ、ギルドでは異常種と呼称しているのでしたか。とにかく、その異常種を育てている筈が倒されてしまっているのですから」


 さらりと、どことなく挑発するように口を開く男。

 だがある意味で不幸なことに、男の前にいる老人は自分に向けられている軽侮の視線にすらも気がつかない様子で男を睨み付けていた。


「……誰だ、儂の手駒になる筈のものを倒したのは」

「さて、その辺についてはまだ何も。ですが、レビソール家の当主である貴方ならばその程度は簡単に調べられるのでは?」

「ふんっ、確かにお主等では調べるのも難しいだろうな」


 数秒前まで怒っていた筈の老人――シャフナー・レビソール――は、自らの実力が無ければギルドの情報も禄に調べられないのか、と得意げに鼻を鳴らす。

 目の前に立つ男の、自分を見る軽蔑の色に全く気がつく様子も無く。


「では、ギルドの件についてはお任せしてよろしいですね?」

「……うむ。全く、お前といい、部下といい、儂以外は使いものにならない奴ばかりじゃな」


 ピクリ。

 シャフナーの言葉を聞き、男は一瞬反応する。


「部下というのは……何かありましたか?」

「ん? ああ。深紅とやらが儂のエグジルに入ってきたからな。一応異名持ちということで、部下に見張らせていたんじゃが……向こうに野良パーティの提案をして断られたらしい。全く、これだから最近の若い者は使いものにならないんじゃ」


 その説明を聞いた男は内心で舌打ちしながら自分の有利さを確信している老人に軽蔑の視線を送る。


(馬鹿な真似を。そんなことをすれば向こうに怪しまれるだけだろうに。見張るのなら遠くから見張っていれば……いや、深紅ならこの男に従っている程度の者に見張られていてもすぐに気がつくか。それを思えば、どのみち結果は同じだっただろうな。だが、そうなるとこれから奴を相手にどうするか。それこそ隠蔽のローブを使って監視するか? あれなら見つかる心配は無い。無いが……)


 使用したまま移動出来ないという欠点が脳裏を過ぎり、小さく首を振る男。

 だが、それを見て何かを誤解したのだろう。シャフナーはお前も分かるかとばかりに小さく頷き口を開く。


「その様子を見る限りでは、お主の部下にもやはり使いものにならぬ者が多いのか?」

「……ええ」


 シャフナーの言葉に躊躇無く頷く男。

 それを見てシャフナーが口元に笑みを浮かべるが……男の視線が自分を見ていることに、即ち使えないと言われているのが自分だとは一切気がつかないまま、先程床へと叩きつけたのとは別のコップにワインを注ぎ、口へと運ぶ。


「そうじゃろう、そうじゃろう。若い内の苦労は幾らでもした方がいい。儂も昔はそうじゃったしな」

「確かに色々と苦労はしていますね」


 そう告げ、これ以上は目の前にいる老害に関わるのも面倒だと口を開く。


「では、私はこれで失礼させて貰いますよ。明日からの深紅に対する対策も練らなければいけませんし、何よりも異常種の状態を観察する必要がありますので」

「ん? うむ、そうか。……よいか、お主等がこのエグジルで活動を許されているというのは儂がいるからこそだ。そして、儂の権勢が強くなればそれはお主等にも同様だ。くれぐれも忘れるなよ」

「承知してますよ。では、貴方にも聖なる光の女神の加護があらんことを」


 優雅に一礼して去って行く男。

 その男の背を見送ると、微かに浮かべていた笑顔を忌々しげに歪め、シャフナーはワインを注いだコップへと口をつける。


「ふんっ、何が聖なる光の女神だ。忌々しい。奴等が変異種を生み出せたのは、元々儂がやらせていた実験があったからじゃろう。だというのに、自分達の方が技術的に高いから任せろじゃと? ……どう考えても奴等がレビソール家に対して忠誠を尽くすとは思えん。となると、いざという時の為に何か手を打っておいた方がいいじゃろうな」


 呟き、そのまま何かを考えるように目を閉じる。

 ……そして、数分後。屋敷の執事が顔を出すと、そこにはイビキを掻きながら眠っているシャフナーの姿のみがあった。






「……やはり手を組むべき相手というのはしっかりと見極めなければいかんな。どのみち手を組む相手と利用すべき使い捨ての道具は違う。そういうことだ」


 降り注ぐ月光を見上げながら、先程までシャフナーと話していた男の言葉が夜のエグジルへと溶けて消えていく。

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