第259話
「レイ! スープ500人分の鍋が3つ完成だ!」
「こっちの焼き上がったパンはもう冷めたから収納してちょうだい! 早くこのパンを片付けないと、次に焼き上がったパンを置く場所が無いから早くお願い!」
「ファングボアと野菜の炒め物が出来たぞ! 火が通りすぎると味が落ちるから、早く鍋ごと片付けてくれ!」
「すいませーん、ワインの入った樽を持ってきたんですけどどこに置けばいいんですかぁっ! 注文が多いので、早く引き取って貰わないと入り口塞がりますよぉっ!」
本来であればギルドの訓練場である空間。現在そこには大量の料理人やパン職人、あるいは注文された品物を運んできた商人達が溢れかえっていた。
結局、レイの進言通りに出来たての料理を軍の糧食として使うことが決定したので、その準備が翌日から早速始まったのだ。
何しろミスティリングの中に料理を入れておけば時間が流れない。つまり、まだギルムの街から出される部隊の詳細が決まっていない今から糧食としての料理を作っておいても全く問題が無いのだ。
「スープの鍋はこれだな」
珍しいことに、額に汗を掻きながらも訓練場を走り回っては出来上がった料理を次から次にミスティリングの中に収納していくレイ。
そう、鍋やフライパンといった調理器具ごと、だ。
そしてレイが調理器具を収納した後には、再び新しい調理器具が設置されて次の料理を作り始める。
「ケオ、スープの鍋3つ収納完了だ」
「はいはい、了解だよ」
レイの呼びかけに、その後ろを付いて回っているケオが答え、手に持っている紙にペンを走らせる。
効率だけを考えるのなら、ギルドの訓練場に街中の料理人達が集まってくる必要は無い。だが今回の場合はきちんと作られた料理やパン、あるいは運ばれてきた酒の入った樽といったものを、誰がどれだけ提出したのかきちんとチェックしなければいけないのだ。その為、ケオがレイの後を付いて歩き、同時に訓練場へと料理人達が集まって青空の下で料理を作ったりパンを焼いたりしている。
もちろん本来なら訓練場に料理をする為の調理場のような施設はない。だが、そこはさすがにこの街の領主というべきか、ダスカーがギルドマスターのマリーナに要請をしてあっさりと叶ったのだった。
その後は街の鍛冶屋が文字通りに寝る間を惜しんで大量の調理器具を作り出し、それで料理を作ってはレイのミスティリングへと収納するといったことを繰り返す。そんな忙しい仕事も始まってから既に数時間が経っていた。これだけ続けば普通はある程度慣れてくるのだが、それでもやはり忙しいものは忙しいとばかりに、レイは補給担当のケオと共に訓練場の中を走り回っている。
「次はパンだな。冷えてるのはこれでいいのか!?」
「ええ、そうよ。次のパンがもう少しで焼き上がるから、早めにお願い」
「分かった。ケオ」
後ろに居るケオへと視線を向けるレイだったが、既にケオは持っている紙にパンの個数を書き記している。
最後にもう1度素早くパンの個数を確認し、レイへと視線を向ける。
「レイ君、パンが180個確かに確認したよ」
一瞬見ただけでその個数を瞬時に導き出すという特殊な能力。それこそがケオが補給の担当となっている最大の理由だった。
余りに多すぎるとケオの脳で処理しきれずに頭痛をもたらすというマイナス要素もあるその能力を存分に発揮し、瞬時にパンの数を数え終わったケオの言葉に頷き、パンが乗せられている木で作られたお盆に手を触れてミスティリングの中へと収納するレイ。
するとそれを待っていたかのように新しく巨大な木のお盆が用意され、すぐに焼きたてのパンが複数の竈から取り出されては冷ます為に並べられていく。
「おい、レイ! 早くこっちも頼む!」
「分かった、ちょっと待て!」
炒め物担当の料理人に呼ばれ、ケオと共に火力が全てとばかりに轟々と炎が立ち上がっている調理場が幾つも並んでいる場所へと向かう。
そこにあったのは、本来は炒め物を作るのに向いているフライパンではなく巨大な鍋だった。その中にたっぷりの野菜と共に炒められた各種モンスターの肉や、他にも豚や鶏といった肉の炒め物が幾つも並んでいる。
この一大キッチンと化した訓練場の中で最も忙しいのは、今レイとケオのいる炒め物担当の場所だった。
何しろ煮込み料理やスープの類は煮込むのに時間が掛かるし、パンも煮込み料理程とは言わないがそれなりに時間が掛かる。だが、炒め物は火炎鉱石を使って作られたマジックアイテムを使い、どこの攻撃魔法だと言わんばかりの火力で炒められている。それも調理器具の鍋から皿に盛りつけるといった作業もいらない為に、次から次へと料理が完成していくのだ。
「ほら、早くしろ。次の炒め物がもう少しで出来るんだぞ」
「分かってる。……ちなみに、次は何だ?」
「お前さんが持ってきたアブエロの街の焼きうどんを参考にして作りあげた、ソース味の焼きうどんだ。味は保証する」
ディショットが額に浮き出た汗を近くに置いてあった布で拭いながら笑みを浮かべる。
レイの持ってきたソース味の焼きうどん。その味に感銘を受けたディショットは、必死に自分の食堂で使っているデミグラスソースを焼きうどんに合う様に調整し、つい先日ようやくギルムの街で初めてのソース味の焼きうどんが完成したのだ。
「へぇ。それは楽しみだな。ちょっと味見を……」
ディショットの料理の腕を知っているだけに思わず口から出た言葉だったが、それに待ったを掛けるかのようにレイの右肩へとケオの手が伸びる。
「レイ君、一応この料理の数々は糧食な訳だから、つまみ食いされると困るよ」
「……少しでもか?」
「料理人が味見をする為にってのならともかく、さすがに補給担当の僕の前でつまみ食いされると……」
言葉は柔和だが、自分の仕事に誇りを持っているのだろう。じっとレイへと視線を送ってくる。
その視線を受けて、やがてレイもまた溜息を吐いて口を開く。
「分かったよ」
レイがそう答え、大人しく完成した料理をこれもまた鍋ごとミスティリングの中へと収納していく。
そうして次は……と周囲を見回すと、訓練場の入り口に付近にいる人物が声を掛けてくる。
「すいませーんっ! 酒の方、早くお願いしたいんですが! 樽でここ通れなくなっちゃいますよー!」
「ああ、はいはい。すぐに行くんでちょっと待って下さい。……レイ君、行こう。訓練場を樽で封鎖するとか洒落にならないから」
「だな。そもそも入り口を封鎖したら追加の食材が……」
そう言い、声を掛けて来た人物の方へと進み出したその時。
「おいっ、こんな場所に集まってるんじゃねえ! 中に入れねえじゃねえかっ! おらっ、どけどけ!」
「あ、ちょっと待って下さい。今補給班の人が来て引き取ってくれますから。樽の中はお酒なんですから、乱暴に扱わないで下さいぃっ!」
1歩遅かったらしく、訓練場の入り口付近で言い争いが始まっていた。
「はいはいはい、ちょっと待って。すぐに引き取るから、喧嘩はしないで!」
補給担当のケオが、そう言いながら2人の間へと入って仲裁していく。
もちろん酒の入った樽を1人で持ってこられる筈も無く、全部で30人近い人数がその場に存在しており、それぞれが人力車のような物に酒の樽を大量に積み込んでいた。
実はこの世界の戦争において酒というのはそれなりに重要物資の1つに数えられている。士気を保つ為に食事の時に1杯程度の飲酒を許可したり、小競り合いでも勝利した後に行う宴会だったり、あるいは圧倒的に自分達が不利な時に酒を振る舞って士気の低下を防いで脱走兵を減らしたりといった使い方がある為だ。それにアルコール度数の高い、いわゆる強い酒は怪我の治療をする時の消毒にも流用が可能だ。
もっともギルムの街から出発する部隊は、レイのアイテムボックスという恩恵のおかげで薬品やポーションの類が足りなくなる可能性は少ないのだが。
「レイ君、とにかく樽を収納していって! このままじゃ本当にここに他の人が入って来れなくなる」
「任せろ」
後ろを向いて叫ぶケオに頷き、訓練場の入り口へと向かって行くレイ。
「これ全部だな?」
「そうですね。ただ、人力車はうちのなので収納しないで下さいね」
「任せろ」
レイは酒樽を持ってきた代表の男に頷き、次々に人力車に乗っている酒樽へと触れてはミスティリングの中に収納していく。
「うおっ、すげぇ……俺、アイテムボックスって初めて見た」
「ん? そうなのか? レイはこの街じゃ有名だろうに」
「いや、幾ら有名でもそれはセトと一緒だからだろう? アイテムボックスなんて、普通はそうそう使わないぞ」
「そうでもないな。レイは店とかでよく大量に料理を買ってアイテムボックスに仕舞い込んでる。少なくても俺はこれまで何度も見たことがあるし」
人力車で酒樽を運んできた筋骨隆々の男達が話している内容を右から左に聞き流しつつ、酒樽を次々に収納していく。
そして訓練所の入り口付近に止まっていた人力車が空になったのを見計らい、ケオがもう片方の集団へと声を掛ける。
「お待たせしました。中では材料が足りなくなっている人達もいるので、どんどん材料を運び入れて下さい!」
「あいよ、任せておけ。ベスティア帝国の野郎共なんざ、俺達の持ってきた材料で作った料理を食えばあっという間にぶち殺せるさ。なぁ、みんな!」
『おう!』
先頭の男の声に、後ろに続いている者達が声を合わせて叫ぶ。
「あははは。僕達も頑張りますから、皆さんも協力お願いしますね」
「ちょっとちょっと! パンが焼けたよ! さっさとアイテムボックスとかいうのに仕舞ってちょうだい!」
酒樽を全て収納したと思った途端、再びパンを焼いていた者達の代表がレイとケオへと声を掛けてくる。
「はいはい、すぐ行きますよ。レイ君!」
「分かってる!」
さすがにこう忙しいと体力的にはともかく精神的に疲れるのか、小さく溜息を吐いて歩き出すのだった。
「……さすがに疲れたな……」
「グルゥ?」
夜、暗くなった道を歩きながら思わず呟くレイ。
それを聞いていたセトは大丈夫? とばかりにレイを覗き込むようにして喉の奥で鳴く。
レイとケオが必死に糧食として用意された料理の類をミスティリングに収納している間、セトは身体が大きくて邪魔になるという理由だったり、あるいは毛や羽根が料理に入ったりする可能性があるということで結局ギルドの従魔専用スペースで寝転がり、遊びに来た子供達や冒険者、街の住人といった面々と共に時を過ごしていた。
そして夕方を過ぎ、1日中料理を作っていた料理人達がさすがにこれ以上は無理だと口に出した為に今日はそれで終了。
……とはならなかった。もちろん料理人達はその場で解散し、報酬を貰ってそれぞれが帰って行った。
ちなみにこの件を見ても明らかだが、糧食をきちんとした料理として用意した場合は補給物資を運ぶ為の馬車の類もだが、当然1食ごとの料金も跳ね上がる。このような真似が出来たのは、辺境にある唯一の街としてミレアーナ王国へと高レベルなモンスターや、この地域にしか生息していない薬草の類を輸出しているおかげで街が非常に裕福だったからだろう。一般的な貴族なら糧食に掛かる費用が高すぎると、ダスカーが判断したような真似には2の足を踏んでいたのは間違い無い。
とにかく、料理人達が帰った後もレイとケオの仕事はまだまだ終わっていなかった。
糧食の件が一段落したら10分程の休憩後に、街中の色々な商店をセトを加えた2人と1匹で回ってポーションを始めとする回復アイテムや武器、防具、治療に使う医療品、軍馬の為の飼い葉、大量の水の入った容器といったものを次々に収納して回ったのだ。
料理の件と違い、これらは冷めて味が落ちるといったようなこともないので、1ヶ所に集める為の労力を考えるとレイ本人が直接収納して回るのが手っ取り早かった。
もっとも、こちらも料理と違いさすがに1日で全ての物資を収納することが出来ない為に、数日を掛けて回ることになるのだが。
それでも、補給物資全てを完全にレイ任せにするのはレイに何かあった時に危険だとダスカーも分かっていたのだろう。糧食以外の補給物資に関してのレイの担当は半分程度となっていたのだが。
「そうだねぇ。でも、この忙しさも後少し。計算だと今日を入れて10日間は掛からない筈だから、もう少し頑張ってよ」
レイとセトの後を付くようにして歩いて来ているケオがそう声を掛ける。
「……そう言えば、何でお前は俺達に付いてくるんだ? 騎士団に戻らなくていいのか?」
手ぶらのケオを見ながら言葉を返すレイ。
ケオが手ぶらなのは、補給物資をチェックする大量の紙の束をレイのミスティリングの中に収納されているからだ。
どうせレイと一緒に行動するのなら、わざわざ重い紙の束を自分で持たなくてもレイのアイテムボックスを利用すればいいと言って、それをレイも許容した為にケオは重くて場所を取る紙の束を持たないで済んでいた。
持っているのは腰から下げている剣の収まった鞘のみという、ある意味で騎士らしい姿ではあったが。
「いや、だって今日から暫く僕はレイ君と一緒に行動をしないといけないんだしさ。なら僕もレイ君と一緒の宿で寝起きした方がいいってことになってね。上司からそう命令されたからには、部下として受けざるをえないでしょ?」
「グルルゥ?」
セトが後ろを向いてケオを見ながら小首を傾げる。
セトにしても、自分を怖がらないで構ってくれる相手が近くにいるというのはそれ程悪い話ではなかったし、ちょくちょく食べ物をくれるというのもポイントが高かったのだろう。
「……好きにしろ」
そんなセトの様子を眺め、思わず苦笑を浮かべながらケオの同行を認めるのだった。
こうして、レイとケオの2人は共に行動することになり、補給物資を集めてはレイのミスティリングに収納するといった行為を10日程続けることになる。
……そして、戦場へと向けて出発する日がやって来た。
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