慧遠16 俗世との交流
そう、
彼はその才覚を全力で鼻にかけ、
俗世間を見下していた。
そんなだから、リスペクト対象なんて、
ほとんど、いない。
ただし。
慧遠を見て「わからされ」た。
なにせ慧遠、確かに仏典に詳しい。
しかし同時に、俗世間に流通している
書物にも通じていた。
なので外から留学生を預かれば、
誰もがたちまち慧遠に心酔する勢い。
ある時慧遠、『
このときの参加者には、
机を並べ、ともに慧遠の講義を聞く。
後年になると、雷次宗は自ら筆を執り、
喪服經についての注釈を執筆。
それを雷氏義疏と名付ける。
これを読んで爆笑したの宗炳だ。
そこにあった内容は、慧遠から受けた
講釈そのままであった。
なので宗炳、手紙を送っている。
「いやいや、和尚の話まんま過ぎだろ!
よくまあそこに雷氏と題せたもんだ!」
このように俗世と交わったエピソードも
枚挙にいとまがない。
なので、この一例だけにしておこう。
陳郡謝靈運負才傲俗,少所推崇,及一相見,肅然心服。遠內通佛理,外善群書,夫預學徒,莫不依擬。時遠講『喪服經』,雷次宗、宗炳等,並執卷承旨。次宗後別著義疏,首稱雷氏。宗炳因寄書嘲之曰:「昔與足下共於釋和上間,面受此義,今便題卷首稱雷氏乎?」其化兼道俗,斯類非一。
陳郡の謝靈運は才を負うて俗に傲、推崇せる所少なかれど、一に相見ゆるに及び肅然と心服す。遠の內に佛理に通じ、外に群書に善く、夫そ學徒を預かるに、依擬せざる莫し。時に遠の『喪服經』を講ぜるに、雷次宗、宗炳らは並べて卷を執りて旨を承く。次宗は後に別に義疏を著し、首に雷氏と稱す。宗炳は因りて書に寄せ之を嘲りて曰く:「昔、足下と共に釋和上に間じ、面し此の義を受くるに、今、便ち卷首が題に雷氏を稱せるか?」と。其の道俗を化兼せるは、斯くなる類、一に非ず。
(高僧伝6-16_簡傲)
喪服経https://zh.m.wikisource.org/wiki/%E5%84%80%E7%A6%AE/%E5%96%AA%E6%9C%8D
これの事っぽい。十三経『儀礼』のうちの一編。このへんはだいぶ仏教に寄せた解釈がされたのか、それともあえて十三経にのみ拠った解釈がされたのか。後者のほうが面白そうな感じはしますが、どうなんでしょね。
それにしても謝霊運(従反定まらず、最終的には謀反容疑で処刑)とか、雷次宗&宗炳(ともに晋や宋より度々の士官要請を受けるも軒並み辞退、隠者として生を全う)みたいな人物と接点があることを記されているのが面白いです。いやまぁ正直宋の隠者伝ってものすげえマッチポンプ臭がひどくて、沈約自身も「なんだこのクソみたいな生き方、まぁ価値観は価値観なので書き残しておきますが」みたいな評価を下してる人々なんですがね。なんだかんだきっちり名士たちに繋がってたりもしますし。
まぁ、俗世間はノーではない、けど権力はノー。そんな感じだったんでしょうかね。そのご本人がほぼ権力化されてたことについては、どうお感じでいらっしゃったのかしら。
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