慧遠12 不敬王者論序 下

桓玄かんげんからの手紙に対し、慧遠えおんは答える。


「沙門を称するとは、

 いかなることなのでしょうか?


 言ってみれば、世の中を

 俯瞰する立場に他なりません。

 それで、俗世をゆく方々では

 見いだせぬ視座を提供する。


 故に一度目に見えるものから

 遠ざかることで、最終的には

 世の中をゆく人の道筋を示すのです。


 高みを目指すものには

 ブッダの残した教えを伝え、

 仏法のかぐわしき流れに身を浸す者に

 さらなる良き風合いを示す。


 以上のような志を保っておれば、

 たとえ仏道を辿らんとするものが

 悟りの境地に至らなかったとて、

 私の足跡は気高きものであり、

 後進らに導きを与えるに

 足るものとなりましょう。


 そも、袈裟けさは朝廷のための服ではなく、

 鉢盂はつもうは祖霊らを祀るための

 器具ではありません。


 同じように、沙門もまた

 世の理の外に出る存在であるため、

 世の王を崇敬するには至らぬのです」


う、うん、……ぅう?

桓玄としては結局納得しなかったし、

そもそも自分の考えを翻されるのを

恥とすら思っていたのだが、

慧遠からの返答を読み、

「よくわからんがやばい」と感じ、

最終的な決断を下せずにいた。


そんなこんなのうちに、俗世は流転する。

桓玄、東晋安帝より、簒奪。


すると桓玄、改めて命令を下す。


「仏教やばい。

 正直良くわからん。


 けど、慧遠殿程のお方が

 そう思われているのなら、

 きっとそういう事なのだろう。


 しかも今、気付けば朕に対して

 敬うか否かという話にもなってきた。


 ならば朕は仏法に対し謙ろうし、

 また沙門諸氏に於かれては、

 皇帝を尊崇せずとも良いものとする」




遠答書曰:「夫稱沙門者,何耶?謂能發矇俗之幽昏,啟化表之玄路,方將以兼忘之道,與天下同往。使希高者挹其遺風,漱流者味其余津。若然,雖大業未就,觀其超步之迹。所悟固已弘矣。又袈裟非朝宗之服,鉢盂非廊廟之器,沙門塵外之人,不應致敬王者。」玄雖茍執先志,恥即外從,而睹遠辭旨,趑趄未決,有頃,玄篡位。即下書曰:「佛法宏大,所不能測,推奉主之情,故興其敬。今事既在己,宜盡謙光,諸道人勿致禮也。」


遠は書にて答えて曰く:「夫れ沙門を稱せるは、何ぞや? 謂うらく、能く矇俗の幽昏を發し、化表の玄路を 啟し、方に將に兼忘の道を以て,天下と往けるを同じくせるにあり。高きを希む者をして其の遺風を挹せしめ、流れに漱ぐ者をして其の余津を味せしむ。若し然らば、大業に未だ就かざると雖ど、其の超步の迹を觀ん。悟れる所は固より已に弘し。又た袈裟は朝宗の服に非ず、鉢盂は廊廟の器に非ずして、沙門は塵外の人なれば、應に王者に敬を致さざるなり」と。玄は先志に茍執し、外なるに從うを即ち恥とせると雖ど、遠が辭旨を睹、趑趄し未だ決せず。頃有りて玄は篡位す。即ち書を下して曰く:「佛法は宏大にして、測れる能わざる所なれば、奉主の情を推し、故に其の敬を興さん。今、事は既に己に在らば、宜しく謙光を盡くし、諸道人は禮を致す勿るなり」と。


(高僧伝6-12_胆斗)




よくわかんないけどしゅごい(しゅごい)


俗世の埒外にいる者たちという扱いですが、まぁ正直ほとんどが俗物ですわよね。慧遠さんも、まぁそのへんはわかってらっしゃったんでしょうけど。

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