第84話

「エレーナ様、ここは一旦退いた方が良くないですか!?」


 木の上から跳躍し、アーラへと襲い掛かろうとしていたウォーターモンキーへと矢を放ちながらヴェルが叫ぶ。

 森の中という、襲ってきたウォーターモンキー達の得意な戦場で戦い始めてから既に1時間以上。休む暇もなく延々と戦い続けているだけにアーラとキュステは体力の限界が近付いていた。特に酷いのはアーラの方で、既に気力だけで持ち堪えている状況になっている。そのフォローをする為にヴェルが矢を射続け、結果的にキュステの援護が不十分になりそっちの疲労も増すという悪循環に陥っていた。もしエレーナが連接剣や風の魔法を使って援護をしていなければとっくに戦線は瓦解していただろう。

 ヴェルの言葉を聞き、一瞬だけ自分達がやってきた方向へと視線を向けるエレーナ。そちらには確かに敵の数は少なく、突破するのも容易に思える。……そう、まるでどうぞこちらから逃げて下さいと言われているかの様に。

 幾多もの戦場を渡り歩いて来たエレーナには、そのいかにもな脱出口はどう考えても罠にしか思えなかった。


「駄目だ! 背後はどう考えても奴等の罠が仕掛けられている筈だ」

「けどこのままここで戦っていてもこっちの戦力が磨り潰されるだけですよ!」


 まるで悲鳴のような叫び声。後方からアーラとキュステの援護をしているだけに、2人の限界が近いのを一番良く理解しているのだ。


(確かにこのままでは消耗戦に引きずられてこちらの戦力が磨り減るばかりだ。ここは何か大きな手を打たないと駄目か)


 内心で考えている間にも、エレーナへと襲い掛かって来るウォーターモンキー。


「ええいっ、しつこい!」


 連接剣を通常の状態へと戻して牽制として放たれた水球を切り裂き、同時に近くまで接近していたウォーターモンキーを一瞬で斬り伏せる。

 そのまま流れるような仕草で再び大きく剣を振るい、刀身を鞭のように伸ばして襲い掛かろうとしていたウォーターモンキー達を斬り裂いていく。

 だがその一撃を放っても致命傷となる喉を切り裂いたのはほんの数匹であり、他の殆どは手足に浅い傷を負うだけだった。


「はあぁっ!」


 エレーナ達がウォーターモンキー達相手の消耗戦に苦戦している中、レイもまた同様に……否、エレーナ達全員に襲い掛かっている以上のウォーターモンキーに襲われていた。

 水球を飛ばし、その隙を突くかのように牙や爪を剥き出しにして襲い掛かって来るウォーターモンキーを、デスサイズの刃で数匹纏めて切り裂き、あるいはその柄を振り回して水で覆われていることなど関係無く肋骨を粉砕しながら吹き飛ばす。


『炎よ、礫となりて穿て!』


 水球の攻撃をまるで踊るように回避しながら、同時にデスサイズを振り回して敵を牽制しつつ呪文を唱える。さすがにウォーターモンキーと近接戦闘を行い、尚且つ森の中から放たれる水球の攻撃を回避しながらの呪文詠唱の為にそれ程長い呪文を唱えることは出来ず、自然と放たれる魔法に関しても詠唱が短く威力は高くない物になる。


『炎の礫!』


 デスサイズの刃へと現れた直径50cm程の炎球をそのまま振り抜く。するとその炎球は数m程進んだ所で破裂し、直径1cm程の小さい炎を周囲へとバラ撒くのだった。


『キキキィッ!?』


 突然目の前に大量に現れた炎に水で覆われていない場所を焦げ付かされ、悲鳴を上げつつ一旦距離を取るウォーターモンキー達。それを見ながらようやくある程度の猶予が出来たレイは再び魔力を込めて呪文を唱える。


『炎よ、害意ある者には害意を返す境界線と化せ。我と敵を別け隔てる極炎の壁を作りてその恩恵を我に与えよ』


 呪文を唱えながらデスサイズの柄を地面へと突き刺すレイ。同時に、その柄の突き刺さった地面を中心として複雑な紋様を描くかの如く地面を数cm程の高さの炎が走っていく。


「レイ、一体何を!?」


 地を走る炎はレイを中心としてエレーナ達すらもその範囲に取り込み巨大な円を描いていく。そして円が一周したその瞬間、レイが魔法を発動する。


『紅蓮の焔壁』


 魔法を発動したその瞬間、轟っ! という音を立ててレイが呪文を唱えている時に地を走った魔法陣を囲むようにして高さ8m程の巨大な炎の壁が燃え上がった。


「グルゥ?」


 セトが心配そうに擦りつけてくる頭を撫でながら、周囲へと視線を向ける。

 レイの側にいたウォーターモンキーは礫による一撃に驚き後方へと退避した為に近くにはいない。同時に、エレーナが孤軍奮闘していた周囲にも既に敵の姿は無く、アーラ達が戦っていた数匹だけがこの炎の壁の中へと取り残されていた。

 そしてその残り数匹にしても突然自分達を覆った炎の壁に驚いた隙を突かれ、最後の力を振り絞ったアーラとキュステの一撃。そして鋭く伸ばされたエレーナの連接剣によってその命を絶たれるのだった。


「レイ、この魔法はお前の仕業だな? どういう効果か説明してくれ」


 取りあえず視界内にいたウォーターモンキーは全て倒したと判断したのだろう。地面へと倒れ込んで息を整えつつ体力の回復をしているアーラとキュステを横目に、エレーナがレイへと尋ねる。

 その様子に頷きながらも、まずはミスティリングから水の入った水筒を取り出してそれぞれに配るレイ。

 さすがに自分の状態を分かってはいるのか、普段から何かとレイへと突っかかっていくキュステも呼吸を荒げながら無言でその水筒を受け取るのだった。


「エレーナ様もどうぞ。取りあえず30分程は安心ですので」

「そうか、レイの魔法だし信用させてもらおう」


 エレーナもまた水筒を受け取り、一息にあおる。

 その白い喉が艶めかしく動いて水を飲むのを見ていたレイだったが、セトにドラゴンローブをクチバシで引っ張られて我に返り、自分もまた水を飲む。同時に水分の多い果物を何個かミスティリングから取り出してセトへと与える。


「生き返ったな……さて、説明を頼む」

「俺が使ったのは紅蓮の焔壁という魔法です。効果は俺を中心にして炎の防壁を形成するというものですね。ちょっと違うのは……」


 そう言い、防壁の方へと視線を向けるレイ。

 そこでは数匹のウォーターモンキーが水球を撃ち込んでいる所だったが、その反応は強烈だった。水球が炎の防壁へと接触したと思った瞬間、水球と同程度の大きさの炎球が炎の防壁から放たれ、水球を撃ち込んだウォーターモンキー数匹を瞬時に燃やし尽くしたのだ。


「ご覧の通り、炎の防壁に攻撃をするとカウンター的に迎撃されます。なので、炎の防壁が持ち堪える30分程度は安心して体力の回復を図れる筈です」

「……随分と高度な魔法だな。だが、この場では助かる」


 腑に落ちないながらも助かったのは事実と頷いているエレーナの隣で、こちらは弓での攻撃だったのでアーラやキュステ程には体力を消耗していないヴェルが口を開く。


「なぁ、レイ。これって炎の防壁なんだよな?」

「それは見て貰えれば分かると思うが」

「まぁな。けど、じゃあ何でその炎の防壁の中にいる俺達は熱さを感じないんだ?」

「その辺は魔法を組み立てる時のイメージだな。炎の防壁ではあるが、この内部は気温が変わらないように調整してある。逆に炎の防壁の外側はかなりの高温になっているから水で体を覆っているウォーターモンキーにしてみれば手に負えない筈だ」

「うわっ、そんな真似も出来るのか」

「それは好都合だな。では取りあえず10分程は体力の回復に専念し、その後は奴等の対策を考えるとしよう」


 エレーナの言葉に頷き、それぞれが地面へと腰を下ろして体力を回復させる。

 レイにしてもまだ余力はあるが、体力を消耗していない訳では無い。地面に寝転がったセトの胴体へと寄りかかり、目を瞑って体力の回復に専念する。


(ウォーターモンキー達の数がちょっと予想外だったな。昨日襲ってきたのは20匹程度だったが、今日のは最低でも100匹以上は存在していた。当然率いているのはあの希少種だと思うが……それにしては襲ってくるのが早かった。てっきりこっちがもっと疲れてから襲ってくるかとばかり思ってたんだが。考えられる可能性としては俺が投げたあの槍……か?)


「すいません、エレーナ様。お見苦しい所をお見せしました。モンスター風情に後れを取るなど……」

「私も同じくです」


 目を瞑っているレイに、キュステとアーラの声が聞こえて来る。

 さすがに騎士と言うべきか、この短時間で息を整えたらしい。やがてそのうちの片方がレイの方へと近付いてくる。


「レイ殿、この剣はこのまま使わせて貰ってもいいのだろうか」


 その質問に目を開けると、視線に映ったのは当然と言うべきか声の持ち主であるアーラだった。


(いや、ここでキュステがいたりしたらそれはそれで面倒臭いことになりそうだけどな)


 微妙に疲れているせいか、そんな風に考えながらも頷き……アーラの持っている剣へと視線を向けて思わず眉を顰める。

 戦闘中に投げ渡した時には新品同然……とまでは言わないが、十分実用に耐えるものだった筈の剣が既に微妙に曲がっているように見えたからだ。


「構わないが……その剣もそろそろ限界っぽいが大丈夫なのか?」

「……正直に言えば大丈夫とは言えないですが、何しろ私の剣はああなので」


 チラリと向けられたアーラの視線の先には、刀身半ばで折れている剣がある。


「……レイ、もし良ければだが何かもっといい武器がないか? アーラが使えるようなもので」


 微妙に肩を落としているアーラを見かねたのか、あるいは単に戦力を増やしたかっただけなのか。エレーナがレイへとそう尋ねてくる。


「確かにアーラの力は前衛として魅力的なのは分かりますが、残念ながら剣は今アーラが持ってる奴くらいしか」


 そもそもレイにはデスサイズがある以上、メインとなる武器は他にはいらない。レイ自身の魔力により産み出されたデスサイズは頑丈極まりなく、その上で魔力を流して使うので破損するという可能性も殆ど無いのだ。よってレイが集める武器は解体に使える短剣、ナイフの類や今回の戦いの原因になったと思われる投擲する為の槍。あるいは希少価値が高いという理由でマジックアイテムが主になる。


(いや、待てよ?)


 その瞬間レイの頭を過ぎったのはアーラ、怪力、マジックアイテム、鷹の爪という4つの単語だった。

 そう、確かにアーラが使っても問題のない剣は持っていない。しかし、力だけで見れば一級品のアーラに相応しい武器を自分は持っていた筈。

 ミスティリングのリストを脳裏に表示させ、その中からパワー・アクスと表示されているものを選択する。

 それはレイへと絡んできた鷹の爪というランクDパーティの中でも、リーダー格であるバルガスから賭けの商品として奪い取った代物だ。その後に聞いた話では迷宮、すなわちここを探索して手に入れたマジックアイテムだという風に聞いていた。


(ここで手に入れたマジックアイテムを、ここで武器を失った相手に貸すというのも一興か)


 次の瞬間、レイの手に現れていたのは巨大なバトルアックスだった。


「アーラ、これを使ってみるか?」

「これは一体?」

「パワー・アクス。まぁ、バトルアックスの一種であるマジックアイテムだ」

「……ふむ、確かに魔力を感じるな。それで効果は?」


 レイの持っているパワー・アクスへと興味深げな視線を向けて尋ねてくるエレーナだったが、その問いにレイは首を左右に振る。


「残念ながら俺も手に入れただけのマジックアイテムなので詳細な効果は分かりません。ただ、パワー・アクスという名前から大体想像は付きますが」

「だろうな。……アーラ、どうする? レイのこの斧を使ってみるか?」

「……レイ殿、少し貸して貰えますか?」

「ああ、構わん」


 おずおずとだが差し出してきたアーラの手へとパワー・アクスを渡すレイ。


「きゃっ!」


 渡されたそのバトルアックスの予想外の重さに、その剛力に似合わぬ悲鳴を上げながらもしっかりと受け取るアーラ。


「これが、マジックアイテム」


 呟きながらも、パワー・アクスの柄を片手で握り……そのまま持ち上げ、振り下ろす。


「ほう」


 その様子に思わず感嘆の息を上げるレイ。


「どうしたのだ?」


 レイと同じく身体に馴染ませるかのようにパワー・アクスを振るっているアーラを見ながらエレーナが尋ねる。


「いえ。あのパワー・アクスは元々とある賭けの景品として手に入れた物なんですが、前の持ち主は両手で握って扱っていたんですよ。それをああも簡単に片手で振るえるとは思わなかったので」


 その間にも、アーラはパワー・アクスを自分の身体に慣れさせるかのようにゆっくりと振り下ろし、あるいは切り上げるといったことを繰り返している。


「アーラ! 新しい武器を身体に馴染ませたいのは分かるが、時間は限られているというのを忘れずにきちんと体力を回復させておくようにな」

「あ、分かりましたエレーナ様!」


 エレーナの言葉に、パワー・アクスを片手で悠々と持ちながら近付いてくる。


「レイ殿、このマジックアイテムを是非使わせて下さい。まるで長年使ってきたかのように馴染みます」

「問題無い。戦力としてアーラが使えないのはこっちも困るからな。……それで、エレーナ様。これからのことですが」

「うむ。まず来た方向へと撤退するというのは却下だな。あからさまに敵の配置されている数が少ないのを見ても、私達をそちらに追い込みたいという思惑が透けて見える」

「しかしエレーナ様、モンスターにそんな知能があるでしょうか?」

「キュステ、お前も見ただろう。奴等はこちらを包囲して消耗戦を仕掛けて来る程度の知能がある。それなら罠を仕掛けるというくらいはやると思わんか?」

「……可能性はあるかもしれません、とだけ言っておきます」

「となると、残るのは罠以外の場所を一点突破。出来ればあの希少種を倒してしまいたい所だが……」

「普通に考えるのなら敵の戦力の一番厚い場所の後ろに希少種がいるんだろうけど……そもそもモンスターだからねぇ。こっちの思惑通りに動いてくれるかどうか」


 こちらも復活したヴェルがようやく調子を取り戻したかのように軽い口調で口を挟んでくる。


「だろうな。そもそも木の上に陣取っている以上はこちらの攻撃手段も限られる。そうなるとこのまま私達が向かっている方向へと一点突破して奴等の包囲網を抜けるのがベストか」

「となると、問題は追ってくるだろうウォーターモンキーをどうするかですね。延々と背後から追撃を掛けられるのは嬉しく無いし」


 ヴェルのその呟きに、皆が頷く。

 そんな中、セトがクチバシでレイのドラゴンローブを引っ張って何かを訴えるように喉の奥で鳴く。


「グルルルゥ」


 セトが何を言いたいのかはレイにも何となく分かった。セトが魔石を吸収して習得したスキル。それも広範囲に効果を発揮し、尚且つレイの炎の魔法のように余分な被害を一切出さない『王の威圧』を使えと言っているのだ。

 その効果はセトの発する威圧感により格の低いモンスターを縮こまらせて速度を1割程低下させるというものだ。確かに素早い動きで自分達を追撃して来るであろうウォーターモンキーに対しては有効な攻撃になるだろう。またセト自身よりも格の低いモンスターとなると、恐らくウォーターモンキーを率いている希少種にも効果が発揮されるという期待もある。


「レイ、どうした? セトは何を訴えている?」


 エレーナのその問いを聞きつつも、レイは内心で葛藤する。


(どうする? ただでさえ貴重なランクAモンスターのグリフォンだ。そこに普通のグリフォンが持っていないスキルを使えると教えてもいいものか。いや、エレーナだけならまず問題はないだろう。俺が秘密にして欲しいと言えば義理堅いだけにそれを守ってくれるのは期待出来る。そしてアーラもエレーナに言われれば死ぬまで秘密を守り続ける筈だ。だが、俺を見下しているキュステと口の軽いヴェル。この2人は……いや、それも含めてエレーナに責任を負って貰えば何とかなる……か。それにこの窮地を脱したら『戒めの種』を使うという選択もある。嫌がる者もいるだろうが、いざとなったら死ぬのと引き替えにどちらかを選んで貰うしかないだろうな)


 内心の葛藤でそう結論づけ、炎壁の効果がもうすぐ切れるというのを感じながら口を開く。

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