慧厳2 東晋仏教人物史
さて、
どうもその信心は余り深くなかった。
なので仏教とはどのようなものかを、
臣下の
そこで何尚之は、
以下のようにまとめている。
「
つぶさに語ることはできませぬ。
しかし東晋以降の著名人物として、
以下のような方が挙げられます。
我が曾祖父
そして
あるいは宰相として政務トップに立ち、
あるいは人々の規範そのものであり、
あるいは天と人との関わりを考察し、
あるいは俗世を超越しておりました。
とは言えいずれの方々も、
仏教をよくお信じでおられた。
これら大名籍に肩を並べる名僧として、
と言ったあたりが挙げられましょう。
どなたも物事を聖人がごとくわきまえ、
あるいは凡俗では測りようもない
境地に達せられた方ばかり。
以上が近世における
道俗にある仏門の偉人であります。
もし、この話を国内外に広げ、
時代を
奇才や異德の人物を、
いかほど挙げることになりますのやら。
『
真理に向かおうとするのであれば、
その教えは修行の根源となる。
ならば俗世を救済するにあたっても
重要な役目を持つであろう』と。
密かにこのお言葉について
考察すれば、なるほど、
これが道理の奥にある考えなのだ、
と得心させられます。
なぜでしょうか?
もし、あらゆる家が
戒律を守ることができたのであれば、
そこにトラブルの生じる余地はなく、
すなわち国が刑罰を
執行する必要もなくなります。
この点は、
抑え込んだところに見出せましょう。
また
宝灯の光を浴びることで
その暴虐の心を減らしました。
このように御仏の道が
人々の教化を助けてきたこと、
おのずから示されておるのです」
中朝已遠,難復盡知。度江以來,則王導、周顗、庾亮、王蒙、謝尚、郗超、王坦、王恭、王謐、郭文、謝敷、戴逵、許詢,及亡高祖兄弟、王元琳昆季、范汪、孫綽、張玄、殷顗,或宰輔之冠蓋,或人倫之羽儀,或置情天人之際,或抗迹烟霞之表,並稟志歸依,厝心崇信。其間比對,則蘭、護、開、潛、淵、遁、崇、邃,皆亞迹黃中,或不測人也。近世道俗,較談便爾。若當備舉夷、夏,爰逮漢、魏,奇才異德,胡可勝言。慧遠法師嘗云:『釋氏之化,無所不可。適道固自教源,濟俗亦為要務。』竊尋此說,有契理奧。何者?若使家家持戒,則一國息刑。故佛澄適趙,二石減暴;靈塔放光,符健損虐。故神道助教,有自來矣。
前代の群英が如きに至らば、則ち明詔に負かざらたらん。中朝は已に遠く、復た盡く知るは難し。江を度りて以來、則ち王導、周顗、庾亮、王蒙、謝尚、郗超、王坦、王恭、王謐、郭文、謝敷、戴逵、許詢、及び亡き高祖が兄弟、王元琳が昆季、范汪、孫綽、張玄、殷顗は、或いは宰輔の冠蓋、或いは人倫の羽儀、或いは情を天人の際に置き、或いは迹を烟霞の表に抗すも、並べて歸依に志を稟り、崇信に心を厝す。其の間に比對せるは、則ち蘭、護、開、潛、淵、遁、崇、邃。皆な迹を黃中に亞ぎ、或いは人にては測りざりたるなり。近世の道俗の談を較ぶれば、便ち爾れり。若し當に舉を夷、夏に備え、爰に漢、魏に逮ばさんとせば、奇才に異德を胡んぞ言に勝るべからんか。慧遠法師は嘗て云えらく:『釋氏の化、可ならざる所無し。道を適くに固より自ら教源なれば、俗を濟せるに亦た要務を為さん』と。此の說を竊尋せるに、理が奧に契せる有り。何ぞや? 若し家をして家に戒を持たしむらば、則ち一國の刑は息む。故に佛澄の趙に適けるに、二石が暴は減ず。靈塔の光を放てるに、符健は虐を損ず。故に神道は教を助け、自ら來たれる有りたり。
(高僧伝7-2_為人)
この話、正確には
そっから引っ張れば、これだけそうそうたるメンツが信奉して、しかも五胡勢力の暴虐まで抑え込んだんだから仏教は偉大! みんな奉じろ! 的になるわけですが、いえあの、東晋五胡十六国時代って稀に見る動乱期だったことを考えれば、この論旨ってかなり筋悪なのでは……?
ともあれ、どういった人物が東晋期仏教の浸透に携わったかを教えてくれる、大切な史料だと思ったので紹介させていただきました。ていうかここだけ切り出すと
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