第338話

 場所はエモシオンの街から移り、ギルムの街。今日もいつも通りに大量の冒険者が集まるギルドの中で、1人の受付嬢が溜息を吐いていた。


「ちょっと、ケニー。ここ最近仕事に身が入ってないわよ?」

「それは分かってるんだけどさー。やっぱりこう、レイ君がいないとやる気が出ないって言うか」

「レイさんなら今頃エモシオンの街で元気に頑張っているわよ。レイさんの強さは知ってるでしょ?」

「そりゃそうなんだけど……でも、港街だからなぁ、どこかの女がレイ君に変なちょっかいを出してないといいんだけど」


 小さく溜息を吐きながら、手元に置かれている書類へと目を通すケニー。

 朝や夕方の忙しい時間帯は仕事に追われて何も考えずに済むのだが、昼前の今のように、こうしてぽっかりと空いた時間帯ともなればどうしてもレイのことを気にしてしまう。


「言っておくけど、真面目に仕事をしていないようならレイさんが帰ってきた時にしっかりと報告するからね」

「え? ちょっと、それは無いでしょ!?」


 耳元で小さく呟かれたレノラの声に、ケニーは慌てた様子で振り向いて抗議をする。

 だが、そんなケニーの言葉など知ったものではないとばかりにレノラの口元には小さく笑みが浮かべられていた。


「別にギルドの機密って訳じゃないんだし、世間話のついでに口にするだけよ」

「だから、そんなことをしたら出来るお姉さんっていう私のイメージが……」

「どこが出来るお姉さんよ。いつもレイさんが来れば色惚けをしている癖に。それが嫌なら、もっと真面目に仕事をしなさい。はい、これ。今日の依頼を受けた冒険者の書類よ。こっちの書類と併せてチェックしておいてね」

「そんなぁ……レノラの鬼! 悪魔! レノラ!」

「……ちょっと、ケニー。その悪口はどうなのかしら。何で私の名前が鬼や悪魔と一緒に並べられているの?」

「あ、ごめーん。じゃあ、こう言い直すわ。レノラ! 貧乳! 女の魅力ゼロ!」

「ケニーッ!」


 こうして、既にギルムの街の冒険者ギルドの名物とも言えるやり取りが行われ、時間帯の関係で依頼ボードの前にいる数少ない冒険者達や少し早めの昼食を食べに来た者、あるいはカウンター内部の事務員達から生暖かい目で眺められるのだった。






 ギルドの1階でそんなことになっているのをダークエルフ特有の鋭い聴覚で聞きながら、マリーナは小さく笑みを浮かべて読んでいた報告書を執務机の上に置き、目の前にいる人物へと声を掛ける。


「よからぬ目的でギルムの街にやって来た貴族達はその殆どの対処を完了、ね。さすがに草原の狼といったところかしら」


 艶然とした笑みを浮かべながら告げるマリーナの様子に、草原の狼のリーダーでもあるエッグは微かに視線を逸らせながら頷く。


「確かに非合法な相手に限って言えば対処は出来た。だが、逆に言えばそれ以外の存在……普通に上司からレイの引き抜きを命じられてやってきた者達は、さすがに俺達ではどうにも出来ないぞ」


 大きく胸元が開いたイブニングドレス。その中に見える魅惑の谷間と褐色の肌は、草原の狼を率いていたエッグにしても1度目を奪われると目を離すのは難しい。そんなエッグの様子を分かっていながらも、マリーナは話を続ける。


「その辺はどうしようも無いわ。ただ、そういう人達の場合はレイと敵対しそうな人はいないでしょうし、最初から掠ったり人質を取ったりというのを前提にやってきた人達を排除出来ただけで十分よ」

「……だと、いいんだがな」


 どこか奥歯に物が挟まったようなエッグの言葉に、小さく顰められるマリーナの美しい眉。


「何かしらの不安要素でもあるの?」

「不安要素って言うか、レイを目当てにしている中の数人に、わざと交渉を決裂させようとしているような奴が混ざっている」

「……あら、面白いわね。それこそレイを怒らせたりしたらただじゃ済まないと思うんだけど」


 エッグの言葉に一瞬虚を突かれたかのように驚き、やがて面白そうに口元を覆いながら笑みを浮かべるマリーナ。

 だが、エッグにしてみれば笑えるような事態ではない。


「俺としてはそっちで対処して欲しいんだがな」

「でも、今回の件を任されてるのは貴方達なんでしょう? 私が手を出してもいいのかしら?」

「レイはあんたの言葉を良く聞くって話だが?」

「別にそんなのじゃないわよ。……まぁ、個人的にあの子が私に興味があるっていうなら、私は構わないんだけどね」


 そう言い、再び笑みを浮かべるマリーナ。だが、その笑みはつい数秒前に浮かべていた笑みと同じとは思えない程に別物であり、女の艶を滲ませたものになっていた。

 壮絶な色気を感じさせるマリーナの雰囲気に一瞬自分の中の雄がざわりと蠢くのを感じたエッグだったが、それを察知したのか、すぐにマリーナはいつもの雰囲気へと戻る。

 ……それでも男を誘うような魅惑的な美貌や肢体をしているのだが。


「とにかく、向こうが実際に行動に出ればギルドマスターとして手を打つことは出来るけど、何もしていない今の状態だとちょっと難しいわね。そっちの方で頑張って貰える?」

「どうにかって言われてもな。それこそ俺達はギルドと違って完全に裏の存在だぜ? そんな俺達が接触したりすれば余計な波風が立つだけだと思うぞ。そもそも、向こうの目的はそれなんだし」

「……ああ、なるほど。そういうことね。交渉決裂してレイと戦って負けて、最終的には何を欲しがるのかしら。まぁ、レイは色々とマジックアイテムを集めているし、そっちの方に興味があるのかもしれないわね」


 苦笑を浮かべつつ、自分が以前報酬としてレイに渡した茨の槍を思い出す。他にもベスティア帝国との戦争の報酬としてマジックテントをダスカーから与えられてもいた。どの程度の貴族がそれを知っているのかはマリーナには把握出来ていないが、それでもそれらのマジックアイテムは非常に高価であり、欲しがる者などそれこそ星の数程いるだろう。


「それとも、貴族の使者を傷つけた罰として自分の家に仕えさせるつもりとか? ……そんなことになったりしたら、恐らくその貴族は屋敷諸共消滅するでしょうけど」

「おいおい、怖いな。……いや、実際にレイにその程度の実力があるってのは分かってるから冗談には聞こえないって」

「そうね。でも、このままだと恐らくそんな事態になるわよ? だから早く手を打ってどうにかしてね?」


 笑みを浮かべつつそう告げるマリーナに、顔を赤くしながらも頷くエッグ。


「分かった分かった。あんたにそうまで言われちゃな。ダスカーの旦那にも自分が帰ってくるまではあんたと協力しろって言われてるし。……にしても、ダスカーの旦那はいつくらいに戻って来るんだろうな?」


 出来るだけ早く戻ってきて欲しい。心の底からそう願いながら口に出すエッグ。

 目の前にいるダークエルフは確かに有能である。だが、それ以上に自分の雄としての本能に直接訴えかけてくるものがあるのだ。毎回そうだが、マリーナに報告や相談に訪れた後には決まって娼館へと出向くのはそれが理由だった。


(おかげで、給料の殆どがそっちに消えているのはどうなんだろうな。かと言って、俺の代わりに部下共を報告に向かわせれば変な気を起こす奴が続出するだろうし……)


 長年共に行動してきた部下達だ。そんな部下達がギルドマスターに襲い掛かった――それも暴力的な意味ではなく性的な意味で――なんてことには絶対にしたくないエッグは、結局のところ自分が出向くしかなかったのだ。


「王都で色々と忙しいんでしょうね。ま、彼も貴族として……そして、中立派を率いる者として色々とやるべきことがあるんでしょ。それよりも貴族達の件、お願いね」

「やれるだけはやってみるよ」


 頷いたエッグへと向けて、マリーナは笑みを浮かべたまま口を開く。


「なるべく早くお願い。エモシオンの街で昨日レイがレムレースを倒したって向こうのギルドマスターから連絡が来たから」

「……もう、か? こっちに入っている情報だとレムレースというのは相当に頭がいいらしくて、まともに姿を見た者もいないって話だったんだが」


 感心したのか、あるいは呆れたのか。どちらとも取れるような溜息を吐きながらそう言うエッグに、マリーナもまた同様の笑みを浮かべる。


「全くね。何でもギルドに報告された内容によると、標的を強制的に転移させる使い捨てのマジックアイテムを使ったという話だけど……長年生きてきた私でもそんなマジックアイテムがあるというのは初耳よ。本当に、どこでそんなマジックアイテムを手に入れたのかしら。帰ってきたら是非聞かせて貰わないと」


 口では不満そうに言っているものの、その顔に浮かんでいるのは間違い無く笑みだった。思わず見惚れそうになったエッグが小さく首を振ってから口を開く。


「で、具体的にはいつくらいに戻って来るんだ?」

「一応そんなマジックアイテムを使ったから、倒したのがレムレースだとは確認出来ないのよ」

「……まぁ、そりゃそうだろうな。普通は強制的にモンスターを転移させるようなマジックアイテムがあるなんて信じられないだろうし」

「でしょ? だから、10日程エモシオンの街に留まるそうよ。それで1度もレムレースが姿を現さなければ、討伐したと認められるらしいわ」

「なら最低でも10日。いや、その後に賞金を貰ったり、あるいはギルムの街に帰ってくるまでを考えると半月程度は余裕があると見るべきか」


 呟き、素早く頭の中でこれからどう行動を起こして危険人物達を排除していくのかを考える。

 数分程で考えを纏め、小さく頷く。


「半月あれば何とかなるだろう。勿論、そっちでもある程度は手を貸して貰うことになるだろうが、構わないか?」

「ええ、問題無いわ。ただし……」

「分かっている。表沙汰にならないように極力気を付けるさ」

「そ。分かっているならいいわ。じゃあ、お願いね」

「なら俺はそろそろ失礼させてもらうぞ。時間を考えるとゆっくりしている暇は無いからな」


 執務机に座って薄らとした笑みを浮かべているマリーナにそう告げ、部屋を出て行くエッグ。

 マリーナはその後ろ姿を見送り、エッグに協力する人員を用意するべく人を呼ぶのだった。






 こうして、ギルムの街の中からは徐々に危険な人物と目されている者達の姿が消えていく。

 ある者は闇から闇へと葬られ、またある者は自分の治める土地から送られて来た嘘の報告を信じて急いで帰還し、あるいは平民に対して差別的な意識を持つ貴族が横暴を働こうとしたところを冒険者や警備兵によって捕縛されて、と。多種多様な理由はあるが、それでも確実に街を蝕もうとしていた貴族達の姿は日を追うごとに消えて行くのだった。

 そして、自らの拠点がある意味で貴族達の暗闘の舞台になっているのを知らないレイは、前日に頼んだ銛を受け取るべく鍛冶屋へと向かっており、当然と言うべきかその腕の中には料理や海産物が多数抱えられていた。


「グルルルゥ」

「ん? こっちの焼きイカか? ほら」


 隣を歩いているセトの物欲しそうな声に、串に刺さった焼きイカ――味付けは塩のみ――を渡すレイ。

 30cm程はある大きめの焼きイカだったのだが、セトはそれを一口で口の中に入れて味わいながら食べている。


(イカ、イカ……タコか。そう言えばエモシオンの街に来てからイカは結構食べてるけど、タコは食べてないな。あの見た目が嫌われているのか? 地球でもデビルフィッシュとか呼ばれて食べられてない地域とかあるんだし)


 内心で呟き、自分用の焼きイカの串へと噛ぶりつく。


(けどたこ焼きとかは……材料がちょっと思い出せないな。小麦粉、タコ、出汁で出来たんだったか? お好み焼きならそこに卵とか入れるんだろうけど。ああ、でも紅ショウガが無いのか。ネギは似たような野菜があったし、卵も問題は無いからどうとでも出来そうだが。天かすとかは小麦粉と水と油があれば作れる、か? でも、青のり、鰹節、ソースとかが……いや、ソースは一応それっぽいのがあるし、頑張れば何とかなる……か? そうだな、後でちょっとタコを探してみるか)


 お好み焼きやたこ焼きといった粉物の料理を思い浮かべつつ、決意をするレイ。

 そして丁度焼きイカを食べ終わった頃、目的地であった鍛冶屋へと到着する。


「セト」

「グルルゥ」


 全てを言われなくても分かってるといった風に喉の奥で鳴きながら、少し離れた場所へと移動するセトに魚の干物を2匹分程渡してから店へと入っていく。


「おう、来たか」


 店に入った瞬間、たまたま鍛冶場から出て来たドワーフの店主からそう声を掛けられ、それに頷くレイ。


「ちょっと早かったか?」

「いや、そうでもない。こっちの準備は出来ているしな。ほれ、そこにある」


 ドワーフの視線の先には樽が2つと、その上には柄の部分に頑丈そうな紐がついた長さ1m程の短めの槍が存在していた。槍の穂先には返しがついており、標的に突き刺さった後でも容易に抜けないような工夫がされている。


「この紐は大地鉱石っていう魔法金属の粉末を練り込んだ糸で作られているから、非常に頑丈だ。ただし、大地鉱石の関係上かなりの重さがあるが……昨日見せて貰ったデスサイズとかいう大鎌を振り回せるんなら問題は無いだろ。取りあえず持って見ろ」


 ドワーフの言葉に従って樽の上にある槍を持つと、確かにかなり重く、5kg程度の重量はあるように感じられた。だが、レイにとってはその程度と言える重さでしか無く、特に問題無く振り回す。


「……大丈夫だとは思っていたが、ここまで軽々と持ち上げるとはな。まぁ、いい。それとそっちの樽がお前さんが欲しがっていた屑鉱石や刃の欠片といったゴミを詰め込んだ物だ。それと火炎鉱石の類も幾らか入っているぞ」

「そうか、どっちも期待以上の品だ。さすがにエモシオンの街でも1、2を争う鍛冶師だな」

「へっ、褒めたってこれ以上は何も出ねえよ」


 どこか照れくさく告げるドワーフに、少し多めの額を支払い鍛冶場を出るのだった。

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