慧遠7  十誦律と法性論

西方僧プーニャタラが関中に来訪。

かれは『十誦律じゅうしょうりつ』と呼ばれる経典を

暗唱していた。

そこでクマーラジーヴァ、

『十誦律』を聞き取り、漢文となす。

しかし三分の二辺りにさしかかり、

プーニャタラが死亡。万全な翻訳が

なされないままであった。


慧遠えおん、『十誦律』が

完備していないことを常々嘆いていた。


そんなところにやって来たのが、

やはり西方僧、ダルマルシ。

彼もまた『十誦律』を暗誦していた。

そこで慧遠、弟子の曇邕どんようを派遣、

欠損していた部分の訳出を懇願。

こうして『十誦律』の漢語訳は

完全なものとなった。


この翻訳は江南こうなんの地にも伝来し、

いまに至るまで伝わっている。

インド伝来の経典や

関中で生じた優れた学説が

江南の地で参照できるようになったのは、

実に慧遠の力による。


外国籍の僧侶たちも、みな口を揃え

中華の地にいる偉大な伝道者を讃え、

燒香を炊き、礼拝するごと、

東に向いて頭を垂れ、

廬山ろざんに思いを傾けた。


その神妙なる足跡は、

容易に測れるものではない。


これより以前、中華の地には

仏陀ブッダが入滅後に永遠の仏性を獲得した、

と言った説は存在しておらず、

仏教とは単に長寿を願うもの、

くらいの扱いとなっていた。


慧遠、この状況を嘆いている。


「仏は至高の存在。

 ならば変化のしようがない。

 変化のしようがないものが、

 どうして窮まろうか?」


そこで『法性論』を執筆。

そこには以下のようにあった。


「至高の存在は至高、

 ならば変化のしようがない。

 この事実を体得することこそ、

 究極の道を得る端緒である」


後にクマーラジーヴァ、

この論に目を通し、感嘆している。


「この辺境には、未だ経典が

 伝来しきっておらぬ。

 だと言うのに、こうして真理に

 たどり着くお方がおられるのだ!

 なんと素晴らしきことか!」




後有弗若多羅來適關中,誦出『十誦』梵本,羅什譯為晉文,三分始二,而多羅弃世。遠常慨其未備。及聞曇摩流支入秦,復善誦此部,乃遣弟子曇邕致書祈請,令於關中更出餘分。故『十誦』一部具足無闕。晉地獲本,相傳至今。葱外妙典,關中勝說,所以來集茲土者,遠之力也。外國眾僧,咸稱漢地有大乘道士,每至燒香禮拜,輒東向稽首,獻心廬岳。其神理之迹,故未可測也。先是,中土未有泥洹常住之說,但言壽命長遠而已。遠乃歎曰:「佛是至極,則無變;無變之理,豈有窮耶!」因著〈法性論〉曰:「至極以不變為性,得性以體極為宗。」羅什見而歎曰:「邊國人未有經,便暗與理合,豈不妙哉!」


後に弗若多羅の關中に來適せる有り、誦し『十誦』が梵本を出だし、羅什は譯し晉文と為し、三分の二に始むるに、多羅は世を弃す。遠は常に其の未だ備わざるを慨く。曇摩流支の秦に入り、復た此の部を誦せるに善かるを聞くに及び、乃ち弟子の曇邕を遣りて書を致し祈請せしめ、令し關中にて更に餘なる分を出さしむ。故に『十誦』の一部は具さに足りて闕無し。晉地にて本を獲、相傳わること今に至る。葱外の妙典や關中の勝說の茲の土に集い來たる者の所以、遠の力なり。外國の眾僧は咸な漢地に大乘の道士有れるを稱え、至れる每に燒香禮拜し、輒ち東に向きて稽首し、廬岳に獻心す。其の神理の迹、故より未だ測るべからざりたるなり。是の先、中土に未だ泥洹常住の說有らざるに、但だ壽命長遠を言いたるのみ。遠は乃ち歎じて曰く:「佛は是れ至極にして則ち變ぜる無し。無變の理,豈に窮むる有らんや!」と。因りて〈法性論〉を著して曰く:「至極の不變なるを以て性為るに、性を得るを以て極みを體し宗と為す」と。羅什は見るに歎じて曰く:「邊國の人に未だ經有らざるに、便ち暗に理と合す、豈に妙ならざるか!」と。


(高僧伝6-7_文学)




今日も仏教的議論にきょとんとするだけの日々を過ごしております。

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