安帝7  403年 簒奪

1 月


通鑑

五斗米道ごとべいどう軍が東陽とうようを襲った。




2 月


晋書

劉裕りゅうゆう徐道覆じょどうふくを東陽で破った。桓玄かんげんが大將軍を自称した。孫無終そんぶしゅうが桓玄に殺された。


二年春二月辛丑,建威將軍劉裕破徐道覆于東陽。乙卯,桓玄自稱大將軍。丁巳,冀州刺史孫無終爲桓玄所害。



通鑑

桓玄が北伐を上表して却下された。却下されたのなら仕方がない。




4 月


晋書

日食があった。


夏四月癸巳朔,日有蝕之。



通鑑

慕容德ぼようとくのもとに、母と兄の死亡が伝えられた。慕容徳は吐血し、病に倒れた。このタイミングで謀反が起こったが、段宏だんこうによって防がれた。

泰山の賊の王始おうしが乱を起こしたが、まもなく鎮圧された。




5 月


通鑑

後燕の慕容熙ぼようきは豪華な宮殿を建てた。




6 月


建康

劉裕に彭城ほうじょう内史が加えられた。




7 月


通鑑

拓跋珪たくばつけい豺山さいざんに離宮を建てた。和跋わばつ鄧淵とうえんなどを殺した。

南涼なんりょう禿髪辱檀とくはつじょくだん北涼ほくりょう沮渠蒙遜そきょもうそんと示し合わせ、姑臧こぞうを攻めたてた。後秦こうしん姚興ようこうは直属軍を姑臧に派遣、代わりに守らせることにした。




8 月


晋書

桓玄が相國、王を自称した。


秋八月,玄又自號相國、楚王。



通鑑

後秦軍が姑臧に到着すると、沮渠蒙遜は姑臧攻撃を諦めた。

沮渠蒙遜は親族や配下で民衆を虐げているものを糾弾。自殺させた。

後秦が沮渠蒙遜を侯爵とした。

桓玄の兄、桓偉かんいが死亡した。後任には桓修かんしゅうがつけられたが、まもなく桓石康かんせきこうに代えられた。

劉裕は盧循ろじゅん永嘉えいかで破り、晉安しんあんに追撃。ついには会稽かいけい周辺より駆逐した。

会稽では何無忌かむき孔靖こうせいが劉裕とともに桓玄打倒の計画を立ち上げた。




9 月


晋書

南陽なんよう庾仄ゆそくが決起するも、間もなく桓玄に鎮圧された。


九月,南陽太守庾仄起義兵,爲玄所敗。



通鑑

拓跋珪は南平なんへい城に出向くと、その地に新しい都城を建てようと計画した。

高雅之こうがしは南燕の慕容德に桓玄討伐の軍を立ち上げるよう要請した。検討はされたが却下となった。




10 月


通鑑

桓玄が皇帝即位のための瑞祥をねつ造し始めた。




11 月


晋書

桓玄が安帝あんてい永安宮えいあんきゅうに押し込めた。晋の宗廟を琅邪ろうや國に移した。


冬十一月壬午,玄遷帝于永安宮。癸未,移太廟神主于琅邪國。



通鑑

北魏軍が高車こうしゃ軍を大破した。




12 月


晋書

桓玄が簒奪をなした。安帝は平固へいこ王とされ、その身を尋陽じんように移された。


十二月壬辰,玄篡位,以帝爲平固王。辛亥,帝蒙塵于尋陽。



通鑑

慕容熙が大赦をなした。

拓跋珪が皇帝即位のための儀礼を整えた。




(晋書10-7_政事)

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