第373話
「……あれ? ここは……」
ベッドから起き上がったレイが、見覚えのない景色に周囲を見回す。
部屋自体はそれ程広くはない。いや、4畳程度であるのを考えると、寧ろ狭いとすら言えるだろう。
そんな部屋の中を見回し……ようやく自分がどこにいるのかを思い出す。
「そうか、結局あの酒場に泊まらせて貰ったんだったな」
起き上がり、ドラゴンローブとスレイプニルの靴を履き部屋の外へと出る。
「おう、おはよう。結構遅かったな」
その途端に酒場の店主でもある男がそう声を掛けてくるが、それに対するレイの返事はどこか不機嫌なものだった。
「俺は酒が苦手だって言った筈だけどな」
「そうか? まぁ、そう言えばそうだったような気がしないでも無いな」
「白々しい……」
そう。目の前にいる男はレイが前日に酒は余り得意ではないと言ったにも関わらず、夜には村人達を集めて歓迎会として宴会を開いたのだ。
レイ自身は知らなかったが、この村に客が来るのはそれ程珍しい事では無い。だが、泊まっていく客となるとそれ程多くないのは事実だ。
最初は宿に泊まろうとしていたレイだったが、もし男の誘いを断って宿に泊まろうとしても久しぶりの客ということで色々と慌ただしくなってい
たのは事実だろう。……その程度には、この村に泊まる客というのは少なかった。
「ほら、表に井戸があるから身支度を済ませてこい。そうしたら朝食の時間だ」
「ああ、そうさせて貰うよ。……セトにも料理を頼めるか?」
「んー……あのグリフォンはかなり食うからな。一応今日の分くらいはあるが、明日からはどうにかしないといけないか。せめてもの救いは今が初夏だってことか。これから夏と秋で食料の補充は問題無いし」
その言葉に先程までの不機嫌そうな表情は消え、どこか申し訳ない気持ちになるレイ。
何しろ、昨日の宴会でセトの人懐っこさがこの村の住人に受け入れられ、酒場にある食べ物をかなりの量消費したのは見ていて分かったからだ。
色々と悪戯心はあったのだろうが、一応は善意で泊めてくれた男に対して多少は悪いと思う気持ちはあったのだろう。ドラゴンローブの中でミスティリングから取り出した袋の中から数枚の銀貨を取り出す。
「取りあえず、俺とセトの食費だ。受け取ってくれ」
「……おいおいおいおい、幾ら何でも数日の食費で銀貨って……」
思わずそう言い募ろうとした男だったが、前日に見た1人と1匹の食欲を思い出して思わず言葉を詰まらせる。
「ま、そういうことだ。エレーナがいつこの村に到着するのかは分からないが、俺とセトの食費を考えればそのくらいは貰っておいた方がいい」
「まぁ、そう言うなら一応貰っておくが」
男は銀貨を受け取りながらも、特に嬉しそうな様子を見せることはない。
そもそもこの村には商人の類が来ることは殆ど無く、基本的には自給自足で暮らしている。村人同士のやり取りも物々交換に近い。
それを考えれば、男が銀貨を受け取るのもレイの好意に応じたといったところだろうか。
「とにかく、お前が身支度をしている間に朝食を作るから行ってこい。ああ、セトにはきちんと餌をやっておいたぞ」
「そうか、助かる」
短く礼を告げ、外へと出る。
そのまま振り返ると、そこにあるのは普通の……否、田舎にあるにしては少し立派ではあるが、それにしてもただの家にしか思えなかった。
唯一この建物が酒場であるのを示しているのは、入り口の近くにある酒の絵が描かれた看板くらいだろう。
「ま、色々と訳ありの村のようだし……俺が気にすることじゃないか。変に気にして深入りするのはごめんだしな」
「グルルゥ?」
呟いたレイに、いつの間にか近寄って来ていたセトが喉を鳴らしながら顔を擦りつけてくる。
「おはようセト。昨夜はよく眠れたか?」
「グルゥ!」
元気よく喉を鳴らすその様子は、昨夜は全く問題が無かったというのを態度で表していた。
「そうか、なら良かった。俺も久しぶりにマジックテント以外でぐっすりと眠れたよ」
井戸の水で身支度を済ませ、ついでとばかりに数枚の干し肉を取り出してセトへと与える。
セトも既に朝食を済ませたというのに、何の躊躇も無くレイから与えられた干し肉を食べていた。
喉を鳴らして嬉しそうにしているその様子は、どう考えても大空の死神と呼ばれるランクAモンスターのグリフォンというより、どちらかと言えば猫のようにも思える。
(ま、下半身が獅子な以上は猫科で間違いは無いんだけどな)
そのまま5分程セトと朝の挨拶代わりに戯れ、頭や背を撫で、ブラッシングしてやっていると、酒場から男が顔を出して呆れた様に溜息を吐く。
「おいおい、朝食の準備をしているって言っただろうが。いつまで経っても戻ってこないと思っていたら……ほら、レイ! 朝食は食わないのか!」
「ああ、悪い。勿論食うよ」
「グルルゥ」
男の言葉に立ち上がったレイを、セトが少し寂しそうに喉を鳴らして見送る。
「安心しろ、どうせエレーナが来るまでは暇なんだからな。朝食を食べ終わったら、一緒にゆっくりしようか」
「グルルルゥッ!」
レイの言葉に、数秒前の寂しげな様子は何だったのかと言わんばかりに嬉しそうに喉を鳴らすセト。
そんな1人と1匹を眺め、さすがにエレーナの関係者だけあると納得する男。
その後、ベーコンとソーセージハムと干し肉とパンという、とても朝から食べるような食事ではないメニューで朝食を済ませることになるのだった。
ほぼ全てが肉の朝食を食べたレイは、これからの食事はミスティリングの中にストックしてあるもので済ませようと決断することになる。
「おー、お前さん達。こんな場所でどうしたんだ?」
肉とパンのみという、特定の者にとってはご褒美でもそれ以外の者にしてみれば決してそうではない食事を済ませた後、特にやるべきことも無いレイはセトと共に村の中を見回っていた。
とは言っても、傍から見る限りでは特に何か変わったものがある訳でも無く、いたって普通の農村でしかない。
そんな中で、取りあえず農家でも見て回って、何か美味そうな野菜でもあれば譲って貰おうと思ったレイは、料理に使えそうな野菜をつい先日ランクアップ試験の際に倒したバイコーンの肉といった代物と物々交換することで入手していた。
そして、次にやって来た畑で会ったのが、レイが昨日酒場の場所を聞いた男だったのだ。
だが……鍬を握っているその姿を改めて見て、レイは小さく眉を動かす。
夏で日射病や日焼け、あるいは虫の対策として長袖を着ているのだろうが、それでも体格の良さを隠すことは出来ていない。
一見すると農夫にしか見えず、また間違い無く農夫でもあるのだろうが、少なくても農夫になる前職は戦闘を行うような仕事をしていたのは間違い無いだろう。
そう判断しつつも、この村がケレベル公爵領の何らかの秘密を抱えているというのは昨日から何となく分かっていたので、それ以上追究することはせずに農夫へと目的を話す。
「実は、夏野菜でいいものがあったら譲って貰いたいと思ってな。勿論ただでとは言わない。バイコーンの肉と交換して欲しいんだけど……どうだ?」
「んあー。そうだな、芋なら収穫したばかりのものがあるけど……それでもいいか?」
チラリ、と農夫の男が視線を近くにある小屋へと向ける。そこに収穫した芋が置いてあるのだろう。
芋というのは、収穫後に日陰で乾かすことにより腐りにくくなり、1年近くもの間保存することが出来る。
もっとも、乾かした芋は当然収穫直後に比べると数段味が落ちる。それを日本の生活で知っていたレイは、農夫の男の言葉に頷いて早速とばかりにミスティリングからバイコーンの肉を取り出す。
30kg程もあるバイコーンのブロック肉は、ミスティリングの中にあった為に仕留めてからそれなりの日数が経っているにも関わらず、悪くなるどころか未だに新鮮さを保っていた。
(ま、ミスティリングの中にあったんだから当然だが……悪くはならないんだけど、熟成も進まないんだよな)
モンスターの肉は、内包している魔力が高い程に味がいい。それだけに肉の熟成が進めばどれ程の味になるのだろうかと思うレイだったが、何しろ冒険者として活動しているだけに肉の熟成を行えるような場所が思いつかなかった。
可能性があるとすればハスタの解体小屋だろうが、それとてハスタの解体作業の邪魔になるだろうと思えば気軽に頼む訳にもいかなかったし、何より温度管理をどうするのかという問題もある。
(いや、温度管理というのを考えると夕暮れの小麦亭でなら1種類くらいなら頼めるか? なら、その時点で最も高ランクなモンスターの肉だろうな。今だとレムレースか。肉の量を考えると一部だけだろうけど)
全長30mを超えるシーサーペントだ。頭部は爆散していたり、あるいは解体を手伝ってくれた冒険者に謝礼として渡したり、他にも宴会で他人に振る舞ったりもしたが、まだ相当の量がミスティリングの中に残っていた。
それこそ、レイとセトが1年以上食い続けても大丈夫なくらいには。
「おお、これは凄いな。これがバイコーンの肉か。確かにこれだけ貰えるなら芋と交換するのは構わない。と言うより、是非交換して欲しいとこっちから頼みたいくらいだ」
「そうか、なら早速芋を貰おうか」
「ああ、どのくらい欲しい?」
「肉と同じくらいで構わない」
レイのその言葉に農夫の男は呆れた様な表情を浮かべるも、本人が問題無いのならと小屋へと案内する。
「これは……凄いな」
小屋の中に広がっていたのは、芋、芋、芋。一面の芋の絨毯とでも呼ぶような光景だった。
(見た感じはサツマイモじゃなくてジャガイモっぽいな。……まぁ、夏に収穫してるんだから当然かもしれないが)
頷き、30kg程の量を取り分けてミスティリングの中へと収納していく。
ある程度の大きさがあったが、それでも30kgともなるとかなりの量で、全てを収納し終えるまでに20分程掛かるのだった。
「じゃ、肉をありがとなー」
農夫の男に手を振って見送られたレイとセトは、村の散策へと戻る。
その後も村の中を歩き回っては野菜を貰い、あるいは子供達から川に誘われて川魚を獲ったりと、ある意味で夏休みらしい1日を過ごすのだった。
(そう言えば、俺がこのエルジィンに来てからもう1年以上経ってるんだよな)
遠くに沈む夏の夕日を眺めながら、ぼんやりとそんなことを考える。
別にレイは日本からこのエルジィンへとやって来たことを後悔している訳では無い。そもそもエルジィンに来なければ、自分はあのまま死んでいたのだから。
それを思えば、レイにとってはゼパイルには感謝こそすれ恨みは一切無かった。
「グルゥ」
そんなレイの様子を見て、深い場所で繋がっているセトは何かを感じ取ったのだろう。小さく喉を鳴らしながら顔を擦りつける。
セトの頭を撫でつつ、夏の象徴でもあるかのような緑の麦の穂を眺め、小さく笑う。
特に何があった訳では無い。ただ自分の知っている光景なら、同じ緑色の穂でも麦の穂ではなく稲穂だったと、本当にふとそれだけを思い出した瞬間に笑みが漏れたのだ。
そのまま心配そうに自分を見つめているセトの頭をコリコリと掻きながら声を掛ける。
「エルジィンに来てから、こんないかにもな農村でゆっくりしたことは無かったからな。そのせいでちょっと感傷に耽っているだけだよ」
「グルルルゥ」
確かにレイがこれまでにも農村に寄ることはあった。特にベスティア帝国との戦争で移動している時は、幾度となく農村に立ち寄っている。だが、それでもここまでゆっくりと夏の夕日を眺めるというような時間がある筈も無く、それ故の感傷だった。
頭が掻かれているのが気持ちいいのか、上機嫌に喉を鳴らしているセト。
そんな風に、どことなく情緒を感じる夏の風景を眺めている1人と1匹だったが……不意に村の入り口近くで大きく騒ぎが起きているのに気が付く。
「……何だ?」
呟き、セトを撫でながら訝しそうに村の入り口へと顔を向けるレイ。
その視線の先では、村人が大量に入り口に集まっているのが見て取れる。ただし殺気立っている風ではなく、寧ろ喜びの表情を浮かべている者が多かった。
村人達の様子が気になったレイは、当然の如くセトと共に村の入り口へと向かう。
そして見えてきたのは、村へと向かって来る2頭のウォーホースが引く豪華な馬車の姿だった。
豪華と言っても、レイがランクアップ試験の時に見たような悪趣味な類の豪華さではない。馬車そのものがマジックアイテムであるという意味での豪華さだ。
その馬車に見覚えのあるレイは、すぐに何故このような騒ぎになっているのかを理解する。
だが、次の瞬間には納得していた表情を浮かべていた顔を困惑に染めていた。
何故なら、御者台でウォーホースを操っている御者が見覚えのない人物だったからだ。
アーラ、あるいはベスティア帝国との戦争時に面識を得たメーチェンであればすぐに納得出来たのだが。
しかし、馬車はそんなレイの困惑を気にした様子も無く進み続け、やがて村の入り口で止まり……
「皆、ご苦労。レイという冒険者が来ていると聞いたのだが」
そう言葉を発しながら馬車を降りてきたのは、凛とした雰囲気と美しさを併せ持つ人物。
「キュキュ!」
その人物と共に、デフォルメされたような小さな竜もまた馬車の中から姿を現す。
姫将軍として名高いエレーナと、竜言語魔法により生み出された使い魔のイエロ。
即ち、レイがこの地で待ち合わせをしていた1人と1匹だった。
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