第98話

「全員、準備はいいな。では早速最下層に突入するぞ。皆、決して油断をしないように」


 翌日、食事を済ませていよいよ最下層に突入する準備を整えた一行にエレーナの声が響く。

 その声を受ける者達はさすがに目の前の階段を下りれば目的の階層ということで、引き締まった真面目な表情をしていた。


「隊列は昨日と同様だ。前衛がヴェル、キュステ。中衛が私、レイ。後衛がアーラ、セト」

「ちょっといいか?」


 エレーナへとそう声を掛けたのはレイだった。

 その不作法とも言えるような口調にキュステの眉が微かに顰められたが、特に何を言うでもなく黙り込む。

 朝食の時にレイのエレーナに対する言葉遣いで一悶着あったのだが、エレーナ自身が許可をしたと宣言したおかげで事無きを得たという一件があった。もしエレーナがそう宣言していなかったとしたら、今頃はキュステとレイの間で本格的な殺し合いが起きていただろう。


「何だ?」

「俺が後衛に回りたいんだが、それは駄目なのか?」

「理由は?」

「アーラが奇襲を警戒するというのは分かるが、実際に奇襲を受けた時に俺の方がより確実にセトと上手く連携を取れるからだ」


 その言葉に一理あると思ったのだろう。数秒程考えてから頷く。


「アーラの斧では中衛だとどうしようもないが……そうだな、では前衛をヴェル、アーラ。中衛を私とキュステ。後衛をレイとセトとする。異論がある者は?」


 特に誰も異論がないのを見て取り、小さく頷き最下層へと続く階段へと目を向けるエレーナ。


「よし、ではいよいよ最下層だ。行くぞ」


 その宣言と共に、一行は最下層への階段を下りていくのだった。






「これが、最下層」


 前衛にいるアーラが、最下層の様子を見て思わず呟く。

 アーラ達の目の前に広がっているのは、光る壁、広い通路、石造りの床とこれまでに見てきた階層とそう変わるものではない。ただ、その存在感が明らかに違うのだ。壁には精緻な彫り物がされており、天井には所々に石造りと思われる飾りがぶら下がっている。床も石造りではあるが、大理石のようにどこか光沢のある素材が敷き詰められている。


「何と言うか、これまでのダンジョンよりも構成素材全てがワンランク上って感じだな」


 ヴェルの言葉にキュステが頷く。


「特にこの床に敷き詰められているのは、貴族でもそうそう手に入れられない程の代物だろう」

「継承の祭壇があるからこそここまで豪奢なのか、あるいは他のダンジョンも最下層は別物なのか……」


 そんな風に周囲の様子を感心した様子で見ていたが、エレーナが手を叩いて皆の注意を引く。


「確かにこれまでとはどこか違うが、それは今は関係無い。私達の目標はあくまでも継承の祭壇だからな。……で、どの道を進むかだが」


 エレーナは周囲を見回しながらどこか困ったように告げる。

 地下6階から下りてきた階段。その階段の先にある地下7階、最下層ではいきなり壁の前後左右4つに通路が延びていたのだ。


「恐らく、この中のどれか1つが俺達の目標である継承の祭壇。そしてもう1つがダンジョン核へと続くボス部屋があると思う。残り2つについては不明だけどな」

「グルゥ」


 レイの言葉に同感、とでも言うように喉の奥で鳴くセト。

 その様子を見ながら、思わず口元に微笑を浮かべつつ頷くエレーナ。


「レイの言う通りだろうな。事前に得た情報でもその2つの存在は確認されている。……問題はその継承の祭壇がどこにあるのかということなのだが……」

「ま、ここはいつも通りにレイの直感に頼ってみるのがいいんじゃないかな?」

「……ふんっ」


 ヴェルの言葉に気に食わないとばかりに鼻を鳴らすキュステだが、かと言って何か他にいい手段があるのかと問われればそんなものがある筈も無く。


「そうだな。ここまで来るのに幾度も世話になったレイの勘だ。最後まで頼らせて貰おう」

「あー、別に構わないが。ただ、直感にしても勘にしても結局は何の手掛かりも無い状態で選択してるんだから、それ程当てになるものでもないと思うが」

「お前の直感に従って見つけられないとしても、それは判断をした私の責任だ。レイ、お前が責められる謂われは無い」


 全員に……というよりは、レイに対して忌々しそうな視線を送っているキュステを牽制するかのようにエレーナが告げ、そして同時にそこまで言われてはレイもまた後には引けないのかじっと前後左右の通路へと順番に視線を向ける。そして選んだのは……


「左、だな」

「よし。では左の通路に進むぞ。隊列はそのままだ。ヴェル、罠に関しては任せたぞ」

「あいよー」


 ヴェルがいつもの軽い口調で頷き、そのまま左の通路へと向かって進む。

 そして通路を進み始めて10分。敵や罠の類は一切無いままに扉が付いている部屋の前へと辿り着く。

 その扉には獅子の彫刻が彫られており、精神的に弱い者ならその扉を見ただけで何かしらの圧迫感を与えるような一種のマジックアイテムに近い代物だった。


「扉のマジックアイテムとか……俺、初めて見たよ」

「ラルクス辺境伯の執務室の扉もなかなかのものだったが、この扉を見た後だと……」


 だが、さすがに姫将軍と呼ばれるエレーナとその直轄の護衛騎士団。そしてランクAモンスターのセトと冒険者としては規格外の存在であるレイにしてみれば、その程度の感想を抱かせるのが精々といった所らしかった。


「さて、問題は中が何なのかということだが。……ヴェル」

「りょーかいっと」


 一応罠の有無を調べ、数秒で何も無しと判断。ゆっくりとその扉を開け中を覗き込み……次の瞬間には顔中に冷や汗を浮かべながら扉を閉め、エレーナ達の下へと戻って来る。


「駄目だ駄目だ駄目だ。あの部屋の中にいるのは俺でも知ってるランクSモンスターの銀獅子だ。ちょっと手が出せる相手じゃないぞ」

「銀獅子だと!?」


 ヴェルの言葉を聞いたキュステが思わずといった様子で叫ぶが、レイにしてもその顔は驚愕で強張っている。

 銀獅子。ヴェルも言ったようにランクSモンスターであり、目撃例は極めて少ない。理由としてはその獰猛さが上げられ、遭遇した者の殆どが殺されているからだ。その名前の由来となった銀色の体毛は攻撃魔法の殆どを無効化すると言われており、同様に刃物の類も殆ど効果が無いと言われている。ダメージを与えるには刃物ではなく強い衝撃を直接体内に与えなければならないので、ハンマーや斧のような武器を装備していない状態で遭遇した時は万が一の可能性に賭けて一目散に逃げるしかないと言われている。また獅子の咆吼と呼ばれるその雄叫びは、ある種の衝撃波を備えているのでまともに聞いてしまうと鼓膜が破れ、平衡感覚を失うという非常に厄介なスキルとなっている。どちらかと言えば通常のモンスターと言うよりも、伝説上の存在と言った方が正しいような相手なのだ。


「で、向こうには気が付かれてないのか?」


 さすがにエレーナも真剣な表情になりながら尋ねるが、ヴェルは額に大量に浮かんでいる汗を拭いながら頷く。


「ああ。恐らくだけどその部屋の中に入って初めて敵と認識されるんだと思う」

「……ちなみに、中に継承の祭壇は?」

「聞いてたようなものは無かったな。ただ、奥の方に巨大な宝石っぽいのがあったから……恐らく、あれがダンジョンの核なんだと思う」

「なるほど。道理でこのダンジョンが攻略されない訳だ。まさかボスモンスターがランクSモンスターの銀獅子とはな」

「銀獅子って……あの、よくお伽噺とかに出て来る奴?」


 アーラの質問にヴェルが頷き、キュステが苦笑を浮かべながら答える。


「そう、その銀獅子だ。……幸いなのは継承の祭壇に居座っているんじゃなかったということか。エレーナ様、どうします?」

「当然撤退だ。私達の目的はダンジョンの攻略では無いのだから、無理に銀獅子という化け物と戦う必要はない」


 その言葉に全員が頷き、なるべく音を立てないように足早に扉の前から移動して階段のある場所まで戻って来る。


「レイの直感は鋭いな。と言うか鋭すぎるだろ。4分の1の確率でダンジョンのボス部屋を引き当てるとか。……でも、出来れば継承の祭壇の場所を引き当てて欲しかったけど」

「いや、そう言われてもな。それこそ勘で選んだんだからしょうがないだろ」

「……ヴェルもレイもやめろ。先にも言ったように、どの道を選ぶのかをレイに託したのは私だ。勘という曖昧なものに賭けたのもな。だからこそその責は私にある」

「そんな、エレーナ様。別にエレーナ様が悪い訳じゃないんですから。ヴェルの馬鹿が文句を言ってるだけで」


 エレーナの言葉にアーラが慌てたようにそう言い、険悪な視線でヴェルを睨みつける。


「ちょっと、ヴェル。あんたエレーナ様に文句でもあるの?」

「あー……いや、その、悪かった。けど銀獅子なんてランクSモンスターを見たんだから、少しは俺の気持ちを考慮してくれてもいいんじゃないか?」

「アーラ、ヴェル。2人共やめないか。余りエレーナ様にみっともない所を見せるんじゃない」


 キュステの仲裁により何とかその場は収まり、次にはどの道を進むかという相談になる。


「左がボス部屋だったんだから、その反対にある右の通路がいいと思うけど」

「アーラの言いたいことも分かるけど、俺としては前の通路がお薦めかな」

「……エレーナ様、このままでは決まりません。ここはエレーナ様に決めて貰った方がいいかと」

「そうだな、なら右にしてみるか」


 チラリと一瞬だけレイの方へと視線を向け、セトの背を撫でている姿を確認してからそう告げる。

 エレーナにしても確実に右だと言える訳では無い。ただ、何となくアーラの言葉に信憑性があると判断しただけだ。

 ただしセトを撫でているレイの姿を見て心が決まったというのも事実なのだが。

 レイを見ていると何となく覚える安心感。それが何なのかを、戦いの中で生きてきたエレーナはまだ知らない。


「よし、では行くぞ。次は今も言った通りに右の通路だ。……ダンジョン核を守っているボスモンスターが銀獅子だった以上は、この最下層にいる他のモンスターについても強力なモンスターだと予想しておいた方がいいだろう。決して気を抜かないようにしろ」


 エレーナの声に頷き、一行は右の通路を進んで行く。そして先程同様に10分程歩くと再び扉の姿が視界に入ってくる。


「……さて。今度はどうだろうな。ヴェル、頼む」

「銀獅子クラスのモンスターがいたりしませんようにっと」


 軽い口調で、それでも真剣な表情で呟きつつも扉の罠を調べるヴェル。やはりボス部屋同様に罠がないのを確認し、そっと扉を開く。そして……


「よし、ここで正解だ! 継承の祭壇に到着したぞ! 中にはモンスターの類もいない」


 少しだけ開いたドアから中身を確認し、力強くその扉を開けながらそう叫ぶ。


「やっと着いた、か」


 エレーナもまた、いつもの鋭い目付きにどこか柔らかい安堵の表情を浮かべながらその扉の中を覗き込む。

 そこにあったのは、美しい儀式場としか表現出来ないような部屋だった。部屋の中には魔力が込められたと思われる緑の水晶が無数に埋め込まれて作られた魔法陣が3つあり、三角形を形作っている。そしてその魔法陣からは複雑な紋様を描きながら三角形の中央にある魔法陣へと続いており、その中央にある魔法陣の中には何かを捧げる為の祭壇のような物が存在している。


「これが……継承の祭壇」


 ダンジョンの中にあるとは思えないような、荘厳な部屋。そんな感想を抱きながら思わず呟くレイ。


「そう、ここが継承の祭壇だ。私達が目指してきた場所であり、ある意味で私が生まれ変わる場所」

「……何?」


 レイの隣でエレーナが呟いた生まれ変わるという単語に思わずその美しい顔を見返す。

 その視線でレイが何を考えているのか分かったのだろう。エレーナは苦笑を浮かべながら口を開く。


「何を心配しているのかは知らないが、生まれ変わると言っても恐らくレイが心配しているようなことじゃないと思うぞ。……そうだな、レイの協力もあってこの継承の祭壇まで辿り着いたのだから、ここで行われる儀式がどう言うものかを説明するのもいいだろう」

「エレーナ様!? その件は極力漏らさぬようにとケレベル公爵に口止めされていたのでは……」


 他の者達と同じく継承の祭壇に見惚れながらも、それでも尚2人の会話を聞いていたキュステから思わず声が掛けられる。

 だが、エレーナは苦笑を浮かべて首を振る。


「どのみちここで儀式を行えばレイにも継承の儀式がどのような物かは理解出来る筈だ。ならそれを今教えたとしても大差ないだろう」

「……分かりました、エレーナ様がそう仰るのなら……」


 不承不承納得したキュステへと、ヴェルがその肩を叩きながら腰のポーチから水筒を手渡しているのを眺めつつエレーナは話を続ける。


「継承の祭壇で行われる儀式。便宜的に継承の儀式と呼ばれているが、どういう儀式なのかを端的に表すとすれば『モンスターの魔石を己の力として取り込む』という儀式だ」

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