孝武14 395年 参合陂

1 月


通鑑

慕容垂ぼようすいは領内を巡幸した。

叱干他斗伏しつかんたとふく長安ちょうあんから嶺北れいほくに亡命した。



2 月


晋書

宣太后せんたいごう廟が建てられた。陸納りくのうが死亡した。


二十年春二月,作宣太后廟。甲寅,散騎常侍、光祿大夫、開府儀同三司、尚書令陸納卒。




3 月


晋書

日蝕があった。


三月庚辰朔,日有蝕之。



通鑑

司馬徳宗しばとくそうが東宮入りし、王雅おうがが皇太子付となった。

司馬道子が寒人の趙牙ちょうが茹千秋じょせんしゅうなどを高官として取り立てた。こういった専横で孝武帝こうぶていとの対立が激しくなって行った。




4 月


通鑑

乞伏乾歸が姜乳きょうにゅうに攻撃するも、敗北した。

拓跋珪たくばつけい慕容垂ぼようすいとの同盟を切り、攻撃を開始した。




5 月


通鑑

慕容垂が拓跋珪討伐のため、慕容宝ぼようほうに軍を預けた。




6 月


晋書

荊州けいしゅう徐州じょしゅうで洪水が起きた。


夏六月,荊、徐二州大水。



通鑑

後燕の慕容楷ぼようかいが死亡した。




7 月


建康

昼間、太微垣たいびえん金星きんせいが見えた。


通鑑

呂光りょこう西秦せいしんに攻撃を仕掛けた。西秦は一度降伏したが、まもなく改めて謀反を起こした。

拓跋珪は後燕からの攻撃に備え、後秦こうしんに救援を依頼した。

禿髮烏孤とくはつうこが勢力を拡大した。

彗星が須女しゅじょに出現し、哭星こくせいに至った。孝武帝がこの現象を憎んだ。




8 月


通鑑

拓跋珪が河南かなんの地で練兵した。




9 月


建康

蓬星ほうせい粉絮ふんじょから東南に向かい、女虛じょきょを経て哭星こくせいに至った。



通鑑

後燕軍が黄河こうがまで出たが、大風に遭い、多くの船舶を失った。以降後燕軍内部での不和、不審が募り始めた。




10 月


通鑑

後燕軍は黄河河畔より後退した。




11 月


晋書

拓拔珪は慕容宝を黍谷しょうこくで大破した。


十一月,魏王拓拔珪擊慕容垂子寶于黍谷,敗之。




12 月


通鑑

拓跋珪は盛樂せいらくに帰還した。

慕容垂は拓跋珪への復讐を決意した。



(晋書9-14_政事)




参合陂の戦いが勃発した年と言うことで、北部ではわりとハイライトの年の一つなんですが、東晋はそんなん知ったこっちゃねーとばかりに順調に国威を落としております。もうこの辺だと孫恩そんおんの乱勃発前夜という感じですね。

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