第274話
「曇りか。どうせなら春らしい日差しでもあれば、私の勝利に華を添えるというものなのだが……な」
1人の男が空を見上げ、先程と違い太陽を覆い隠すかのように広がっている雲を見ながら忌々しそうに呟く。
その手には剣が持たれており、鎧とマントも華美でありながらも実用性重視の代物だった。
現在男がいるのは、ミレアーナ王国軍の本陣にある天幕前。そして周囲には先程まで天幕の中にいた中でもレイの魔力を見て錯乱した者以外全ての貴族が揃っており、これから行われる戦いを見物する為に広がっている。
それ自体は問題が無い。自分の実力を周囲に知らしめる機会ではあるし、何よりも男の恋い焦がれている姫将軍に自分という存在を刻みつけられるのだから。同時に、貴族派の総大将であるフィルマに対しても同様にだ。
(ケレベル公爵騎士団の騎士団長であろうが、所詮は当主の次男。イマーヘン侯爵家の次期当主である私に命令をするとは、少しは己の分を弁えたらどうだ)
内心でフィルマに対して悪態を吐きつつも、それよりも憎悪を向ける相手がいる為にそちらへと視線を向ける。
そこにいるのは、何らかの魔法効果のありそうなローブを身に纏っている人物。身長は自分よりも頭1つ分程も低い、まだ子供といっても差し支えのない人物だ。
だが、ルノジスにはそんな相手でも手加減をするつもりは全く無かった。目の前の子供、冒険者のレイが自分へと向けてくる視線が不愉快極まりなかったからだ。貴族という存在を全く相手にもしていないかのようなその視線、冒険者にしてみれば天上の人物である自分に向けて投げかけてくるその視線は、貴族であるという誇りを胸に抱いているルノジスにとってみればとても許容出来るものでは無い。
あるいはレイが身の程知らずにも姫将軍を相手に馴れ馴れしい態度を取らなければ話はまた違ったかもしれない。そしてエレーナもまた、レイに向かって気安い態度を取るのだ。それはルノジスにとって絶対に許せないことだった。
(エレーナ殿も、私がこの薄汚い冒険者を叩きのめせば勘違いを正すだろう。そしていずれは私を相手にしてお互いの家を結びつけるべく婚姻を……)
本人は全く気が付いていなかったが、ルノジスがレイを敵対視する最大の理由はエレーナの態度によるものが大きい。
前日にアーラとルノジスが衝突した時にエレーナが取った行動。それはアーラをどうにかするのではなく、ルノジスの持っていた剣を破壊するというものだった。即ちルノジスにとってはエレーナが自分よりもアーラの、引いてはアーラと共にいたレイの味方をしたという風に映り、レイに対して強い嫉妬を抱かせることになったのだ。それを本人が自覚していないというのがこの場合は悲劇……あるいは喜劇だったのだろう。
その前後の事情は考えもせず、エレーナがアーラとレイを庇ったという一点だけが強く印象に残り、女であるアーラはともかく男であるレイに対する嫉妬を抱き、更にはそのレイが自分と同様に先陣の部隊に配属されるという話を聞き、抱いていた嫉妬は容易く憎悪へと変わったのだ。
「さあっ、私の準備はいいぞ! 本当に先陣へと組み入れられる実力があるのかを見せて貰おう!」
鋭く叫び、腰から剣を抜いていつ戦闘が始まってもいいように構える。
その様子を見ていたレイは、一瞬だけ視線をダスカーへと向ける。そして小さく頷くのを確認してからミスティリングのリストを脳裏に展開。魔獣術でセトと共に作り出された、もう1つの自分とも呼べるデスサイズを取り出す。
「アイテムボックスだと!?」
「いや、待て。アイテムボックスではなく、空間拡張されただけの物ではないのか? 幾ら何でも一介の冒険者がアイテムボックスを持っているとは……それも、あんな無名の子供が」
「貴公、情報が古いぞ。ラルクス領軍が我々の軍よりも格段に食糧事情がいいというのを知らないのか? それを賄っているのはアイテムボックス持ちだという話だったが……恐らくあの者なのだろう」
「話には聞いてましたが、実際にこうしてアイテムボックスを自分の目で見ると受ける衝撃が違いますな」
周囲にいる貴族達の話を聞きつつ、苦笑を浮かべるダスカー。
話し掛けてくる中立派の者に沈黙して頷きながらも、周囲の様子を確認するとあからさまに目の色が変わっている者達がいる。それも1人や2人といった数では無い。この場にいる貴族達の半数以上がレイの持つアイテムボックスに関して欲望に滾った視線を送っていたのだ。もちろん程度の差はある。『アイテムボックスか、いいな』という者から、『あれだけのマジックアイテム。何としても、どんな手を使っても自分の物にしてみせる』というような者まで様々だった。
(やれやれ。まぁ、アイテムボックスの稀少さと便利さを考えれば無理も無いがな。しょうがない、牽制でもしておいてやるか)
内心で呟き、中立派の仲間に返事をするように見せかけて周囲の貴族達に聞こえるような声で口を開く。
「確かにアイテムボックスは貴重だが、その分使用者に対してかなり厳しい制限が掛かっているらしいぞ。個人によって魔力の波長が微妙に違うらしく、使用者以外の波長の者が使おうとすれば相当酷いことになるらしい。他にも最初に使った人物の魔力をアイテムボックス自身が覚えているとかで、使用者以外は絶対に使えないようになっているんだとよ」
「……酷いこと、とは?」
周囲で欲深そうな視線を浮かべていた貴族達の視線を向けられているのを感じつつ、それに気が付いていないようにダスカーは説明を続ける。
「さて、詳しい話は分からないが……それでも、アイテムボックス程のマジックアイテムを作れる錬金術師の仕掛けだ。少なくても俺は自分がその仕掛けを受けてみたいとは思えないな」
ダスカーの口から漏れたその言葉を聞き、耳を澄ませて少しでも情報を集めようとしていた貴族達の殆ど全てが残念そうな表情を浮かべていた。そう、殆どがだ。中にはダスカーの話を聞いても諦める様子も無く、欲望に濁った視線をレイへと向けている者も数人いる。
(こいつらは要注意だな)
そんな風に思うダスカーだったが、そんな貴族同士のやり取りとは裏腹にレイとルノジスは今にも刃を交えようとしているところだった。
「こっちの準備はいつでもいい。……来い」
デスサイズの柄を右手で握りながら、左手の指で掛かって来いと挑発してみせるレイ。
プライドの高いルノジスが、目の前でそんな真似をされて我慢出来る筈も無い。次の瞬間には地面を蹴って剣を構えながら、素早くレイとの距離を縮めていく。
(確かに踏み込みは速い。だが、こうも簡単に挑発に乗るようじゃ……)
数秒前の挑発的な表情から、どこか落胆した表情を浮かべるレイ。だが、その表情は次の瞬間には驚愕へと変わる。
「はぁっ!」
レイを剣の間合いに取り込み、そのまま剣を振り下ろすのかと思いきや、間合いに入る次の瞬間には地を蹴り真横へと跳ぶ。同時に足が地面へとついた勢いを利用してそのままレイの脇腹へと向かって横薙ぎの鋭い一閃を放ち……
ギンッ!
甲高い金属音が周囲へと響き渡る。
「ほう、私の一撃を止めるか。冒険者風情にしてはそれなりに腕が立つようだな。それともその馬鹿みたいに巨大な武器の力か?」
「さて何の話だろうな」
剣をデスサイズの柄の部分で受け止めつつ、一瞬前に浮かべていた驚愕の表情を消し去って言葉を返すレイ。
「それにしても、私の魔剣の一撃を受けてかすり傷すら無いとはな。お前のような冒険者風情が、こんな高性能なマジックアイテムをどこで手に入れた?」
「羨ましいか? まあ、お前じゃどうやっても入手出来ないだろうからな」
「ほざけっ!」
再び横薙ぎに振るわれる剣を、デスサイズの柄を立てて受け止めるレイ。
ギィンッという、先程よりもさらに甲高い金属音が周囲へと響き渡る。
金属音が響き渡るというのは先程と同じなのだが、たった1つだけ違うものがあった。それは……
「ぐぅっ、……馬鹿な、まるで壁にでも斬り付けたような……いや、今の私なら金属の壁とて斬り裂ける筈だ!」
デスサイズとぶつかりあった衝撃をそのまま利用し、レイとの距離を取って、手の痺れに眉を顰めて呟くルノジス。口の中だけで呟かれたものだった為か、聞こえていたのはレイだけだっただろう。
レイ自身の剛力もさることながら、デスサイズ自身の重量が圧倒的であり、同時にデスサイズに流されているレイの魔力もまた圧倒的だった。例えそれが魔剣だとしても、余程の高性能な物でなければデスサイズの柄とぶつかり合った瞬間に砕け散っていた筈だ。それを考えると、まだ武器として使用出来るルノジスの魔剣はかなり高性能な物だと言える。
手の痺れを何とかしようと握っていた魔剣の柄から手の力を抜くが、それを見逃す程にレイも甘くは無かった。
「さて、そっちの攻撃は終わったようだし、次はこっちの番だな。人を散々馬鹿にしていたんだ。せめて最初の攻撃くらいは凌いでくれよ?」
その言葉を聞いた瞬間、ルノジスの端正な顔付きの額に血管が浮かび上がる。
ルノジスにしてみれば、冒険者風情が自分のような貴族を相手に口にしてもいいような言葉ではなかったのだ。
『炎よ、我が意に従い敵を焼け』
素早く呪文を唱えるレイ。同時に魔法が発動してデスサイズの石突きの部分に直径30cm程の火球が生み出される。
「おおっ、あの巨大な鎌は魔法発動体でもあるのか!?」
「アイテムボックスを手にしていながら、あのような魔法発動体まで。確かに相応の実力を持っていると言ってもいいのだろうが……」
周囲で様子を見ている貴族の好き勝手な声を聞きつつ、デスサイズの柄を振るうレイ。
『火球』
放たれた火球は、空を飛びルノジスへと向かって行く。
幸いだったのはその速度が決して速いとは言えないものだったことだろう。もちろんその理由はレイが敢えて落としているのだが。
回避されて周囲にいる貴族達へと被害が出た結果、自分はまだしもダスカーにまで咎が及ばないようにとの配慮からだ。
「その程度の魔法で私をどうにか出来ると思うとは、私を侮辱する気か!」
レイの放った魔法の速度が遅い為、魔法を補助に使う戦闘スタイルだと判断したのだろう。手の内さえ読めれば問題は無いとばかりに地面を蹴って身体をずらし、飛んでくる火球の脇を通り過ぎようとした時……
パチンッ
指を鳴らす音が周囲に響き、次の瞬間にはルノジスの真横にあった火球が盛大に爆発を巻き起こす。
幸い極小規模の爆発だった為、観客である貴族に被害は無くルノジス自身も軽い火傷を負った程度の怪我だけだ。
だが、まさか自分の横でいきなり爆発が巻き起こるとは思っていなかったルノジスは、その突然の行動に対処出来る筈も無く、真横へと吹き飛ばされる。
「ぐぅっ!」
それでも剣先を地面へと突き刺して支えとし、地面を転がり回って身体を土で汚さなかったのは貴族の誇りとルノジス自身の鍛えられた咄嗟の判断力故だった。
確かに今の一撃をやり過ごしたルノジスは、戦闘能力に関しては並以上のものを持ち、その辺の冒険者よりも上なのだろう。だが、それはあくまでも並み以上の者であるというだけでしかない。
「ほら、胴体に攻撃が行くぞ。防ぐか回避しろよ」
わざわざ攻撃場所までをも口にし、横薙ぎに振るわれるデスサイズ。
ルノジスも咄嗟に魔剣でそれを受け止めようとするのだが、剣先が地面へと突き刺さっていた為に抜くのに一瞬、ほんの一瞬だけだが防御の行動が遅れる。そして、その一瞬は致命的な一瞬となる。
「ぐわあぁぁっ!」
しっかりと魔剣を構えてレイの一撃を防げば、まだある程度は耐えることが出来たのだろう。ルノジスの持っている魔剣はそれなりに高性能なマジックアイテムであり、デスサイズと打ち合えていたのだから。だがそれもあくまでも万全の態勢であればこそであって、中途半端な防御行動はむしろこの戦いの結果へと直接的に結びつくことになってしまう。
魔剣を手にしたまま、真横へと吹き飛ばされるルノジス。成人している男、それもハーフプレートアーマーを身につけている重量が真横へと吹き飛んだその光景に、周囲にいた貴族達はその殆どが自分の目を疑った。
その光景を見て驚愕の表情を浮かべていなかったのは僅かに3人。ダスカー、エレーナ、フィルマのみだ。
前もってレイの実力をダスカーに聞かされていた中立派の貴族達でさえ、目の前で繰り広げられた光景に、思わず自分の目を擦っている者がいる。
そんな驚愕の視線が向けられる中、レイは地面に倒れて全身を土で汚しているルノジスへとゆっくりと歩み寄っていく。
この戦いが始まる前までは太陽の光を反射する程に磨き抜かれていた筈の鎧は今や土に塗れており、顔にも地面と擦ったことによって出来た小さな傷が幾つもつけられていた。
「ぐっ、くそ……この、この私が……」
手に持っていた魔剣を地面へと突き立て、それを支えに何とか立ち上がろうとするルノジスだったが、そうするにはレイから受けたダメージは余りにも大きすぎた。
今の一撃により立ち上がれないルノジスへとゆっくりと歩を進めていき……そして、その首筋へとデスサイズの刃がそっと乗せられる。
後は柄を引けば、それだけでルノジスの首は胴体から離れることになるだろう。
「……」
それでも尚レイを睨みつけるルノジスだったが、それに構わずにこの場の最高責任者でもある国王派のアリウスへと視線を向けるレイ。
「……そこまでだ」
アリウスとしても、これ以上の戦闘は無駄に自分達の戦力を減らすだけだと理解したのか、戦いを止める合図を出す。
国王派の狙いとしては貴族派、中立派の戦力を消耗させることではあるのだが、だからといって開戦前に戦力を減らしすぎて戦争に負けては意味が無いとの判断もあったのだろう。
その声が周囲に響く中、それでもルノジスは憎悪に塗れた目をレイへと向けるのだった。
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