第270話

「……ふぅ。さすがにアーラの淹れてくれる紅茶は美味いな」


 天幕の中、エレーナは紅茶をと口へ運び、笑みを浮かべつつアーラの腕を褒める。

 レイもまた、その意見に特に異論は無いのか、エレーナの言葉に無言で頷きつつ紅茶を口へと運ぶ。


「ありがとうございます。……さ、セトとイエロはこれを食べていいわよ」


 エレーナへと礼を言い、レイの側で寝転がっているセトと、その背にいるイエロ用にと幾つかの果実が入った皿を置くアーラ。

 その様子はベテランのメイドと呼んでもいいような仕草であり、とてもではないが巨大なバトルアックスを背負った女騎士がやるべき行動には見えなかった。


「さて、では改めて。久しぶりだな、レイ」

「そうだな。ダンジョンの時以来か。イエロが手紙を持ってきた時は驚いたぞ。特にあの時はエレーナに手紙を書こうとしていた時だったしな」

「ふふっ、そう言って貰えると私としても嬉しいよ。……まあ、それもこれもアーラがバールの街で手紙を書いて貰うということが出来なかったからというのもあるんだがな」

「そんな、エレーナ様……私だって、まさかギルムの街から遠く離れたバールの街でレイ殿に再会するとは思っていなかったんですから。しょうがないじゃないですか」


 思わず抗議するアーラだったが、自分を見つめているエレーナの目がどこか悪戯っぽく輝いているのを見て、これ以上言っても無駄だというのを溜息と共に理解する。


「まあ、そう言うな。俺もアーラに会った驚きで手紙を書くというのを思いつかなかったんだしな」


 正確に言えばこのエルジィンでの手紙のやり取りにどれだけ手間暇が掛かるのかを知っていた為に、手紙という手段が全く思いつかなかったというのが正しいのだが、それを表情に出さずにレイは言葉を続ける。


「そう言えば知ってるか? ギルドマスター同士だと遠距離で会話出来るようなマジックアイテムを持っているらしい。それがあれば俺もエレーナと好きな時に話が出来るんだけどな」

「……なるほど。確かにそのようなマジックアイテムがあるという話は聞いたことがある。それにいつでも決まった相手と話せるとなると、軍の展開に関しても非常に楽になるだろう。……アーラ、どうだ?」


 自分の想い人との会話の中でも、指揮する軍の効率的な動かし方へと考えが向かう。人を想うということを知ったエレーナではあったが、それでもやはり姫将軍と呼ばれているのは伊達では無かったのだろう。

 だが、そんな姫将軍の問いにアーラは首を左右に振る。


「確かにその類の話を聞いたことはありますが、基本的にその手のマジックアイテムはダンジョン等でしか見つからないらしいです。錬金術師や研究者達も必死に研究はしているらしいですが、現在作ることが可能なのは大量の魔力が必要な上に会話出来る範囲が20mにも満たないとか。更に製作するにも貴重な素材を大量に必要とするらしいです」

「そうか。部隊の指揮にこれ以上ない程便利だと思ったんだが……」


 ふぅ、と溜息を吐くエレーナ。その際にテーブルへと肘を突き、多少行儀の悪いままながらも、レイへと視線を向けてくる。


「なあ、レイ。そのマジックアイテムがダンジョンにしか無いのなら、また今度一緒にダンジョンに潜ってみないか?」


 潤んだ目付きで尋ねてくるエレーナに、思わず意識を吸い込まれるような気分になったレイだったが、すぐに我に返って小さく頷く。

 普通の男なら、エレーナのその潤んだ目に意識を奪われていただろう。それ程に今のエレーナは艶っぽい雰囲気を醸しだしていた。


(エレーナ様……今のままでもこうなのに、これで本当の意味で女になったらどうなるのかしら。傾国の美女って言葉は良く聞けど、エレーナ様の魅力や能力を考えると傾国の戦女神とか噂されそうよね。そう考えると、エレーナ様の美貌を一心に向けられているのに思った程動揺していないレイ殿は凄いと言えば凄いかも。……朴念仁ともとれるけど)


 まさかアーラの内心でそんな風に思われているとも知らず、レイはそっと視線を逸らして口を開く。

 もちろんレイにしてもエレーナの美貌に何も感じない訳では無い。意志の強さと美しさが不思議な程に調和されているその容貌は、間違い無くレイの意識を奪っていた。更に言えば、レイはそのエレーナから初めての唇すらも捧げられている。そんな状態で何も感じない程に子供ではないのだ。


「そうだな。この戦争が片付いた後なら……それもいいかもしれないな。俺が知っているのはエレーナと一緒に行ったダンジョンだけだが、ミレアーナ王国内には迷宮都市と呼ばれている場所もあるんだろう?」

「うむ。ダンジョンの中で取れる稀少な鉱石や、ダンジョン内にしか存在しないモンスターの素材といったものは、辺境にあるギルムの街と比べて勝るとも劣らぬ程の価値を持つからな。ミレアーナ王国内の重要拠点の1つと言えるだろう」

「……ダンジョン内にしか存在しないモンスター、か」

「そうだ。もちろん興味あるだろう?」


 レイの側でアーラに出された果物をイエロと共に食べているセトへと視線を向けて誘うエレーナ。

 その意味することは明らかだった。何しろ、エレーナはレイ以外で唯一魔獣術についての詳細を知っている人間なのだから。

 そしてレイに取っても確かにダンジョンへの誘いは嬉しいことだったのだ。


「ああ、これ以上ない程にな。それに迷宮都市という場所そのものにも興味はある」


 エレーナへと言葉を返しながらレイの手は果物を食べているセトの背を撫でる。

 同時に、レイはダンジョンから入手出来るだろうマジックアイテムについても思いを巡らせていた。

 ダンジョンの中で手に入れることが出来るマジックアイテムは、有用な物が多い。例えば先程話題に上がっていたギルドマスターが使っているような、遠くの相手と直接会話出来るような物。身近な例で言えば、かつてレイが持っていた物であり、今はアーラが使用しているパワー・アクスもその1つである。

 尚、遠くの相手と会話をするという効果なら、かつてレイがダンジョンで知り合ったリッチのグリムから貰った対のオーブもその1つだろう。

 そんな風に未知のマジックアイテムについて考えていたレイだったが、不意にエレーナがどこか拗ねたような視線を自分へと向けていることに気が付く。


「……どうした?」

「確かに私がダンジョンの話を持ちかけたさ。だがな、だからと言って目の前にいる相手を放っておいて自分の考えに沈み込むというのは些か失礼じゃないか? 仮にも女の部屋に来ているというのに」

「部屋? ……ああ、そうか。確かに部屋といえるな」


 突然のエレーナの言葉に、思わず苦笑を浮かべて周囲を見回す。

 今自分達がいるのは天幕の中ではあるのだが、中の様子はとても戦場で使うような天幕には見えない。確かに何も知らずにこの天幕の中に連れて来られれば、部屋だと認識してもおかしくはないだろう。


「それに、さっきから話しているのは私ばかりではないか。その、手紙はともかく久しぶりの再会なのだから、レイも、もう少し私に聞くべきことがあるんじゃないか? ……寂しくなかったか、とか」


 最後の方だけ口の中で呟いたエレーナだったが、常人に比べて遥かに身体能力や五感の鋭いレイはその言葉をきちんと捉えていた。


(確かにエレーナに話させてばかりだったな。かと言って、こんな時にどうすればいいのかは経験不足だしな。取りあえず……)


 内心で呟き、そのまま据わっていたソファから立ち上がり、向かいに座っていたエレーナの隣へと腰を下ろす。


「おい、一体何を急に……」


 突然のレイの行動に驚くエレーナをそのままに、戦地ということで鎧に包まれている肩へとそっと手を伸ばす。


「悪いな、気が効かなくて。この年齢まで女と親しくする機会は殆ど無かったから、どうしても……な」


 どこか辿々しいとすらいえるレイの行動に、エレーナもまた口元に小さな笑みを浮かべる。


「それを言うなら私もだ。物心ついてからずっと武術の訓練や魔法の訓練にのめり込んで、普通の貴族令嬢とは違う暮らしをしてきたからな。男女の関係についてはやはり私も疎い。だが、あの時に私がお前に唇を許したのはきちんと自分の考えで行ったことだぞ」


 そう告げ、自分の肩へと触れているレイの手に自分の手を重ねるエレーナ。

 そのまま2人が特に何を言うでもなくお互いに目を合わせ……


「コホン」


 突然聞こえてきた、わざとらしい咳払いで我に返ってお互いに距離を取る。


「エレーナ様とレイ殿の仲がいいのは分かりますが、周囲の状況というものを考えて欲しいのですが」

「その、すまん」

「ちょっとした成り行きでだな」


 アーラのどこかジトリとした視線に、レイもエレーナも思わず言葉を返してレイは先程まで座っていたエレーナの向かいへと戻る。


「さて、お2人共落ち着いたようですので、そろそろ本題に入りましょうか」

「……本題?」


 てっきり自分と久しぶりに会話をしたいと思って呼んだのだとばかり思っていたレイだったが、アーラのその言葉に思わずエレーナへと視線を戻す。エレーナもまた、アーラの言葉で色惚けをしている場合ではないと判断したのだろう。小さく頷き、1人の女としてのエレーナ・ケレベルから姫将軍のエレーナ・ケレベルへと意識を切り替えて視線をレイへと向ける。


「実は今回の戦争が始まる前から、父上はベスティア帝国の情報を得る為に何人もスパイを送り込ませていた」


 エレーナの口から出たその言葉に、レイは特に驚くこともなく頷く。エレーナの父親というのはつまり、貴族派の中心人物でもあるケレベル公爵だ。当然今回の戦争がこれまでと違うというのはエレーナから聞いて理解していただろうし、あるいはギルムの街にも情報を手に入れる為に手の者を忍び込ませるくらいはしていて当然だろうと。

 逆に言えば、中立派の中心人物でもあるダスカーにしても、同様にベスティア帝国や、あるいは貴族派、国王派へと手の者を放って情報を集めているというのはレイにも容易に想像が付いた。


「それで、何か重要な情報を掴んだのか? あるいは掴んだのはいいが、それを俺に言ってもいいのか?」

「ああ。この件については父上から前もって許可を貰っている。それに……レイにとっても完全に無関係という訳では無い」

「俺にとっても無関係じゃない?」


 その言葉に、不思議そうに首を傾げるレイ。

 だが、エレーナは当然とばかりに頷いて言葉を続ける。


「ベスティア帝国に侵入していたスパイの1人がとある情報を持ち帰ってな。……今回のベスティア帝国の遠征軍の中に、ヴェルの姿を見た者がいたらしい。ただ、その情報をもたらした者はそれを最後に連絡が取れなくなったらしいが」

「……なるほど」


 その一言で、何故エレーナが……というよりも、貴族派がスパイを犠牲にしてまで得た情報を自分に流したのかを理解する。


「自分達が取り逃がした裏切り者である以上、自分達で片付けろって訳か」

「ケレベル公爵はそこまで露骨に口に出してはいませんでしたが、恐らくはそういうことなのだと思います」


 黙ってレイとエレーナの話を聞いていたアーラが口を挟む。

 アーラにとってもヴェルの裏切りに関しては思うところがある為だ。いや、むしろ継承の儀式の依頼を受けてから初めて会ったレイよりも、長い付き合いであるアーラの方がより強く心に悔恨が残っているだろう。


「話は分かった。だが、継承の祭壇では逃げられたとはいうものの、相当に重傷だった筈だぞ? 左腕は肩から切断されて、顔は何らかの薬品で焼け爛れていた。それがこの短期間で……いや、回復魔法か」


 レイが元々生きていた世界には存在しない回復魔法。実際にレイも幾度か見たことがあり、それがどれ程の効果を発揮するのかはその目で確認している。その為、自分がヴェルに与えた傷をどうにかするには回復魔法しかないと思って呟いたレイだったが……エレーナは首を左右に振ってその言葉を否定する。


「ヴェルは確かにあの傷で生き残った。だがそれは回復魔法ではなく……どうやら錬金術、あるいはそれ以外の技術によるものらしい」

「……何?」

「報告によると、左腕からは樹の根のようなものが生えていたとか。顔に関しても基本はヴェルだが、目が4つになっていたと聞いている」


 その言葉を聞いただけで、レイにはどのような手段でヴェルが生き延びたのかを理解する。ヴェル本人がダンジョンでレイに言っていた簡易的な継承の儀式を使って生み出された存在。これまでにも幾度かその技術により作り出された存在とレイは戦っていた。即ちその名前は……


「魔獣兵」


 レイが口に出したその名前は、静まり返っている天幕の中へと響き渡る。

 そしてエレーナとアーラもまた魔獣兵の存在は既に知っていたのか、レイの言葉に黙って頷くのだった。

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