第182話

 レイが依頼を受ける、と言ったその時。明らかにマリーナの身体から力が抜けた。

 例えギルドマスターといえども、疫病の流行している場所へ向かわせると言うのは強制出来ることではない。もしこの依頼をレイが引き受けなかった場合は、最悪片道10日を掛けてバールの街までアウラーニ草の粉末を運ぶしかなかったのだ。


(もっとも、この子がマジックアイテムに強い興味を持ってると聞いたから秘蔵の茨の槍を持ち出したんだけどね。その辺の情報は間違っていなかったらしくて何よりだったわ)


 内心で安堵の息を吐きながらも、それを隠すようにして口元に笑みを浮かべる。

 マリーナは自分の容貌が整っているのは十分に理解している。そして自分の外見をギルドの為に使うのに躊躇もしなかった。


(とは言っても私の所に入って来ている情報だと、この子は貴族派の姫将軍とそれなりに親しいらしいから私の誘惑には乗ってこない可能性も高いけどね)


 そうは思いつつも、パーティドレスから露出している自分の肌を見て動揺しているのは感じ取れただけに、色仕掛けで迫っても良かったかもしれないと数秒程本気で考えてはいた。

 だがすぐに首を振って意識を魔熱病のことへと切り替える。


「じゃあ時間も惜しいから、ギルドの子達がギルムの街を駆け回って集めているアウラーニ草の粉末が集まったらすぐに飛んで貰う事になるけど、構わない?」

「ああ、問題ない。こっちはいつでも出発できる。基本的に必要な道具はアイテムボックスに詰め込んであるしな」

「……冬も近いこの時期に空を飛んで貰うのを考えると、防寒用のマジックアイテムか何かは用意した方がいいかしら?」


 マリーナの質問に小さく首を振るレイ。


「その辺は既に対策済みだから問題無い」

「……なるほど」


 レイの言葉に、そのローブをじっと見つめて納得したように頷くマリーナ。


「そのローブ、隠蔽の効果もあるけど他にも色々とありそうね」


 その言葉に、思わずピクリと反応するレイ。


「分かるのか?」

「ええ。随分と強力なマジックアイテムのようね。ドラゴンの素材、かしら。それもかなり強い魔力を持っているドラゴン。少なくても数百年は生きている、エンシェント・ドラゴンに足を踏み入れていそうなレベルの」

「へぇ。さすがダークエルフと言ったところか。これまでこのマジックアイテムを見抜いた者は殆どいなかったんだが」

「……1つ聞いてもいいかしら。そのローブにアイテムボックス。そして左腕に嵌っている腕輪や靴もマジックアイテムね? それ程のマジックアイテムを弟子とは言ってもそうほいほい渡すかしら?」


 目の前にいる人物の経歴。即ち魔法使いの弟子であり、その修行が終わった後にギルムの街の近くに放り出されたという話を思い出しながら尋ねるマリーナ。

 こうして改めて見てみると、持っているマジックアイテムの質や量が桁外れなのだ。この他にも巨大な鎌のマジックアイテムも持っていると聞いている。正直、レイの装備品を売り払えば小国程度は丸々買える金額になるだろう。

 それ程の価値のあるマジックアイテムを、弟子の旅立ちだからと言ってもポンとやるかと聞かれればマリーナは否と答える。そんな思いを込めた問いだったのだが、レイは小さく苦笑を浮かべながら肩を竦める。


「俺の師匠は随分と世間知らずだったからな。何しろ俺が習っていたのは魔術であって、魔法なんて言葉はこのギルムの街に来てから初めて知ったくらいだったし」

「……それは、また」


 魔術。今ではそんな言葉を知ってる者もそれ程多くは無い。ダークエルフとして人より多くの生を生きてきたマリーナにしても、久しく聞いていない単語だ。

 まさかレイ自身の知識がゼパイルのものを引き継いでいる等とは想像も出来なかったのだろう。納得したとばかりに小さく溜息を吐きながら頷く。


「確かにそれ程に世間に興味が無いのならマジックアイテムの価値についても同様のことが言えるかもしれないわね。……あら」


 その、人よりも細長い耳がピクリと動く。同様に、レイもまた何者かが階段を駆け上がってくる足音を聞き取っていた。

 そして10秒も経たないうちに執務室の扉がノックされ、声を掛けられる。


「ギルドマスター、アウラーニ草の粉末を始めとした救援物資の準備が整いました」

「ご苦労様、レノラ。すぐに彼を向かわせるから貴方は先に下に行ってて頂戴。……レイ、聞いての通り準備は整ったそうよ」


 そう言いつつ、執務机の引き出しから1枚の地図を取り出す。


「ミレアーナ王国の、この辺り一帯の地図よ。ここがギルムの街」


 マリーナが指差したのは地図の一番端にある街。この先は辺境でありまだ開拓されていない為にギルムの街が一番端になっているのだろう。


「そしてこの道なりに進んで幾つかの街を通り過ぎて……」


 すうっとギルムの街から伸びている街道を指でなぞっていく。そして3つ程の街や村を通過し、やがてその指先は1つの街の位置で止まる。

 地図に書かれているその街の名前はバール。


「ここが目的地のバールの街ね。地図に関してはこのまま渡すけど、あくまでも貸すだけであるというのを忘れないで頂戴。この依頼が完了した後には必ず私に返却すること。もし紛失した場合は相応に重い処分を課さなければならなくなるから、くれぐれも扱いには注意してね」


 この時代、地図というのは国にとって最重要機密の1つと言ってもいい。地図があればどこにどんな街があり、あるいは夜営に使えそうな草原や水の補給が可能な川、奇襲攻撃を仕掛けるのに最適な地形を知ることが出来る為だ。本来ならランクD冒険者でしかないレイに地図を見せたことが知られただけでもマリーナの責任問題に発展するだろう。それがましてや地図を一時的にとは言え預けるともなれば、その罪の重さは良くて死刑と言った所だろうか。


「……いいのか?」

「貴方がどんな性格をしているのかは色々と噂で聞いてるし、同時に報告も受けているわ。それに長年ギルドマスターとしてやってきた勘も信じていいと言ってるし。……何より、この件はラルクス辺境伯も承知しているのよ。もっともあくまでも黙認ですけどね」


 もし地図が無い為にバールの街に辿り着くのが遅れ、それが原因で現在魔熱病に感染している病人が死んで街が壊滅でもしてしまったらそれはミレアーナ王国にとって少なくないダメージになる。例え違う派閥であったとしても、それを見過ごせば巡り巡ってダスカーの治めるギルムの街にも影響を与えるだろう。そう判断した為の処置だった。


「分かった。この地図はギルムの街に戻ってきたら間違い無く返す」

「ええ、そうして頂戴。……報酬については悪いけど成功報酬という形にさせて貰うわ」

「了解した。これ程の報酬を提示されたんだ。この依頼は是非とも成功させてみせる」

「お願いね。……あぁ、それとこれを」


 地図に続いて出したのは一通の手紙だった。しっかりと封蝋がされており、差出人の所にはギルム支部ギルドマスター、マリーナ・アリアンサと書かれてあり、宛先はバール支部ギルドマスター、セイスと書かれている。


「紹介状……と言うのはちょっと違うわね。今回の件は普通の依頼よりも緊急度が高いから、この街のギルドマスターである私が間違い無くレイに依頼をしたということが書かれているわ。……その、ちょっとレイの外見は若々しいから」


 それだけでレイはマリーナが何を言いたのか理解する。1つの街の存亡が掛かっていると言ってもいいようなこの依頼に、普通なら15歳程度にしか見えないレイには依頼するような真似はしないとバールの街で疑われるのを避ける為なのだろう。

 レイ本人としても自分の童顔や華奢な体格は自覚していた為に、特に文句も言わずにその手紙を受け取る。


(ディアーロゴは盗賊出身だけあって魔力の感知が出来ないしね。セイスがいればレイの魔力を感じ取ってその辺の子供じゃないのは見抜くだろうけど)


 かつてのパーティメンバーの顔を脳裏に思い浮かべながら内心で呟くマリーナ。

 そんなマリーナの目の前で、レイは地図と手紙をミスティリングの中へと収納して小さく頭を下げる。


「色々と気遣ってくれてすまない。今回の依頼は必ず達成してみせる」

「ええ、お願いするわ。この依頼が来た時にアイテムボックスを持ち、グリフォンを従魔として従えているレイがギルムの街にいてくれたことは天運と言ってもいいでしょうね。……さ、1階にアウラーニ草の粉末やその他の物資がある筈だから少しでも急いで頂戴。ラルクス辺境伯から、正門を出ないで直接街中から飛び立ってもいいとの許可は特別に貰ってるわ」


 マリーナの言葉に小さく頷き、そのまま執務室を出て行くのだった。






「あ、レイさん。これをお願いします!」


 マリーナの部屋から出て来たレイをカウンターで見つけたレノラは、視線をギルドの中央。本来であれば依頼ボードの置かれている場所へと向ける。

 そこには素早く薬を作れるように1人用の分量ずつに小分けにしたアウラーニ草の粉末が5cm程度の小瓶に詰められ、その小瓶が木箱にギッシリと隙間無く詰め込まれていた。

 普通に馬車で運ぶのであれば、このような真似はしなかったであろう。何しろ馬車の振動で割れる危険性が高いのだから。それが可能になったのは、やはりレイの持つミスティリングの存在だった。これがあれば輸送中に瓶が割れるようなことがまず無いだけに、バールの街に到着した後すぐに薬を作れるようにとのギルド職員や冒険者達の心遣いだった。

 救援物資の中には肝心のアウラーニ草の粉末の他にも、体力回復用のポーションや、魔力回復用のポーションといったものも含まれている。


「レイ君!」


 用意された補給物資へと1歩踏み出したレイの背中へと掛けられる声。

 その声に振り向くと、そこには目の端に微かに涙を溜めているケニーの姿があった。

 いつもはピンと元気に立っている猫の耳も今日は垂れており、それがケニーの気持ちを如実に表している。

 そのまま猫の獣人族特有の素早い動きでレイへと近づき、そのローブへと手を伸ばす。


「ねぇ、どうしてもレイ君が行かなきゃいけないの? 疫病なんだよ? レイ君も感染しちゃうかもしれないのよ?」


 そっとドラゴンローブを掴んでいるケニーの手を離しながら、落ち着かせるように口を開く。


「大丈夫だ。魔熱病は一定以上の魔力を持つ者には感染しない。だから俺に感染の心配は無い」


 もしレイ程の魔力を持つ者に感染するようなレベルの魔熱病だとしたら、それはバールの街全てが感染しているだろう。そう思いつつローブを握っているケニーの手を安心させるように握りしめるレイ。


「でも、それで本当に大丈夫なんて誰にも言えないんだよ!?」

「ケニーッ! 貴方もギルドの一員でしょ。なら弁えなさい!」


 そんなケニーへと厳しい声を掛けるレノラ。

 レノラにしても、自分より年下の少年でしかないレイを魔熱病が流行している街へと行かせるのは本心では反対している。だが、それでも。


「レイさんしか頼れる人がいないのよ。普通に馬車でバールの街まで向かったら、どんなに急いでも半月は掛かるって、分かるでしょ!? バールの街で魔熱病に感染している人達を見捨てるつもりなの!」


 叱責するようなレノラの言葉に、ビクリと震えるケニー。そして数秒程でドラゴンローブを握りしめていた手を離す。


「……うん、ごめん。そうだよね。私が我が儘言ってるだけだった。レイ君、身体に気を付けてね。絶対このギルムの街に帰ってきてよ?」

「ああ。何しろこの指名依頼を無事達成すれば、かなり凄いマジックアイテムを報酬として貰えるからな。何が何でも無事に戻って来るさ」

「もう、レイ君ったらこんな時も変わらないんだから」


 そう話すケニーの目はまだ微かに潤んではいたが、それでも口元には笑みが浮かべられていた。


「さ、レイさん。物資の方を」


 ケニーの背を撫でながら告げるレノラに促され、レイはカウンターから外へと出て床へと積まれている木箱を始めとした救援物資へと手を伸ばす。

 レイがミスティリングを使うのを初めて見た冒険者達や、ギルドの職員達が感嘆の声を漏らしているのを横目で見ながら次々に物資を収納していくレイ。魔熱病の薬に関する物資を全て収納した所で、ドンッとばかりに巨大な鍋がレイの目の前へと置かれる。


「……ディショット?」

「ああ、ハスタに聞いてな。魔熱病の流行している街に薬を届けに行くんだろう? 魔熱病に関してはどんな病気かは知らないが、それでも熱病である以上は身体がだるくなって食事を作るのも面倒になる筈だ。どれだけの足しになるかは分からないが、これを持っていってくれ」


 その言葉と共に空けられた鍋の中には、野菜やガメリオンの肉がたっぷりとはいったスープの中をうどんが泳いでいた。


(煮込みうどんみたいなもの、か?)


 内心で呟き、うどんと言う食材を見たことの無い周囲の者達が騒いでいるのを横目に小さく頷くレイ。


「ありがたく貰っていく」


 そう言い、補給物資同様にミスティリングの中へと鍋ごと収納する。

 実はこの鍋、ディショットがつい先程息子のハスタからレイが魔熱病の流行している街へと薬を届けに行くと聞き、少しでも恩人の役に立てればと思って今日の昼食用に仕込んでいた鍋をそのまま持ってきたのだ。

 レイの視線の先では、大人が入っても十分に隠れそうになる程の巨大な鍋を持ってきたのだろう。息も絶え絶えなハスタの姿があった。

 自分へと視線を向けられている視線に気が付いたのか、笑みを浮かべて小さく頭を下げるハスタ。

 そのまま全ての物資をミスティリングの中へと収納し、外へと向かう。

 その後を見送るべくギルドの中にいた冒険者や、レノラ、ケニー、ハスタ、ディショットが共に外へと出る。


「セト!」

「グルゥ!」


 レイの声を聞いたセトは小さく鳴いてのそりと起き上がり、レイの方へと近付いてくる。


「セト、ちょっと遠出をすることになったんだ。お前の翼が頼りだ。一緒に来てくれるか?」

「グルルルゥッ!」


 当然とばかりに鳴きながら、頭を擦りつけてくるセトに笑みを浮かべつつその頭をコリコリと掻いてやるレイ。


「そうか、助かる。……じゃあ、行くか。今回は特別にここからそのまま飛び立ってもいいらしいからな」

「グルルゥ」


 レイの言葉に小さく屈み、その背へと跨がるレイ。

 その状態のまま従魔の首飾りを外してハスタへと放り投げる。


「ハスタ、従魔の首飾りは門にいる警備兵に渡しておいてくれ」

「分かりました。気を付けて下さいね」

「ああ。じゃ、行ってくる」


 あくまで軽く言い、その声と共にセトが石畳の上を走りだして翼をはためかせ、まるで空中を蹴り上がるかのように空へと駆け上がっていくセト。そして見送りに出て来た者達はそんな1人と1匹の後ろ姿が見えなくなるまでじっと見つめていた。レイとセトが無事にギルムの街に戻ってこれるよう祈りながら。

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