7 お気をつけて
病院近くの定食屋からテイクアウトした弁当。これが大体は俺の昼ご飯になる。今日は問い合わせ業務に追われてげっそりしてきた春海の分の弁当も一緒に買ったから、冷めないうちに病院に戻りたい。
俺もさっさとご飯を食べながら、昨日心寧に教えてもらったフリースクールについてもっと詳しく調べたいところだ。結局昨日はミケとエヤが寝た後に俺も眠くなってきてそんなに調べることはできなかった。
実際に見学に行った方が早いんだろうけど、やっぱり有給休暇を取って行くべきだろうか。それか、仕事終わりの土曜日の午後にでも少し覗きに行こうか。
それなら早く心寧に連絡しておかないと。
あんまりのんびりしていると心寧にまた何か言われそうだし。善は急げと、俺はポケットに入れていたスマホを取り出し、心寧にメッセージを送ろうとアプリを開こうとした。だが目的のアプリを開く前に、その隣に並んだアイコンに目が行ってしまった。
俺がここ一年でドハマりしたゲーム。”エンチャンテッドロード”。ARPGではあるけど、特に大きな目標もなく自分のペースで進めていけるゲームだ。仲間とチームを組んでクエストをクリアしてもいいし、一人で黙々とモンスターを倒すだけでもいい。自由度も高く、クオリティがいいので俺もすっかり夢中になった。
毎日欠かさず起動していたけど、エヤとミケが来てからはさっぱりだ。正直ゲームのことなんて考えてる余裕すらなかった。ログボも途切れたし、ちょっとモチベーションが落ちそう。でもせっかく装備も増えたし、新しいエリアも解放されたし、フリースクールの件が落ち着いたらまた少しずつ再開してみようか。
あー。そういやこの前運営から結構重要なお知らせが来てた気がするけど、あれ何なんだっけな……。
病院についた俺はもう見なくても分かるほど足に馴染んだ執務室へと向かう。昼の時間だからとか関係なく、今日も病院はなかなかに盛況で、あちこちから人の声が聞こえてくる。その喧騒に包まれ、俺はお知らせだけ見ておこうと久しぶりにゲームのアイコンをタップした。
「わっ……!」
ゲームの華やかなムービーが流れ出した瞬間に、俺のスマホはするりと手から滑り落ちて床を叩く。
やっぱり歩きスマホは良くない。絶対に。
弁当の入ったビニール袋が擦れる音と重なるようにして、女性の声が目の前でぶつかった。
「すみません! 大丈夫ですか!?」
その声がぐらりと歪んだ気がして、俺は慌てて彼女の肩を支え、そのまま転んでしまうことを辛うじて防いだ。
注意散漫になっていたことを反省しながら、俺は後悔の混じった声でその女性に懺悔する。
自分のことながら声に感情が出過ぎだと思う。
女性は俺のそんな声に逆に申し訳なさを感じたのか、咄嗟に俺から離れてがばっと頭を下げた。
「いえいえいえ! 私の方も前を見ていなかったので……! も、申し訳ないですっ!」
短い間隔で三回頭を下げた女性は、最後に「あっ!」と声を上げて床に落ちた俺のスマホを拾い上げた。
「ごめんなさい。スマホ……壊れてないですか?」
顔を上げると同時に、彼女はゲームのタイトルが鮮やかに表示されているスマホの画面を俺に差し出す。
そこで俺は初めてその人の顔をはっきりと見た。
多分、同年代くらいの人だ。茶色に近い少し長い髪は毛先の方がふんわりと規則性もなくカールしていて、それが恐らく自然な癖なのだと分かる。
化粧をしているんだろうけど、肌の色が薄くて少し顔色が悪く見える。彼女のスマホを持っていない方の手は会計終わりに貰う明細書を持っていた。この病院の患者だろうか。
「大丈夫です。すみません」
スマホを受け取り、俺はもう一度小さく頭を下げる。身長がそこまで高くない彼女は俺の顔を見上げてほっとしたように笑う。その穏やかな優しい表情は、最近どこかで見た笑顔に似ている。
「良かったです……! あの、本当に失礼しました」
俺がぼうっとその笑顔を辿っていると、彼女はぺこりと丁寧に頭を下げる。
「あ、いえ。こちらこそ申し訳ありませんでした」
なんだか控えめな人で、俺も一層申し訳なくなってくる。ひょこひょこと互いに頭を下げ合った後で、彼女は最後に恥ずかしそうににこっと笑い、出口へと向かって行った。
「……………歩きスマホ、やめよう」
改めるまでもないマナーを胸に刻み、俺はまだ少し残っている罪悪感と共に執務室へと戻る。スマホに表示されたゲーム画面を見る気にもなれず、結局お知らせも見ないままに俺は画面の明かりを消した。
「樫野さん遅いですー」
執務室に戻ると、春海が席に座ったまま恨めしそうに俺のことを見る。どうやら業務は一段落したようだ。
「悪い悪い。ほら、春海のリクエスト通り天丼買ってきたから」
「ありがとうございまーす」
起伏のない声で弁当を受け取り、春海はそのまますぐに弁当を開けた。
俺も自席に戻って早く食べよう。
フリースクールのことを調べたい俺は、消したばかりのスマホをまた手に取る。
「食べながらスマホなんてお行儀悪いよ? 樫野くん」
隣の藍原さんがおにぎりを食べながら窘めるように小首を傾げて俺を見た。
「すみません。でもちょっと待ってられなくて」
「せっかちだなぁ」
「時間は貴重ですから、最大限に有効活用しないと、ですよ、先輩」
「むむむ……」
それらしいことを言うと、藍原さんは参りましたとばかりに眉をひそめる。
まぁそれっぽいことを言っても、ただの言い訳なんだけども。だけど藍原さんはそれから特に注意することもなく近くに置いてあった広報誌を読み始めた。
たぬきの塾のサイトや記事を何度も読み返している間に、俺の脳裏にはついさっき引っ掛かった既視感の答えが浮かんでくる。
そうだ。あの笑顔。
俺はスマホから目を離し、ぶつかった時に少し具材が傾いてしまった弁当に目を向ける。
無邪気で、どこか切なくて。
あの人の笑顔は、エヤの見せるそれにとてもよく似ていたんだ。
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