孝武11 391年

1 月


晋書

太廟たいびょうが改築された。


十六年春正月庚申,改築太廟。



建康

徐廣じょこう秘閣四部ひかくしぶ、三万六千巻を校正させた。カササギが太極殿たいぎょくでんの屋根に巣を作った。




通鑑

後燕こうえんしょうを北部拠点とした。

乞伏乾歸きっぷくけんき越質詰歸えっしつきっきを降した。拓跋珪たくばつけいが燕と示し合わせ、賀蘭がらん部を攻撃した。




2 月


通鑑

慕容垂ぼようすい慕容麟ぼようりん蘭汗らんかん賀蘭がらん部を攻撃させた。




3 月


通鑑

苻登ふとう曲牢きょくろうまで進撃した。




4 月


通鑑

蘭汗が賀蘭部を破った。

前秦将の苟曜こうよう後秦こうしんに偽装投降のため潜り込んだ。




5 月


通鑑

姚萇ようちょうが苻登を撃退した。

前秦将の強金槌きょうきんついが姚萇に投降した。




6 月


晋書

慕容永ぼようえい河南かなんに侵攻。楊佺期ようせんきが撃退した。司馬範之しばはんしが死亡した。


夏六月,慕容永寇河南,太守楊佺期擊破之。己未,章武王範之薨。



通鑑

慕容麟もまた賀蘭部を撃破、帰還した。帰還後慕容垂に拓跋珪が敵対の動きを示し始めたと説いたが、聞き入れられなかった。




7 月


通鑑

慕容垂が范陽はんように出た。

拓跋珪が弟の拓跋觚たくばつこを燕に向かわせたところ抑留され、解放の引き換えに良馬を求められた。拓跋珪は拒否の上、西燕せいえんに救援を求めた。

苻登が新平しんへいを攻めたが、撃退された。

前秦の沒弈于ぼつえきうが乞伏乾歸とともに鮮卑せんぴ大兜だいとを撃破。しかしまもなく乞伏乾歸を裏切り、劉衛辰りゅうえいしんについた。




8月


通鑑

乞伏乾歸は沒弈于を攻撃。他樓たろう城にてその片目に重傷を負わせた。




9 月


晋書

王珣おうしゅんを尚書左僕射に、謝琰しゃえんを尚書右僕射にした。太廟が完成した。


秋九月癸未,以尚書右僕射王珣爲尚書左僕射,以太子詹事謝琰爲尚書右僕射。新廟成。



通鑑

范弘之はんこうし殷浩いんこうに謚を贈り、あわせて桓温かんおんの謀反を主張した。桓氏や王珣の圧を受け范弘之は罷免された。




10 月


建康

朱雀すざく門が新たに建てられた。


通鑑

拓跋珪が高車こうしゃ柔然じゅうぜんを大破した。

翟遼てきりょうが死に、翟釗てきしょうが立った。ぎょうを攻めたが撃退された。

呂光りょこうが乞伏乾歸に攻撃を仕掛けようと目論んだところ、乞伏乾歸は速やかに撤退。呂光も出兵を取りやめた。




11 月


晋書

姚萇が苻登を安定あんていで破った。


冬十一月,姚萇敗苻登于安定。



建康

桓伊かんいが死亡した。



通鑑

劉衛辰が拓跋珪を攻撃。しかし逆襲を受け、逃げようとしたところを臣下に殺された。



12 月


通鑑

拓跋珪は劉衛辰の残党を虐殺。しかし三男の劉勃勃りゅうぼつぼつ𠮟干他斗伏しつかんたとふくを経て沒弈于ぼつえきうのもとに逃れた。

苻登が安定を攻め、合わせて苟曜に呼応させたが露見し失敗。苻登は撃退され、苟曜は殺された。

姚萇は宴を開くと、自らは偉大な兄(魏武王ぎぶおう姚襄ようじょう)に遠く及ばないが、諸君のおかげでここまで戦うことができたと鼓舞した。




(晋書9-11_政事)




色んな所に散らばる中間勢力の動き、これまで晋書載記をおってきた身としては「あー、あれね!」的になるんですが、いきなりだとさっぱりわかんなくてパニクりそうですね。すみません、全部なんの注釈も加えない晋書が悪いんです(いや大体が資治通鑑の記述だけど)。

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