第349話
「では、また遊びに来るのじゃぞ! セトもな!」
「グルルゥ」
クエント家の屋敷の前に止められていた馬車へと乗りこむレイと、近くに佇んでいるセトへと声を掛けるマルカ。
その表情は魔法の天才、あるいは公爵家の令嬢といったものでは無く、7歳相応の少女のものだった。
「ああ、また遊びに来る。その時は何か美味い料理でも食わせてくれ」
「うむ、任せるがいい。今回はお好み焼きとかいう料理で妾が負けたが、次こそはレイも知らぬ料理を食べさせてやろう!」
公爵家に連なる者として、自分の知らない料理をレイが持っていたのに驚かされっぱなしでは我慢出来ない。次に会った時は絶対に目にもの見せてやる! とばかりに胸を張るマルカに、レイと一緒に馬車に乗り込んでいたコアンは小さく笑みを浮かべる。
その笑みは、絶えずコアンの口元に浮かんでいる張り付いた笑みではなく、心の底から浮かべられた笑みだった。
(やはり友人というのは必要ですね。特にお嬢様は年齢の割に賢い……いや、賢すぎる。それ故にこれまで親しく付き合える人はいませんでしたが……彼を取り込むという目的は果たせませんでしたが、それだけでも危険を冒してまでギルムの街にやってきた甲斐はありました)
内心で安堵の息を吐き、コアンは馬車の窓から自らの主へと声を掛ける。
「では、お嬢様。私はレイさんとセトを宿まで送ってきますので」
「うん? ギルドではないのか?」
「最初はそう思ったのですが……」
そう告げ、チラリと向かいに座っているレイへと視線を向けるが、そんなコアンの視線を受け、レイは小さく肩を竦めてから夕焼けにより赤くなっている空を見上げていた。
「見ての通り、もう夕方だ。となると、ギルドの方でも依頼を片付けた者達が戻って来て、その処理で色々と忙しくなるだろうからな。ギルドマスターに関しては、明日にでもまた会うことにするよ」
「む? もしかして妾が呼びつけたせいか?」
「確かにそれもあるが、そもそも俺がギルドに行った時はギルドマスターの姿は無かったからな。どのみち変わらなかっただろうよ」
「そうか、それならば良いが……では、またな!」
その挨拶を最後に、馬車は歩き出してクエント公爵家の屋敷から離れていくのだった。
「レイさん、今日はありがとうございました。お嬢様があそこまで喜ぶ姿を見たのは、随分と久しぶりです」
「そうか、そう言って貰えると俺もここまでやって来た甲斐があったな」
「出来れば、レイさんと同僚になれればもっと面白かったんですけどね。セトに関しても、あそこまでお嬢様が気に入られるとは思ってもいませんでしたし」
馬車の隣を歩いているセトの姿を、窓から確認しながらコアンが呟く。
「以前にも色々と誘われたが、全部断ってきたからな。まぁ、お前が相手なら一緒に働くのも悪くないかと思ったが……冒険者として一時的に雇われるならともかく、正式に雇用されるのはちょっと気が進まないんだ」
「でしょうね。レイさんの情報をこの街で集めた時から、半ばそうなるとは思っていました。それでも一縷の望みを賭けての今回の件だったのですが……まぁ、お嬢様と友誼を結んでくれただけで良しとします」
「ちなみに、クエント公爵とか言ってたが……派閥とかはどうなっている?」
「国王派ですね」
レイの問いに、あっさりと答えるコアン。
特に隠しておくべきことは無いし、何よりも多少調べればすぐに判明することである以上、自分の口から言っておいた方がいいと思ったのだろう。
そして実際、その選択肢は正解でもあった。
「国王派、か」
レイの中で国王派というのは、ベスティア帝国との戦争で足を引っ張られた記憶しかない。勿論前回の戦争で出陣したのは、色々と問題のある貴族達が大多数であるというのは知っていたが、それ故にそのような印象が強かった。
「あはは。まぁ、レイさんにとっては色々と思うことはあるだろうけど」
「そうだな。……にしても、何でコアンはマルカに仕えようと思ったんだ? お前達のやり取りを見ている限りでは、クエント公爵家に仕えているというよりは、マルカ個人に仕えているって風に見えたが」
「そうですね。それは間違いありません。私はお嬢様だからこそ、仕える気になったんですよ」
「まだ、7歳の子供にか?」
「確かに傍から見ると違和感があるかもしれませんが……そのお嬢様が私を救ってくれたのも事実なんです」
そう告げてくるコアンの言葉に、レイは嘘を感じなかった。
「何があったのか、聞いてもいいか?」
「そうですね、聞いても別に面白い話じゃないですけど……それでもいいですか?」
「ああ」
マルカとコアンの間には、レイから見ても分かる程の強固な信頼関係があった。元ランクA冒険者という、この世界の者にしてみれば既に超人と表現してもおかしくないような者と、7才の子供。どのような出来事があれば、そんな2人が今のような関係になるのかが非常に興味深かったのだ。
(いや、今の話からするとこの2人が出会ったのは昨日今日といったところじゃない。となると、マルカの年齢は今よりももっと下だった筈だ)
そんなレイの内心を気にした様子も無く、コアンは口を開く。
「私が以前はランクA冒険者だったというのは試合の時にお嬢様が言ったと思いますが、私が所属していたパーティもランクAパーティだったんですよ」
「ほう、ランクAパーティか。俺が知ってるのは雷神の斧くらいだが……」
「ああ、彼等は色々な意味で有名ですよね。それに家族でパーティを組んでるだけあって仲も良い。……ですが、残念ながら私が組んでいたパーティは、それ程仲が良い訳でもなかったんですよ。いや、寧ろ悪かったと言うべきでしょうね。何しろ、完全に打算のみで組まれたパーティでしたから」
自らの愚かさを笑うような、そんな自嘲を浮かべるコアンに驚きの表情を浮かべるレイ。
レイの目から見て、コアンという人物はどちらかと言えば人の良い性格に見えたからだ。
「私はあの当時、どうしてもお金が必要でした。……それも、ちょっとやそっとの額ではなく、それこそランクA冒険者でも手に入るかどうかといった額のお金が」
「……金?」
「ええ。私の姉がね……ちょっと難しい病気に罹ってしまったんですよ。それを治療する為には稀少な材料を幾つも使った薬が必要だったんです。だからこそ、手っ取り早くお金を稼げるという儲け話に乗り、打算で繋がったパーティに所属することになりました。おかげで順調にお金は貯まっていき、もう少しで薬を完成させる為の額に達しようというその時……私はパーティの皆に裏切られた。いえ、この場合は裏切りというのは正確ではないのでしょうね。今も言ったように、元々打算で繋がっていたパーティです。その仕事を最後に私が抜けると言っておいた以上、向こうにとっては私をそのまま放り出すより、殺してしまって私が貯め込んでいたお金を奪うという選択をしてもおかしな話ではありません」
小さく溜息を吐き、首を左右に振る。
まるで、自らの愚かしさをレイへと示すかのように。
「とにかく、最後の最後で私は彼等に嵌められて死ぬ寸前になっていました。それでも姉を残して死ねるかと死に物狂いで戦い、全員を返り討ちにしたのは良かったのですが……何しろ、相手もランクAやランクBの冒険者達です。無傷で済む筈も無く……いえ、寧ろ死ぬ寸前でした。何とか街中まで戻ろうと半死半生で街道を歩いている時にお嬢様の乗る馬車が偶然通り掛かり、私はお嬢様の回復魔法によって命を救われることになりました。その後はお嬢様のお力により凄腕の錬金術師を紹介して貰い、姉の病気を癒す為の薬を作って貰った訳です」
まるで自らの宝物をそっと見せる子供のような表情で、マルカとの出会いを話すコアン。
「なるほど、その縁でマルカに仕えることになった訳か」
「ええ。私自身の命を救って貰った恩、姉の命を救って貰った恩もあります。そして何よりも、私自身がお嬢様の器の大きさに惚れ込んでしまいましたので。お嬢様がどこまで行くのか、どれ程のことを成すのか。それを是非自分自身の目で見てみたいと」
「……そこまで惚れ込むというのは凄いな」
内心で曲解すれば、ロリコンか? 等と思いつつもさすがに空気を読んでそれを口にすることはない。あるいはそれを口にしていれば、クエント公爵家の庭で行われていた戦いの第2幕が……それも、手加減といったものは無しで行われていただろう。
「まあ、それだけにレイさんが私の同僚になってくれなくて非常に残念ではありますが。……それでも、お嬢様と友誼を結んでくれたので嬉しい限りです。正直、お嬢様は色々な意味で能力が高い……いえ、高すぎて、同年齢の貴族の子息の方達とはお話が合いません。かと言って、それよりも上の子供達になるとお嬢様のような年下に言い負かされるのが嫌で近づいて来ませんし。話が合う方となると、どうしても極端に年の離れた方になりますから」
そんな風に会話をしていると、やがて馬車の動きが止まる。
コアンの過去話を聞いている間にも馬車は進み続け、レイが定宿としている夕暮れの小麦亭の前へと到着していたのだ。
「おっと、どうやらもう着いたようですね。私の話ばかりしてしまって、申し訳ありませんでした。……その、このようなことを私が言うのも何なんですが、これからもお嬢様と仲良くして下さるよう、お願いします」
深々と頭を下げるコアンに、レイも特に表情を変えること無く頷く。
「友人となったんだから、そんな真似はよせ。マルカにしても、お前にそんな真似をさせてまで俺と仲良くして欲しいとは思わないだろうしな」
「……そうですね。確かに私の先走りでした」
コアンはレイの言葉に苦笑を浮かべ、そのまま馬車の扉を開けて外へと出る。
「さ、どうぞ」
「ああ、世話になったな」
コアンに小さく挨拶をし、レイはそのままセトと共に懐かしさすら感じる目の前の宿へと入っていくのだった。
それを見送り、コアンもまた馬車に乗って屋敷へと帰っていく。大事なお嬢様の友人となった人物が自分の予想していたような性格だったことを嬉しく思いながら。
もしもレイがマルカを何らかの策謀に利用しようとしていたら……その時は、恐らくコアンが命に代えてもレイを阻止していただろう。
(もっとも、普通に戦って彼に勝てるとは正直思えませんけどね。もしやるとしたら不意を突くしかなかった訳ですが)
クエント公爵家の庭での戦いで刃を直接交えたのは一合だけだ。だが、その前における駆け引きや、デスサイズと斬り結んだ際に感じた威力を考えれば、純粋な戦闘力は元ランクA冒険者である自分よりも上であるのは容易に予想出来た。
(あれで現状ランクCだというのですから、色々とおかしいですよね。もっとも、ランクB以上になるには戦闘力以外も必要になるというのを考えれば、ある意味で不思議ではないのでしょうが)
コアンは内心で呟き、馬車に乗ってクエント公爵家へと戻っていくのだった。
「あら、お帰りなさい。今回は随分と長い間留守にしてましたね」
「ちょっとエモシオンの街までな。……現在の宿代はいつくらいまで払っている?」
レイを出迎えた中年で恰幅のいい女、それはこの夕暮れの小麦亭の女将でもあるラナだった。
そんなラナは、カウンターにある書類へと目を通してから笑みを浮かべて口を開く。
「前もって貰っている金額だと今月一杯となりますね。どうしますか?」
「そうだな、ならこれで暫くは頼む。また宿の期限が近くなったら教えてくれ」
そう告げ、ミスティリングから取り出した白金貨を3枚程カウンターの上に置く。
それを見たラナは、さすがにギルムの街にある高級宿の女将なだけにそれ程取り乱さなかったが、それでも驚きの表情を浮かべながらレイへと視線を向ける。
「まあ、随分と豪勢ですね。余程今回は上手くいったんですか?」
「そうだな、色々と予想外な事態だったのは間違い無いが、それでも最終的に見れば利益が大きかったと言ってもいいだろうな」
ミスティリングの中に入っている莫大な海の幸、あるいはそれらを料理した物を思い出して小さく頷く。
もしレイの目的が金儲けだとしたら、海産物で一財産築ける程度の量はあるのだから。
「それは何よりです。でも、私としてはレイさんが無事に戻って来てくれたことが何よりですよ」
笑みを浮かべてそう告げてくるラナに思わずフードの中で照れ笑いを小さく浮かべ、それを誤魔化すかのようにミスティリングの中から体長30cm程の、比較的大きめの魚を5匹取り出してラナへと渡す。
「エモシオンの土産だ。海の魚だから、この辺の魚よりも比較的大きめだが塩焼きにでもして食べてくれ」
「まぁまぁ、確かに大きいですね。ありがとうございます。お礼と言ってはなんですが、今日の食事はサービスさせて貰いますよ。レイさんがいない間の料金に関しては街の規則で返金は出来ませんが、その分食事の方で返させて貰いますよ」
笑みを浮かべつつ告げ、早速魚を保存するべく厨房の方へと向かうのだった。
この日、レイは久しぶりに食べる夕暮れの小麦亭の料理を、思う存分味わうことになる。
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