慧持1  慧遠の弟

釋慧持しゃくえじ慧遠えおんの弟だ。

物静かながら度量が大きく、

14 歳にして学問を始めれば、

その習得力は一日で

他の者の十日分にも達する。

文学、史学を得意とし、

ものする文章には才知が溢れていた。


18 歳の時に釈道安しゃくどうあんと出会い、

その存在に打たれて兄と共に出家。

そこで多くの経典を学び、

三藏、すなわち経蔵・律蔵・論蔵を

あっという間に自らに取り込み、

自在に操るようになった。


釈道安が襄陽じょうように移住、

やがて前秦ぜんしんよりの圧がかかってきた頃に

弟子たちを各地にちらばせたわけだが、

慧持は兄の慧遠と共に

東に向かう選択をした。

はじめ荊州けいしゅう上明寺じょうめいじに逗留、

後に潯陽じんよう廬山ろざんに移動、

そこに拠点を構える。


慧持は 190cm を超す巨漢だったが、

すっきり爽やかなたたずまい、

常に草履を履き、

衣は脛の半ばほどまでしか

隠ししていなかった。


廬山に集まった僧たち三千は

みな優秀な者たちばかりであったが、

それでも誰もが慧持こそが

一番だと思っていた。




釋慧持者,慧遠之弟也。沖默有遠量。年十四學讀書,一日所得,當他一旬。善文史,巧才制。年十八出家,與兄共伏事道安法師。遍學眾經,遊刃三藏。及安在襄陽遣遠東下,持亦俱行。初憩荊州上明寺,後適廬山,皆隨遠共止。持形長八尺,風神雋爽,常躡草屣,納衣半脛。廬山徒屬,莫匪英秀,往反三千,皆以持為稱首。


釋慧持なる者、慧遠の弟なり。沖默にして遠量有り。年十四にして讀書を學び、一日にして得る所、他の一旬に當る。文史に善く、才制に巧みなり。年十八にして出家し、兄と共に道安法師に伏し事う。眾きの經を遍學し、三藏に遊刃す。安の襄陽に在すに及びて遠を遣りて東下せしむるに、持も亦た俱に行く。初に荊州の上明寺に憩い、後に廬山に適き、皆な遠に隨いて共に止む。持が形長は八尺、風神雋爽にして常に草屣を躡み、衣は半脛を納む。廬山の徒屬に英秀に匪ざる莫く、往反せるは三千なれど、皆な持を以て首に稱うるを為す。


(高僧伝6-18_為人)




慧遠の弟にも、またドラマがあるようなのです。しかし 190cm か……これはあえて慧遠をちびに書きたくなる感じのヤツですね……なんなら兄ちゃんを片肩に乗っけてもいいのよ……あっいやそうすると弟にグーパンで海のかなたに吹っ飛ばされちゃうか……やっぱなしの方向で。


それにしても、上明は交通の便に当たって重要っぽいですね。淝水ひすいまわりでは桓沖かんちゅう慕容垂ぼようすいに迫られて上明に陣を張ったりしています。この辺、それこそ道路とかの関係で見れると面白いんだろうなぁ。

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